アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

クリスマス…日本が豊かになったお祝い

2020年12月26日 | Weblog
 15年前に買った我が家の車、カーナビは当時のまま。エンジンをかけたら、「メリークリスマス!」。15年前の日本、すでにこの時期は、「メリークリスマス!」だったことがうかがえます。
 日本は、本当にいい国だとつくづく思います。仏教・儒教・神教・キリスト教・イスラム教・・・何でもござれ、自由自在に適応・対応している。こういう国って、ほかにないんじゃないかなあ。日本が誇ってもいい文化です。
  このことについて批判する輩もおられます。
 「花祭りも知らず、クリスマスを祝うのはおかしい」
 「深い信心がないことの証」
 「葬式は坊さんに頼み、初詣は神社へ。キリスト教徒でもないのにクリスマスを楽しむ。これでいいのか?」
 「仏教徒なのに、キリスト教の教会で結婚式を挙げる…?」
  「宗教に対する無節操ぶりは目に余る」
  このように「おかしいぞ日本人」と、合唱しながら…クリスマスケーキ食ってんじゃないの!?おかしいと思うなら、ひたすら自分の宗教を貫けばよい。世の中を憂いて批判する必要は何もない。
 なぬ?「そういう人たちの批判をアンティークマンはしているじゃないか」って?
 わ、私の場合は、独断・偏見・少精義・平妥ですから、…いいのです。「少精義」と「平妥」は、ワープロの変換ミスじゃないかって?少精義は、「とりえなし」、平妥は、「くだらん」です。

  日本人とクリスマスについて、評論家、似非評論家、受け売り評論家などなど、このテーマは大賑わいです。
 一般的には、日本人の宗教観から真面目に論じられているものが多いです。お坊さんのお経の最後は、「・・・恐み恐みも白す(カシコミカシコミマヲス)」と、なっています。この部分は、黙って聞いていると分かります。ほかは、返り点なしで読むものですから…私には分かりません。
 「カシコミカシコミ…」は、神主さんのセリフ。七五三のお祓いでも言います。ということは、お経と、のりと(祝詞)に共通部分がある。そうなんです。日本の仏教は、「崇仏VS廃仏」の抗争を経て、神道と融合・共存させ、「独自の仏教」として発展してきたのです。

 このあたりから、日本人は異宗教に対して「寛容」になっている…。また、研究者の中には、神道は「八百万神(やおよろずのかみ)」つまり、多神教。山海草木に至る迄、ありとあらゆる物に「神性」を見いだす。仏教は、多種多様な如来・菩薩を信仰するわけで…キリスト教、イスラム教・・・に全く抵抗がない。このような見方もあります。
  よって、何の抵抗もなく、クリスマスを祝う。私のまとめ方も上手いが(あ、自分で自分を褒めちゃった)、論として興味深いものがあります。
  「日本人が、クリスマスを祝うのはいかがなものか」これ自体、すでに間違っています。
  祝ってなどいません。口では、「メリークリスマス!」そんなものカーナビでも言う。みんなが言うから言うのであって、クリスマス本来の意味で言うのは日本人の1%でしょう。
  では、なぜ日本人はこの時期張り切るのか?日本人が、クリスマスをかくも盛大な行事に仕立てたのは、戦後20数年経ってからです。わざわざ聖徳太子の、「崇仏」までさかのぼらなくてもいいのです。

  終戦後、オギャーと生まれたアラカン世代は、とにかく「食うもの」がなかった。所謂、「粗食」に甘んじなければならなかった。ただ、粗食が実は、換言すれば「豪勢な食」だったのですが…。言っていることが分からないって?本題から逸れますが、何をもって粗食とするかです。「イモとカボチャ」の昼食と、「彩りよく、おかずの品数が豊富、楽しい楽しいコンビニ弁当」の昼食。どっちが粗食でどっちが豪華?
  還暦前まで、イモやカボチャは、貧乏人の食い物で質素、だから粗食。一方、夢一杯のコンビニ弁当は、豪華、贅沢!と…?今は、違います。なぜ、半病人の私が…ではなく全病人の私が還暦まで生き長らえたか?それは、体の基礎基本を作る時期に、「イモ、カボチャ」を毎日食べていたからです。つまり、粗食が実は、大変贅沢な食事だったのです。現在のカラカンが、アラセブンテイになってもアラエイテイになっても強いですよ。イモ、カボチャという豪華・贅沢で育っていますから。その点、アラフォーより若い世代は、健康での長生きを期待できない人が増えますよ。贅沢な食事をせず。インスタント食品、酸化防止剤たっぷり食品、コレステロールてんこ盛り食品、高カロリー食品、偽装食品…分類がめちゃめちゃですが、これらを食べている可能性が高いですから。

  戦後の日本は、世界が驚く復興を遂げてきた。どんどん豊かになった。イモとカボチャの昼食は、インスタントラーメンに変わった。(これが日本の失敗だったのですが)アメリカから入ってくるものは、皆、きらびやかで、あこがれるものばかりだった。
  サイフにゆとりができはじめると、「年に一度くらい無駄遣いしてもいいんじゃないか。昔は貧乏だったもの」という風潮が席巻し始めた。海外を経験する日本人も増え始め、「クリスマス」が広められた。

  昭和36年(1961年)には、コカコーラの登場。「オレ、コーラ飲んだぞ!」が、自慢になった。高校生でも、年に数回コーラを飲めるほど豊かな国になってきた。コーラの空きビンなど、お部屋のインテリアでした。コカコーラで弾みがつき、日本のクリスマスの内容は怒濤のごとく進化発展。「ケーキを食べて、トリの足を食って、炭酸飲料を飲んで、みんなで騒ぐ」…日本独自の文化となってきた。年々新趣向が加わり、現在に至っている。

 名前はクリスマスですが、宗教は全く関係なく、「日本(人)が豊かになり、無駄遣いできるようになったことをお祝いする行事」です。それでは名前が長すぎるので、「クリスマス」と呼んでいますがね。「クリスマスとキリスト教の関係を知らない女子大生」が話題になりました。それでいいのです。日本の行事ですから。