会社にあったある小冊子。平成18年1月に発行された非売品。
それまで見向きもしなかったけれど、
ふとてにとって中を見てみた。
その中に「千の風と千の花」という新井満さんのエッセイが載っていた。
これはわかる人にはピンと来るでしょう。
去年の紅白で話題になった秋川雅史さんが歌ったあの歌の作曲者の、
歌に隠れたエピソードを語ったエッセイだった。
紅白に出る1年前のエッセイ。
内容を書く前に、参考に、この歌についての紹介をすると。
テノール歌手・秋川雅史のNHK紅白歌合戦出演決定で、「千の風になって」が注目を集めている。この楽曲の誕生は芥川賞作家として知られる新井満が、知人の死を契機に「千の風になって」の原詩で作者不詳の「A THOUSAND WINDS」に出会ったことから始まった。この詩に自身が日本語詞と曲をつけ歌唱した楽曲を、01年に私家版CDとして30枚作成、友人などに送った。
その後、03年8月にこの詩が朝日新聞の天声人語で紹介され問合せが殺到、同年11月に「千の風になって」というタイトルで詩集とシングルが同時発売されるに至った。同シングルは23週連続チャートインというロングヒットを記録した。
続いて同曲が主題歌となった映画『千の風になって』の公開(04年7月)、そしてスーザン・オズボーン、新垣勉など様々なアーティストがカバーを発表、その中に今回の秋川雅史がいたのである。
さて、エッセイの内容は
新潟生まれの新井氏が神戸で新婚時代を過ごし、
その後東京に引っ越した後大地震が起こり、
友人や知人が亡くなり、自分が住んでいたマンションもぺちゃんこにつぶれ、
もし、引っ越さなければ自分も死んでいたであろうと語っている。
そこで新井氏は言う。「死者と生者とは、ほとんど紙一重なのである」と。
その後、神戸の防災センター・ひと未来館で
「いのちの共生と再生」をテーマに24編の詩が展示され、
金子みすゞや谷川俊太郎と一緒に新井満氏のこの詩が選ばれているとの事。
もともとこの詩は、新井氏が、
妻をがんで亡くした親友を慰めるために翻訳したもの。
それが大切な人をなくしたシチュエーションにぴったりということで、
阪神大震災に使われたとの事。
その後新潟生まれの新井氏にとって本当のふるさとである、新潟中越地震が起き、
ご自身も1964年の新潟地震に遭遇した経験を持っていらっしゃるとの事。
そのつらさはいかばかりかと思う。
私は新井氏のことは全く知らなかったし、
紅白で秋川さんの歌を聞いても何も感じなかったが、
このエッセイを読んで、なぜか運命的な出会いを感じてしまった。
まだ、世間的に注目を浴びていなかった1年前のエッセイ。
それから1年して何気なく手にとった小冊子に載っていたエッセイ。
金子みすゞについてのエッセイも別の小冊子に載っていたり、
大した関連はないかもしれないけれど、
なんとなくこれらの詩が忘れられなくなりそうな気がする。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
それまで見向きもしなかったけれど、
ふとてにとって中を見てみた。
その中に「千の風と千の花」という新井満さんのエッセイが載っていた。
これはわかる人にはピンと来るでしょう。
去年の紅白で話題になった秋川雅史さんが歌ったあの歌の作曲者の、
歌に隠れたエピソードを語ったエッセイだった。
紅白に出る1年前のエッセイ。
内容を書く前に、参考に、この歌についての紹介をすると。
テノール歌手・秋川雅史のNHK紅白歌合戦出演決定で、「千の風になって」が注目を集めている。この楽曲の誕生は芥川賞作家として知られる新井満が、知人の死を契機に「千の風になって」の原詩で作者不詳の「A THOUSAND WINDS」に出会ったことから始まった。この詩に自身が日本語詞と曲をつけ歌唱した楽曲を、01年に私家版CDとして30枚作成、友人などに送った。
その後、03年8月にこの詩が朝日新聞の天声人語で紹介され問合せが殺到、同年11月に「千の風になって」というタイトルで詩集とシングルが同時発売されるに至った。同シングルは23週連続チャートインというロングヒットを記録した。
続いて同曲が主題歌となった映画『千の風になって』の公開(04年7月)、そしてスーザン・オズボーン、新垣勉など様々なアーティストがカバーを発表、その中に今回の秋川雅史がいたのである。
さて、エッセイの内容は
新潟生まれの新井氏が神戸で新婚時代を過ごし、
その後東京に引っ越した後大地震が起こり、
友人や知人が亡くなり、自分が住んでいたマンションもぺちゃんこにつぶれ、
もし、引っ越さなければ自分も死んでいたであろうと語っている。
そこで新井氏は言う。「死者と生者とは、ほとんど紙一重なのである」と。
その後、神戸の防災センター・ひと未来館で
「いのちの共生と再生」をテーマに24編の詩が展示され、
金子みすゞや谷川俊太郎と一緒に新井満氏のこの詩が選ばれているとの事。
もともとこの詩は、新井氏が、
妻をがんで亡くした親友を慰めるために翻訳したもの。
それが大切な人をなくしたシチュエーションにぴったりということで、
阪神大震災に使われたとの事。
その後新潟生まれの新井氏にとって本当のふるさとである、新潟中越地震が起き、
ご自身も1964年の新潟地震に遭遇した経験を持っていらっしゃるとの事。
そのつらさはいかばかりかと思う。
私は新井氏のことは全く知らなかったし、
紅白で秋川さんの歌を聞いても何も感じなかったが、
このエッセイを読んで、なぜか運命的な出会いを感じてしまった。
まだ、世間的に注目を浴びていなかった1年前のエッセイ。
それから1年して何気なく手にとった小冊子に載っていたエッセイ。
金子みすゞについてのエッセイも別の小冊子に載っていたり、
大した関連はないかもしれないけれど、
なんとなくこれらの詩が忘れられなくなりそうな気がする。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています