アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「サルバスター」出動か?!

2010年09月19日 | Weblog
  三島市(静岡県)は、サルを家の中に閉じ込めることに成功した場合、懸賞金20万円を出すことを決めた。
 これはやめたほうがいいですよ。懸賞金の話ではなく、サルを家の中に閉じ込めることです。やめたほうがいい。なぜなら、家の中じゅうめちゃくちゃにされます。リフォームするのに50万円かかります。テレビを壊された、パソコンを壊された…100万円かかってしまいます。サルを侮ってはいけません。
 
 我が家の場合、ブドウに台所をめちゃくちゃにされ…大変なことになったのです。サルはブドウより強いと思う。
 ブドウがどうやって台所を破壊したか?
 我が家のブドウが大豊作でした。子供達に送って残ったブドウで「ブドウシロップ」を作ることにしました。良く洗ったブドウとグラニュウ糖を4リットルの焼酎の空きペットボトルに詰めました。1週間でできあがる予定とレシピに書いてありました。ブドウの専門家でもある私は、「洗ったので酵素(ブドウの表面の白い膜のようなもの)が落ちているから、発酵しても緩やかだろう」と思っていました。と、と、ところが3日目、ペットボトルが風船のように膨れている。発酵して、爆発寸前。私は、落ち着いてフタをゆっくり開けはじめましたがぁ…
 「バーーーン!」大音響と共に、ボトルのブドウが飛び散った!四畳半の台所、天井から壁から、絨毯まで…ブドウの皮、どろっとした中身、タネ、紫の液体…爆撃された跡は、さぞこのような状態と思われる。家内も被爆したので紫の返り血をあびた状態。私は、顔面直撃は免れたが顔半分から大量の紫色の出血。ジャツ?捨てるしかありませんでした。洗っても洗っても、ブドウの色は落ちません。家内など、新品の黄色のラルフローレンを着て浮き浮きしていたところでの被爆で…しつこく洗っていましたが、無言でゴミバコへ突っ込んでいました。

 というわけで、サルを家に閉じこめてはいけません。ではどうやってサルを捕まえるか?冗談でよく言われるサル捕獲方法は…

 サル捕獲方法その1・・・入り口の戸を(内側から)閉めるとかんぬきが下りて出られなくなる仕掛けをした箱を用意する。中にエサを入れておくと、サルは箱へ入る。そして、自分の獲物をとられないように、内側から戸を閉める。するとかんぬきが下りて出られなくなり捕まる。
 この方法は、やってみる価値はありますが…多分捕まらないでしょう。

 サル捕獲方法その2・・・壺を用意する。壺の入り口のサイズは、サルの真っ直ぐ伸ばした手は入るが、げんこつは入らないサイズとする。壺にエサを入れておくと、サルは手を突っ込みエサをしっかり握り、手を出そうとする。しかしBUT!握った手は壺から出てこない。人に捕まりそうになっても、エサを手放して壺から手を抜こうなどとは考えない。片手に壺を装着したサルなら、容易にとらえることができる。
 この方法は…手が小さいサルならまんまと逃げられてしまいますね。

 静岡県では、サルに負傷させられた人がおよそ100人。冗談では済まされない。懸賞金が100万円なら、「サルバスター」の異名をとる私が、箱と、壺と、ペットボトルに詰めたブドウを持って乗り込むのですがね。20万円なら旅費にもならないので出動しない。いつからサルバスターになったかって?たった今なんですけど…。

「社長!」と呼ばれても嬉しくない…

2010年09月18日 | Weblog
  アジアの観光地を歩くと、「シャチョー!(社長)」「シャチョサン!(社長さん)」と声をかけられる。単なる呼びかけの言葉とは知りつつ、悪い気はしない。エジプトでは、「ヤマモトヤマー」でしたが…。アジアへの日本人観光客は社長さんたちで、エジプトへ行くのは、海苔屋さんたちってことかね?

 いま、誰でも社長になれるので、石を投げると社長に当たる。近所のメンテナンス屋のオヤジも社長だし、建設業のオヤジも社長。どちらも従業員は…いない。
 毎年、「その統計が、何か役に立つのか?」と思う統計が発表される。「社長の出身地は、どこの都道府県出身者が最も多いか(東京商工リサーチ)」ま、苦労して統計を出してくれたので見させていただくと…

第1位 東京都 80,383人
第2位 北海道 47,359人
第3位 大阪府 45,279人
以下、愛知県、神奈川県、福岡県、広島県… 
 あ、ありゃあ?「福井県」が入っていない?よくよく見たら、福井県は、第34位で、13,000人。…確か二月の発表では、福井県の順が日本一だったはずなのに…?

 実は、この社長に関する統計に限らず、統計のとり方で色々な結果が出てくる。福井県が社長になる確率が日本一高いとした統計は、「人口10万人あたりの社長輩出数(帝国データバンク)」。福井県は、この統計では、28年連続の首位。このことを地元では、「福井順一」と呼んでいる…わけないか。
 第1位 福井県  1,681人
 第2位 山梨県  1,489人
 第3位 富山県  1,331人
 それにしてもこの顔ぶれは…大都市から離れた地域の方が、比較的小規模な会社が多く、社長になる確率が高いということか。

 それはともかく、この統計…社長になりたいから、東京へ行こうとか福井へ行こう…このような話ではない。何か役に立つのかねえこのランキング?これが、どこの大学出身者が社長になる確率が高いかという統計なら、「社長になりたいから○○大学を志す…」など、役に立つ…。

 社長の出身大学で、人数が多いランキングは…(東京商工リサーチ)
 第1位 日本大学  24,160人
 第2位 慶応大学  13,186人
 第3位 早稲田大学 12,788人
 以下、明治、中央、法政、同志社、近畿と続く…。
 東大はどうした東大は!…16位でした。京大はどうした!23位でしたぁー。社長を多く輩出している大学は、いずれ劣らぬ難関校ばかり。社長になる前に、大学へ入るのが難しい。日大が、慶大や早大より難関かって?日大の偏差値は、早慶の下のマーチン(MARCHN:明治、青山学院、立教、中央、法政、日本大学)のクラス。しかし、入試の頭の良さとは別の能力(生きる力とか)が高い人が多く集まっているってことでしょう。社長の数が、慶大の二倍近いわけですから…何かがなければこれほどの差は表れない。しかし、どうして社長の出身大学の上位は私大で占められているのかねえ?

 我が家の近所の社長さんたちは、高卒。顔を合わすたび、「仕事ねー(仕事がない)!」と、嘆いています。
 誰でも社長になれる時代です。「社長になったのぉ!凄い!」という時代から、「社長になったって?それがどうした?」の時代になってきています…。
 アジアの旅行で、「シャチョサン!」と声をかけられたら指導してあげますよ。どのように指導するかって?「名ばかり社長さん!と声をかけるようにするとウケルよ!」と。

2週間で1,000km踏破 自転車で…  

2010年09月17日 | Weblog
 あのー…日本は、いつから歩道を自転車で走っても良いことになったのでしょうか?自転車レーンがない歩道を自転車で走行してはダメですよ…ねぇ。ところが、歩道の自転車通行が当たり前になってしまっております。横断歩道も、自転車に乗ったままスーイスイですから。自転車後進国日本ですが、先進国に追いつこうという努力がない。

 自転車泥棒…白書を見ていないので数は分からないが、窃盗の中で自転車泥棒が占める割合は堂々たるモノだと推測できます。そんなものに、「堂々たる」を使うなってか?不適切ですかね。なぜそのように推測するかといいますと、盗んで乗り捨てたと思われる自転車の多さを目にするからです。持ち主には気の毒ですが、私の力ではどうすることもできない。1台や2台なら警察へ届けることが出来るが…そんな生やさしいものではない。

 自転車泥棒の大半は、自転車がほしくて盗むのではない。「歩くのが面倒だ。おっ、自転車があるぞ。カギを壊して乗っちゃおう」こうして、目的地近くで乗り捨て。目的地まで乗りつけると、足がついてしまうかも知れないから。
 これって、万引きと酷似した心理ですね。「万引き=窃盗という意識がない場合が多い」のだそうですが、「自転車泥棒=窃盗」という意識も低いと思います。

 自転車泥棒のチャンピオンは、厚木市の30歳の男でしょう。なんと、東京・神奈川で2,000台盗んだ!2,000回乗り捨てたのかって?実はこの男は廃品回収業で、「自転車泥棒=仕入れ」だったんですけど…。1台1,000円で売っても、2百万円の儲けです。全部純利益。

 自転車泥棒を讃えてはいけませんが、「やるなあ!」と感心させられた自転車泥棒がおりました。
 東京都(豊島区)で盗んだ自転車に乗って下関まで旅行した…。東京-下関は、およそ1,000kmですよ。8月28日に東京をスタートして、9月12日に下関で捕まった。およそ2週間で1,000km踏破。25歳という若さですから、そういうことができたわけで…捕まらなかったら、沖縄まで行っていたかも知れません。
 捕まったきっかけは、下関のショッピングセンターで飲み物を万引したから。警察が、自転車の登録番号を調べたところ、盗難車と判った。それにしても、このような元気な、自転車で1,000km走る若者が、住所不定無職。辛い仕事でも耐えられると思うが…。
 自転車走行の道交法違反問題から、盗品売買問題、さらに雇用問題になってしまった。え?「そうゆう問題ではない。自転車の強度の問題だ」だって?つまり、問題は複雑多岐ってこと。世相を反映してるってことですかね。

川崎じゃないムネリンが失職…政界劇場の役者が減るなあ

2010年09月16日 | Weblog
 鈴木宗男被告、国会議員であり、国会内でも小沢一郎さんとヒソヒソ話をするなど行動が目立っていた。「ありゃー?あっせん収賄や受託収賄の件は解決してしまったのかな」と、錯覚していました。
 そして、今頃になって、懲役2年、追徴金1,100万円の実刑が確定。もちろん、議員は辞めなければならないし(失職)、収監される。刑期満了から5年間、公民権も停止です。

 鈴木宗男被告は、私とは子年の同期生。裾野市、御殿場市で活動している噛みつきサルのような素早い動き。腹の中は、結構いい奴かも。ではなぜ実刑になるようなことをしたか?それは、「流れ」です。中川一郎の秘書になり、仕えているうちに、大地から足が離れたチューブになってしまった。中川昭一さんとの骨肉の争い…あれで完全に大地を離れた。浮いてしまったので、風向き次第でどこへでも行く。それが宗男の生きる道だったのです。でも、大地に足がついているから新党大地を作っただろうって?自分を見失っていたってことでしょう。

 それにしても、好きなことをたくさんやったので本人も思い残すことはないでしょう。さようなら、ムネリン。私にとって印象的だった、ムネリンの遺徳を偲ぶと…。

 ○ 国会の三大ヤジ将軍の一人だった・・・鈴木宗男、浜田幸一(ハマコウ)、松田九郎。ハマコウさんも捕まってしまったし(保釈されたけど)、おもしろいヤジ将軍いなくなっちゃうなー。松田さんは、政界を退いて早20年。知ってる人がいなくなってしまいました。「九郎」ですから、9番目の男の子だったのか、それとも両親が義経ファンだったからなのか。
 ○ 廃止寸前の国鉄池北線を、第3セクターの「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」として存続させた。これには、地元の人が大喜び。英雄でした。「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」も寄る年波には勝てず、廃止されました。名前が長いのがまずかったかなあ。
 ○ 宇都宮徳馬さんの首をネクタイで絞めた。金大中事件(1973年)にかかわるテレビ番組(生放送)で、中川一郎さんと宇都宮徳馬さんが激論。中傷されてキレた一郎が、コマーシャル中に徳馬に殴りかかり、逃げる徳馬を追いかけ回した。もちろん秘書であったムネリンも参戦。足には自信があるムネリン、追いかけて徳馬を捕まえて首をネクタイで絞めた。
 ○ ムネリンは、若手・中堅議員らを集めて派閥を横断する会を結成したんだけど、その名前が、「ムネムネ会」。衆参合わせて、30人ほどの国会議員で構成。出所不明のお金を、(選挙資金などとして)会のメンバーに配っていたらしいがウヤムヤのうちに会はなくなった。
 ○ 三井浩二投手(元西武)は、足寄高校の後輩。独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名した。
 ○ 国後島の「日本人とロシア人の友好の家」は、別名「ムネオハウス」。
 ○ (一連の疑惑に係わる証人喚問でのらりくらりしていたとき)辻元清美議員(元社民党)から「もう、ど忘れ禁止法を適用したい」「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ」と批判を受けた。(この時、宗男は特に表情を変えなかった。あの場面では大物でした)
 ○ フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」鈴木宗男のそっくりさんとして、坂田利夫(アホの坂田さん)が登場するはずだった。しかし、坂田が都合で出演できなくなった。そこで、「そっくりさんの代役」として鈴木宗男本人が登場した!これって、詐欺?アホの坂田のそっくりさんで、ムネリンが出れば良かったのに…。
 ○ 松山千春は、足寄高校の後輩であり「心友(親友より深い関係か?)」でもある。それにしても、千春は…スキンヘッドで話し方も、「オメエよう!」「オレは、よう…」アイドルのかけらもない。指定暴力団会津小鉄会とのつながりはどうなっているのでしょう?簡単には断てないと思いますが。怖い歌手の一人です。
 ○ 箱乗り・・・ムネリンの選挙活動での車の乗り方は、箱乗りでした。助手席の窓枠部分に腰掛けて上半身を外に出して乗る…その昔、暴走族がやっていた。道路交通法違反だと思いますが…素早いので捕まらない。
 それに、選挙では、走る!とにかく走る。し、しかも速い。去年の、東京マラソンでは3時間49分…胃ガンの手術をしているのにこれだもの…凄いんじゃないの。

 結局、ムネリンを褒めているのか、けなしているのかどっちなんだって?おもしろい話題を提供してくれたお礼として遺徳(政治家としての)を偲んだだけです。私は、刑務所に入る人を褒めませんよ。

 ムネリンの「心友」松山千春さんは、「これからも鈴木宗男さんを信頼し、支持していきます」だって。なるほど、千春の歌の題名…「泣いてしまいたい 」「君を忘れない」「あなたのために」「逢いたくて」「この世で君が一番好き」「翼を持たない天使」「新たなる旅立ち」「egoist エゴイスト」「慕う」…。「心友」への想いを歌ってるってことかねえ…。

総理大臣になるハエは…真面目、不真面目、非真面目…

2010年09月15日 | Weblog
 森政弘さんの「非真面目のすすめ」…古いって?古いからダメってことはないかと。「非真面目のすすめ」に、部屋へ紛れ込んだ三匹のハエの逸話がある。

 1 真面目なハエ・・・窓ガラスにアタックして脱出を試みる。隣の窓が開いているのに気づかず。果てしなく努力する。
 2 不真面目なハエ・・・どうせ無理だと、とっとと諦めて、何もしない。
 3 非真面目なハエ・・・何度かアタックしてダメダと知ると、部屋の中央に戻り休む。そして風の動きを読む。開いている窓に気づき、まんまと脱出する。つまり、生きる力を一番持っているのが、非真面目なハエというわけ。

 このたびの民主党の代表選挙戦。結局、菅さんで決まりましたが、菅VS小沢、時々鳩サマ。「三匹のハエの話」を思い出し、「代表になるのは非真面目な人だろう。それは果たして誰か?」興味深く見させていただきました。

 当初は次のように見ていました…
 真面目なハエ…菅さん
 非真面目なハエ…小沢さん
 不真面目なハエ…鳩サマ(代表選には立候補してないけど)
 つまり、不利を伝えられてはいたが、小沢さんが、「風の動きを読み、開いている窓に気づき、まんまと脱出する。つまり、生きる力を一番持っている」のではないかと考えておりました。結局、非真面目なハエは菅さんだった。小沢さんは、真面目なハエでした。
 
 見かけは、「721VS491」で菅さんの圧勝…しかし、内容に唖然とさせられた。
 党員・サポーターのポイントは、「249VS51」で菅さんの圧勝であるのに反し、国会議員のポイントは、「412VS400」つまり、菅総理を望む国会議員は、小沢総理を望む人より、6人多いだけだった(国会議員票は、1人2ポイント)。
 民主党の国会議員って…なんなんだ?党員・サポーターの声を反映させるのが職務でしょう?ねじれてるっつうの!
 小沢さんの仕返しを恐れて、日和見のハエと化したのでしょう。なにしろ小沢さんのところは、民主党の最大にして最強の派閥ですから。

 つらつら考えるに、ハエは、真面目、不真面目、非真面目の3種類だけではありませんね。私の観察では… 
 無真面目なハエ…窓ガラスにアタックせず、じっと留まっている
 仮真面目なハエ…窓ガラスにアタックするが、休憩が長い
 偽真面目なハエ…窓ガラスにアタックするふりをするだけ
 虚真面目なハエ…アタックの途中、室内を飛んで金品を物色する
 それぞれのハエに政治家の顔が浮かんでくる…。

 またしばらくは、永田町が落ち着かない。有効な景気対策は…いつまで待っても出てこないのか…。景気頼みの私は、真面目なハエで生涯を終えるなあ…。

テディ・リネールには武士道が足りない

2010年09月14日 | Weblog
 37年ほど前の話ですが、パリのルーブル美術館の前の広場で、黒人ギャング(見かけは街頭写真屋)に追いかけられたことがありました。もう少しで捕まるというところで、車道へ飛び出して難をのがれました。当時のパリは、「車優先」でしたから、車道へ飛び出すなどということは自殺行為。(車優先については、今でも同じだと思いますが)
 どうして、黒人がパリでギャングをしていたか…
 フランスは安価な労働力として、アフリカからの移民を積極的に受け入れていました。しかし、移民たちの暮らしは、苦しく(フランス人労働者の半分以下の賃金)、宗教、生活習慣の違いもありフランス社会と同化するのが難しかった。祖国へ帰ろうにも、お金がない。そんなわけで一部がギャングになっていった。

 この移民…1999年には、430万人以上に達したという。430万人は、総人口の7.4%。フランスへヨーロッパ各地から労働力が入ってくるようになり、移民の失業率が40%に達するところもあった。そして、暴動へ。サルコジ(当時は内務大臣。ド・ビルパン内閣のとき)が、暴動の鎮圧にあたった。サルコジは、暴動に加わった黒人を、「社会のくず」「ゴロツキ」といいました。凄い奴がいるなあと思いました。その強硬姿勢で大統領になったといっても間違っていません。

 フランスの黒人問題でずいぶん引っ張るなあだって?何が言いたいか…実は、「フランスの柔道選手、テディ・リネールがなぜ黒人なんだ?」という質問が多くて…アメリカ人の黒人については、皆さん分かっている。フランス人の黒人ってのが腑に落ちないらしい。一連の移民の話をして(それだけではないのですがね)、さらに、「ロンドンの黒人の多さはパリなんてもんじゃない」という話をして納得していただいております。

 フランスの柔道選手、テディ・リネール…身長204cm、体重129kg。弱冠21歳。
 北京五輪(100kg超級)銅メダル。世界柔道選手権では、(100kg超級・無差別級を合わせて)4年連続金メダル…!井上康生選手を2度破ってる…。
 上背を生かし、右で奥えり、背中を掴む。そこから、射程の長い大外刈り、内またが飛んでくる。
 リネールを倒せる唯一の頼みだった石井慧が、総合格闘技へ行ってしまった。100kg超級・無差別級では、あと少なくても10年はリネールの時代が続く…日本の柔道関係者は皆そう思っていたんじゃないかな。
 そこへ出現したのが、上川大樹(明大3年)。世界選手権男子無差別級初出場。リネールに勝ってしまいました。試合後川上は、ガッツポーズをしませんでした。相手への思い遣りです。敗者の前でのガッツポーズは恥ずべき行為ですから。
 そして、私が唖然とさせられ、「テディ・リネールの時代は終わった」と、感じさせられたことが…。
 国際試合では、勝ちを宣告されたあと、戦った両者が歩み寄り、握手をしたり肩をたたき合ったり…お互いをたたえます。し、し、しかし!リネールは負けて腹が立ったのでしょう。上川と握手するそぶりすら見せずに、とっとと下がっていきました。
 いやしくも柔道を学び、世界柔道選手権で金メダルを4個もとっている選手が、相手を讃えることすらできない。情けない。終わったな、テディ・ベア。テディ・リネールが武士道精神を学び実践できれば、あと10年は世界のトップに君臨できるのに…。

澄んだ目と濁った目 どっちも幸せ…

2010年09月13日 | Weblog
  藤原正彦さんの自伝的小説「ヒコベエ」のあとがきに…
 …幕末から明治にかけて数多くの欧米人が日本を訪れ多くの印象記を残した。それぞれが様々なことを書いたが、全ての人に共通していたのは、「皆貧しそうだが、皆しあわせそうだ」と、一様に驚愕したことである。
 そんな社会を私は、終戦後、この目で見たような気がする。隣近所でも我が家でも、御飯に味噌汁だけの食事をしながら、時には御飯に醤油をかけるだけの生活をしながら、いつも笑い声が絶えなかったのである。家族が支え合い励まし合い、近隣が助け合い、生きていた。少なくとも日本人については、このような強い愛と絆さえあれば、どんなに貧しくとも幸せと感ずるのではないか…。

 しかし、藤原さんとしては、この頼みの綱である、「愛と絆」が擦り切れてきている日本を十分認識しておられる。あとがきに、次の文が続く。

 昭和20年代とは、どの家にもそれしか他になにもない時代だった。その中で、日本人が、そして日本が輝いていた。昭和20年代のあの力強い輝きを読者が少しでも感じ取ってくださればと思う。

 「この国のけじめ」「国家の品格」他でも同様だが、「おいおい、日本の愛と絆が危ういよ。あの頃を取り戻そうよ」という主張が貫かれている。私など、御飯に醤油をかけて食べたので、藤原さんの思いは100%理解できているつもりです。確かに、麦めしに醤油をかけただけの夕食のあと、家族団らんで腹を抱えて笑っていました。腹筋が痛くなり、「腹痛い、腹痛い」といいながら笑い転げていました。

 昭和30年代に小学生でした。給食は始まっておらず(途中から、スキムミルクが給食時に供されるようになった)、昼食は弁当でした。弁当箱のアルマイトのフタを立て、弁当の内容を見られないように隠して食べました。なぜかって?弁当のおかずが貧しくて、人に見られたくなかったから。麦飯だけの子もおりました。それでもみんな、学校へ来るのが楽しみで、温かい家へ帰るのが楽しみでした。

 「世界の貧困地域、貧しいけれど人の心は豊かです」こういう表現に出くわすことがある。このように書くのが「一流の日本人」であるかのように。「豊かな日本に失われたものがあるだろう!」ということを示唆しようというのか?そうだとしたら、違う話なので言わないほうがいい。「途上国の子供たちは貧しくとも目が澄んでいて生き生きとしていました。屈託のない笑顔が幸せそうでした」…貧困も何も分かっていないだけの話なのに。野良犬だって尾を振りますよ。

 「御飯に醤油をかけて食べた日本の子」と、「澄んだ目をした途上国の子」を「幸せ」というキーワードで一緒にしてはなりません。私も、発展途上国や新興国で、物乞い同様の子供をたくさん見てきました。どの子もみんな澄んだきれいな目をしていました。澄んだきれいな目は、暴力団も同様です。空港で暴力団の集団と出くわしたことがありましたが、皆、澄んだ美しい目をしていました。ですから、澄んだ目は、「幸福か否か」「心が豊かか貧しいか」の判断材料にはなりません。

 世界の貧しい地域…人の心はすさみ、犯罪が多発し、澄んだ目をした子供とて油断ならない。お金が欲しくて必死。衣食足りてはじめて、礼節を知るのです。つまり、貧しい地域の子でも、目が澄んでいるから幸せだなどという、いい加減なこととを言わないでいただきたいものです。
 御飯に醤油をかけて食べた日本の子は、貧しさ故に罪を犯すなどということは一切なかった。家族愛、家族の絆がしっかりしていたから。

 少年期を、御飯に醤油をかけるだけの食事で過ごした私。半世紀を過ぎた今、目は澄んでいるか?実は、血圧の関係らしく、白目部分の血管が切れる。そのため、いつも真っ赤な濁った目をしています。し、しかし、し、幸せです今でも。

食べるラー油ブームに火をつけたのは鳥?

2010年09月12日 | Weblog
 「食べるラー油」がブームになっていた。油を食うとは!ラー油って、食堂のテーブルに、直方体のガラス容器に入って置いてあって、耳かきで掬ってギョウザのタレに入れるアレ…。容器は、頑固な油汚れに覆われているのが定番。あまり触りたくない。
 アレを食うのか?全く妙なものを食うものである。自分とは縁がないモノ…そう思っていた。
 そうこうしているうち、「具入りラー油おむすび(118円)」が出現。売れて売れて、供給が追いつかないため販売停止。今は、販売を再開しているが…まあ、日本のラー油事情、大変なことになっていることだけは間違いない。

 帰省中の息子とスーパーへ行ったとき、息子が、「あ、ああ~!」と、声を上げた。東京ではお目にかかることができなくなっているという、桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」が、ズラーと並んでいたのである。息子は、大喜びで買い占め行動に走った。「辛そうで辛くない少し辛いラー油」…だったら、はじめから、「少し辛いラー油」で良かったんじゃないのかなあ!桃屋のラー油は、田舎のスーパーにはたくさんある。田舎じゃあ、ラー油を買って食べようなどと考える人はいない。当然売れ残る。

 この一件の後、注意してラー油の棚を見るようにしているのだが…ブームに乗っかろうということか、製造元は、多種多様。大きな食品メーカーから従業員数人でやっているメーカーまで。自治体の三セクまで製造販売に乗り出している。
 ブームの火つけ役は、どこのメーカーだったのか?ただですねえ、バンコクでは「シュリンプ ファット イン オイル」と書かれた(もちろん、タイの文字で大きく書かれていたが、読めっこないので英語の部分を読んだ)ものがあった。今思えば、「食べるラー油」だった。と、なると、外国から入ってきたものか?外国といっても、米を食べる国からでしょう。

 そして、驚愕の事態が!「食べるラー油ブームに火を点けたのはペンギン夫婦」だという記事を発見。
 ペンギンは鳥だから、夫婦仲がいい。ペンギン夫婦というのは分かる。しかし、BUT!ペンギンがラー油を作ることができるのか?
 確かに、ペンギンは頭がよい。皇帝ペンギンなど、極寒の中、公平に温まりながら卵を守る。あの知恵があれば、ラー油ぐらい…。

 恐る恐る記事を読んでみると…ラー油ブームの火付け役となったのは、「石垣島ラー油工房」のラー油。石垣島ラー油は、「辺銀」と書いて「ペンギン」と読む夫婦が生み出した…。や、や、やられたーッ!ペンギン(辺銀)という苗字があったとは!
 ラー油で、オチをつけて締めるんじゃなかったのかって?じ、実は、ラー油は話の枕で、「ペンギンという苗字がある。日本の苗字っておもしろいね」というのが本論だったんです…。
 インパクトは凄いですよ。面接試験など…
 「名前は?」
 「ペンギンです」
 動物園の職員採用試験なら、一発で合格でしょう!ただ、他業種の場合、「なめてんのか、こら!」と、面接官が怒り出すかも。

「思想と良心の自由」の冒涜

2010年09月11日 | Weblog
 この、デジタルの時代に、いかにもアナログ…
 東京都立高校で、校長(57)が職員室で男性教諭(47)に顔を殴られたうえ、パイプいすを投げつけられ、手を骨折、首を負傷した。
 今、何時代よ!?殴ったり、パイプイスを投げつけるのは、昭和40年代までの手法でしょうがぁ!この、宇宙時代になんとも時代遅れな。
 そういう問題じゃないですね。高校の職員室って、無法地帯なのか?時系列でアナログ暴力事件を追ってみると…
 1 職員室で男性教諭が校長の顔を数回殴った。
 2 校長は職員室から命からがら脱出。
 3 校長が逃げたので、教諭は副校長にイスを投げつけた。 
 4 職員室を出ていた校長が戻り、副校長を職員室から救出しようとした。
 5 教諭は2人を追いかけ、さらにパイプいすを投げつけた。
 6 校長自ら110番した。
 7 校長は病院に搬送された。

 これが、夜の盛り場ならそんなこともあるかなと思えるが、立派な高校の職員室のできごと。

教諭は日頃から、校長の指導法などに不満を抱いていたという。
 日本の教諭は採用の際、「全体の奉仕者として日本国憲法を遵守し、法令及び上司の職務命令に従い職務遂行に当たる事を誓います」という宣誓書に署名します。いくら不満があっても、校長・副校長に対し、職員室内で暴行してはならない…。宣誓を守れなかったわけだから…とっとと教諭を辞めろ!

 ただ…教育現場の実態として、宣誓違反、服務規定違反がまかり通っている部分がある。
 国旗・国歌反対。儀式の場で職務命令に背く行動をとる。侵略と差別の象徴である国旗の掲揚と国歌斉唱の強制は、「思想・良心の自由を妨げる」…のだそうだ。そう言っておきながら、北朝鮮の軍国主義礼讃…おかしいと思わないのか?おかしいと思うことすら、上から止められているのか?止められているとしたら、思想・良心の自由を強制的に妨げられているということでしょう。
 北朝鮮礼讃…「北朝鮮は、搾取者がいないから、みんながよく働き、生活の不安は全くない。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持するうえで欠かせない」こう述べられた教職員組合の指導者がおられました。こぞって北朝鮮へ移住したらいいのにね。

 もっとも、暴力教諭と校長が、国旗・国歌問題で対立していたかどうかは不明です。不明なのに、なぜこの問題を持ち出したかというと、「暴力教諭が、校長の指導法などに不満を抱いていた」という事実からです。校長が教諭に、「飲酒運転しろ、遅刻しろ、ピアスしろ…」などと指導しますか?するはずがない。「宣誓したことを守れ」と指導するでしょう。つまり、日頃の行動面の指導なら、善悪がはっきりしているので暴力へは発展しづらい。と、なると職を賭して校長へ向かっていくのは、「国旗・国歌問題」だろうと。

 暴力教諭が、「宣誓しないと教諭になれないから宣誓書に署名しただけ」…だとしたら、それこそ「思想と良心の自由」の冒涜です。
 まさか、単に腹立ち紛れに暴れたんじゃないだろうなあ?だんだんそんな気もしてきたなあ…。

栃若の強さは朝青龍の比ではなかった

2010年09月10日 | Weblog
 初代若乃花が亡くなった。1960年代の名横綱。マスメディアの取り上げ方も予想外に大きかった。若乃花全盛期にテレビの相撲放送にかじりついていた私は、その業績が改めて取り上げられたことに、懐かしさと満足を感じましたよ。

 「力道山の足を噛んだ」
 若いころ、力道山に可愛がられた(しごかれた)のだが、稽古がきつくてたまらない。伊勢での巡業中の稽古で、苦し紛れに力道山の足に噛みついた。その後、稽古場から逃げ出して川に飛び込んだ…こんな逸話がある。噛み傷の大きな跡は、消えなかった。そのため、プロレス転向した力道山は、噛み跡を隠すためロングタイツを着用したという話になっている。真偽は不明。
 「異能力士」
 横綱に昇進したき(1958年)は、身長179センチ、体重100キロ弱。この体格で、大型力士を宙に浮かせる。そのため、この「異能」という異名がついた。 
 「土俵の鬼」
 息子さんを事故で亡くした次の場所も休場しなかった。それで「鬼」の異名がつけられた。映画にもなりました。もちろん見ました。若乃花本人が主演でした。ホント、ホント!
 「ケチ」
 金銭には細かかったらしい。実弟の藤島親方(初代貴ノ花)に年寄株「二子山」名跡を3億円で売った。「実弟から3億円もふんだくる。そりゃないだろう!」と、ひとしきり話題になりました。「親方(初代若乃花)がケチで、ちゃんこの中身が粗末だから、弟子が夜逃げする」などの揶揄もあった。
 「気力じゃダメ、死力を尽くせ」
 稽古場での口癖。それを実践した本人の言葉なので弟子たちへの伝わり方が違う…。
 「土俵のケガは土俵の砂で治せ」
 「土俵の砂でケガは治らんやろ!」などのボケは通用しない。強くなるためには、ゲガを休んで治してなどいられない…。

 さて、前置きはこのぐらいにして(前置き長すぎか?)、(初代)若乃花の強さですが…朝青龍とどっちが強いか?これは、もちろん比較などできないが、若乃花を知る人は、100人中100人が、「若乃花がはるかに強い」とおっしゃるでしょう。間違いないです。朝青龍には、今の日本人力士にない多彩な投げ技があった。若乃花は、その上を行った。筋力の強さは、朝青龍の比ではない。「かかとに目がある」と、いわれたように、土俵際の粘りがまた凄かった。「死んでも勝つ!」という鬼気迫るものが感じられた。勝負が決まったあと、ダメ押しをすることなどなかった。ライバルだった栃錦がまた強かった。もちろん、朝青龍よりはるかに上。
 若乃花と栃錦の取り組みは、スピーディで華麗な大技の競演でした。相撲ファンがウナリを上げて増えました。おもしろいんだから、当然です。

 現在の大相撲…本業の相撲がつまらない。決まり手が「よりきり」ばかりじゃつまらない。華麗な大技を出せるよう、気力じゃダメ、死力を尽くしていただきたい。
 若乃花は、「土俵にはカネが埋まっている」というフレーズもよく使った。「夜中にこっそり土俵を掘っていた弟子がいた」という話は…聞いていない。