アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

あんり、まあ!

2020年06月19日 | Weblog
 「あんり、まあ!」…で、通じますかね?
 「おやおや、まあまあ!」の言い方に、「あら、まあ!」「あれ、まあ!」「ありゃ、まあ!」などがありますが、もう一つ付け加えてください、「あんり、まあ!」。勿論、河井あんりさんを揶揄した言葉です。
 なぬ?「元参議院議員様を揶揄してはいけない」って?あんり、まあ!…ハイハイ、品を欠きました、ごめんなさい。…素直に謝罪しましたので、軽ぅ~く、揶揄っぽく続けまぁ~す。あんり、まあ!!

 「ウグイス嬢に規定以上の謝礼を払った」これだけの違反かと思っていたら、100人近くの人に、2,570万円をばらまいていたという。あんり、まあ!
 河井夫妻の年収は、7,000万円を超えますから(アンティークマンの調査なので、信憑性があるようなないような)、2,570万円ぐらいどってことないのでしょうがね。仮に、自民党からの1億5000万円の中から捻出したとしたら…私のような「品行方正で洗濯する人」の血税も使われたということになります。安住さんに辞めていただきます。安倍さんの間違いじゃないかって?だって、「交代!交代!」と、口に出しておられておりますから、安倍さんに交代して安住さんにお辞めいただくことでいいんじゃないかと…。ご自分の口から出た言葉には、責任を持っていただかなければなりません。
 「(品行方正で)洗濯する人」の意味ですか?「赤貧を洗う」ってことで…あんり、まあ!

 閑話休題。テレビでは、おもしろがって、広島県議会の一年生議員だったころの河井あんりさんの発言が放映されています。何度観ても、「ぞっ」とします。怖いです。
 2006年に、政治資金規正法や公職選挙法に絡む疑惑について、故藤田雄山元広島県知事に対して、河井あんりさんは、責め立てた!

 「知事!(長い間をとって)男らしくなさいよ!(間)」

 この芝居じみた絶妙な間のとりかた。てっきり元女優かと思いましたよ。
 なぬ?「政治資金規正法や公職選挙法違反で元広島県知事を責めたてた案里が、同じ悪事を働いた。あんり、まあ!と言いたいんだろう」って?
 いいえ違います。男女同権、女性の地位の向上が謳われている現代です。「男らしくしなさいよ」は、タブーですよ。そのような言葉を、女性が使った。知事が、女性だったら、あんりは、「女らしくなさいよ」と言ったのでしょうか?言わなかったでしょ!彼女の深層心理には、「男は、泣かない」「女々しいから、女」という古めかしいステンレス製のステレオタイプができているのです。「だから、鉄面皮なのか」って?ひ、人の顔のことを…!

 この信じがたいほど低い認識だから、「現金をばらまくのが平気」なのです。世の中が分かっていないのに、「世の中をなめて」いる。狡猾のつもりが、小狡いだけだった…。あんり、まあ!もう少し賢いと思っていたのに。
 なぬ?「結論は、女性の人権問題だったのか、あんり、まあ!」だって?深いところは、そこです。浅いところは、「世の中、なめんなよ。偉い人ほど品行方正にしろ」です。河井夫妻および現金を受け取った100人近い人たち…端金で、人生を狂わせてしまいました。

縄をNOW!

2020年06月19日 | Weblog
 幼少時の私の家事手伝いの一つに、「夜の8時になったら、玄関のカギをかう」ことがありました。
  「カギをかう」、我が家の場合は、「心張り棒」をかっていた。「シンバリボウ」言葉の響きが頼もしい。漢字も、「(泥棒に)心を張る棒」ですから、棒に何かが宿っているような…。戸を強く蹴られると、外れてしまうのですがね。

  「カギをかう」「心張り棒をかう」の、「かう」ですが…ずっと、方言だと思っていました。共通語では、「カギをかける」でしょう。疑問だったのは、「心張り棒をかける」とは言わないということ。やはり、心張り棒は、「かう」。
 半世紀ほど生きてから、「カギをかう」「心張り棒をかう」の「かう」が、方言ではないことが分かりました。立派な…かどうかは分からないが、共通語でした。「かう」を漢字にすると、「支う」。「目から、ウロコが落ちただろう」って?ハイハイ、ホットケーキ大のウロコが落ちました。
 
 「心張り棒を支う」。「心張り棒」「つっかえ棒」「用心棒(荒野の用心棒とは違う、本物の棒)」は、正しく、「支う(かう)」という状況にして使用します。戸を支えるわけですから。
  「心張り棒」が廃れて、というか、時代遅れになって、「カギ」になった。カギをかけるには、「支う」という動詞は似合わない。しかし、心張り棒以来、「支う」は庶民に支持されていたので、「カギを支う」と、使われ続けた。

  「米をとぐ」…これも、子どもの頃は、不思議な言い方の一つでした。「庖丁をとぐ」「鎌をとぐ」は、よく分かる。しかし、米を砥石でとぐのか?砥石ではとがないが、ぬかやよごれを取るために洗う。それを「とぐ」という。なんともよく分からない日本語…。漢字は、「磨ぐ」か「研ぐ」のどちらかが当てられていますね。
 都市伝説に、「米磨ぎは、お米を洗うことだからと、洗剤を入れて米を洗った。結果、肝臓病になった」という話があります。
 似たような話に、「ウチの子、オシッコが黄色いんですけど」と、いうのがあります。紙おむつのCMで、オシッコにみたてた青色の液を使っていましたよね。CMを観た若い母親が(普通の子はオシッコが青いものと勘違い)びっくりして、主治医に相談したという。母親が青くなった…。よくできたお話ですね。

 「おじいさんは、山へシバカリに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」…桃太郎の話です。幼少時は何の疑問も持たなかったのですが、小学生になって、「山にゴルフ場があって、おじいさんが芝を刈りに行ったのか?昔話なのに、ゴルフ場があるのは妙だ?」と思いましたよ。そのうちに、「芝」ではなく「柴」で、「シバカリ」は、「たきぎ取り」と分かりましたが。
 「柴を刈る」がこれまた難解でした。なぜ、「柴拾い」ではなく「柴刈り」なのか?刈った柴なら生木だから燃料にならない…と、少年は考えたのでした。昔話は奥が深くて、理解に時間がかかります。

  「泥棒を捕らえて縄をなう」ということわざがあります。事態が起こってから、対処すること。「縄をなう」の「なう」は、編むと言う意味。「縄を編む」…これも、しゅっくりこない。やはり、「縄は、なわなければならない」。漢字では、「綯う(なう)」。
  泥棒を捕まえた。さて、縛り上げる縄がない。「だれが、縄を持ってきてくれー!今すぐに!now!now!NOW!」というわけで、「縄をnow!」が「縄を綯う」になったということは…ありません。