さて、昔ぱどタウンのブログに書いたけれど、
その後忘れていた話題をひとつ。
昨日の陸上つながりで思い出したので・・・・
さて、少し長い前置きを。
私が通った沼津東高校。
当時の静岡県東部では1・2位を争う進学校。
私以外の生徒は優秀な人材ばかりだった。
しかし、静岡高校のように野球の選手を集めたり?
清水東高や清水商業のようにサッカーの選手を集めたり?
そういうことはしていなかったので、
今ひとつスポーツは弱かった。
そんな中では陸上部はまあまあ強い選手がおり、
実績も残していた。
私が在籍した時代のちょっと前の先輩は、
当時1600Mリレーで高校新記録で優勝したりした。
私の二つ上の先輩の田崎博通先輩は、
インターハイでは優勝できなかったが、
国体では優勝。
この先輩は慶応に進み、全日本選手権でも優勝。
オリンピックに行ける寸前まで行ったが、
代表に選ばれたのは当時の第1人者神野選手だった。
今回のお話の中心はこの話ではないので、ここまで。
私のひとつ上の先輩に石田喜久夫先輩がいた。
今回のお話はこの先輩のエピソードです。
田崎先輩と同じ沼津3中出身。
田崎先輩が天才スプリンターとすれば、
石田先輩はストイックな努力家?であった。
私はこの二人の本物と練習をし、試合に付き添い、
素質のない平凡な人間には、夢を追い求めることはいいけれど、
勘違いして自分はもっと記録を伸ばせるなどという
幻想を抱いてはいけないとはっきり思い知らされることとなった。
結論から言えば、
陸上競技という90%以上が素質で決まるスポーツは、
私がのめりこむスポーツではなかったということでもあった。
さて、ここまでが前置きで本題に入ると。
その石田先輩がインターハイ110MHで予定通り決勝に進出した。
インターハイは全国持ち回りで毎年会場が変わり、
この年は東京が開催地だった。
全国大会は後輩の我々もなかなかついていくことは出来ず、
応援は心の中だけということも多い。
しかし、この年は会場が東京ということで、
たまたま駿台予備校の講習を受けに東京にいた私は、
親に内緒で、夏期講習をサボり応援に駆けつけたのであった。
もちろん正式にはお手伝いが出来ないので、
スタンドからの応援ではあったが・・・・
ここまでこれほど長々と、書いてきた理由は、
オリンピックリレーチームが
予選での調子の悪さが決勝ではがらりと変わったということを聞いたから。
こんなに長い文章を読んでくれる人がいるのだろうか?
さて、石田先輩のお話。
決勝のスタートが刻一刻と近づく。
暑さと疲労と緊張とで、
スタートラインの位置についた時でさえ頭がボーっとしていたそうだ。
そんな状態でも時間が来れば競技は始まってしまう。
位置について!
用意!
そして
パン!
「多分このときそのままスタートしていたら、自分は惨敗していた」
と本人の弁。
その時誰かがフライングをする。
ここで、ふと我に返る先輩。
頭がすっきりとクリアーになったそうだ。
そこで、再度スタート。
なんと大会記録かなんかで優勝したのです。
こういうめぐり合わせも運?
優勝したり、何か快挙を達成するときは、
こういうことがあるということをいいたかったのでした。
これをただのラッキーと呼ぶのか、
それとも運命というのか、
努力の末の神様の贈り物と呼ぶのか?
感想は皆様にお任せするが、
私はいくらラッキーがあっても実力がなければ
そのラッキーを生かせないと思っているので、
神様の贈り物思いたいが・・・