アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

トロッコ問題 

2009年02月08日 | Weblog
   助けなかったら助かった?

 溺れた中学生を助けようと、海へ飛び込んだ会社員が亡くなった。中学生は救助され無事…このような出来事、毎年のようにあります。ほとんどは、溺れていた人は助かっている。状況が全て違うのでしょうが、救助に行かなければ犠牲者はでなかったかもと思ってしまいます。
 助けようとして自分の命を落としてしまう。御家族はどんな気持ちになるか?人として正しいことをしながら、もっとも残酷な結果を返されてしまう。助かった人も、その家族も、どうしたらいいのか…。責任?そんなもの誰もとることなど出来ない。

 この種の事故を聞くたび、私は悩みます。なぜか?「泳げない」からです。毎日プールへ行っていますが、アクアウオーキング。スイミングではないのです。「泳ぎは魚の特許。人間が泳げてたまるか!魚の領域を侵犯してはいけません」という主張を通し続けて60年…。いつも、自問自答するのは、「おぼれている人がいる。私はどうすべきか?」です。
 助けに飛び込んだとしたら…共倒れでしょう。そして、「あのオヤジが調子に乗って飛び込んだので最悪の結末に!」と、非難される…。
 助けなかったとしたら…「あの、オヤジが助けようとしなかった!人!」と、非難の雨嵐でしょう。生きていけませんよ。

 どうしたらいいでしょうか?現在なおというか、そういう場に遭遇しても決心などつかないと思います。本能的にどちらかの行動をとるでしょうけど。
 浮き輪を投入してやれって?そんなに都合良くその辺に浮き輪がありますか!実は、そんな時のために車のトランクに小型船舶用の浮き輪を積んでいたこともありました。それほど、真剣に考えていましたよ。救助のために飛び込む人は、決まって水泳に自信がある人でしょう。そういう人が犠牲になるのですから、「泳げる=救助できる」という式は成立しないのです。

 火事になり、寝ていた孫(8歳)を助けようと、燃えさかる家へ飛び込んだ祖母(81歳)と、そのあとをついていった孫(5歳)が焼死。寝ていた孫は、自力で脱出し、無事だった。結果論ですが、助けにさえ行かなければ皆助かった?
 少し古いが(2001年1月)、山手線新大久保駅でプラットホームから線路に転落した男性がいた。救助しようとした2人の男性が、進入してきた電車にはねられた。3人とも死亡。助けにさえ行かなければ、犠牲者は一人で済んだかも。

 この度の、北海道積丹岳(しゃこたんだけ、1,255m)の事故は…男性(38歳)が、山頂付近で行方不明に。山岳救助隊5人が、雪穴に簡易テントを張ってビバークしていた遭難男性を救助。救助隊と男性が下山していたところ、男性と救助隊3人が雪庇(せっぴ)を踏み抜き、約200メートル滑落。隊員は無事。男性を救助用そりに乗せて引き上げようとした。斜度40度の急斜面の上、風速約20メートルの吹雪で、氷点下約20度という悪天候。約1時間かけて50mほど引き上げた。救助隊員は、疲労困憊。応援を要請することにした。そのため、そりのロープを木にくくりつけていたところ、その木が折れた。そりは、再び滑り落ち、男性は行方不明に。翌日、発見され、病院へ搬送されたが死亡が確認された。最初の遭難から3日目だった。
 この事故…助けられたことにより命を落としてしまったとも…。最初に救出されたときには、「寒さのため意識がもうろうとしていた」ということですから、どうなっていたかわかりませんがね。

 トロッコ問題を彷彿させます。トロッコ問題は、「芥川龍之介の作品で、主人公の良平が泣きながら走った小説の題名は何でしょう?」と、いう問題ではありません。
 トロッコ問題とは…
 トロッコが走行中、ブレーキが利かなくなった。線路の前方に5人の人がおり、このままでは5人ともトロッコに轢かれてしまう。トロッコを別路線に引き込むと、5人を助けられるが、引き込み路線に立っている別の1人を轢いてしまう。トロッコをどうしたらいいか?
 「5人を助けるために、1人を犠牲にするのはよいことか?」という問題。

 功利主義(最大多数の最大幸福)では、「5人を助ける」ということになります。しかし、そうはいきません。還暦パパの考えを言えって?私は、「5人も救うし、1人も救う」です。どうやって?…そ、そ、それは…。そこまで追及しないであなたも考えてください。

署名ではデパートを救えない

2009年02月07日 | Weblog
  より良い物をより安く

 デパートに恨みなどありません。
 2008年の全国百貨店売上高(7兆3813億円)は、12年連続で前年実績を割り込み、1986年以来22年ぶりの低水準に落ち込んだという。
 一方、コンビニエンスストアは、7兆円台後半の売上高が見込まれるという。デパートがついにコンビニに負けることが確実。象がアリに倒されるような…。

 なぜデパートの売り上げが12年連続で下降線をたどっているか。還暦パパに言わせると簡単です。なにしろ卒論は、「消費者志向に関する一考察」。小売りと消費者については…知ったかぶりできます。的を射ているかどうかは別として…

 デパートの売り上げが落ち始めた12年前って、何がありましたか?
消費税増税(3%から5%に)。ヤオハン倒産。三洋証券破綻(証券会社の倒産は、これが戦後初)。 北海道拓殖銀行破綻。 山一證券破綻…これらのような重大なことが起こっていたのです。

 消費者のサイフと密接な関係を持つデパートは、大手証券や都市銀行の破綻から、即座に対応策を講じなければならなかったのです。しかし、あぐらをかいたままだったのです。
 そして、10年ほど、売り上げが下降の一途をたどったところでようやく慌てだした。
 駅前のデパート、地方のデパートは経営が困難になってきた。大手デパートのみがブランドの力で何とか踏みとどまってきたが…。現在は、高島屋、三越、大丸、伊勢丹など大手デパートでさえ、明日はどうなるかわからないギリギリの状態になっています。
 最大手の三越伊勢丹ホールディングスは、定休日を増やし、営業時間を短縮する。20億円の節約になるのだそうです。マジスカ?…定休日を増やすと、人件費や光熱費はたしかに節約できるが、客は来ないんですよねー?「売る」というデパート本来の使命を放棄してしまったのかな?それほど大変な経営状態。トンネルの向こうに、「民事再生法」の文字がうっすらと見えてきているようです。

 ここ数年のデパートの動き
1 店舗の統合
2 商品構成の見直し(店舗の独自性を出す)
3 経営統合(西武とそごう、高島屋と阪急阪神、三越と伊勢丹、大丸と松坂屋など)
 1は、巻き返しというよりむしろ撤退。2は、商品の多様性、専門性を追求したとしても、特化した専門ショップの域に達しない。だから、売り上げが伸びない。3については、身辺警護(買収されないように)でしょう。売り上げを伸ばすことに繋がっていない。 

 現代の消費者の志向は…
1 いいものを買いたい
2 同等品なら安いほうを買いたい
3 いいものが安ければ是非買いたい
 デパートは、なぜ売れなくなったか?消費者志向に合致していないからです。簡単なことです。

 三越は今年中に4店舗の閉店を発表しています。ここのところ、地方のデパートの閉店が次々と発表されています。
 地方都市では…「無くなると寂しい」「地域のシンボルですから」「閉店しないで」という声が今更ながら上がり、駅前では、「署名活動」が行われています。「家族の名前、全部書きましたワ」という御婦人も…このいい加減さ…。集まった署名はデパートの社長へ渡し、存続をお願いするのだそうです。

 「署名をお願いしマース」と、街頭に立っておられる皆さん、いい顔をしています。「地域からデパートをなくさないために、自分たちは頑張っているんだ」という意気込みと、誇りが感じられます。しかし、署名が大きな成果を生み出す例はあるにはあるのですが、限られています。大半は…署名の束を受け取った側も始末に困る。燃やせるゴミに出すわけにもいかない。日の目を見ずに倉庫のかたすみで埃の下に。だからとっとと止めろというつもりもありません。やりたくてやってるわけですから、気が済むまでやればよい。私へかけられている迷惑は、「騒音」ぐらいのものですから、我慢できます。

 営業すると赤字がふくらむから閉店するのです。署名の束をもらって、「存続して」とお願いされて、何か問題が解決されますかね?「署名などいらないから、たくさん買い物してよ」ということでしょう!でも、デパートではあまり買い物をしない。
 民事再生法の適用申請をしたデパートに買い支えが起こり、一転、売り上げ好調というニュースが。いいと思います。一時的な特需ですけどね。なぜもっと早く買い支えてあげなかったの?消費者志向に合ってないからです。

 「品質差」が縮まった昨今、小売りは価格勝負です。「高級ですのよ」といったところで、売れなければ閉店するしかありません。その時には、その時の状況というものがあります。それは、どうしようもないこと、受け入れなければならないことです。デパートが、「より良いものを、より安く」となれば、客は戻ってきます。 

ローマ法王庁にもいた田母神さん

2009年02月06日 | Weblog
  「ガス室なかった」は、NGワード

 「マルコポ-ロ事件」、東方見聞録とは直接の関係はありません。文藝春秋が「マルコポーロ」という名の雑誌を発行していました。15年前になりますが、そのマルコポーロ誌が、ホロコーストを否定する記事を掲載したのです。「ガス室は、なかった」と。これに対し、ユダヤの団体(ヴィーゼンタール)が猛烈な抗議。そのため廃刊に追い込まれました。これが、マルコポ-ロ事件。当時の日本では、そこそこ話題になりました。「ホロコースト否認論」への糾弾と、言論の自由の保障をめぐる議論ですから。

 ホロコーストについて、実在を疑問視する人々がおります。「ホロコースト修正主義」の人たちです。「ガス室」に関わっては、「ロイヒター・レポート」「ルドルフ・レポート」「リプスタット事件」など、否認論とユダヤ系団体でバトルが続いています。イスラエルも参入しているし、パレスチナも黙っちゃいない。こうなると、関わり合いたくない問題です。

 ホロコースト否認が一般論のようになってしまってはかなわないというわけで、否認論者対策として法律ができています。
 「ナチスの犯罪を否定もしくは矮小化した者に対して刑事罰を適用する」という法律。ドイツ、オーストリア、フランスにあります。ドイツでは、「ホロコースト否定」は、刑法で禁止されています。
 イスラエルでは、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定されています。

 先日飛び込んで来たニュース…
 法王から破門を解かれた、ローマ法王庁の神父が、「20~30万人がガス室で殺戮されたというが、ガス室など無かった。つまり、ガス室で殺された人はゼロ」と、発言していたという。
 イランのアフマディネジャド大統領が、「ホロコーストは無かった」と発言したときは、イスラムだからそれくらいは当然言うだろうと、気にもとめませんでした。今回はローマ法王庁の神父さんですから、立場を考えてものを言えよと…驚きました。

 これに対して、メルケル首相が猛抗議!ドイツでは、「ホロコースト否定は禁止」という刑法に照らして捜査を開始したという。ドイツの法律は、バチカン市国でも適用されるのか?宗教上で適用可なのか?もっとも、ジェット機でも半日かかる日本の文藝春秋マルコポーロ誌を廃刊に追い込むのですから、バチカン市国を包囲するのに、30分もかからないでしょう。

 「ガス室などなかった」と、おっしゃる神父、どこかの誰かさんに似ていませんか。航空幕僚長を更迭され、退職金6,100万円を得た、田母神俊雄さんに。「日本が侵略国家だったとはまさにぬれぎぬ」という、衝撃的な論文。「ガス室などなかった」と、同じです。
 その後の田母神さんなかなかお元気で、テレビのバラエティ番組に出演していました。芸能界デビューへの近道は、「人が書かないような論文を書く」ことのようです。さらに、来る3月1日には、ロサンゼルスで講演会を行うという。参加費は、30ドル…まあ、相場でしょうか。

 (ホロコースト関係で)「言ったら罰する」という法律があるわけですが…南京大虐殺など無かったという論もあります…中国が、「南京大虐殺否定論者を処罰する法律」を作らないように祈ります。言い訳のようですが、私は「南京大虐殺は無かった」とは一言も言っていませんから。「無かったという論が出てくるのも頷ける」と、過去に書いたことはありますがね。急に逃げ腰になっているって?だって、中国は判決から処刑まで早いんだもん。

立腹数え唄 ~倉本聰の『屋根』を観る~

2009年02月05日 | Weblog
  ものの豊かさと心の豊かさ

 「屋根」の主人公は、「根来公平」と「しの」の夫婦。倉本さんは、なぜ、「根来(ねごろ)」という名字にしたのであろうか?根来姓の知人がおり、冷やかし半分に、「先祖は忍者だったんじゃないの?」と言ったら、「はい、そうなんです」と、いうことがありました。虎ノ門の海外子女教育関係の財団勤務で、まだ現職でおられると思います。こちらが、驚きました。根来忍者の末裔と知り合いということで!忍者に知り合いがいる!自慢になります。
 根来忍者は、和歌山県岩出市にある「根来寺」の僧兵でした。銃をいち早く使用したことでも知られています。忍者は手裏剣だろうって?忍者の武具も進歩しなければなりません。手裏剣野次は銃でしょう。その「根来」がなぜ富良野の開拓農家なのか?

 根来寺は、信長とは友好関係があったのですが、秀吉とは対立しまた。根来寺が利権をもっていた、紀伊、河内、和泉について、秀吉が取り上げたからです。当然、戦になり、紀州鉄砲軍団の根来衆も、秀吉の力にはなすすべもなく破れ終焉を迎えました。秀吉に立ち向かっていった根来衆…それが、倉本さんの共感を呼び、「屋根」の主人公の姓にした…考えすぎでしょうか…。

 暗転の場面。本当に真っ暗。これまでの経験では、暗くしても、「非常口」の電光表示が見事に浮かび上がり興ざめになるというケースばかり。富良野演劇工場では、一切の光がない(私は、そう感じました)。60年の人生で、「100%真っ暗」という体験は初めてでした。違法じゃないかって?法律関係はよく分かりませんが、開場前の注意で、携帯電話のほかに、「非常の場合は、誘導します」というのがありました。係員がいて、非常時に誘導できる体制になっていれば、非常口の表示灯を点けなくてもよいということになっている…かな?

 「立腹数え唄」なる唄が、根来夫婦で歌われました。
一つとせェ 人がとびつき すぐ飽きる すぐ飽きる
      流行遅れに 腹が立つ 腹が立つ
二つとせェ 古くなったら 直さんで 直さんで
      新品買えちゅう 腹が立つ 腹が立つ
五つとせェ いつも何かを 買え買えと 買え買えと
      浪費をすすめる 腹が立つ 腹が立つ
 十とせェ…まであるのですが、上記の1,2,5、同じことです。倹約、節約、我慢から、消費は美徳だ、浪費せよという世の中へ。消費が美徳であるとして、その美徳で家族は幸せになったのか?
 農家を継いだ末っ子の六郎が、消費は美徳の口車に乗せられ膨大な借金をして経営に失敗。老夫婦も、骨身を削って開墾した土地から逃げ出さなければならなくなった。何を持って夜逃げするか…。これは、「屋根」の核だ!と思ってみていたら…
 「中山式快癒器を持っていく!」…昔のつぼ押し器具、分かる客はおらんだろうと思ったのに…。客席が反応して笑い声が!「客の平均年齢は還暦かい?」と、思いました。し、しかし!中山式快癒器は今でも元気に販売されていた!2球と4球のセットで、税込み7,245円だという。驚きました。

 舞台へ立った役者さんは、総勢50名。スタッフ26名。サポートメンバーは、売店の売り子さん、託児室の保母さんも合わせて30人以上。大変な人数です。
 役者、スタッフの半数が、「富良野塾」の塾生。富良野塾は、1984年に倉本聰さんが、「お世話になったテレビ界への恩返しとして、優れた役者と脚本家を育てる」として開塾。一昨年、「惰性で塾を続けても意味がない」と、2010年の閉塾を宣言。来春、25期生の卒塾をもって幕を下ろす。
 倉本聰さん、「塾にかかる費用は、ボクが税金を払った残りのポケットマネーを領収書なしでやる形だった。だから稼がなきゃならない状況があった。これで、25年。結構くたびれた。体力的にも年齢的にもこれでは続かない」とも。74歳になられている。

 大正12年から平成8年まで家族を見てきた「屋根」。家族にとって、「本当の幸せ」とは何か?
 「喜多郎」という人がおられる。名字は「ゲゲゲ野」だろうって?違います。それは「鬼太郎」。喜多郎は、世界的に有名なシンセサイザー奏者。その喜多郎さんは、「便利になることと幸せになることは別のもの」と言っています。根来一家、貧しく不便でも、家族がワイワイと暮らしていた…あの頃が、もっとも幸福だったように思います。
 我が青春の、ショーペンハウエルは、「朗らかで陽気であることこそ、幸福の正真正銘の実態である」と。母親の「根来しのさん」、朗らかで陽気でした。家族の幸せの鍵を握るのは、母親です。 
 還暦パパが考える家族の幸福は…「みんな元気で暮らしていること」です。平凡すぎるって?もっとウケをねらえって?オチはどうしたって?いえいえ、みんなが元気であること以上の幸福などありませんよ。

 ある高校が、「屋根」を観たそうです。価値項目も盛りだくさん。道徳の授業1年分の効果があったと思います。
 笑点に出ている落語家の林家喜久扇、「屋根」について感想を求められるときっと言うでしょう。
 「ヤーネー(嫌ねえー)」

倉本聰の『屋根』を観る ~タコと徴兵~

2009年02月04日 | Weblog
  人権なきタコと徴兵検査

 主人公夫妻は、タコ部屋から逃げ出したタコを助けました。このくだり、「屋根」と関係ないだろう。余分じゃないかとも思いました。倉本さんとしては、「義を忘れるな」ということで入れたものだと思います。
 舞台の終末近く、助けられたタコが彫刻家として成功し、お礼のために夫妻を訪ねて来ました。お礼の品が入った、木箱を持って。そのとき夫婦は、農家を継いだ末っ子の六郎が経営に失敗したため、夜逃げの準備をしていました。
 私は、出世したタコが、1億3千5百万円をお礼として持ってきて、六郎の借金が返済でき、夜逃げせずに済むのではと期待しました。ところが劇中の夫妻は、なかなか箱の中身を見ない。焦った私は、前列から2列目でしたので小声で舞台へ…
 「早く、箱の中を見れっ!」と、言ってしまいました。マナーをわきまえない、とんでもない観客でした。だって、早く見てもほしかったんだもん。舞台へ上がって行って、箱の中を覗いたわけじゃなかったので許してチョーダイ。
 箱の中身は、タコの作品である彫刻でした。がっかりしました。ハッピーエンドでなければ、つらいのですよ。

 「タコ」で、今まさに問題になっている、「派遣とか、非正規雇用で職場から切られた人たち」を連想しました。「使い捨て」ということから。「タコ」だ、「タコ部屋」だといっても、還暦世代ですらよく分かっていない人が多い。後世に伝えなければならないことだと思います。

 タコ部屋労働は、明治から昭和の太平洋戦争終了まで北海道で続きました。非人間的環境下で、タコ(労働者)に過酷な肉体労働をさせていました。
 タコの語源は、海に住むタコはエサがなくなると、自分の足を食うという通説から、「罪を犯し、強制労働させられ、死んでゆく様が、海のタコに似ているから」…これは、私が母親から聞いた説です。ほかに、タコ壺のように、一度入ると出られないから「タコ」。あるいは、他の地域から雇われてきたので、「他雇(タコ)」といううがった説もある。糸の切れた凧のように逃亡するからとも… タコは、囚人、斡旋業者の甘い言葉に騙されつれてこられた人、そして…大陸から連れてこられた人。北朝鮮による拉致問題で、「日本だって我が同胞を拉致し、強制労働させたではないか」と、反論されるのですが…。

 タコは、人間扱いされませんで、次々と亡くなっていく。逃亡に成功しても、食事にすら事欠く貧困が待っており、一度は逃亡に成功しても、多くが再びタコ部屋に戻ったともいわれています。タコ部屋のほうが幸せってことだったのでしょうか?

 徴兵検査の身体検査のシーンがありました。還暦世代は、戦争を知らない子供達。戦後生まれですから、もちろん私も徴兵検査を受けておりません。友人のお父上が軍医さんでした。…身体検査はどのように行われたか…
その1  肛門の検査 
 肛門と会陰を検査する。丸裸の新兵を四つんばいにさせて尻を高く上げるように指示。軍医は、肛門部を大きく左右に開いて、痔、その他病変の有無を詳細に検査。「屋根」の舞台では、ツイタテで目隠しし、足の部分しか見えないようにしてありました。このときの軍医のセリフは、「うっ!クソした後きれいに拭け!」でした。
その2 陰部の検査 
 陰部の異常の有無を慎重に観察・触診する検査。性病の有無の確認を主目的としている。当時の性病は有効な治療法が少なく、戦地で性病が蔓延した場合、敵と交戦する前に自軍が滅ぶ…軍の運営上の危機に直結することに。
 舞台なので、フンドシをして身体検査の列に並んでいたました。実際は、並ぶ時から全裸でした。現代、銭湯がなくなってきたせいもあるのか、人の前で裸になる場面がない。そのため、修学旅行で風呂へ入る時、しっかりバスタオルを巻いて湯船に浸かる子がいるという。その種の子たち…、当時の身体検査を受けたら…気が狂いますね。

 身体検査に体格検査があり…肥満、はげ頭、扁平足は異常とされた。肥満やはげ頭が甲種合格にならないのは分かる。扁平足は、なぜ甲種合格ではないのか?実は私は扁平足。短距離走だって得意なのですが。
 身長は、145.5cm以上が基準。アメリカ軍の基準は、170cm。大変な差です。コメントするのがむなしいです。どうして戦争したんだろうねえ?大人と子供で…。
 身体検査の結果…
甲種合格・・・・心身ともに異常がない。即時入隊組。
第一乙種合格・・欠員用の第一補充兵役要員。
第二乙種合格・・戦争で損耗が激しい場合の第二補充兵役要員。
丙種合格・・・・かなり損耗が激しい場合、国民兵役。
丁種・・・・・・兵役免除。
戌種・・・・・・翌年再検査。
 肥満、はげ頭、扁平足なら、第二乙種合格。第一乙種合格は、身長が不足した場合。早い話が、簡単には、兵役を免除していただけなかったということですね。「損耗」ということば、換言すれば、「戦死」ということです。(「屋根を観る」は、明日もう一回書きます)  

倉本聰の「屋根」を観る

2009年02月03日 | Weblog
   家族の本当の幸せって何なんでしょう…

 2月の北海道富良野…氷点下10度より冷え込み、雪は一晩に50cmも積もる。小高い丘に建つ富良野演劇工場。「作・演出、倉本 聰。富良野GROUPロングラン公演2009冬『屋根』」を、観てきました。

 倉本聰さんは、作者の言葉として… 
 ・・・富良野の廃屋。朽ち果て、柱は崩れ屋根は落ちて骨組みだけが夏草や灌木の間にかろうじて顔をみせ・・・その屋根を剥がし腐った床板を踏み抜きながらその下を覗くと、そこには離農した家族の当夜の情景が必ずと云っていいほど浮かび上がり・・・

 分かるのです。浮かび上がりますよ、私にも。北海道をドライブすると、今でも朽ち果てた廃屋を目にします。「人里から遙かに離れた所に入植し、苦労に苦労を重ね、結局放棄しなければならなかったんだろうなあ」と、そこに生きた人の必死の労働と、放棄を決断しなければならなかった無念さが偲ばれます。私の両親も、夢をもって北海道の山の中へ入植しました。夢が破れるのに、それほどの時間を要しませんでした。倉本聰さんが、屋根を剥がして覗いた家は、私たちが暮らした家だったかも知れません。
 ヒグマに押しつぶされそうな家にも、家族の団らんがあり、ささやかな喜び、怒り、悲しみがあり…楽しみもありました。

 「富良野演劇工場」…駐車場の人、案内の人、受付の人、クロークの人、もぎりの人、座席案内の人…皆、学力が高い。富良野の山中に、これほど高レベルな若者たち(成年、中年も混じる)、がいることが嬉しくなりました。目が合う前に気持ちのよい声がかかる。目が合うと、「あなたを認めていますよ」という目が、そこにある。

 開演の1時間半前に、富良野演劇工場到着。まず、下見。そこで見たものは、ウオーミングアップする役者さんたちの姿。ジョギングで汗をかき、入念なストレッチ。コソ泥のようにあたりを覗いている私に、「こんにちはー」という澄んだ声がかかる。発声練習で鍛えられた声だ!不意を突かれた私も、そこは老獪(ろうかい)、急遽染みるような笑顔を作り、「こんにちは!」と返す。「役者じゃのう」だって?そりゃそうです。舞台を見に来たのですから、こちらも役者でなければ。人と人との美しい営みです。何を言ってるかワカリマセンね。

 役者さんのウオーミングアップを見て、「鬼太鼓座(おんでこざ)」を思い出しました。団員は、毎日、長距離走で鍛えていました。継続は力なり。太鼓のための長距離走、練習しているうちに、マラソンに出場できるまでの記録に。1975年には、ボストンマラソンに団員15名が出場。私は、1984年のボストンマラソンを見たのですが、そのときはゴールに櫓(やぐら)が建てられ、ゴールインした団員が登って太鼓を叩いておりました。ボストン市民に大人気でした。私のことですから、鬼太鼓座をただでは返しません。お願いして、「ボストン日本語学校」へ来ていただき、無料で演奏していただきました。当時は、鬼太鼓座生みの親の田耕(でんたがやす)さんもお元気で、日本語学校へ来てくださいました。役者も太鼓奏者も、体が資本。入念なウオーミングアップは不可欠ということですね。

 「屋根」開演前の注意…再現します…
 まもなく開演です。お客様にお願いがあります。携帯電話の電源をお切り下さい。マナーモードでもいけません。静寂の場面では、マナーモードの振動音もうるさいのです。それに、人間の心理として、マナーモードで電話が入ると、「誰からかな?」と確認したくなります。真っ暗闇の中に、その人の顔だけが浮かび上がります。恐ろしいです。やめてください。
 次に起こる問題は、携帯電話の電源など切ったことがないので、切り方が分からない人がおられるということです。私(舞台の前で注意事項を話している人)は、全機種対応で電源の切り方を知っています。分からない方は手を挙げてください。…高圧的に、「電源切ろよ!」ではなく、婉曲な言い回しにして、笑いを誘いながら、切らせる…。

 大正12年から平成8年までを演じた、主演の2人(久保隆徳と森上千絵)、いい味をだしていました。珠算6級の私の計算なので誤差があるかも知れませんが、20歳から、94歳までの74年間を演じた。70歳ぐらいから腰が曲がり始めました。90歳すぎでは腰が300度くらいまで曲がり、顔が床につくぐらい…役者さんは、体が柔らかくなければならないということ…。
 「それなら、トッピ・ドッラブじゃないか?」って?そういうことです。「ベンジャミン・バトン~数奇な人生~」のブラッド・ピットの逆ですね。

 戦争で3人の子を亡くしてしまったのですが…戦争反対を強調せず、「その時には、その時の状況というものがある。それは、どうしようもない。受け入れなければならないこと」というアプローチ。このことが、私には気が楽でした。これが、思想だ、宗教だ、イデオロギーだ、デロンギだなどと言われたら、胸の使えにさらに悪いものがどんどん溜まってしまったでしょう。何しろ、還暦のノンセクトラディカルですから、難しいことは嫌なのです。単純明快が一番。(デロンギは関係ないだろうって?イデオロギーと似ているので語呂合わせとして書いておきました)。
 「反戦」について一言のセリフもありませんでしたが、「戦争は絶対ダメダよ」のメッセージは強烈に伝わってきました。

 倉本聰さんの『屋根』、70数年間にわたるストーリーなので、(見る側の解釈としての)テーマを一本に絞りきれませんが…
 倹約、節約、堪え忍ぶ、我慢から、消費は美徳だ、浪費せよという世の中へ。これが今回の「屋根」の大きなテーマと感じました。節約、我慢で、家族は不幸だったのか?消費が美徳であるとして、その美徳で家族は幸せになったのか?物語は、平成8年までだった。平成21年になった今は、倹約、節約、堪え忍ぶ時代になっている。投げかけられた問題は、細分化され複雑に絡み合い解決不能となっている。不幸か幸福か?屋根は、大正から今への時代まで、その下に住む家族の人生を見てきた。家族にとって、「本当の幸せ」とは何なんでしょうか?(続きは明日書きます)

親方に喝!

2009年02月02日 | Weblog
  「絶対服従ちゃんこ」の復活を

 基本的な生活習慣の躾け、礼儀作法、武士道…どこで?誰が?誰に教える?…家庭で、親が子に教えるものです。ところが、その肝心の家庭が傾いてきている。かなめであるべき親は、子に教えるどころか、自分自身が…伝統も、美も、礼儀も、義も、愛も分かっちゃいない。(もちろん立派な親はおりますが、立派でないのが目立つもので)。

 家庭に大きな期待は出来ない…もう、日本には日本のよさを伝える場はないのか?ありますよ!相撲界!相撲界は、「ちゃんこ」の世界。親方と弟子は、真の親子以上の絆で結ばれる。絶対服従!弟子は、親方から武士道精神をしっかり指導され、生活化し実践する。大相撲は、日本人が日本人たる心を脈々と受け継ぐ唯一ともいえる世界…のはずです。

 しかし…
 朝青龍が、優勝決定戦で勝って、土俵上でバンザイ(ガッツポーズ)をした。私は、「相撲協会よ、武士道に反する横綱の行為をなんとかしろよ(1月21日のブログ)」と、お願いしました。そして1月29日。相撲協会が動きました。思いが通じた形に…少しだけ溜飲を下げました。

 武蔵川理事長が、朝青龍の師匠の高砂親方(元大関朝潮)に、口頭で厳重注意。そして、今後、品格が疑問視される言動については、厳重処分を科すという最後通告も。遅すぎるけど、知らん顔よりはいいでしょう。
 常識的な親方なら、「指導が足りず、申し訳ございません。本人を連れて、謝罪に行きます。とりあえず私は、丸刈りにして反省します」このぐらい言うはずです。
 しかし、高砂親方は、「直接謝罪?…そんなことさせるつもりはありません。親方の責任?弟子が起こした問題行動だから、弟子の問題でしょう。大人なんですよ。なんで親方のオレが…?」という状況だったという。

 「朝青龍は、どこにいたのか?」って?モンゴルですけど。
 「千秋楽(1月25日)、NHK優勝インタビューの中で、自分は日本の横綱なので、もうモンゴルに帰国しませんと言ったず」だって?そんな口約束、守るはずないでしょう!舌の根が乾かないうちに(2日後)、さっさと帰国したのです。

 仮病をつかって巡業をサボり、モンゴルでサッカーに興じる奴です。日本人は、なめられているのです。この度の優勝でさらに調子づくでしょう。日本人力士があまりにも弱すぎる…くやしいけどしょうがないです。
 取り組みの最中に、朝青龍を張った形になった嘉風など、支度部屋へ呼び出され、「覚えておけよ!」と恫喝されています。春場所ではビンタの雨嵐が、嘉風に見舞われるでしょう。空振りに終わったけど、琴欧州に対するラリアット、見ましたか?普通の大人なら死んでますよ。国際評論家の浅井信雄は、「(そういうストリートファイターのような態度を)もっとやれ。もっともっとやればいいと思っている。朝青龍大好き」と!(その後サンデーモーニングに出ないが、下ろされたのでは?) 司会業のみのもんたも朝青龍の味方。「朝青龍、いいですねー!」と、テレビで言う。「ああそうなのか!朝青龍は、立派なのか!みのもんたが言うから間違いない」と、庶民は思う。それほど影響力を持っている司会者なのです。庶民の武士道精神排斥、暴力容認意識が高まってしまいます。みのもんたは、猛省せよ。浅井信雄は、国際学者ですよ!諸外国へ、「日本の美は、死人にダメ押しすることです」と、発信するということでしょう。島流しにすべき奴です。

 さて、朝青龍の親である高砂親方、その馬鹿さ加減…朝青龍サッカー騒動の時、高砂親方がモンゴルへ行ったのですが…帰国して記者団に何と言ったか?記憶に新しい方もおられるでしょうが、朝青龍の仮病サッカーと全く関係ないことを言ったのです。
 「ツルッツルッ!」
 こう言ったのです。そりゃ何だって?モンゴルで温泉に入り、お肌がツルツルになったのだそうで…。弟子が、どうしたこうしたは、頭にない。モンゴル旅行(旅行じゃないだろう!)をして、風呂へ入ったことのほうが、高砂にとってもっとも感動的なこと…。

 今、よってたかって高砂叩きがされていますが、俎上にあるのが「KY」。「空気読めない」ではなく「漢字読めない」。相撲教習所の卒業式で、卒業証書の代読を高砂親方がすることになった。証書に書かれた、武蔵川理事長の名前を読めなかった。さらに、直属の上司の友綱所長(元関脇魁輝)の名前も読めなかった。
 私は、人名が読めなかったのは、何ら問題にすべきことではないと思います。人名ですから、「一郎」と書いて「たろう」と読ませる場合もあるのです。

 問題にしなければならないのは・・・事前に下読みをしなかったという点です。下読みして、難読の人名であればルビをふるなどするのが上に立つものがしなければならないことです。賞状は、たった数行、読むのに数秒。
 「証書授与にしても、あらゆる阻害場面を想定し、用意周到に対策を立てて臨む」 これが出来ない人に、人の指導など出来ません。換言すれば、できない親方に教えられる弟子は不幸ということです。

 またも大相撲界で大麻問題が発覚。こうしてみると高砂も朝青龍も運がいい。攻撃の矛先は、若麒麟へ集中しますから。若麒麟は、「二度、大麻を吸った」と…。昨年9月の抜き打ち検査(ロシア人力士2人が陽性で捕まったあのときの検査)で、若麒麟は、2度擬陽性。3度目に陰性となった。しかし、「3度目は、うやむやのうちに、帰ってよしとなったはず…」と、証言している力士たちがいます。その後の精密検査は、なぜか免除になっているのです?

 若麒麟の師匠である尾車親方曰く…
 「大麻は吸っちゃいかんとは指導していない。ダメなのは当たり前の事だから(指導するまでもない)。すべてのことを含めて(生活習慣から、礼儀作法、武士道)、若い衆には話していた。残念。本当に残念です」
 「(若麒麟は)けいこもきちんとやるし、私なりに期待していた。本当に何やってんだという気持ちです」
 「ほかの頑張っているお相撲さんに迷惑をかけた。事実なら、マゲを落とす」

 若麒麟は、解雇か除名でしょうからもう放っておけばよい。問題は、尾車親方です。大麻検査で、2度も擬陽性だった弟子に…吸っちゃいかんとは指導していない…この親方も、卒業証書の下読みをせずに授与してしまう人ですね。「なぜ擬陽性」だったか、徹底的に追及するのが親方でしょう。それが、「ちゃんこ」というもの。追及されないから甘く見て吸い続ける。3年も前から、六本木(大麻吸引で逮捕された事務所)へ出入りしていたと本人が証言しています。尾車部屋、力士は16人です。16人なら、一人一人の私生活まで目が届くでしょう。それが出来ないなら親方になってはいけません。尾車を知る人の100%が、「真面目な人」と証言しています。それでは困るのです。「真面目=親方が務まる」この式は、成立しません。
 若ノ鵬、20歳。195cm、162kg
 若麒麟、25歳。186cm、137kg
 露 鵬、28歳。195cm、146kg
 白露山、26歳。188cm、139kg
 この体格の男たちが、徒党を組んで盛り場を歩いていたら…怖いですよ。この3人に、朝青龍と、朝潮(高砂)と、琴風(尾車)が加わったら…少し和みますかねえ。

 力のない親方から、義や愛を尊ぶ弟子は生まれません。義とは、人が人として生きる美しさです。親方が力をつけて、「絶対服従のちゃんこ関係」を一日でも早く復活させることを望みます。

日本、よくやった!

2009年02月01日 | Weblog
  北方領土は日本固有の領土です

 「ロシア 殺し屋 恐ろしや」想定外のことをやってくださる。原潜の時、抗議する母親の背中から、(旧KGBと思われる)女性エージェントが、コート越しに注射した(母親はもうろうとなり、運び出された。)…衝撃的でした。この時期は、ダウンのコートを着ている人が多いでしょうから、旧KGBの皆さんは、長い針の注射器を持ちあるいているでしょう。オー怖っ!

 日本の領土であるにも関わらず、ロシア連邦が実効支配している北方四島。択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)。日本が返還を求めている…。

 森繁久弥さんが歌った、知床旅情では、「遥か国後に、白夜は明ける」なのですが、それは間違いです。「遥か国後」ではなく「すぐそこ国後」。「白夜は明ける」…暮れないから白夜なのに、明けちゃうの?それに、国後は北極圏ではないので「白夜などない!」 つまり、「知床旅情」は、北方領土など見たこともない人、知床など行ったこともない人が空想で作詞したものでしょう。知床から見ると、泳いでも行けそうな所に国後島があります。

 歴史的な経緯は、説明するまでもありません。今日は、「日本よくやった。久々のクリーンヒット!」という感想です。

 日本の領土に、ロシア人が住んでいる…いつ返還されるか見通しがない。旧島民のお墓がある。墓参りを前面に押し出しての日本側の努力が実り(日本と旧ソ連の外相間の往復書簡への署名に基づき)、「ビザなし交流」が出来るようになった。元島民の墓参に限り、身分証明書だけで四島に上陸できるようになったのです。1998年からは、物資の支援事業などに対象が広がってきた。日本側の、北方領土奪還計画は緩やかな歩みではあるが、進んでいた。日本にとっては前進であり、現島民(ロシア人)にとっても、「(支援物資が)大変ありがたい」 双方、ハッピーでした…。

 ところがこのたび・・・北方四島のロシア人住民に支援物資を届けようとした外務省職員らに対し、ロシア政府が出入国カードの提出を求めたのです。
 「はいそうですか」と、出入国カードを提出したら・・・北方領土が、「外国」であることを認めることになる。日本の領土へ入るのに、出入国カードは不要。

 外務省職員、偉い!即座に、「出入国カードを提出したら大変なことになる」と判断した。しかし、支援物資を待っている島民の皆さんがおられる。物資の中身は、毛布とかカンパンではなく、注射器やガーゼなど医療物資(約1,280万円)。
 これは、ジレンマです。届けてあげたいが、届けるということは、北方領土がロシア領であると認めることになる。しかし、物資を待っている人は、「生命の危機に直面」しているかも知れない。

 外務省職員一行は、「ビザなし交流に基づく支援」を強調し、出入国カードの提出を拒否。…上陸を拒まれ、湾内での停泊を余儀なくされた。そのあとも、ロシア政府がカード提出を譲らなかったので、支援事業中止を決め根室へ戻ってきた。

 「よくやった日本!」いつもお人好しのヤポンスキーだと思ったら大間違い。少し、思い知らせてやらなければなりません。でも、思い知ってはいないでしょうけど…。

 ロシア側は、「領土主権を理由にカード記入を拒否した日本側の対応は、問題を政治化しようとする非生産的な試み」と、批判。さらに、「政治的な理由で人道支援を中止するのなら、支援の真のねらいは何だったのかとの疑問が生じる」とも主張。
 いやはや、理屈と膏薬はどこにでも付く。盗っ人猛々しい。「真のねらいは、領土奪還だべ、目先の医薬品にはごまかされないぞ!小賢しいヤポンスキーめ!北方領土は絶対に返さないからな!」ということです。
 
 日本政府、よくやったのですが、まだまだロシアに対する認識が甘い。背中へコートの上から、(麻酔?)注射する国ですよ。
 どの辺が甘いかといいますと…この度は、事前にロシア政府から「出入国カードの提出が必要」と通告されていたのです。にも関わらず、「係にタバコを渡せば、大丈夫。にっこり笑って上陸させてくれる」との、目論見があっての出発…これは、私の推論で、実際は、タバコではなくチョコレートだったかも知れませんが。

 では、なぜ今回急に、「カード提出を求めてきたか?」これにも、したたかなシナリオがあると見ました。
 第一段階、昨秋のメドベージェフ大統領の、領土問題解決に前向きな発言。 第二段階、1月末の「出入国カードの提出要求」…これにより、政府はよくても現場は承知しないということを印象づけた。
 そして、仕上げの第三段階。メドベージェフ大統領が麻生首相に、2月中旬にサハリンで首脳会談を行うことを提案してきた。どうしてこの時期に?これこそは、「領土問題の決着」でしょう。…「つべこべ言うな!返さないものは返さない。これで解決!ハラショー!文句あるなら、背後に注意を怠るな!いいか、両国トップの会談での合意だからな」

 最近ロシアの動き、不穏ですよ。ウクライナいじめ。欧州向け天然ガスの供給停止。その理由も明らかにねつ造。完全停止に踏み切ってから約2週間でガス供給を再開。また、ウクライナいじめ・・・。返す刀で、北方領土。

 日本からの支援物資が届かない島民はどうするの?
 そんなの、ロシア政府は全く関係ないです。モスクワ劇場占拠事件を思い出してください(2002年10月)。チェチェン共和国の独立派武装勢力42名が、モスクワの劇場で人質922名をとって占拠。どう解決したか?さすがロシア!あくまで強硬。人質の命?関係ない。ロシア特殊部隊が突入。武装勢力側は全員死亡。人質129名が死亡…。まあこんなもんです。

 北オセチア共和国の学校占拠事件だって、突入直後の人質の死者は、200人以上。重体、重傷が、700人超でしたから、その後の死者はどうなっていることやら。

 ロシアは、今後も揺さぶりをかけてくるでしょう。時折、北方領土をちらつかせながら。日本は、いい顔を見せないことが肝心です。2月には、「サハリンのガスを買え」でしょう。麻生さんには、「買いません。サハリンのガスを買わなくても日本のエネルギーは大丈夫」と、はっきり言ってきてほしい。