最初はコメントを寄せようかとも思いました。
でも、時々はそらさんも私のブログ見ていてくれるようなので、
こちらにしっかり書きたくなりました。
そうは言っても、表現力もセンスもない私ですので、
とりとめなく書き連ねることしかできませんが。
まずそらさんに無断ですがブログの内容です。
詳細は実際のブログを見てください。
あるとき、お母様に対し、お姉様がつぶやく。
「おチビは(ドリブルの)センスがあっていいな」
「努力は惜しまず」タイプなので
まさかまさか、そんな風に思っているなんて~~~と
「ドリブルだけがサッカーじゃないよ」とは
言ったのだけど。
努力だけでは追いつけないものも
あるのでしょうか?
いやいや。
それが「すべて」ではないハズ。
お姉ちゃん。
努力は裏切らないと思うよ。
うん。
かなりはしょっているので、むしろ要約しない方が良かったかも。
くどいけれど、興味のある方は、実際の日記を読んでみてください。
さて、本題に戻ります。
私はまず、悩んでいる人に出会った時、
悩みに負けてしまわない限り、悩むことは素敵なことだといいたい。
悩むことが人間を成長させると言っていいと思う。
苦しいことから逃げることは簡単だが、
しっかりぶつかって、
たとえ結果的に挫折したとしても、
人間が成長できたことでチャラになると思っている。
挫折(回り道)は、だから、失敗ではない。
以前ツインAが高校退学の道を選んだ時、
私は一度も反対しなかった。
奥さまは人並み?という観点から少し悩んだようであるが、
でも、私はツインAを信じなさいと言い続け、
結果的に奥様も理解してくれたと思う。
話がずれて来たので戻すと、
たとえばサッカーで自分にない特徴を羨ましく思う。
サッカーに限らず、スポーツには必ずあること。
私にもある。
スポーツだけの話でもなく、仕事もおなじ。
隣の花は赤いとはよく言ったもので、
自分の短所ばかりが目立ち、
人の長所ばかりが目立ち、
結果的に「自分なんて」そう思うことは誰にでもある。
それでも球技なんかだと、自分はうまいのではないかと
勘違いできる瞬間も時にはある。
野球でいえばたまたま甘いボールがきて、
出会いがしらにホームラン打ったり、
不思議と好調で、打つ打球打つ打球みんな間に飛んでヒットになったり。
サッカーでいえば、不思議とチャンスボールが自分のところにきて、
連続得点で来たり。
負け試合を自分の活躍でひっくり返したとき、
人は自分が天才と勘違いできる瞬間である。
至福の時でもある。
私は陸上をやっていて、最初は沼津市内でも上位に入ることができた。
しかし、高校になるとラッキーは通用しない。
新人戦リレーで他の3人のスピードに助けられて、
400Mリレー県大会4位になったけれど、
人がいなかっただけで、
私だけが全出場選手の中で浮いていた。
私以外の3人と同レベルの選手が4人そろっていれば、
優勝か準優勝していただろう。
要は私が足を引っ張っていたのだが。
でも自分が悪いとは思っていない。
これはいい悪いの問題でもない。
素質勝負のスポーツでは、技術でカバーできない世界があり、
それが私を陸上競技から引退させる決め手となったが、
もし私が球技をやっていたら、
ひょっとしたら自分の存在価値を見つけられたかもしれない。
どんどん話がそれているが。
「あんなことができてうらやましいなあ」
と思った時、するべきことは二つだけと思っている。
自分もできるように努力するか、
自分ができることをさらに磨いて、
人がそれを見てうらやましいと思うレベルにまで持っていくか。
どちらにせよで何かに対して頑張ることしか解決策はない。
ほとんどの人はうらやましいと思うどまりで、
結局何もせずに終わってしまう。
成功するかしないかは、努力に比例すると思っている。
努力だけで、成功が決まるわけでないことも事実ではあるが。
ある選手の一つの特徴が素晴らしいと思っても、
それが素晴らしい選手だけを集めても強いチームは作れない。
足の速い選手もいれば1対1に強い選手もいれば、
カバーリングに優れている選手もいれば、
リーダーシップに優れている選手もいる。
色々なタイプがそろっているチームが強いのであって、
同じタイプはいらないという監督もいるようだ。
大切なことは自分に何ができるのか?
そして出来る事の幅を広げる、
あるいは努力を継続すること追及すること。
この選手のここが魅力と思わせること。
それが大切と思っている。
うーーーん
やはり今回もまとまらなかった。
長いだけのだらだらとした文章。
これも私の限界。
最後によく人のことを羨ましがることは悪いこと!
そう教育されてきた。
福沢先生も世の中で一番醜いことは他人の生活を羨む事と言っている。
でもそれは違うと思う。
相手を認めるからうらやましいと思うのであって、
認めた後に、どう生きていくか?
その生き方が大切だと思っている。
だめだ、もう寝なくては。
またいつか書いてみたい。
そらさん。
中途半端でごめんなさい。
駄文ですので忘れてください。
もっと内容を昇華させてから再チャレンジしてみます。
でも、時々はそらさんも私のブログ見ていてくれるようなので、
こちらにしっかり書きたくなりました。
そうは言っても、表現力もセンスもない私ですので、
とりとめなく書き連ねることしかできませんが。
まずそらさんに無断ですがブログの内容です。
詳細は実際のブログを見てください。
あるとき、お母様に対し、お姉様がつぶやく。
「おチビは(ドリブルの)センスがあっていいな」
「努力は惜しまず」タイプなので
まさかまさか、そんな風に思っているなんて~~~と
「ドリブルだけがサッカーじゃないよ」とは
言ったのだけど。
努力だけでは追いつけないものも
あるのでしょうか?
いやいや。
それが「すべて」ではないハズ。
お姉ちゃん。
努力は裏切らないと思うよ。
うん。
かなりはしょっているので、むしろ要約しない方が良かったかも。
くどいけれど、興味のある方は、実際の日記を読んでみてください。
さて、本題に戻ります。
私はまず、悩んでいる人に出会った時、
悩みに負けてしまわない限り、悩むことは素敵なことだといいたい。
悩むことが人間を成長させると言っていいと思う。
苦しいことから逃げることは簡単だが、
しっかりぶつかって、
たとえ結果的に挫折したとしても、
人間が成長できたことでチャラになると思っている。
挫折(回り道)は、だから、失敗ではない。
以前ツインAが高校退学の道を選んだ時、
私は一度も反対しなかった。
奥さまは人並み?という観点から少し悩んだようであるが、
でも、私はツインAを信じなさいと言い続け、
結果的に奥様も理解してくれたと思う。
話がずれて来たので戻すと、
たとえばサッカーで自分にない特徴を羨ましく思う。
サッカーに限らず、スポーツには必ずあること。
私にもある。
スポーツだけの話でもなく、仕事もおなじ。
隣の花は赤いとはよく言ったもので、
自分の短所ばかりが目立ち、
人の長所ばかりが目立ち、
結果的に「自分なんて」そう思うことは誰にでもある。
それでも球技なんかだと、自分はうまいのではないかと
勘違いできる瞬間も時にはある。
野球でいえばたまたま甘いボールがきて、
出会いがしらにホームラン打ったり、
不思議と好調で、打つ打球打つ打球みんな間に飛んでヒットになったり。
サッカーでいえば、不思議とチャンスボールが自分のところにきて、
連続得点で来たり。
負け試合を自分の活躍でひっくり返したとき、
人は自分が天才と勘違いできる瞬間である。
至福の時でもある。
私は陸上をやっていて、最初は沼津市内でも上位に入ることができた。
しかし、高校になるとラッキーは通用しない。
新人戦リレーで他の3人のスピードに助けられて、
400Mリレー県大会4位になったけれど、
人がいなかっただけで、
私だけが全出場選手の中で浮いていた。
私以外の3人と同レベルの選手が4人そろっていれば、
優勝か準優勝していただろう。
要は私が足を引っ張っていたのだが。
でも自分が悪いとは思っていない。
これはいい悪いの問題でもない。
素質勝負のスポーツでは、技術でカバーできない世界があり、
それが私を陸上競技から引退させる決め手となったが、
もし私が球技をやっていたら、
ひょっとしたら自分の存在価値を見つけられたかもしれない。
どんどん話がそれているが。
「あんなことができてうらやましいなあ」
と思った時、するべきことは二つだけと思っている。
自分もできるように努力するか、
自分ができることをさらに磨いて、
人がそれを見てうらやましいと思うレベルにまで持っていくか。
どちらにせよで何かに対して頑張ることしか解決策はない。
ほとんどの人はうらやましいと思うどまりで、
結局何もせずに終わってしまう。
成功するかしないかは、努力に比例すると思っている。
努力だけで、成功が決まるわけでないことも事実ではあるが。
ある選手の一つの特徴が素晴らしいと思っても、
それが素晴らしい選手だけを集めても強いチームは作れない。
足の速い選手もいれば1対1に強い選手もいれば、
カバーリングに優れている選手もいれば、
リーダーシップに優れている選手もいる。
色々なタイプがそろっているチームが強いのであって、
同じタイプはいらないという監督もいるようだ。
大切なことは自分に何ができるのか?
そして出来る事の幅を広げる、
あるいは努力を継続すること追及すること。
この選手のここが魅力と思わせること。
それが大切と思っている。
うーーーん
やはり今回もまとまらなかった。
長いだけのだらだらとした文章。
これも私の限界。
最後によく人のことを羨ましがることは悪いこと!
そう教育されてきた。
福沢先生も世の中で一番醜いことは他人の生活を羨む事と言っている。
でもそれは違うと思う。
相手を認めるからうらやましいと思うのであって、
認めた後に、どう生きていくか?
その生き方が大切だと思っている。
だめだ、もう寝なくては。
またいつか書いてみたい。
そらさん。
中途半端でごめんなさい。
駄文ですので忘れてください。
もっと内容を昇華させてから再チャレンジしてみます。