アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「そば」命名の由来は…

2020年12月25日 | Weblog
   「皇室御用達のそば」を今年も頂戴しました。(値段が)相当高いと、思われます。自家用では決して買わない代物。ここ数年、毎年いただいて食しておりますので、初めて食べたときの感動は薄れてしまっておりますが、確かに、「旨いっ!」。
  小市民が、天皇陛下と(おそらく)同じ「そば」食べている…畏れ多いが、旨いものを食べると、目が円くなります。目を三角にして、そばを食べる人はいない。

  今年は中止でしたが、「そば打ち愛好会」の市民講座ってのがありまして…。私は、「素人には十割そばは無理」と、決めつけておりました。自分でそば粉を買ってきて、つなぎを入れずに打ったら、「ボロボロ」のそばができあがったという経験があるからです。
 市民講座のとき、指導の方のおっしゃるとおりに打っていたら、「十割そば」が見事にできました。「長年培われてきた文化」に畏敬の念さえ覚えました。そのとき、参加していた人の中には、「そば粉の量も、水の量も適当にやって」、そばをダンゴにした人がおりました。指導員は、「目をそばの実」のように三角にして怒っておりました。

  ところで、「そば」は何語?「蕎麦」という漢字があるので、中国から来たのか?「そば」は、日本のもののはず?漢字があっても中国伝来ではない。「中華そば」なるものもあるが、そば粉は使っていないから、「そば」を名乗るのはいかがなものか。「ソーキそば」も同様で、そば粉は使っていない。しかし、市民権を得ているので、「そば」を名乗ってもいいことにしますかぁ。沖縄への忖度。
  で、そろそろ本題。前置き、長っ!

 大野晋さんは、なぜ、「そば」を「そば」と呼ぶかを考えた。
 大野晋さんには、日本語のルーツでお世話になっているんです。日本語のルーツはインドのタミールにあるという説。私が、日本語に最も近いと思うのは、「ゾンカ語」。そのゾンカ語を話す人を求めて、はるばるブータンへ行った話は書きました。今でも、ゾンカ語の数字の読みは、「いち、にい、さん、し、ご、ろく、しち・・・」でした。ただし、消えかかっている言語なのです。ブータンの学校教育は「英語」。ゾンカ語を話す年寄りは、自然減。

 そばの実の形は、ほぼ三角形(三角錐)で、角ばっています。物の角が尖ったことを「稜(そば)」といいます。
  大野晋さん、源氏物語から、「御仲そばそばし」を見つけた。藤壺と弘徽殿が、桐壺帝をめぐって対立し「仲が悪い」状態だった。これが、「そば」のルーツだなと考えたわけ。ほかに、「そばみ合ふ(お互いに背を向けとげとげしい様子)」、これも「そば」のルーツ。耳を「そばだてる(傾ける)」、傾けるわけだから、普通じゃない状態。これも、「そば」のルーツ。えっ?大野晋さんが本当にそんなことを言っているのかって?だいたい、このようなことを言ってますねえ。

  「そばそばし」「そばみ合ふ」「そばだてる」…これらの共通項は、「そば」。
 その昔、日本人は円や四角は良しとするが、三角を嫌ったらしい。そこへ持ってきて、(そばの)実は三角形!その三角形の実から作った、「麺」をなんと呼ぼうか?
 「そばと呼ぼう!」と、いうわけで、あのたべものが、「そば」と呼ばれるようになった。