徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

神奈川での葬儀、伯父様のご冥福をお祈り致します。

2024-09-13 20:04:35 | お見舞い・お悔やみ

昨日ブログに載せた、丼兵衛さんは清水駅から徒歩5分?海側(南側)にある河岸の市さんのまぐろ館の2階にありますが、この河岸の市さんは、今エスパルスサポーターが期待している新スタジアム候補地のすぐ横に位置しています。河岸の市さんから出れば直ぐに電車も見えますし、裏は海。駅方面からの河岸の市さんの姿と裏から見る候補地石油席タンク群。ここに決まれば本当に近くて嬉しいのですが。

 

9月10日のブログに書いた通り、伯父が亡くなりました。

お袋のお兄様で、満94才だったようです。

若い頃から心臓の持病があり、見掛けはお元気そうでも、

出掛ける時はいつも付き添いが必要だった伯父様。

それでも、お袋が78才で亡くなったことを思えば、

御長命を羨ましく思っています。

 

お袋の実家は元々、東京都中央区月島。

今や、月島と言えばもんじゃ焼きの街。

でも、昔はどちらかと言えば下町の工場街でした。

伯父様は月島で家業のネジ工場を継ぎましたが、

その後、神奈川県の大和市移転し、

2000年代になっても暫くは仕事を続けていらっしゃいました。

昔気質の職人気質?

詳しくは私も解りませんが、

大企業には真似の出来ないフレキシブルで正確性の高い仕事ぶりで、

小さいながらも、堅実な経営をされていらっしゃったと聞いています。

さすがに最近は仕事も辞め、

ご夫婦で施設に入って悠々自適の生活だったようですが、

つい最近、転んで骨折。

手術も無事済んだところで容態が急変。

帰らぬ人となってしまいました。

私の印象は職人らしからぬジェントルマンの伯父。

私は静岡で伯父は神奈川。

特に、お袋が亡くなってからは、

誰かの葬儀とか、法事でないと会うことはなく、

絵に書いたようなご無礼のオンパレードの私。

不肖の息子ならぬ不肖の甥っ子です。

 

お袋からルーツ等をしっかり聞いていないので、

多分、元々の先祖は千葉なのかな?

そう言う普通の方なら知っているであろう、

親戚のお話とかを、全く知らない私。

本当に恥知らず、情け知らずです。

 

今朝、朝1番のこだまで新横浜まで行き、

その後、相鉄線で大和で時間を潰した後、

タクシーで斎場まで移動と言うスケジュールでした。

 

ところで、朝の5時台に原付で北街道を通ると、

夜中ならともかく、朝の明るい中で、

ガラガラの北街道は初めてだったかもしれません。

その後、新幹線も平日の朝のこだまなので、

一言で言えばガラガラでしたが、

二人掛けの窓際の席に座っていましたが、新横浜まで隣は空席。

ストレスフリーなのが本当に最高でした。

葬式も無事終了し、次は四十九日の法要が待っています。

 

こんな感じで、

本日は静岡から神奈川までのプチ旅行を兼ねた葬式の旅でした。

伯父様の御冥福をお祈りしてこのブログをまとめたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月14日のお話と2月11日2月12日のお話

2023-02-14 11:59:09 | お見舞い・お悔やみ

年度末が近づき、最近道路工事が増えた気がしますが気のせいでしょうか?通行止めにするほどの大きな工事は少なく、大抵は片側交互通行ですが、通行を仕切る警備の方にもうまい下手がありますよね。先日はわれわれをとめているめの前で、数メートル先の路地から車が左折して、反対者線の車とぶつかりそうになっていました。何故にその路地の前に立たないのか?その車を止められない場所で旗振りするセンスが良く解りませんでした。

 

今日は何の日?

ほとんどの方はバレンタインデーと答えるのかな?

我が家の場合は結婚記念日です。

2022年の2月14日のブログです。

本日はバレンタインデーですが・・・実は・・・

2020年2月14日のブログです。

本日は忘れようとしても思い出してしまう日

2006年2月14日のブログです。

今日は何の日?

今年で36年目?36回目の結婚記念日です。

だからと言って何もしませんが。

ここまで来ると、感慨も何もありません。

さて、一昨日の日曜日、

衝撃的?

ビックリの出来事がありました。

 

まず、遡る事、昨年の12月29日。

従兄弟から12月23日に伯母様が亡くなったとの連絡がありました。

元々静岡市内に住んでいた伯母様家族ですが、

従兄弟の仕事の都合や伯母様も高齢となったことから、

東京に在住する従兄弟の居住地に近い、

介護付きマンションに引っ越していました。

新型コロナウィルスの感染リスクの問題もあり、

ほとんどの親せき・知人は静岡にいることから、

この時は近親者のみで東京で葬儀を営み、

後日、静岡にて葬儀兼お別れの会を開く予定との連絡でした。

プラス、当面内緒にしておいて欲しいとの依頼もあり、

私一人の胸の中にとどめ、ブログにも書かず、誰にも言わず、

1月11日までは家族にも伝えませんでした。

 

と言う事で、

いつ静岡での葬儀をやるのかな?と気にはしていたのですが、

一昨日、12日の午前中、

従兄弟から電話があり、

静岡での葬儀の日程が決まったんだ!

と思ったのですが、

実は11日に葬儀が終わったとの連絡でした。

 

当日、「私が来ない!」とみんなが心配したようなのですが、

そこで、従兄弟が、

「そう言えば私には連絡していなかった」と言う事を思い出したようです。

従兄弟は、亡くなったことの報告だけだった12月の電話の記憶で、

私に葬儀の話も連絡した気になっていたようです。

 

私のスマホは迷惑電話防止のために、

電話帳に登録された電話以外は鳴らずに、

ただ着信履歴が残るだけの設定になっており、

私は、着信の電話番号をネットで調べ、

勧誘やら迷惑電話でしたら即着信拒否。

不明の場合は基本的に無視します。

今回、見知らぬ番号から11日の午後から夜にかけて、

4回ほど着信があったので、

ひょっとすると、誰かが掛けてくれたのかもしれません。

従兄弟が掛けてくれたら電話に出たのですが、

今となっては詮無き事です・・・・

 

仕方ないので本日、お墓参りだけしてきました。

と言う事でご無礼してしまった私でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスパルスのサポーターの巨星堕つ 第2弾

2021-03-26 23:11:52 | お見舞い・お悔やみ

本日は、私がブログを始めてから5555日経過したようです。ここまで数字が並ぶとちょっと嬉しいです。

 

さて、昨日書いた大先輩の訃報。

本日、お通夜に行きたかったのですが、

何しろ私の仕事が基本的には21時半まで。

と言うことで、色々あったのですが、

私の気持ちの整理がついていないこと。

大先輩のご家族も、

まだまだ、落ち着かないはずなので、

このお話はもう少し落ち着いてから書こうと思います。

 

改めて、大先輩のご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスパルスのサポーターの巨星堕つ

2021-03-25 12:31:20 | お見舞い・お悔やみ

今日はどうでも良いお話は休止です。

 

今、私はかなり落ち込んでいます。

まがりなりにもエスパルスファンを名乗っている私。

そんな私の師匠と言うか大先輩。

恐らく年齢的には同年齢だったと記憶していますが、

長い闘病生活の末、亡くなられました。

実は怠惰な私ですので、お会いしたのは2、3回。

大先輩からすれば、私などは十把一絡げ。

その他大勢の一人ですが、

その数回の出会いでも本当に良くしていただき、

面倒見が良い親分肌な方だったので、

私にとっては目標の人でした。

 

今となってはきっかけも良く覚えていませんが、

大先輩が作るエスパルス応援団に入れていただき、

チョ▪ナンボウと一緒にご挨拶させていただき、

その後色々な仲間の方のところへ連れていってくださり、

皆様とご挨拶させていただきました。

 

その方々とはそれっきりお会いすることもなかったので、

私のことを覚えている方もいらっしゃらないでしょうが、

その後の大先輩が、

エスパルス後援会を増やすために頑張っているなかで、

私も一度脱退した会員に再度入ったり、

大先輩のブログを楽しみにしたり、

にほんブログ村のエスパルスランキングで、

何とかその方のブログに追い付きたいとずっと頑張ってきました。

 

ちょっと前にご本人のブログで体調を崩されたことを知り、

かといって私に出来ることもなく、

回復を祈るばかりでしたが、

それも叶わず、悲しい結末となってしまいました。

 

私がここまで頑張ってこれた原動力のひとつは、

間違いなく大先輩のお陰です。

今までも、エスパルスの話題を書くたびに、

大先輩がどう感じていらっしゃるか?

いつも気になっていました。

これからもずっと引きずりそうですが、

ただただ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

最後に大先輩のブログを貼っておきます。

OGPイメージ

独眼・オレンジ親父

清水エスパルスにかける想い byなりき    うちの子っちを応援する酔っ払い妄想blog  est.20070211       

独眼・オレンジ親父

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お世話になった先輩の訃報です

2021-03-15 23:11:43 | お見舞い・お悔やみ

本日はどうでも良いお話はお休みです。

 

今日会社に行くと、悲しいお知らせを聞くこととなりました。

私は、今の職場に2017年、平成29年の11月に移動しました。

その時、一緒に働くこととなったUさんが、

亡くなったという訃報でした。

本日、お通夜だったのですが、私は仕事があるので、

同僚に香典を託しました。

 

亡くなったUさんは、同じ部署で勤務した当時64才。

確か、翌年、平成30年の1月に退職されたのですが、

転勤したての私に色々教えてくださった先輩でした。

更に、Uさんが勤めていた前の会社に、

新入社員として入社した時の営業所長が私の父だったという、

そんなご縁もあり、

本当に優しく親切に接してくださいました。

退職後は、年賀状のやり取りくらいのお付き合いではありましたが、

何かにつけて「この仕事はUさんが教えてくれたよな」って、

思い出すことも多かった先輩です。

享年68才。

まだまだ老け込む年齢ではないですよね。

ご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しいニュース

2020-09-27 09:56:05 | お見舞い・お悔やみ

今回は、どうでも良いお話は休止です。

 

何気なくスマホでLINEニュースを見ると、

目に飛び込んできた竹内結子さんが亡くなったとのニュース。

まだ40歳。

正直、テレビのドラマなど、ほとんど見ないので、

竹内さんの事はよく知らない。

映画の、「いま、会いにゆきます」はレンタルビデオで見ました。

何かのCM、確かガソリンスタンドだった気もするけれど、

その印象が少し残っていますが、

その程度の知識と言うか認識です。

でも、何故に衝撃を受けたかと言いますと、

9月11日に、

図書館で誉田哲也さんの「ストロベリーナイト」を借りて、

昨日読み終わったばかり。

この姫川玲子シリーズは、

同じ日の9月11日にソウルケイジ、

9月24日にシンメトリー、インビジブルレイン、

感染遊戯を借りて、この姫川玲子シリーズを、

集中的に堪能しようとしていた矢先であり、

このドラマ自体は見たことはありませんが、

主人公の姫川玲子を、竹内さんが演じていることだけは知っていて、

ストロベリーナイトを読みながら、

竹内さんの顔を思い浮かべてずっと読んでいました。

それが、まさに24日から25日に掛けて。

主人公の苦悩や、闘志と同調?

私の脳内では、絶対シリーズを読み終えたら、

ドラマを見ようと思っていました。

そこに飛び込んできた訃報。

あまりのタイミングに、通常以上にショックを受けています。

会社の同僚、あるいは出入りしている会社の、ちょっと気になるかわいい女の子を、デートに誘おうと思っていたら、退職してしまった。転勤してしまった。結婚してしまった。

ウーン全く当てはまらないボケた感想。

別にファンでもない、特別に好きでもない、応援していた訳でもない、

1人の女優さんの訃報に何故にこんな動揺している自分がいるのか?

自分でも不思議です。

最近、色々な芸能人の方の訃報が届きます。

それぞれのファンの方のショックが今は良く判ります。

他人が、何故にそんなに死に急ぐ?

と言うのは簡単ですが、

本人にはそれなりの理由があるのでしょう。

でも、何とかならなかったのか?

当たり前の陳腐な感想しか書けませんが、

とにかく、ご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

従兄弟のお通夜のお話

2020-06-22 12:15:12 | お見舞い・お悔やみ

ちょっと前3週間くらい前に、クリーニング屋さんのプリベイドカードが見当たらず、次回に再発行を考えている。そんな中、今朝、バスのルルカカードが見当たらず、今日取り合えず喪失の手続きをしました。24日以降に再発行の手続きの予定です。このルルカカードの紛失時期、場所を考えるため、金曜の夕御飯をどうしたか?家か食べに行ったか?考えたのですが思い出せません。ヤバイです!

 

昨日、従兄弟のお通夜行ってきました。

奥様からも19時と言われ、

念のため確認した斎場にも19時と言われたので、

18時15分頃斎場に着いたのですが、

既に読経が始まっていました。

どうやら、一般参列者は19時から焼香だけ行うと言うことで、

近親者だけで、18時から通夜式はスタートしたようでした。

ふと思ったのが、

こう言う場合の近親者って何親等までを言うのでしょう?

因みに従兄弟は4親等。

日本の新律綱領第5条では、

5親等までが親族と決められているようなので、

そうなると、3親等までが近親者となるのでしょうか?

 

さて、今回亡くなった従兄弟には、お兄様がいて、

ふだんは北海道で暮らしているので、

滅多に会えません。さすがに今回は北海道から駆けつけているので、

30年ぶり?位にお会いしました。

この従兄弟は、字が違いますが私と同姓同名なので、

式のあとちょっとロビーで見知らぬ方に呼び止められ、

○○さん?(私の下の名前)と呼ばれたので、

そうですとお話を始めたのですが、

相手の方は、実は無くなった従姉のお兄様と同級生と言うことで、

偶然?必然?の人違いでした。

 

ところで、亡くなった従兄弟も、その奥様も、

いつも私のブログを読んで下さっていたようですが、

北海道の従兄弟も、弟(亡くなった従兄弟)に教えられたので、

時々読んでいるよ!って言われてちょっとビックリでした。

別に読まれて困る話しは書いていませんが、

改めて言われると少し恥ずかしい自分がいました。

何にせよ、全くの他人でも、親戚でも、知り合いでも、

人との繋がりは大事にしたいと思っています。

特に人見知りで自分から積極的になれない私だからこそ、

相手から少し繋がっていただけることは、

もう最高の幸せです。

亡くなった従兄弟のご冥福と共に、

繋げていただいた繋がりは、

私が気づかなくても必ず有るわけで、

感謝感謝です!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念な従兄弟の訃報

2020-06-20 18:58:12 | お見舞い・お悔やみ

本日も歯医者さんの日でした。前回から2週間ぶりの通院。欠損部分の歯の修復には、ただ被せるだけでは対応できないらしく、良く解りませんが、マウスピースの型のようなものを前回作成。本日はそれがチャンと嵌るかどうか確認と言うことで、30秒?で終了。正式に作成するので次の通院はまた2週間後となりました。いつになったら終了するのやら?

 

本日も部活に出席。

最近ずっと腰は痛いし、

今朝起きた時もかなり腰が痛かったのですが、

コートの周りをウロウロするうちに、

体があったまるにつけ、少しずつ腰の痛みが緩和。

やっぱり腰痛の原因は運動不足!

ってことが明らかになった瞬間でもありました。

 

さて、元々部活に遅刻して出席した私。

到着して1時間も経たないところで、

スマホに着信の音。

発信者を見れば、従兄弟の奥様。

何だろうと思って電話に出たのですが、

まさかの従兄弟が亡くなったとのお知らせ。

5月に頭に、やはり従兄弟が亡くなり、

従兄弟のご冥福をお祈りいたします

その時に、電話で話したばかりの従兄弟。

その1ヶ月くらい前?には、

通勤途中でばったり会って、お話もした。

両方のケースとも、病気のビの字も感じない状態だったので、

全くの予想外。

青天の霹靂って、こういうことを言うんだ!

と思いました。

私の親父の上から2番目のお姉様の次男が今回の従兄弟。

多分75才くらいで、私より13歳くらい上。

転勤族の親父と一緒に転々としたことから、

小さい頃はほとんど静岡に住んでいないので、

従兄弟との昔の思い出はありませんが、

奥様のテニす繋がりやら、

従兄弟の会社の部下の方が、

静岡市内の女子ソフトテニスのコーチをされている関係もあり、

父方の親せきの中で、一番つながりのあった従兄弟。

ご冥福をお祈りいたします!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

従兄弟のご冥福をお祈りいたします

2020-05-03 11:38:26 | お見舞い・お悔やみ

連休はありがたい?困った?人それぞれかもしれませんが、元々インドア派な上、このご時世で外出も抑えめ。何キロ太ってしまうのか?戦々恐々です。

 

5月1日の22時頃、

東京に住む従兄弟(親父の兄の長男)から連絡があり、

静岡に住む従兄弟(親父の1番上の姉の長男)が、

亡くなったという連絡でした。

 

82才で亡くなった従兄弟。

私の親父は57才、兄貴は50歳で亡くなっているので、

私から見ればかなりの長生き。

そうは言っても、どんなに長生きしてくれても、

お別れはつらい。

 

従兄弟とは言っても、実際には約20才?差。

ここまで年が違うと、仲よく遊ぶようなことは全くなく、

従兄弟は商売をしていたので、

私にとっては親せきの商売人のおじさん、

そんな感じの従兄弟でした。

奥様をすでに亡くし、お嬢様が3人。

そのうちの一人が私と同じ会社に勤務。

色々なつながりもあり、

お通夜やお葬式にも参列するのが当然なのですが、

こんなご時世。

クリスチャンでもある、従兄弟の葬儀は、教会で行われますが、

教会側から、

参列者の人数を絞って欲しいとの依頼があったとの事。

と言うことで、

昨日、ご自宅にご挨拶に行って来ました。

キリスト教の場合、香典ではなく、お花料?

私は詳しくないというか、全く無知で、

カトリックとプロテスタントの違いも判らなければ、

従兄弟がどちらの信者かも知りません。

カトリックの場合は司祭を「神父」と呼びますが、プロテスタントの場合は「牧師」と呼びます。カトリックでは「ミサ」という表現をよく使いますが、プロテスタントの場合はこの言葉は使いません。また、なんとなく「キリスト教の歌=讃美歌」と思っている人も多いかと思われますが、「讃美歌」という表現はプロテスタントのものです。カトリックでは「聖歌」といい、区別されています。

と言うことだそうです。

わが家は、臨済宗。

奥様の実家の菩提寺は曹洞宗?

私の中では、キリスト教は珍しいかなあ。

この従兄弟の一族だけです。

 

まあ、それはそれとして。

寿命と言えばそれまでですが、

ダンディで、お酒も大好きでカラオケもプロ級。

そんな従兄弟も、病には勝てませんでした。

ご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご冥福をお祈りいたします!

2020-04-04 22:41:39 | お見舞い・お悔やみ

昨日は、定例の向井循環器科、今日はつかもと歯科。病院に行くことが不要不急の用事ではなく、必然的な外出なので、許していただくしかありません。今日の暖かさで、桜も少し進展しました。いつ頃満開になるのでしょうか?

 

今更の話題ですが、志村けんさんが亡くなったお話です。

志村さんを語る上で外せない番組が「8時だョ!全員集合」。

1969年(昭和44)10月4日から1971年(昭和46)3月27日、および1971年10月2日から1985年(昭和60)9月28日までTBS系列で放送されていたお笑い番組・公開バラエティ番組である。全803回。

私が小学生から社会人になるまで放送されていました。

私は、こういう番組自体は嫌いではありません。

その昔の、「シャボン玉ホリデー」や、

「オレたちひょうきん族」、

「コント55号のなんでそうなるの?」、

「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」等々、

挙げればきりのないバラエティ番組。

結構好きだったのに、

何故か、8時だョ!全員集合は、

一度も見たことがありません。

もちろん、テレビの流れで、番組の一部を眺める?

テレビを点けたらたまたま放送中で、

流れで数分間見た!てなことはありましたが、

最初から最後までちゃんと見たことは一度もありません。

私には向いていなかったということでしょうか?

ですから、

志村さんの良さを私は伝えることが出来ません。

別に嫌いではありませんが・・・・

ということで、

残念ながら、志村さんの思い出が私には全くありません。

だからと言って追悼の気持ちがない訳ではありません。

国民的エンターテイメントのスター。

ご冥福をお祈りいたします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同僚のお父様のご冥福をお祈りいたします

2020-03-24 22:59:44 | お見舞い・お悔やみ

先日、昔の同僚のお父様が亡くなりました。

突然の訃報でびっくりしたのですが、

もっと驚いたのことがありました。

それは後程。

何しろ私の仕事は夜のお仕事。

(いかがわしい仕事ではありません)

お通夜にもお葬式にも行けない状況でしたので、

申し訳なかったのですが、

知り合いに香典を届けていただきました。

 

さて、先ほどチラっと書いた、驚いたこととは。

昔の同僚のお父様は、何と、その昔、

ヘルシンキオリンピックの日本代表選手だったそうです。

私は初めてその事実を知りました。

ヘルシンキオリンピックは、1952年開催。

私が生まれる前のお話です。

昔の東京オリンピックが1964年開催ですから、

その12年前。

因みに、第1回が1896年のアテネ。

その後、パリ、セントルイス、ロンドン、ストックホルム、

ベルリン、アントワープ、パリ、アムステルダム、

ロサンゼルス、ベルリン、

東京(返上)→ヘルシンキ(中止1940年)

ロンドン(中止1944年)

ロンドン(1948年)、

ヘルシンキ(今回の対象となるオリンピックです)

メルボルン、ローマ、東京(1964年)と続きます。

 

さて、ヘルシンキオリンピックでは、

金メダル

石井庄八(日本、レスリングフリースタイルバンタム級)。

銀メダル

鈴木弘(日本、競泳男子100m自由形)

橋爪四郎(日本、競泳男子1500m自由形)

鈴木弘浜口喜博後藤暢谷川禎次郎(日本、競泳男子800m自由形リレー)

上迫忠夫(日本、体操男子徒手)

竹本正男(日本、体操男子跳馬)

北野祐秀(日本、レスリングフリースタイルフライ級)

 

銅メダル

上迫忠夫(日本、体操男子跳馬)

小野喬(日本、体操男子跳馬)

この中に入ることはできなかったようですが、

凄いことですよね。

ご冥福を祈ります。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同期の訃報

2018-07-04 13:03:40 | お見舞い・お悔やみ
どーでもいいお話は小休止です。

さて、前の会社で仲の良かった同期が亡くなった。
会社が発行している社内報で初めてその訃報を知った。

昨年の12月には、その年に彼の奥様のお父様が亡くなったことから、
喪中の通知が届き、
その時点ではまだ寝込むほどではなかったはず?
ただ、訃報を知ってから喪中の葉書を読み返せば、

走り書きのように、

必死で生きてます

の文字が。

彼の晩年は、会社で評価されないと言う不満から、
会社との対立もあり、やや不遇の時期を過ごしていた。
それを知っていただけに、仕事面の話と読み過ごしてしまい、
今思えば、からだの不調を伝える一文だったのだろう。

彼の営業成績は物凄いもので、
他の追随を許さないほど突出していたが、
事務面では、やや適当な一面があり、
その減点も大きく、成果の割には評価が低くて
それが彼の一番の不満だったと言っていた。

私は自分のいい加減さを自覚しており、
成果もあげられないので、低い評価に不満はなかった。

そこが彼との大きな違いではあったが、仕事を離れれば気の合う仲間であり、
近くの営業所の時は良く遊んだが、
お互い結婚し、住まいも営業所も離れ、
年賀状か仕事での電話くらいの付き合いになってしまったです

彼と、新入社員研修で話したときに、
実は教員免許もあり、静岡の今の会社か、
他県の私立高校の教員かどちらになろうか迷っている。
そう話していた。
今なら、絶対教員を勧めたと思う。
緻密さにはかけるが、情熱は人一倍。
絶対いい教員になったはず。
それを勧められなかったことは今でも後悔している。

彼のご冥福をお祈り致します。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西城秀樹さんのご冥福をお祈りいたします

2018-05-17 12:56:53 | お見舞い・お悔やみ
昨年の駿府公園でのフェスタで、
久しぶりに元気な姿と歌声を聞き、
静岡にこうして来て下さることを、
有り難く感じていましたが、
訃報に接し悲しみを感じております。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fコーチのご冥福をお祈り申し上げます

2018-01-28 19:51:44 | お見舞い・お悔やみ
タツタが所属していた、
西奈SSS(サッカースポーツ少年団)のコーチ、
Fコーチが亡くなった。
71才という事ではあったが、
サッカーの指導ををしている姿は、
71才には見えなかった。

Fコーチは、
タツタの学年の指導は直接はされてはいなかったが、
GKの指導をして下さっていたし、
実は、奥様のお姉さまの旦那様と同じ職場の同僚という縁もあり、
会うたびに、親しくお話をさせて頂いていた。

本日、お通夜に参列させていただいたが、
最近まで、小学生の指導をされていたことから、
いたいけな小学生から、卒団生として、
中学生、高校生大人?も斎場に集まり、
相当の人数が参列していた。

もちろんFコーチの人情味あふれる人柄と、
サッカーに対する情熱の賜物です。

かつて、Fコーチ指導の下、

第9回全国少年少女草サッカーでは、
その時のHP↑

全国第3位となった実績もある。



そんな素晴らしいコーチだったFコーチ。
集まっていらっしゃった参列者の数でも、
その人望を察することが出来るだろう。

ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林麻央さんの訃報に接しての感想

2017-06-27 00:47:31 | お見舞い・お悔やみ
ちょっと時間は経ってしまいましたが、
残念乍ら、小林麻央さんが無くなりました。
享年34才という若さ。

麻央さんほど早くはありませんが、
我が家も、
父が57才。
兄が50才で亡くなっています。

特に兄は肺がんでしたので、
麻央さんの闘病に関する色々な情報が、
兄の状況と重なり、
兄の事を思い出してしまう日々でもありました。

すでに、かなり進行してからの癌の発見。
兄もそうでありましたので、
奇跡を願いながらも、
ぼんやりであっても、結末が見える?
でも、それを口にしてしまったら、
そうなってしまった時に後悔する。

私ごとき無関係の人間が何を言っても関係ないのですが、
だからこそ、
このブログでは一切書けませんでした。

兄は、非常に前向きな人間で、
しかも、麻央さんと同じく、
病に対し、
恐れることなく、
負けることがありませんでした。

初めてガンと判明し、病院にお見舞いに行くと、
兄は、非常に明るく、
死におびえることなく、
「おれ、何となく治る気がする!」
そう言って笑っていました。
その後も、離れて暮らしていましたので、
その姿をずっと見ていた訳ではありませんが、
兄からネガティブな。
弱音や泣き言を聞くことは一度もありませんでした。

常に前向きな兄の姿勢は、
今も、私に引き継がれています。
わたしも、兄が亡くなって以降、
兄の年齢を超えればいいやと、そう思ってきましたし、
人生悔いなく生きようと思ってきました。
子供達には、独立?
親に頼るのではなく、
一人で生きられるように育ててきたつもりです。

だから、いま、私がいなくなっても、
子供たちはきっと困らないと思います。
だから、それほど、この世に未練はございません。
別にやせ我慢ではなく、そう思っています。
これからの人生はおまけ?

そう思っています。

まあ、私のことはこれくらいに。

小林麻央さんのご冥福をお祈りいたします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする