徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

昔の思い出?中学高校時代

2020-05-25 05:26:13 | 自叙伝

昨日、奥様は、ツインAと二人で法多山へお参りに行ってきたようです。これが初詣?と言って良いのかなあ?お土産は定番の厄除け団子。法多山と言えばこのお団子です。HPはこちらhttps://www.hattasan.or.jp/  

 

   

私は60過ぎのジジイですが、

生活の中心は会社と言うか仕事であり、

強いて言えば、

部活にコーチとして関わっているので、

中学生との部活だったり試合と言うことなります。

それでも、毎日のように読んでいる本の中で、

中学だったり高校の話題が出てくると、

たちまち青春の思い出?当時の事を思い出します。

部活の事、勉強の事、好きだった女の子のこと、

運動会の事、体育祭の事、文化祭の事、スポーツ大会の事。

 

スポーツ大会の前に、夜中に学校に忍び込んで、

体育館でバレーの練習したこと。

夏の暑い時期に、夜中に学校に忍び込んで、

プールで泳いだこと。

私の高校は、下駄通学OK、バイク通学OKで、

下駄は憧れましたが、

陸上部は下駄禁止だったので、履けなかったこと。

バイクに乗っている同級生が、やけに大人に見えたこと。

そういえば、学ランの下はワイシャツでなくても、

ポロシャツでOKだった事。

かっこいい先輩が赤いポロシャツを着ているのが、

とってもまぶしかったこと。

 

小説で青春の1頁を垣間見るだけで、

自分の青春が何となく偲ばれる事。

きっと、年を取った証拠なのでしょう。

勿論、戻れないけれど、

時々、戻れたら良いなあと空想?妄想する事。

ありませんか?

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部活から派生するちょっとした人生の思い出

2020-05-02 08:37:45 | 自叙伝

皆様、使い捨てのマスクでも、洗って使う方も多いと思いますが、1枚当たり何回使っていらっしゃいますか?私の場合は4回くらいでしょうか?ここまで数えてきたわけではありませんが。

 

ゴールデンウィークは29日に始まっていますが、

私にとって今日、5月2日がスタートの気分です。

先日のブログにも書きましたが、

ここ数年、何もせずにこの期間を過ごしており、

それは今年も同じです。

 

と言うことで、思い出話?を一つ。

文京区千駄木小学校の時、

区の、大会とも言えないような記録会に、

選抜メンバーとして選ばれ(今でもなぜ私か謎です)、

走り高跳びをやらされました。

当時の跳び方は、

挟み跳びかベリーロールしかなかった時代。

しかも設備もなく砂場で行う走り高跳び。

先生にその場で挟み跳びを教わって、競技を行い、

記憶では1M25CMを跳んで私の学校では1番でした。

区の中でも、1番ではありませんでしたが、

そこそこ上位だった気がします。

そこからが私の中高の陸上部人生のスタートでした。

でも、本当は野球部かテニス部に入りたかったのです。

兄貴は中学校の部活でソフトテニス部に入っていました。

だから、野球も当時は大好きでしたが、

兄貴の後を追いかけたかったことが1番でした。

小さい頃から、

優秀なDNAは全て兄貴が持っていき、

「カスで出来た次男」と、

ずっと友達に言われ続けた私にとって、

兄貴は憧れであり、目標でした。

そして、兄貴は大学でテニス同好会に入り、

夏休み等で戻ってくると、

中学生の私と、庭でボレーボレーを数回実施。

たったそれだけなのに、

私はテニスの魅力に取りつかれ、

大學でテニスを始め、今に至ります。

今でも、中学の時からテニスを始めていたら、

もう少しうまくなっていたでしょうし、

ひょっとしたら全国大会も行けたかも?

妄想だけなら自分勝手に出来るので、

子供がプロ野球選手を夢見るように、

活躍する中学生の自分をいつも想像しています。

別にスポーツでなくても、

いろんな局面で、選べなかった選択肢があり、

それを選んでいたらどう自分の人生が変わっていたか、

そんなことを想う方も多いのではないでしょうか。

進学でも受験でも恋愛でも就職でも、

どんな選択をしたとしても、

どんな人生を歩んできたとしても、

今を必死に生きることしか出来ません。

過去を変えることはできません。

 

これ以上書くと暗い話しか書けそうもないので、

連休を不自由ながらも楽しみましょう!

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今更ながらの自己紹介

2020-04-29 10:50:11 | 自叙伝

日中のスーパーはかなり混雑があるらしいですよね。並ぶ列の間隔を開けたり、お金のやり取りにしても、ポイントカード等の利用にも時間をかけたり。その代わり、多分20時過ぎにはガラガラ状態です。売れ残りの商品しか買えないデメリットはありますが、空いていて、ゆっくり買い物ができ、割引になる商品もあったり。私は断然夜遅く派です。

 

最近、書く話題に事欠くようになってきたので、

前にご披露したかどうかも全く覚えていないのですが、

改めて自己紹介を書こうかと・・・

と言うのも、

毎日寝る前の楽しみとして見ているYOU TUBEでは、

結構こういう自己紹介をアップしている方が多いですよね?

まあ、YOU TUBEの場合には、そのYOUTUBERさんに、

魅力がある方が多いので、自己紹介の需要も大きいでしょうが、

私の場合は、読んでも面白くない、

内容のない文章しか書けないブロガーなので、

需要があるはずもなく、

完全な自己満足のための自己紹介となります。

もっと言えば、

ハンドルネームで本当に自分を隠している中での自己紹介。

意味があるのか?とも思いますが・・・・

前置きはこれくらいにして。

(ところで一旦書き始めましたが、どこまで詳しく書くのか?いくら書いても、皆様がついてこれないなら意味ないし・・・・)

 

取り敢えず、ハンドルネーム「おとぼけの父上」と申します。

名前の由来は、ツインNが小さい頃、

アニメキャラクターで大好きだったのが、

白雪姫の「おとぼけ」。

だから、ツインNをおとぼけと見做して、

その父親と言う意味で付けました。

職業はしがないサラリーマンです。

昔の職場は、広い意味での接客業?

接客を伴う事務?上手く説明できませんが、

地元の弱小企業勤務でした。

今は関連会社に再就職?

既に62才なので、今はジジイスタッフとして、

時給でのパート勤務みたいなものです。

前の職場では付随的に反社会的勢力さんが来店した時の、

対応担当だったので、

ここに書けない色々な経験もさせていただきました。

なんの取柄も、技能も、華々しい経歴や趣味もなく、

中高は陸上競技、主に跳躍競技です。

最初に進学した文京区立文林中学校には、

野球部・テニス部・サッカー部など、

やりたかった部活がなかったので仕方なく陸上部に入りました。

中学の時、沼津市の大会で、

中2の走り幅跳びと中3走り高跳びで、

大会記録を打ち立てたことと、

高2の新人戦で400Mリレーで、

私が足を引っ張ったにも関わらず、

他の3人が滅茶苦茶早かったので、

県大会4位になったことがプチ自慢です。

 

大学から硬式テニスを始め、

その関係でツインは中学でソフトテニス部に入部。

そのしがらみからR中の女テニの部活のお手伝いを始め、

今に至っています。

と言うことで、私自身はソフトテニス未経験者です。

 

チョ・ナンボウがサッカーをやるように仕向け、

小学校中学と、元エスパルスの北川君や水谷君、

現エスパルスの西澤君等とリーグ戦をはじめとする、

色々な試合でしのぎをけずったことが良い思い出です。

 

親父が転勤族だったので、

出生地は静岡県静岡市、その後、大阪府豊中市、静岡県浜松市、静岡市、東京都文京区、静岡県沼津市、静岡市と転居。

私の就職後は、東京都大田区、静岡市、その後結婚し市内で転居、横浜市緑区、静岡市と引っ越しを積み重ねました。

初めてペットを飼ったのはツインが小学校くらい?

ウサギの「おと」です。

お気づきとは思いますが、おとぼけから付けた名前です。

横浜に転居の際、奥様のお姉様夫婦に預けたのですが、

すぐに亡くなってしまいました。

その後、

黒猫、プラ参上 2006-07-24 06:52:40 

と言う感じで猫を飼い始め今に至ります。

 

好きな言葉?座右の銘?は、

・断而敢行 鬼神避之(断じて敢行すれば、鬼神もこれを避く)

・我以外皆我師(自分以外の、人でも物でも皆、自分に何かを教えてくれる先生である)

 

やっぱりねえ!文章力・構成・校正力のない私には、

自己紹介は無理でした。

また、書くことが無くなったら、第2段あるかもですが、

取り敢えず、今日はこれくらいです。

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巷では本日は入学式?

2020-04-07 14:08:49 | 自叙伝

本日の桜の状況は満開?入学式に合わせたかのような桜の開花。現状の閉塞感を打開してくれそうです。

 

 

本日は、静岡市の小中学校の入学式が行われたようです。

小学校の入学式にはご両親が出席される方が多い気がします。

一方中学校は母親だけの方が多い気がしました。

ところで、自分の入学式のお話ですが、

浜松の松城幼稚園に入園した私ですが、

松城幼稚園

この時の記憶は入園式自体はありませんが、

その後に園庭で遊んだ記憶があります。

小学校は浜松の元城小学校ですが、

元城小学校

この時の記憶が全くありません。

学校行事に親父は来たことがないので、

多分お袋が来たはずです。

中学校は東京都文京区の文林中学校です。

https://www.bunkyo-tky.ed.jp/bunrin-jh/

この時も入学式の記憶が全くありません。

ただ、結局、この中学校には1学期しか通いませんでしたが、

入学式の後の最初のホームルームで、

いきなり血迷った担任が、

私を学級委員長に任命するという暴挙に出たことが、

最低?最大の思い出です。

1年生ですから、

生徒の人となりなど先生が判るはずもなく、

何故に私を指名したのか永遠の謎です。

ぜひ先生に理由を聞いてみたい!

 

さて、高校・大学・社会人と入学・入社の機会が、

その後もありましたが、それはヵット。

兎にも角にもこんなご時世に、

入学式が出来たこと喜ばしいことでしょう。

本人、そして、そのご両親の方。

おめでとうございます!

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小学校の思い出 文京区柏学園

2020-03-17 22:46:02 | 自叙伝

先日、確定申告をやり掛けた確定申告ですが、源泉徴収票が不足していて中断していました。それもゲットし、いつでもできる状況になったのですが、期限が延長されたことで、かえってやる気が失せています。不味いですよね!

 

小学校時代の話なので、かなり不確かな記憶です。

当時、文京区千駄木小学校に通っていた私。

小学校4年では1泊2日。

5年生は2泊3日。

6年生は不明。(なぜ不明かは後程解ります。)

こんな日程で、宿泊しながらの移動教室?

課外授業が行われていました。

場所は文京区所有の柏学園。

下にリンクを貼っておきますが、

現在は閉鎖されてしまったようで、悲しいです。

私たちに小学生とっては、修学旅行的な一大イベントでした。

4年生の時も5年生の時も、仲間で旅行にいくこと、

それだけでもワクワクウキウキでした。

そして、いよいよ6年生の旅行がやってきました。

小学生として最後のイベント。

もうそれはそれは楽しみにしていましたが、

私はそれに参加することが出来ませんでした。

何故なのか?

その頃風邪?インフルエンザ?

覚えていませんが、とにかく欠席者が多数出たために、

私のクラスは学級閉鎖になり、

うちのクラスだけ不参加となったのでした。

今の状況と少し似ていた?

最近思い出したエピソードです。

 

柏学園の施設案内です。

https://www.city.bunkyo.lg.jp/kyoiku/kyoiku/gakko/offcampus/kasiwa/annai.html

 

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野菜の好き嫌い?

2020-02-28 23:52:46 | 自叙伝

今まで利用していたクリーニング屋さんが廃業するので、紹介された系列店?の新しいクリーニング屋さんに初めて行って来ました。値段的にやや高め?もちろん、高いだけでなく、それだけクオリティが高そうなのですが、受付の店員さんが、若い女性で、左利きだったのがとっても嬉しい左利きフェチの私です。

 

小さい頃、野菜が嫌い?と言うか、

多くの野菜が食べられませんでした。

食べられたのは、

炒めたキャベツ

天ぷらにしたニンジン(ニンジンの天ぷらって我が家だけ?)

玉ねぎ(生でも、炒めても)

この3種類くらいでした。

ただ、昔は、レタスだったりブロッコリーだったり、

あるいはサラダに掛けるドレッシングなど、

見たこともない時代でした。

そんな私が、キュウリ以外の野菜が、

食べられるようになったのはいつだったのかなあ?

とにかく給食の時間が天国の人地獄の日がありました。

カレーだったり、シチューの日は天国。

キュウリ1本や白菜の野菜スープの日は地獄。

小学校低学年の時は、食べきるまで教室で、

おかずを前に残されるのですが、

上級生の掃除の時間まで残されて・・・・

何時も残る数人が決まっていて、

泣きながらもなんとか食べきって、

一人帰り二人帰り。

でも、私は最後まで残っていました。

いつの間にか、

ほとんどの野菜が食べられるようになりましたが、

キュウリだけはいまだに食べられません。

 

今は、白菜は大好物ですし、

ニンジンピーマン茄子トマト。

キュウリ以外は大好きです。

特に、珍しい野菜?

タラの芽だったり蕗の薹。

こういうものが食べたくなるのは、

年を取った証拠でしょうか?

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クリスマスの思い出 第2段

2019-12-25 12:37:51 | 自叙伝

一昨日のお話なのですが、夜中の3時頃、右下奥歯の痛みで目が覚めました。この歯は実は虫歯ではなく、被せてある元々の歯の歯肉炎?もしくはその中の炎症。本気で治すのなら一旦被せものを外して治療する事となるので、取り敢えず炎症を押さえる薬を飲んでいます。それなのに猛烈 に痛んだのですが、ひたすら我慢していると、1時間ほどで痛みが消えました。何故かは不明です。不思議でした。

 

 昨日ブログで少し触れましたが、

クリスマスは日常と同様に過ぎています。

バブルの頃、今もそうなのでしょうか?

クリスマスと言えば、カップルのメインイベント?

如何に素敵なレストランを予約し、

素敵なプレゼントを用意し、

女性をどれだけ喜ばせるか?

そんな1年の最大のイベントだった?

私の時代はバブル前の昭和の時代。

そんな大それた企画をする人は少なかったので、

まあ、プレゼント交換くらいはしたかもしれませんが、

正直覚えていません。

 

特に奥さまと知り合ったのが昭和60年の12月?

翌年の10月くらいには婚約し、

昭和62年2月14日に結婚したので、

結婚直前のクリスマスは、

食事くらいしたはずですが、覚えていません。

何となくお客さんのところで、

奥様のプレゼントにリボンのついたセーターを買った気もしますが、

それがその時だったのか?結婚後だったのか?

もう30年以上の前なので、

アルツハイマーの私にはわかりません。

ブログを探せば、子供たちがサプライズで私にプレゼントをくれたり。

よい思い出もいくつかあります。

きっと、ブログに書かなかったら、

消えていくのでしょう。

淋しいけれどそれが現実です。

 

皆様は丼なクリスマスを過ごすのでしょうか?

メリークリスマス!

 

さて、今年の目標である年間読書100冊。

今年度、144冊目。

堂場瞬一 共犯捜査  評価は3

年末となり、あと何冊読めるのか?

年間100冊の目標はクリアしましたが、

読んでる本がミステリーでは、

成長にはつながっていないでしょう。

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中学校の思い出 国語編

2019-06-14 09:26:29 | 自叙伝

2019サッカー女子ワールドカップが今行われている。今一つ不調のアジアであったが、ようやくオーストラリアがブラジルに対し0-2から大逆転で3-2と勝利。この大会アジア勢として初勝利を挙げた。この大会もVAR(ビデオアシスタントレフェリー)が活躍?この試合もPK判定で3回審議され1回のみPKとなり、得点がオフサイドかどうかが審議され、得点が認められた。特に、明らかにオフサイド位置にいた選手がプレーに関与したかどうかの判定で得点が認められたシーンは、VARの真骨頂だったかも。

 

 唐突ですが、中学校の頃、

体育の先生になりたいと思っていた。

体育と言うのは、運動が好きだったし、

そこそこスポーツが得意だったし、

何より勉強自体は嫌いだったので、

体育の先生なら勉強が出来なくても出来る?

身の程知らずの幼い中学生の考えること。

浅はかであった。

では、何故に教師になりたいと思ったのか?

そこには、有る国語の先生との出会いがあったから。

沼津4中で国語を教えていただいた岩田先生。

元々読書は好きだったのだが、

国語は特別好きな教科ではなかった。

ただ、雑談の中で紹介してくださった、

モーパッサンの短編小説「首飾り」

そのストーリーに衝撃を受けた。

それをきっかけに国語が好きになったのだが、

ある時、帰ってきたテストがほぼ100点?

正確には98点だった。

減点の理由は解答の、

「石の上にも3年」の数字の3が、

縦書きにもかかわらず、

洋数字の3を使っているという理由で、マイナス2点だった。

要するに縦書きなら漢数字の三を使いなさいという戒めだった。

ただ、表面的に、?私の答案用紙には、

減点と言う厳しい対応をされたのだが、

他のクラスで、ここ数年で初めて、

私の国語のテストで100点を取った生徒がいる!

という様な話をされていたということを人伝手に聞いた。

多分テストの答案用紙上には減点となっていたが、

先生の実際のテスト記録上は、

100点としてくださっていたようだ。

 

これで国語が決定的に好きになった。

そして、こういう、

厳しさとやさしさを持つ先生が好きになり、

教師と言う職業も良いなあと思った次第である。

最終的に教師にはならなかったけれど、

ほんの少し、

今の女テニのコーチにつながっているのかもしれない。

 

同じ先生から、あなたの字はひどい。

沼津4中の中で3悪筆の一人だと言われた。

それは結局治らなかった。

やっぱり、先生になって黒板に字を書くことを考えれば、

先生にならなくて良かったかも。

 

今年度、80冊目です。

宮部 みゆき R・P・G 評価は3

ネタバレ解説にも誰かが書いていたが、

途中で犯人が誰かが醸し出される展開ではあった。

宮部みゆきさんの小説は、

話題作も多いのだが、それだけに無理な展開も多く、

更に、衝撃を優先しているがために、

やや無理やり感が多い気がする。

それは、この小説にも通じる点ではある。

 

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好きな子は遠きにありて思ふもの

2019-04-18 12:26:31 | 自叙伝

よく、ソース派か醤油派か?とか、マヨネーズ派、要するにマヨラーか?とか、ケチャップ派?とか言われるけれど、私は間違いなくケチャップ派である。とんかつを始めとするフライはケチャップでしか食べない。要するにソースは掛けない。こういうのは珍しいのかなあ?友達の家に遊びに行き、トンカツでマヨネーズが出てきたときは衝撃だった。今は昔のお話です。



昔、中学時代は結構モテた。
別に自慢するつもりでこんな話を始めた訳ではない。
中学なんて、みんなまだまだ子供。
チョッとスポーツが出来ればそれだけで人気者?
私のようにがさつで、不細工でも、
チヤホヤされた。

私は、
体育の授業で体操服に着替えると、
それまで着ていた服は脱ぎ散らかして授業に行くのだが、
戻ってくると服が畳まれていると言うことが何度かあり、
鈍感な私は全然気がつかず、
不思議だなあと思っていた。
実は、ある女の子が何時も畳んでくれていた、
そんなことがあった。

その後、バスケ部所属だったその女の子の仲間に呼び出され、
7、8人から、
何故気がつかない?
何故その子の気持ちを解ってあげない?と、
みんなから吊し上げ?を食らった。
それ以来、未だに女性恐怖症である。
誰も信じてくれないが。

だから、初めてチャンと女の子と付き合うのは、
会社に入ってからとなるのだが、
それでも、、高校時代に好きだ?と思う子はいた。
確か、2年3年と同じクラスだったが、
一度も話をしたことがない。
遠くから見守るだけの女の子だった。
実際、デートしたいとか、お話ししたいとか、
そう思ったこともない。
本当に好きだったの?と問われても仕方ないのだが、
でも、その子のことは好きだった。
多分、実際に話したり、デートして、
幻滅するのが嫌だったんだと思う。
殆んどの人はこの気持ちは解らないかもしれない。

ふるさとは、遠きにありて思ふもの

室生犀星の詩に在る通りの感じかなあ?
その子が私の気持ちに気がついていたか?
今でも少し気にはなる。
判らないことが素敵なのだが。


さて、今年の目標である年間読書100冊。
今年度、56冊目です。
森 博嗣 女王の百年密室 評価は2
この本も形を変えたどんでん返しと言えるのかな?
このシリーズは、四季シリーズの未来?
と関連があるとどこかで読んだけれど、
なんとなく言いたいことが分かった。
ひょっとして、このシリーズの別の本で、
もっとはっきり出てくるのかもしれないが。

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自家用車の思い出

2019-04-12 09:20:43 | 自叙伝
最近はバスの運転手さんも女性が増えてきた。女性の良いところは、アナウンス等の接客がソフトであり、男性のガラガラ声より、断然気持ち良い。そうはいっても、色々な人がいるけれど。乗るときに運転手が女性だと、当たり!と思うのは私だけか?


以前、親父が仕事人間だったことを書いた?
だから、車の免許も持っていなかったし、
滅多に家族で旅行に行くことはなかったし、
外食も年に数回くらい?
こういう経験が私の自己中心的行動につながっているかも。
ところで、そんな親父も、
世間的には車の普及が進む中、
やはり車の必要性は感じていたようで、
おふくろに車の免許を取らせるという行動に出た。
ということで、お袋は40歳にして免許を取得。
その頃は私が高校生にて下宿をしていたころ?
それとも、既に大学に入っていた?

まあそんな時期だった。
初めて我が家に来た車が大衆車の権化?
カローラ。
親父らしい選択だった。
奇をてらわないオーソドックス?王道を選ぶ。
売れ筋ナンバー1の大衆車を選んだ親父。
ナンバーは44-16だった(4×4=16)。
私のラッキーナンバー4にかなり縁のある番号で、
私は大感激だった。

ところで、私が自分のために買った初めての車は、
カローラⅡ。
今思えば、もう少し違う車を選ぶべきだった気もするが、
車を親に買ってもらう身。
贅沢も言えないし、一応スポーティを売りにした車。
当時脚光を浴びていたハッチバック。
多分、最初のカローラⅡは3ドアだった記憶があるが、
私はモデルチェンジした5ドアをチョイス。

今思えばチャチな車だった。
薄っぺらというか、軽自動車にも通じる、軽量感?
でも、自分の車が持てるというのはうれしいものだ。
結構乗り回した記憶が。

私の中で懐かしい思い出である。

さて、今年の目標である年間読書100冊。
今年度、54冊目です。
西澤 保彦 彼女が死んだ夜 評価は1

西澤さんに、シリアスさを求めていけないことは、
頭では良く判っているし、
この本を読むのも2度目なのだが、
読むのが少ししんどかった。
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幼稚園の思い出

2019-03-15 00:26:51 | 自叙伝
最近寒暖の差が激しいというか、勤務時間が13:45から21:30ということで、帰りは結構寒いので未だにダウンを着て出社するのですが、昼間は結構暖かく、ダウンを着ているとやや浮いています。恥ずかしいというか・・・・しょうがないのですが。


3月14日は、
ツインNが昔勤めていた幼稚園の卒園式でした。

私が通った幼稚園は浜松市にある松城幼稚園。
今でも残っているようです。
この幼稚園のホームページには園の理念?が書かれています。

大正15年より子どもの成長を見守り続ける松城幼稚園。
松城幼稚園は、自然あふれる落ち着いた環境の中で、明るくのびのびとした こころの豊かさを大切にする個性尊重の保育を行っています。

昔からそうだったかは判りません。
この幼稚園のこと、ほとんど覚えていません。
この近所に住んでいた訳ではないので、
路線バスで通園していました。
なぜこの幼稚園に通うことになったのか?
聞いたこともないし、家族もみな亡くなっているので、
今となっては調べる術はありません。
しかし、幼稚園児が一人で路線バスで通園。
今でも珍しいのかな?
今はスクールバスもあるから、むしろ珍しいのか?
良く親も通わせたものです。

バス停は名残町から乗り、
当時あった動物園前?で降りるのですが、
料金の都合で、定期券は浜商前から動物園前になっていて、
一度だけ、帰りのバスで、親切?(お節介)な運転手が、
どこで降りるの?と私の定期をみて、
浜商で降ろしてあげると言われ、
人見知りの私はそれを断れず、
浜商で降ろされ、迷子状態。
難儀した思い出が強烈に残っています。

もう一つ最悪の思い出は、
食事中の方には申し訳ないのですが、
給食?お弁当?の時間に、
当時は嫌いではなかったキュウリを食べたところ、
何故かしら不味くて戻してしまいました。
しかし、周りは食事中。
ここで吐いたらみんなが困る、
そう思って口の中に貯め、
もう一度、
吐いたものを泣きながら飲み込みました。

このトラウマは強烈で、
以後私はキュウリが食べられません。
家に帰ってきて、玄関のドアを開けた瞬間、
もし台所でお袋がキュウリを切っていたり切ったあとでも、
臭いでそれが判ります。

もう、細胞が嫌悪しています。
ただ、さすがに60才のジジイになると、
記憶も薄れ、原型を留めていなければ、味が認識できなければ、
ひょっとしたら食べられるかもです。
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淡い、懐かしの、ほろ苦い、思い出

2019-02-03 16:16:22 | 自叙伝
先程、昼飯を食べながら眺めていたテレビから、本日は節分との話題が取り上げられていた。節分と言えば豆まきで、奥様が地道にいつもやっているようだ。ここ何年も、節分のその日が仕事で、夜の帰宅が遅い時間が続き、実際に私が豆まきをしたのがいつか?も思い出せない。返ってくると、床にまかれた豆を見つけて節分を知るという感じである。だから、もう何年も豆を食べていない。だから良いことがないのか?自業自得かもしれない。


ちょっと昔の話です。
正確にはかなり昔のお話です。
私が最初に入った会社は、
静岡県内に本社がある地元企業。
最初の配属が東京は銀座の営業所。
そこにいた数歳上の先輩の女性。
我が社がもし、従業員を対象にしたミスコンをしたら、
間違いなく関東代表になっただろうし、
もしかしたら「ミスわが社」にもなるような女性だった。

私なぞが口を利くことも憚れるような素敵な女性。
全く係が違うので、仕事の接点がほとんどないのだが、
唯一、わが社の関東テニス部の仲間というつながりで、
私の存在も一応は知っていてくれた。

何処でどう間違ったのか?
今となっては経緯をよく思い出せないのだが、
お互い残業で一瞬二人きりで雑談をする機会が生じ、
多分私から映画に誘うという暴挙に出たんだろうなあ?
それ以外に、あり得ないシチュエーション。
命知らずだった。
恥知らずだった。
身の程知らずだった。

それでも、何と、OKしてくれたのだ。

先輩に何があったのか?
たまたま付き合っていた彼と喧嘩したのか?
いつもフランス料理のフルコース(素敵な彼)になれてしまい、
たまには、質素なお茶漬け?焼き芋?(私)
に魅力を感じたのか?

当時の記憶が少し蘇ってきた
色々妄想したことを思い出す。
あまりに素敵な女性だったので、
きっと、
相当実力のある身分が高い人の愛人だったのだが、
たまたま約束していたデートが、
相手のお子様が病気で急遽行けなくなった?
暇を持て余した先輩は、気まぐれに私と映画に?
その映画は本当は、愛人と行くはずだった・・・・
シェフの気まぐれサラダではなく、
美人のの気まぐれデート?
嬉しいけど信じられない自分・・・・

兎にも角にも、一緒に映画を見に行った。

まず、何故に私が先輩を誘うという、勇気が持てたのか?
何故に、先輩が血迷ってOKを出してくれたのか?
未だに不思議である。

確か、「レイダース 失われたアーク」だったか?

良く、やくざ映画を見れば、映画館を後にする人たちが、
肩で風を切る、やくざ風の歩き方になっていたり、
映画の影響を受けるような風景が見られたりする?
私も、映画の素晴らしさと、
憧れの先輩と映画を見たという素敵なシチュエーションに酔い、
映画の一場面をなぞって、
彼女に対し、前に習えをする時の先頭のように、
左腕をDの字にしてそっと、先輩に差し出しました。
すると、聡明な彼女は直ちに理解し、気を利かせ、
腕を組んでくれたのです。

嫌だったでしょう!
苦痛だったでしょう!
ボランティア精神半端ない!
病気が映るかもしれない。
そのチャレンジ精神には頭が下がります。

でも、今でもその嬉しさは、私の宝物です。
誰かが腕を組んでくれると自動的に蘇る思い出です。

誰かもう一度、思い出させてくれないものか?

さて、今年の目標である年間読書100冊。
今年度、23冊目です。 東 直己 向こう端にすわった男 評価は1

実は知らないで読んだら短編集だった。
別に短編集が嫌いという訳でもないし、
内容さえ面白ければそれでよいのだが、
読んでいても、今一つ、気持ちが乗らなかった。
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今年を少し振り返りつつ、ブログタイトル通りに雑感を語る

2018-12-31 00:24:23 | 自叙伝
もう年末だと感じる瞬間はどんな時ですか?テレビは年末特集になり、レコード大賞やら紅白歌合戦やら、笑ってはいけないシリーズだったり、年末恒例の番組が放送されます。街に出れば、人混みが激しく、お飾りを売っていたり、お節料理を売っていたり、スーパーも、年末モード?こうして年が明けていくんですかね?私も今年の反省と来年の目標を立てなくてはいけないのでしょうが・・・・・



今年の一番の出来事と言えば、
60才となったことでしょうか?
還暦という言葉がありますが、
私自身がその言葉が嫌いで、
結局、還暦に対してのイベントは何一つしませんでした。
プレゼントもなければ、赤いちゃんちゃんこ、
あるいはそれに因んだ赤い服もなし。
誕生日としてのお祝いや、ご馳走もなし。
それが一番うれしかったかな?
改まって祝われることは好きではありませんし、
無理やり着せられることだけは避けたかったので。

今年も、大切なものが壊れました。

2010年に購入したフリードが壊れたのが、
8月の29日?30日?
約8年乗ったのでしょうか?
これに伴って買ったFitは、
今後何年乗ることになるのでしょうか?

さらに原付も壊れました。
これが7月31日?こちらもエンジントラブルでした。
元々は、ツインNが免許取得の後、
バイトへ行ったり、通学に使うために購入した原付。
だから10年前後乗ったのか?

先日の台風の影響で、
実家のカーポートの屋根が壊れました。
実家はやはり平成元年前後に建てられたので、
築30年。
壊れても不思議ではないのですが・・・・

私自身も壊れかかっていると言えるのでしょうか?
心房細動の治療のための、
カテーテルアブレーションは2017年のお話ですが、
ピロリ菌の除菌やら、大腸内視鏡検査は今年行いました。
結果的には何ともなかった訳ですが、
体が悲鳴を上げていたのかもしれません。

最近の自己中には拍車がかかってきました。
ますます、偏屈となり、
周りに多分迷惑をかけているのでは?

今年は年男だったわけですが、
だからと言って良いこともなく、
特別悪いこともなく、
こうして淡々と寿命を削っていくのでしょうか?

生きがいは、このブログだけ?
その気力もいつまで続くのか?

私のことはともかく・・・・・

皆様に幸せが訪れますように!
良い年をお迎えください!!
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いつも通りのつまらない雑感

2018-12-29 00:01:01 | 自叙伝
私のアレルギー性鼻炎は小学校4年生の時、東京に引っ越してから始まった。当時は花粉症と言う言葉もなく、東京は光化学スモッグに包まれ、時折発令される光化学スモッグ注意報?
に戦々恐々していた。何しろ注意報が発令されると外で遊べなくなったし、寄り道せずに帰りなさいと言われる。そう言うことはキチンと守る優等生だった私。若かったなあ。


先日、いや昨日?
私の収入は時給扱いだと書いた。
このブログでも既に何回か書いたはずだ。
調べればわかるが、そんな気力はないので、
興味がある方は調べてください。

ブログのパソコン版画面右上に、
検索ウィンドウがあり、
その右横は通常(ウェブ)になっているので、
これを(このブログ内)にすれば、検索できます。

それはそれとして、

現役バリバリの頃ですら、
私の所得は平均的所得?
そこから、2段階、3段階、下がってきた所得。
毎月の生活はキュウキュウである。
所得は、多分、今後は、
下がることはあっても上がることはない。

昔、ハワイに行ったときも、
当時エイビーロードなる海外旅行雑誌があり、
今は雑誌は休刊中で、
サイトだかアプリで存続しているようだ。

その雑誌で見つけた一番安いツアー。
6泊8日のハワイ、コンドミニアムで、
食事もオプションツアーもない、
一人7万2千円のツアーしか、利用できなかった。
旅費と宿泊6日分だから相当安いツアーだった。
そんな私は、今は、ランチくらいが唯一の楽しみ。

夢は、もう一度ハワイへJALのファーストクラスで。
この夢は夢のまま終わるだろう。

唯一の可能性は、ツインAかタツタが、

大金持ちの相手と結婚し、相手家族が、
「うちは、今度ハワイへ行くざます。おとぼけの父上さん家族も一緒にいきます?」
てなことで、旅費を出してもらわない限り無理である。

もしそうなったら、
間違いなくお願いする。
恥もプライドもない私です。

もう一つの夢は、
新婚旅行で行った、
ニュージーランドに行くこと。

ニュージーランドは素晴らしかった。
景色はもちろん絶景で、
どこに行っても心が洗われるのだが、
人も素晴らしかった。
うっかりものの私は、あちこちで忘れ物を連発。
着いた空港でカウンターにカメラを忘れ、
15分後くらいに戻ったら、
ちゃんと端の方に寄せて置いてあったし、
ニュージーランド国内での移動の際乗った、
国内線の飛行機の網棚に忘れたジャケットは、
ホテルまで届けてくれた。
さらに、再びそのホテルに置き忘れたジャケットは、
日本に郵送してくれた。
感謝しかない。

と言うか、どれくらい忘れたら気がすむのか?
良い思い出である。
 
そして、最後の夢は、エスパルス、ノジマステラ、
そしてR中の団体戦個人戦、市の大会の優勝である。
老い先短い私に春は来るのか?
楽しみである。

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今年最後の出勤日

2018-12-28 09:09:55 | 自叙伝
どうでもいい話であるが、トイレットペーパーは昔はダブルタイプが好きだった。今はシングルタイプの方が好きである。日本トイレ協会では、トイレットペーパーの1回の平均使用量は「80cm」としています。同協会で「トイレットペーパーを日本人女性が一日に使う量の平均は12.5m、男性の平均は3.5mで、男女平均8.0mとしています。女性のことは取り敢えず置いといて、男子は小の場合には殆ど使わないはずなので、一日1回の大の時に3.5m使うという事か?ダブルタイプだと1.75mという事?我が家はシャワートイレ付なので、この量はさらに減っているはずなのだが?


わが社は、土日休日の完全週休2日制。
さらに年末は31日は元々の休日。
今年の12月は29日が土曜日、30日が日曜日。
1月は3日間が休日。
通常なら年末年始の休日は4日間だが、
今年は6連休で、しかも4日に出勤すると、
また土日の休日となる。

こんな出勤日、誰も興味ないだろうから、これで終了。

プライベートの1年の振り返りは後日にするとして、
仕事上は、平穏な1年だった。
ただ、私は4月で60才になり、
5月から爺スタッフになったことが大きな変化であり、
それまでは、固定給で、
15:00から21:30だった勤務時間は、
時給で13:45分から21;30に変わった。
しかも、4月までは、1つの係りと言うか、
一つの仕事だったが、
5月からは、
13:45~16:45分まで別の仕事に従事し、
1時間の休憩を挟んで、
17:45から今までの仕事を行うという、
変則的な勤務になっている。

手取りは減ったが、休暇の体系が変化し、
これまで、1週間連続の休暇など、
まとめて取っていた休暇は、
毎月分散して折るなど、
まあ、どちらが良いのかは不明だが、
過去には年間12日前後取っていた有給休暇は、
15日前後に増えるはずである。
(まだ1年経っていないので)

唯一の悩みは、勤務時間の関係で、
仕事終わりに飲みに行く?
と言ってもお酒は飲めないので、
半分は食事に行くことになるのだが、
それが難しいこと。
集まるとすれば土日になってしまうのだが、
皆様家庭もあるので、気軽に集まれず、
それぞれ日程調整のうえ集まるしかないことが面倒な事か。

全然締めくくりにはなっていないが。
今年もあと少し。
皆様有終の美を飾れると良いですね!

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