徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

エスパルスの動向

2011-10-31 05:59:24 | サッカー(エスパルス編)
この週末、エスパルスの試合を楽しみにしていたら、
試合自体がなかった。
次の試合は11月3日。
お楽しみは来週だった。
そこで気がついたアルニュース。
ヴァンフォーレが現在降格危機。
その中で、今旬の選手であるハーフナー・マイク選手の去就が注目されている。
もともと経y多久期限が切れるので、
降格となれば他チームへの移籍が実現しそうな雰囲気。
レッズ、もともと所属していたマリノスと共に、
エスパルスの名前が挙がっていた。
父親が所属する我がエスパルス。
私だったら、父親がいるチームにはむしろ入りたくないが、
彼の場合はどう考えるのだろう?

そのためにディドをとった訳ではないだろうが。

もしマイクが来た場合にエスパルスにフィットするのか?
サイド攻撃を売りにしていることを考えれば、
オプションは増えるだろうが。
以前からチョジェジンがいたから、いいかもしれないが。
まあ、去就に注目して行こう。
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部活は雨がポツポツ

2011-10-31 05:36:11 | テニス
土曜日がゴルフと言うことで、体が重い。
でも、スポーツの疲労はやはり心地いい。
で、今日は昼寝をして?等、考えていたら、Oコーチからお昼に電話。
今日は午後から練習であった。
老体に鞭打って部活に駆けつける。
今日は主に前衛相手に球出しを実施。
途中、コーチと少し打ち合ったりして疲労困憊となった。
でも、やはり疲れた体ながら気持ちいい!
スポーツっていいなあと改めて感じる。

雨で集中力を欠いたのはコーチである私。
いかんなあ。

どこの中学も前衛が課題。
見渡してもいい前衛は少ない。

後衛はボールを線で捉えることが出来るので、もちろんフットワークも必要で大変だけど、
前衛はボールを点で捉えなければならない。
しかも、空中に浮かんでいるボール。
この空間認識力が曲者で、
絶対音感の様にある人とない人でかなり違ってくる。

例えばプロ野球選手なんかはバッターが打った瞬間のスウィングや音で判断し、
落下地点へ最短距離で走って行けるから、
スーパープレーも生まれる。
でも、目測を誤って万歳なんてシーンも良く見られる事を思えば、
この空間認識力の有無は大事なファクターとなって来る。
これがある選手は、多分ボレーなんて簡単と思っているだろうし、
ない選手は空振りしたりスマッシュをミスしたり。

教え方も実は難しい。

今度の中部大会。もう来週となった。
なかなか上位には行けないR中。
団体戦の1回勝ったことがあるだけ?
2回勝てば県大会だった気がするが。
個人戦は1回でも勝てたという記憶はない。
まあ、いずれにせよその程度。
何とか悲願?の県大会を勝ち取って欲しいのだが。
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雑感?

2011-10-30 07:26:46 | 私・家族・我が家・親戚
06月13日(日曜日)
自分のなかで封印している兄貴の事。
一度書き込んで消してしまったこと。
兄貴の様態が急激に悪化してから2ヶ月が過ぎようとしている。
この時、後数ヶ月と医者に言われ、
一時的にはやや持ち直したものの、
直るはずもなく、痛みが激化しているらしい。
とうとうモルヒネ投与まで始まったらしい。
医者からはあと4・5日といわれたと、
お袋から連絡もきた。
2年前から覚悟はしていたが、
先日、一旦自宅に戻ってお見舞いに行った時は、
思ったより元気で、
これなら夏も越せるかと思ったが、
医者の見たてはやはり正確か?
こういうものは的中してほしくないのだが・・・・
兄貴との思い出は、恐らく世間の人よりは少ないだろう。
都合で10年程しか一緒に暮らさなかった兄貴。
優秀な兄貴とそのカスが集まった自分。
心の中で頼ってはいるが、今一つ実感が湧かない。
冷酷?醒めている自分にちょっとショック。
家族に対する自分の中の感情が多分ゆがんでるんだと思う。
自己中心的な自分がちょっと嫌悪感を誘う。
これは全て自分に責任があると感じる。
兄貴に大きな迷惑をかけたこともあるが、
小さい頃の遊んだ思い出もほんの少ししかない。
どれもこれも言い訳だけど。
長く生きてほしいけど、痛みがつらそうな中では、
ご苦労様、と言ってしまいたい。
複雑な気持ち。

06月18日(金曜日)
兄貴の調子が悪いので、病院にお見舞いに行った。
場所は東京池袋。日大板橋病院。
10時過ぎに到着したときには、
あんまり調子よくなかった。
血圧は上が50台、下が30台。
ん?これってやばいんでないの?
と思っていたが、その後持ち直し、
ずっと上は70前後で落ち着いている。
もはやモルヒネに頼るしかなく、
決して安心できる状況にはないが、
それでもその瞬間をいつ迎えるかという
緊迫した状況にはないようだ。
今現在この日記は、
とまることになったホテルの無料パソコンサービスから
アクセスしている。
たった今、近くのラーメン二郎池袋店で
2年ぶりに二郎ラーメンを堪能してきたが、
爺の身にはやはりこのラーメンは重たい。
チャーシューは全部食べ切れなかった。
根本的に鶴見店よりも量が多い気がする。
でも久しぶりにあの独特のスープと、
モップのような太い面を食べることが出来て
何より嬉しかった。
兄貴はもうこれを食べることが出来ないかと思うと、
感傷的になってしまう。
今日はお見舞いで子供の試合は応援できなかったが、
電話で聞いたところによると、
ツインは美和中との練習試合で、
4勝0敗とがんばった様子。
一方チビは8人制サッカーの大会に参加し、
今日は0勝3敗という残念な結果となった様子。
まあ、そんな時もあるさ。
うちの少年団は、うまい子が体が小さく体力負けするし、
体の大きいチビは気が小さいというか、
おとなしいというか、
闘争心が前に出ないのでなかなか、勝てないよう。
まあ、また、次の試合がんばるしかないよね。

06月19日(土曜日)
ホテルに戻って一休み。
夜中にふと目が覚め、姉貴にメールした。
兄貴の調子どう?
返事は苦しんでる!
ここのところ毎晩2時ごろ苦しむと聞いていた。
今夜もそうか!
で、今からまた病院行ってきます。
少しでも長生き、して欲しい。
でも苦しむ姿は見たくない。
どうすればいいのか。

で、病院に駆けつけたものの、
状況はそれほど変わらず、
病院に着いたときは薬である程度落ち着いていた。
その後ソファーでごろ寝。
その後もまた苦しんだようだが、日中はずっと落ち着いていた。
血圧もずっと80台をキープ。
医者も心臓が強いのでもっているとの話。
いいのか悪いのか、1秒でも長生きしてほしいけど、
苦しむ姿は可愛そう。痛々しい。ウーンジレンマ。
とりあえず今日の所は落ち着いているので静岡に帰ることに。
あとどの位もつかは神のみぞ知る。
痛みさえなければいいのに。


06月20日(日曜日)
夜中、前日の寝不足から爆睡していたよう。
2時半頃、ツインAが電話鳴ってたよと起こしにきてくれた。
携帯の電源入れれば、お袋からの伝言。
1時半に兄貴がなくなったとのこと。
半分寝ぼけながら、事態の把握に手間取る。
そうか、死んじゃったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とにかくお袋に電話すればお袋も狼狽していた。
電話を切ってすぐ、姉貴からも電話が入る。
何を話したかはよく覚えていない。
この日は2年半前からずっと覚悟してたし、
最近の2ヶ月の間にもずっと確認していたはずなのに、
なにか現実と思えない。
正直苦しむ姿を見なくてすむことは
私の気持ちを和らげる。
いなくなる寂しさよりは、今は、安らかな眠りの方が、
断然いい。
もう少し落ち着いたら、寂寥感がどっと押し寄せるのだろうなあ。
葬儀は本当の近親者だけの密葬にするとのこと。
我が家とお袋、兄貴の家族と義姉の両親と妹家族。
これだけで済ませるよう。
親戚には不義理してしまうが、
後日お別れの会を多分静岡でやる事になるだろう。
義姉は出るつもりはないようだけど。
葬式もやらなくていいとの意思は、
兄貴本人のもの。
2年前の病気発覚時のメールで、
義姉の気の済むようにしてくれと仰せつかっているのも事実。
最後のお勤めでもないけど、
まあ、兄貴の好きなようにしてあげよう。

06月21日(月曜日)
今日は兄貴のお通夜。
近親者だけで、集まる。
部外者は大学時代テニスで兄貴のパートナーだった、
竹之内さんと、会社に入った時、
同じ支店に配属された高嶋さん。
高嶋さんは会社で全員にメールされた、
訃報を見て水戸から駆けつけてくれた。
竹ノ内さんは、たまたま会社に兄貴当て電話した所、
なくなったと聞いてビックリして駆けつけてくれた。
姉貴もきっと兄貴が呼び寄せたのでしょうといって、
快く応対していた。
姉貴はAB型。
昔からマイペースで形式にこだわらない、
自分の意志を貫くタイプ。
形式にこだわらないからといって、
相手に対する気持ちが人より劣るわけでは決してなぃ。
むしろ形式にこだわる人は、
自分に自信が持てず、
形式にこだわる事でただ安心しているのかもしれない。
心のどこかに違和感が残るのは、
やはり自分がそれだけ年をとった証拠かもしれない。
明日は葬式ではあるが、
お坊さんを呼ぶわけでもなく、
身内だけでじっくりとお別れをする。
兄貴の魂がどんな形で天国に行くのかは正直わからない。
仏教でもキリスト教でも、イスラム教でも、
魂が安らかに眠れるのならば、
確かに形式は関係ないだろう。




06月22日(火曜日)
いよいよ兄貴の遺体が荼毘に付される日がやってきた。
葬儀屋さんがやって来て淡々と遺体を棺おけに詰めて、
斎場まで運んでいき、我々もついていく。
斎場では食事をしながら最後のお別れをし、
献花をして棺おけを花一杯にして、
そして火葬場へ。
時間が経って骨になった兄貴の収骨とそして分骨。
淡々とただ時間だけがモノトーンのまま過ぎていく。
気持ちの中で盛り上がりもなく、
なにか他人事のような時間が過ぎていく。
「自分の葬式はどうしようかなあ。」
いつしかそんなことを考えていた。
結局葬式でも何でも、
自己顕示欲というか、
自己満足的な部分は必ずある、そんなことを感じている自分がいた。
兄貴はひとまず天国へ旅立った。残された奥様と娘。
お袋と弟である私。
所詮死ぬ時は自分は孤独。死んでしまえば何も感じることは出来ない。
そう思って入たし、今でも原則は替わらない。
あくまでも葬式なんて、
残った人間の為にやるものだ。
そう思ってた。
でも、
この違和感はなんなんだろう。
兄貴の意思は確かに尊重できた。
義理の姉貴の意思も尊重できた。
それなら後はお袋の意思を尊重してあげても
罰(ばち)はあたらないだろう。

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先輩のお見舞い

2011-10-30 05:43:21 | お見舞い・お悔やみ
金曜日、大先輩のYさんが入院した。
B型肝炎?
前々から、体調が良くないとおっしゃっていて、
肝炎と解っていて、だましだまし仕事を続けていたが、
数値の悪化があり、ひょっとすると即入院となってしまうかもしれないと言って、
病院に検診に行き、実際即入院となってしまった。
藤枝にお住まいの先輩で、藤枝の総合病院に入院したので、
昨日行った藤枝ゴルフクラブの近く。
いい機会と思って、お見舞いの品など何も用意せず、
思いつきでお見舞いに行ってきた。

実は、先輩は私の会社員生活における人生の師である。
新入社員として東京の銀座支店に赴任した私は、
今思えば全くの甘ちゃん!
駄目社員であった(今でも駄目中間管理職であるが)。
遊ぶことしか考えていない、
自分の人生を仕事に捧げ、社会貢献?そんなもの興味なし!
そういう人間だった。

それが、2店舗目の営業所で、Y先輩とご一緒させていただいて、
仕事人としてのノウハウを教わったし、
仕事へのこだわり、実績へのこだわり、
社会人としての心構えを教わり、
そして、営業所の中での営業をひとつのチームとしてとらえ、
チームワークだったり一体感をどう実現させるか?
仕事はがんばるけど、遊びも思いっきり遊ぶ。
その、切り替えで仕事が頑張れる。
そういうことを教えていただいた恩人と思っている。
先輩は謙虚な方なので、今でも、威張らないし、
しかも、後輩の生意気な私と対等に付き合って下さる。

だからこそ、どうしても1番乗りでお見舞いに行きたかった。

木曜にまで働いていて、倒れての入院と言う訳ではないので、
見た目は元気?なのではないかと思いつつお見舞いに駆け付けたが・・・

実際には思った通り。

病室に行くと、イヤフォンでプロ野球を見ていらしゃった。
木曜と変わらず、見た目は元気で病人とは思えない。
しかし、肝臓の病気、特にB型肝炎は実は怖い病気。

検査結果を見せてくれたが、
我々もいつも見てもらっている、GOTやGPTの数値。
普通の人なら200台?
先輩は600を超えていた。

詳しいことはよくわからない。
B型肝炎を調べればこう書いてある。

日本においてB型肝炎ウイルス保有者(キャリア)は、150万人程度といわれている。そのうち10%が肝炎発症となり、慢性肝炎、肝硬変、肝細胞癌に進行する。しかし、95%は自然治癒する。したがって、キャリアのうち5%が慢性肝疾患になる。

劇症肝炎とは
ウイルス肝炎や薬物性肝障害の経過中8週間以内に重症化し、急激に高度の肝機能障害と意識障害が起こる病気である。1976年(昭和51)から厚生省(現厚生労働省)の特定疾患(難病)に指定された。急性肝炎の1~2%が劇症肝炎に移行するとされ、日本では年間450人前後が発病している。

今のところ、落ち着いているという事で安心はしているが、
数値の悪化により劇症肝炎に進行する可能性もなくはないという話を聞くと、
ちょっと怖い。
大好きな先輩だけに時間が掛かったっていいので、しっかり治して欲しい。
そう思っている。

元気そうだから仮病?って、いつもならふざけてからかうところなのに、
数値が悪いこと思うと、その軽口が叩けなかった。

先輩から、他の人間に、絶対見舞いに来ないように言っておけと言われたが、
それだけは出来ませんと言っておいたが。
お見舞いの品も何も用意せずに駆けつけるその神経、常識の無さ(これは私の事だ)。
でも、元気な顔が見れて一安心。
想像だけだと、どうも悪い事ばかり考えてしまう。
でも、兄貴が肺がんで入院した時のことを思い出してしまった。

早く元気になって退院して欲しい!
でも、あせらずゆっくりと!
矛盾しているが。



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ゴルフの結果は?

2011-10-29 23:22:37 | その他スポーツ
さて、ゴルフ行ってきました。

場所は藤枝ゴルフクラブ。
親父が持っていたゴルフ会員権。
親父が無くなった時に相続で貰った。
確か名義書換料が30万円くらいだった気がする。

もうひとつ富士ロイヤルを自分で買った私。
2ケ所のゴルフ会員権を持っていると言えば、
勘違いで凄いと思う方もいるかもしれないが、
正直どちらも大したゴルフ場ではない。
(関係者の方申し訳ない)



さて、結果から言えば、スコアは52-50。
100を切ることは出来なかった。

先月の朝霧は95だったから不調?と言うべきか?
でも、藤枝はやはり狭い。そして混んでいる。
かなり、各ホール待って待って、待ちくたびれて、
9:2?スタート予定だったが、
そもそもスタート時間も遅れ、
終了は16:00近く。
時間かかりすぎ。

狭くて、平らのところも少なく、
待ち時間も長く、
気を使うメンバー。

その中では健闘した部類と自分では思っている。

今日はセルフで回ったが、
正直キャディさんがいてくれる方が楽しいかな?
もちろんキャディも当たり外れがある。
キャディさんだってお客さんに当たり外れがあると思っているだろう。
お互い様だ。

何となく、ゴルフの回数が増える予感。
まず、靴を買って、
グリップを変えて、
ゴルフバックも壊れかかっているのでこれも買う?
そこまでお金をかけるなら、回数を増やさないと損?
そんな気持ちにもなる

まあ、テニス中心は今のところ変える気はないが。
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突発的にゴルフ

2011-10-28 23:02:41 | その他スポーツ
それは金曜日に始まった。
ここのところ、大変に忙しく、気分的には事件の連続。
振り返ればたいしたことない話だが、
気分に余裕のない時に起こる数々の試練?
逃げ出したくもなる状況。

そんな時に、昔の元上司が店頭にやってきた。
手招きで呼ばれる。
ただ単なる挨拶?
それとも頼みごと?
考えながら元上司の元へ。

内容は、急で悪いけど明日ゴルフ付き合ってくれないとのお誘いだった。
今のところその元上司と、元役員の二人しかメンバーがいないということらしい。
攻めて3人で回りたいからということだった。
R中のソフトテニス部の中部大会までもう時間もなく、
本当は部活を楽しみにしていたのだが・・・・

でも、わざわざ来店までしてくれた事。
電話ではなく、私のようなペーペーに対して来店してくださっているのに、
礼を尽くされたら礼で返すしかない。
と言うことで明日はゴルフとなった。

先月、相当久しぶりにゴルフをやって、
その時壊れた靴はまだ買っていないし、
滑るグリップは直してないので、
靴はゴルフ場で借りて、
グリップは滑るままやることとなる。
練習場にも行けず、
まあ、さすがに明日は100を切れにかもしれない。
まあ、せっかくやるゴルフだから楽しんでやるしかないか。
まあ、藤枝ゴルフクラブはホームコース。
毎年年会費払っているのだからたまには行かないとね。
と言うことでがんばってきます。
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タイで大洪水?

2011-10-27 23:39:22 | 天気▪季節
連日報道されているタイの洪水。
テレビ画像を見る限り雨が降っている様子がない。
何故洪水?
と思っていた。
調べたところ、一言でいえば、
タイ北部で降った雨の影響と言うことか。
NHKニュースの因れば、

今回のタイの洪水被害はなぜ長引いているのか、原因の1つは、50年に一度ともいわれる記録的な大雨です。タイの気象当局の調べでは、チャオプラヤ川の上流域となる北部や北東部などの雨量は、ことし6月から先月まで月平均の雨量を最大で50パーセント余り上回っています。洪水が起きたあとも上流域からの大量の水の流入が続き、いつまでも洪水が収まらない状態が続いています。今回、大きな被害が出ている中部アユタヤの工業団地では、浸水被害から2週間余りがたった今も、水が引くどころか、水位が上昇し続けているところもあります。また、もう1つの理由が、地理的条件です。首都バンコクは、チャオプラヤ川下流のデルタ地帯に位置し、運河が縦横に張り巡らされています。海抜0メートルの場所もあるなど、ほぼ平らな低湿地が河口部まで続き、いったん洪水が起きるとなかなか海への排水が進みません。大潮で潮位が高い状態となれば、河口への水の流れがさらに悪くなります。タイ政府は、今回の洪水で、首都バンコクを守ることを最優先にして、北部から来る大量の水を堤防などで一時的に防ぎ、東西にう回させる措置を取ったことも被害地域を拡大させた一因になったとの指摘も出ています。

と言うことだそうです。

さらに、複合の原因として、
当初、意図的に水不足の懸念からダムの貯水量を増やしていたところに記録的豪雨。
慌てて複数のダムが一度に放水したも原因。

また、奥地の森林伐採の影響から、保水力が低下。

まだまだ、いくつかの要因があるようですが。

洪水自体も問題でしょうが、
長引くことも問題。
潮位が上がり排水できないとなれば、
いつ復旧できるのでしょうか?
異常気象の影響なのでしょうか?
世界規模での問題現象。
困ったもんだ。
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お通夜

2011-10-26 07:21:45 | お見舞い・お悔やみ
会社の元上司のお父様が亡くなり、今晩お通夜となった。
例え大往生だったとしても、亡くなるというという言葉には、
悲しみがつきまとう。
私の現在の家族は、奥様とツインAツインNタツタ。
みんな元気に暮らしており、
実態はともかく取り敢えず幸せなのだろう。
ただ、親父は56歳で、お袋は77歳で、兄貴は50歳で亡くなり、
私独りが残り、そちらの面では、天涯孤独?というのか?
もし、私が独身で子供も無く、身内が亡くなっていたら、
どういう心境になるのだろうか?

話が逸れた。
最近はセレモニーホールでのお通夜が主流になりつつある。
昔は家具などを退けて、自宅でのお通夜が普通だったから、
本当に何から何まで大変だった。
お金も自宅の方が安いけれど、最後の餞として、
清々と送るためにはいいこと思うしかない。
今日はお袋の時と同じ場所。
思い出してしまうだろうなあ。
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団体戦のお話パートⅡ

2011-10-25 05:37:41 | テニス
先日の団体戦の件で、触れることが出来なかった事を追加で書きたい。

ブログで誉めた、O/Iペアと、1試合だけ出場したH/Mペアは全敗だった。
それでも6位になったということは、残りの2ペアが頑張ったということ。
彼女たちが大切な試合をことごとく勝ったからこそ、6位になったということ。

そこはどうしても触れておきたかった。
朝、団体戦が始まる前、私のブログでも書いた、
ポジティブ思考のことを話した。(テレビ寺子屋の話)

すると応援している子たちが、ポジティブに!とか言って応援している。
ちょっと気恥ずかしかった。
これがどれくらい役に立ったのかはわからない?
少しは役に立ったのなら話した甲斐があったのだが。

さて、ある試合でこんなことがあった。

団体戦は相互審判。
その試合は正審が相手。副審がR中であった。
マッチポイントが相手にあり、挽回を願いながら応援していた。
相手の後衛が放ったショットはサイドラインをわずかにオーバー。
本当は副審がアウトのコールをすれば、まだ挽回のチャンスもあった場面であった。
副審にみんなの注目が集まる。
しかし、副審は手を上げない。(アウトのジェスチャー)
首をひねりながら見ていなかったと告白した。
(あなたは何のためにそこに立っていたのですか?)
(あなたの役割は何ですか?)
(あなたはそこで何をしなければいけないか解っていないのですか?)

彼女にとってテニスは何なのだろうか?
無理やりいやいや審判をやっているのだろうか?
この日唯一の情けない出来事だった。
試合に負けるとか下手だとか?
あるいは一生懸命見ていたけれど、良くわからなかったのなら仕方ない。
見ていなかった?

悲しくなってしまった。
彼女の所為で負けてしまったとは言わない。
そのポイントを取っても勝てた可能性はかなり低い。
しかし、選手が一生懸命プレーしている限り、
審判も一生懸命やるのが当たり前で、
そういう姿勢がいつか自分に跳ね返ってくる。

でも、一つだけ嬉しかったこと。
常々、試合をやっていると、誤審はあると言い聞かせてきた。
負けを誤審の所為にするなとは言ってきた。
それを選手も理解している様子。
それが嬉しかった。
(ただ単に誤審とも思ってていなかったりして)
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おめでとう!ツインN

2011-10-24 23:02:37 | 私・家族・我が家・親戚
今日19時ちょっと前に奥様からメールが来た。
実はすぐには気がつかなかった。
ふと携帯を見ると着信があった。
奥様からのメールだった。

内容は・・・・・・

今年、大学4年のツインN。
いわゆる就活中。
今年の就活戦線は厳しい?
3月の地震の影響もあり、今年は厳しいとの情報が飛び交っていた。
私は実はそういう情報に疎く、
子供からも特にその辺の事情を聴いてはいない。
彼女の人生は彼女が切り開くもの。
助けを求められれば協力はするが、私は彼女の自主性に任してきた。
人から見れば放任と思われるかもしれないが、
これが私の流儀。
影ながら応援する。
星飛雄馬の姉の心境?

先日、ある就職希望先の面接を受けた。
もしそこがダメであったら、一から出直し。
面接の感触は良かったらしい。
提出したレポート?を誉めれられ嬉しかったようだ。
ただ、他の人の面接時間に比べて明らかに時間が短かった。
それがいい兆候なのか?悪い兆候なのか?
結果が来るまでの間、イライラが垣間見えるツインN。

そして今日内定の連絡が来たとの事。
メールにそう書いてあった。じわじわと嬉しさがこみあげてくる。
最近涙もろい私。
恥ずかしながら、しばらく涙が止まらなかった。

帰りにお祝いのケーキを買ってきた。

多分今日は帰りが遅いだろうから、明日にでも食べてくれるだろう。
これから新しい人生の局面を迎えるツインN。
いいことばかりではないだろう。
仕事となればつらいことも多いだろう。
嫌なこともある。
謝罪、と言う場面も出てくる。
自分に非がある時もあればない時もある。
それでも謝らなければいけない時もある。
わがままが通らない時もある。
壁にもぶち当たるだろう。
そこをどう乗り越えるのか?
どうすり抜けて行くのか?
でも、喜びもきっとある。
だからこそ耐えられる?


ガンバレツインN!
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第9回静岡市静岡地域ソフトテニス大会中学生女子の部(団体戦)

2011-10-23 22:41:31 | テニス
今日は標記大会だった。
結果から言えば、R中は6位とまずまず?の成績。
ベスト8の目標は達成することが出来た。
欲を言えばきりがないし、最悪のケースも想定される中、(ベスト8には入れないということ)
昨年と同じ成績で終わることが出来た。

もちろん、残された課題も多く、手放しで喜べる状態ではない。
練習不足もあり、消化不良の状態から良く戦ってくれた。
おめでとう!

一人一人、そして1試合1試合。
言いたいこともあるけれど、
今日は一つだけ、最後のミーティングで話した事を繰り返したい。

強い相手と戦えば負けるし。
弱い相手と戦えば勝つ。
勝ち負けより大事なことはベストを尽くすこと。
自分にうち勝つこと。
そういう意味で言えば、今日のベストペアは、
間違いなくO/Iペアだった。
理由を述べよう。

結局彼女たちは全敗だった。
R中の現状は、1年生大会でベスト4に入ったペアをバラシ、
その時の前衛と後衛を両方とも後衛にし、
さらに、別の後衛を前衛に変えて元前衛と組ませた。
結果、それなりの2ペアが誕生したが、
決して高いレベルのチームではないし、まだまだ息も合っていない。連携がいいとはとても言えない。
さらに言えば、第1第2ペアと第3第4ペアとの差が大きい。
今回第3ペアとして出場したO/Iペアは、正直、勝利は難しいどころか、
手も足も出ない?可能性も高いと思っていた。
しかし、試合を重ねるごとにレベルアップが見え、
ファイナルでの惜敗もあるなど、
今日一日の成長ぶりは目を見張るものがあった。

まず、後衛のOはむきになって打ってミスが多かったのに、
今日は実に粘り強くつないでくれた。
時に、強い相手に打ち勝つ場面もあったり、
最後はやや力尽きた感もあったが、次が期待できる戦いぶりだった。

そして、前衛のI。
ミーティングでも話したが、本日のベスト8に入った3×8=24人の中では、
多分一番下手な前衛と言っても反論できないかもしれない。
特に最初の2試合?はただ立っているだけの前衛だった。
それが少しずつ何とかしようというプレーが見えて、
最後はもう、滅茶苦茶なフォームで何回ポイントを取っただろうか。
ミスしてもミスしてもがむしゃらにやっていて、
最初はダブルフォールトばっかりだったのに、
最後の試合のファイナルは、多分無我夢中だっただろう。
見ていてもサーブが入る気がしたし、実際に入ってくれた。
最後に力尽きたけれど、実力の120%を出していた。

最後のミーティングで泣きそうになってしまった。
年をとるって恥ずかしい?

実は私はOコーチにIをはずしませんか?と進言した。
でも、OコーチはIのやる気を見抜いていた。
このままで行きたいと言われ、私も最後は賛成した。
そして、それが正しかった事を彼女は証明してくれた。

ひたむきな、がむしゃらに頑張る姿は、人を感動させる。

今日の周りの応援は初めはなっていなかった。
でも、彼女たちの試合に、特に最後の試合に、
引き込まれているみんながいた。
素晴らしい試合を見ていると、自然に応援したくなるものだ。
今日の二人は、正にそういう試合ぶりだった。

勝ち負けを超えた感動。
その姿がみんなに伝染してくれることを期待している。
試合が終わった後、会場のあいたコートで練習してもいいと言われた。
多数の部員が残って練習する姿を見て実は嬉しかった。
もちろん1日練習したからと言って急にうまくなる訳ではない。
しかし、上手くなりたいと思って日々練習するのと、
ただ練習するのとでは、成長の度合いは全然違う。
三日坊主ではないが、これが続く事を切に願う。

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おまけの話

2011-10-22 15:59:18 | テニス
先ほどの伊達選手の話。
実はさらに裏のエピソードがある。
この大会まで伊達選手はグラフ選手に1度も勝てないでいた。
しかし、このフェデレーションカップの前から好調を維持しており、
直前の大会でグラフと戦って惜敗。
ただ、
こうすれば勝てるのではないかと言う手ごたえをつかんでいた。
だから、このフェドカップでの対戦を楽しみにしていた。
それが前日のフーバー戦で怪我をしてしまい、ショックを受けていた伊達。
万全の状態なら勝てるのに!
なぜ、怪我してしまったのか!
悔んで悔やんで!
苛立つ伊達。
テーピングがしっくりこない。
何度やっても駄目。
テーピングをしてはやり直し、
時間だけが過ぎて行く。
気がつけば試合開始時間。
公式の練習も出来ないまま試合に突入となってしまった。
そして、気がつけば第1セット0-5。
一体、自分は何をしているのだろう!

周りの応援。

ハッと気がつく。
過ぎたことは忘れよう。
今から、遅いかもしれないが今からでも出来る範囲の努力をしよう!がんばろう。
そこで、余分な力、力み、こだわりが消えたのだろう。
それからの快進撃は先ほどのブログの通り。

絶好調でも勝てるかどうかわからない世界ナンバー1の選手に、
怪我をした伊達が勝つ。
勝負というものは本当に解らないものだ。
一つだけいえることは、
諦めた瞬間に勝負は終了するということ。
R中の選手はどんな試合をしてくれるだろうか?楽しみである。

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テニス団体戦の過去の名勝負 伊達選手・杉山選手の奇跡

2011-10-22 15:41:34 | テニス
明日は、R中2年生の今後を占う大事な団体戦がある。
ここでベスト8に入るか入らないかで、
今後の主要な大会に参加できるかできないかも決まってしまう。
そこで、世界に感動を与えた、
フェドカップ1回戦 日本対ドイツ 1996年4月29日 有明コロシアム

の話をしたい。
と言っても私の記憶もあいまい。
筆力もない。だから、引用させていただく。
ひょっとするとお咎めがあるかもしれない。
でも、それでも、R中のみんなには読んで欲しい。

株式会社E-ビジネスコンサルのブログからの引用です。
無許可です。でも、この素晴らしい内容を、
どうしてもみんなに伝えたいのです。

・日本テニス界の過去と未来が見えた日



1996年4月28日。東京。有明コロシアム。

あの日・・・。
伊達公子は、痛む左足を引きずりながら、ライジングショットを打ち続けていた。
沢松奈生子は、仲間のために、日本のためにひたすら走り続けていた。
長塚京子と杉山愛は、世界レベルに追いつきたいという若い野望を燃えたぎらせていた。
坂井利郎は、監督としてこの長い戦いの勝利を願い続け、冷静に見守り続けていた。
井上悦子(日本の女子テニスプレイヤーとして初めて世界ランク26位まで進出)は、TV中継の解説者という立場にありながら、時に涙声になって心からのエールを隠さなかった。
松岡修三(ウィンブルドンベスト8に進出)は、例によって・・・、何時間も応援の旗を全力で振り続けていた。
神和住純(戦後初のトーナメントプロ)と福井烈(9年連続日本ランク1位を記録)は、観客席で声を枯らして手拍子の先頭を切っていた。
あの日の有明コロシアムには、日本テニス界の過去を背負ってきた人々、今まさに現代をリードしているスター選手、未来の活躍が有望視される若手、それら全ての面々が一同に会していた。
もちろん、ここに名前を挙げられなかった数々の選手達も、きっと一人の観衆や視聴者として、この名場面を見つめていたはずである。

九鬼潤、土橋登志久、増田健太郎、辻野隆三、柳昌子、岡川恵美子、佐藤直子、雉子牟田姉妹、平木理化、宮城ナナ、神尾米、遠藤愛、佐伯美穂、吉田由佳・・・。 沢松和子さんやアン・清村さん、錦織圭だって観ていたかも知れない(もし本当に錦織が観たとすれば、当時まだ6才だったことになるが・・・)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フェデレーション杯・国別対抗戦、通称:フェド・カップ。 簡単に言うと、女子テニスのワールドカップである。1996年4月27 ~28日、日本はフェド杯ワールドグループベスト8に名を連ね、強豪ドイツとベスト4 (準決勝進出) を賭けて激突することとなった。ドイツは優勝候補であり、当時世界ランク1位の絶対王者 シュテフィ・グラフと、同5位のアンケ・フーバーの2枚看板を擁していた。
フェド杯のルールは簡単である。 シングルス4試合(2試合×2日間)と、ダブルス1試合、合計5試合で先に3勝した国の勝ち。
日本のシングルス戦出場選手は、エース伊達公子と沢松奈生子。2日間の対戦スケジュールは下記の通り。

4月27日 (大会1日目) : 
第1試合   伊達公子  vs アンケ・フーバー
第2試合   沢松奈生子 vs シュテフィ・グラフ

4月28日 (大会2日目) : 
第1試合   沢松奈生子 vs アンケ・フーバー
第2試合   伊達公子  vs シュテフィ・グラフ

当時伊達は世界ランクトップ10に入る選手ではあったが、それでもグラフやフーバーには及ばない。普通に考えれば、ドイツの4連勝、悪くとも3勝1敗で (5試合目のダブルス戦に突入する前に) ドイツが勝ち抜けるだろうと思われていた。
実際にグラフは、2日目の第2試合の後、(ダブルスの試合開始時間を待たずに) ドイツに帰国できるよう航空券の予約をしていたようである。しかし、そのグラフのスケジュールは、伊達公子によって見事に覆される。

まずは初日の第1試合、伊達公子が、世界ランク5位アンケ・フーバーの壁を破る。セットカウント、4-6、6-4、6-1、の逆転勝ちであった。ただし、勝利の代償に左足を痛めてしまう。沢松奈生子は、2日間の健闘及ばず2試合を落とすが、日本の1勝2敗で、伝説の第4戦 伊達公子vsシュテフィ・グラフの対戦を迎えることとなった。

第1セット。 フーバー戦で痛めた左足が気になるのか、伊達の調子が上がらない。絶対王者グラフは容赦なく強烈なストロークを打ち続け、気が付けば (アッと言う間に) ゲームカウント 「5-0」 となっていた。 もはや勝敗は明らか。伊達が1ゲームでも拾えるかどうか、そんな一方的な試合になりそうな雰囲気であった。

「左足の怪我に対する気持ちの整理がつかないまま、試合が始まってしまった」 後日伊達はそう語っているが、ここで諦めず開き直れるあたりが伊達の天才たる所以である。 楽勝を想定していたグラフに、少しずつ揺さぶりをかけ、丁寧にライジングショットを重ねて挽回していく。 圧倒的不利な状況から、じわじわと反撃を開始したのである。 なんと5ゲームを連取してタイブレークに持ち込み、最終的に「7-6」 で第1セットを奪ってしまった。

第2セット。 さすがに王者グラフが本領を発揮、ゲームカウント 「6-3」 で取り返す。これで勝敗の行方はファイナルセットへ。

第3セット。 ファイナルセットは、タイブレークがないため、どちらか一方が2ゲームアップ(先行)するまで試合は続く。 単なる個人戦ではなくそれぞれの国のプライドを賭けた争いであるが故に、一歩も譲らない両者の意地がぶつかり合い、2試合分、3試合分の時間が過ぎていく。負傷している伊達のどこにそんなスタミナがあるのか全く分からなかったが、伊達は持てる全ての集中力を発揮して、頑張り続ける。ゲームカウント 「6-6」 「7-7」 「8-8」 「9-9」 「10-10」 、果てしなく続くラリー、スタミナには自信があるはずの女王グラフもフラフラになりながらボールに食らいついていく。一方左足のテーピングが痛々しい伊達も、何度も足を痙攣させながら歯を食いしばって激走する。ワンプレイごとに、伊達の声も苦しくなり、息も乱れていく。 明らかに両者とも疲労が極限に達し、シーソーゲームは体力と気力を奪っていく。

先にマッチポイントを握ったのは伊達。 しかし、グラフがブレイクする。次はグラフがマッチポイントを握るが、今度は伊達がかわす。再度伊達がマッチポイントを握るが、グラフも粘りに粘って決着をつけさせない。

4月末とは言え、肌寒い一日であったと記憶している。3時間20分を超えた試合は、ゲームカウント 「11-10」 と伊達がリードして、最後のマッチポイントを迎えた。 この日伊達公子が放った952打目。 得意のライジングショット。グラフ渾身のリターンは、ネットにかかった。 「12-10」 。 女王グラフ敗れる! 一瞬の静寂の後、天を切り裂くような大歓声がコロシアムで爆発した。 全ての聴衆が涙を滲ませながら雄叫びを上げた。両手をあげてガッツポーズする伊達! 難攻不落の絶対王者を正攻法で撃破した、まさに奇跡の試合であった(ちなみに、グラフはこの年、この時点までは無敗であった)。

だが、奇跡の物語はこれで終わりではない。 この戦いはフェド杯。国別対抗戦である。伊達の勝利は感動を呼んだが、トータルの勝敗をようやく2勝2敗に持ち込んだに過ぎない。 準決勝進出は、最後のダブルスの結果にゆだねられることになる。

ダブルスにエントリーしていた選手は、両国とも若手のコンビであった。日本は、(その後の日本テニス界をリードすることになる) 杉山愛と、長塚京子に命運を託す。その時点でのコロシアムの雰囲気は?と言うと・・・、 伊達公子が起こした奇跡の余韻もある上に、ホームゲームで地の利もある。ダブルスなら・・・、若手同士の争いなら・・・、もしかすると日本にも勝機があるかも知れない、そんな空気が漂っていたように思う。

そんな甘い思いを打ち破る出来事が発生した。 ダブルスの試合直前、ドイツが出場選手を変更してきたのである。 最終戦・ダブルスにエントリーしてきたのは・・・。なんと!!! 先ほど試合を終えたばかりのグラフとフーバー。 追い詰められたドイツは、最も信頼できる 世界ランク1位と5位の最強ペアをダブルスにぶつけてきたのである。 もちろん、ルール違反ではない。 登録しているメンバーなら誰を出しても構わない。

「ええっ? それはないでしょ!」 直前のメンバーチェンジに頭を抱える大観衆、呆れ顔の報道陣。かくして、杉山、長塚の若手コンビは、世界最強ペアと最終戦で激突することとなってしまった。

しかし。 杉山愛と長塚京子は燃えていた。 杉山にとって伊達公子は憧れの存在であり、目標でもあった。その伊達が、フラフラになりながら命懸けで女王を撃破するシーンを目の前で目撃した。応援で絶叫しながら、二人は誓っていた。 「伊達さんが作った千載一遇のチャンス、絶対にモノにする! たとえ相手が世界最強ペアでも!」

二人は、粘った。相手のペアは、シングルスではそれぞれが世界最強レベルにあることは間違いない。それでも、ダブルスのコンビネーションに関しては、自分たちのほうに経験的有利さがあると信じ切っている、そんな風にも見えた。

第1セット。 圧倒的な体格差がありパワーに劣る日本ペアは、試合序盤は完全な力負け、必死に食らいつくも第1セットを奪われてしまう。しかし、二人は決して諦めない。第2セットになると、グラフとフーバーにも多少の集中力低下が見られるようになった。 2人は、食いさがって食いさがって、拾いに拾った。 肝心な場面では杉山のポーチや意表を付いた長塚のストレートリターンでポイントを重ねた。

徐々に流れが変わっていった。 グラフとフーバーのわずかなコンビの乱れを、杉山のボレーが正確に射抜く。杉山と長塚は、ミスをしてもそれにこだわることなく、次々と更なる有効打を上乗せしていく。杉山と長塚の目が、爛爛と輝き始める。第2セット終盤になると、両者の動きは全くの五分五分に思えるようになっていた。

ファイナルセット。ここまで来ると追う者のほうが心理的有利となり、失うものがないほうが思い切ったプレイをし易い。日本の若手コンビがコートの中心で躍動する。「奇跡が起きれば・・・」という気持ちは、「可能性があるかも?」に変わり、最後は「いける! 絶対に勝てる!」 と信じられるほど、二人の背中が徐々に逞しく変化していったように見えた。 杉山の素早い動きにドイツがついていけなくなった。 この日 2回目の奇跡が起こった。長い長いフルセットの戦いが終わった刹那、杉山と長塚はその場に崩れるように倒れこんだ。伊達がグラフを撃破した瞬間を上回る大歓声が上がった! 優勝候補ドイツ敗れる! 日本、奇跡の大逆転勝利で準決勝へ進出!

絶叫する者、抱き合う者、ハイタッチやガッツポーズを繰り返す者、涙する者・・・。そこには、日本テニス界に関わった全ての人々の晴れやかな笑顔があった。スタンディングオベーションといつまでも鳴り止まない拍手が記憶に刻まれている。

観ているだけでヘトヘトに疲れ切ってしまうような1日であった。しかし、1996年4月28日こそが、日本テニス界の歴史上に発生した唯一のオールスターゲームであり、日本テニス界の現在・過去・未来が凝縮された特別な1日であったと確信している。

グラフはこう語っている。『あの試合に負けたことを少しも恥ずかしいとは思わない。私は全力でプレイした。結果として上手くいかない試合もある』 

以上




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テレビ寺子屋 本番に強くなる

2011-10-22 10:22:00 | テニス
今日は朝から大雨?
R中の練習試合も雨で中止となった。
で、ボーとする休日の定番、テレビ寺子屋を見ていた。
本日の講演者は白石豊さん。
プロフィールは、
 白石 豊(シライシ ユタカ) 1954年、岐阜県生まれ。1976年、東京教育大学体育学部卒業。1979年、筑波大学大学院体育研究科修了。筑波大学体育科学系文部技官を経て、現在、福島大学教育学部教授、「スポーツ運動学」。プロ野球、Jリーグ、オリンピックチームなどのメンタルコーチを務める。国際体操連盟スポーツ科学委員 川本 和久(カワモト カズヒサ) 1957年、佐賀県生まれ。1980年、筑波大学体育専門学群卒業、1982年、筑波大学大学院体育研究科修了。現在、福島大学教育学部教授、「陸上競技」。福島大学陸上競技部の監督として、スプリント種目を中心に多くの日本代表選手を育てている。日本陸上競技連盟強化委員会女子短距離部長 吉田 貴史(ヨシダ タカシ) 1975年、福島県生まれ。1998年、福島大学教育学部小学校課程卒業。2000年、福島大学大学院教育学研究科保健体育科教育修了。現在、いわき市立久之浜第一小学校勤務。文部科学大臣認定C級スポーツ指導員、日本ソフトボール協会準指導者、日本ティーボール協会公認指導者として、小学生だけでなく、中学生や社会人の指導も行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

今回のテーマは本番に強くなる。
R中のみんなにとって
最高のテーマである。
内容の抜粋は、
プレッシャーは誰にでも掛かるもの。
外的プレッシャーと内的プレッシャー。
特に外的プレッシャーは受け入れるしかないということ。
風が強い!いやだなあ!
ではなく、条件は同じ。
ラッキーと思うこと。
いつも言っている、誤審は必ずあるということ。
誤審のポイントで負けたとすれば、
それは誤審の所為ではく、そこまで相手のリードを許していた自分の所為。
誤審の所為にする人間は、誤審がなくても負けるだろう。

そして内的プレッシャー。
プレッシャーを感じたら、「よし来たー!」と思うこと。
プレッシャーを楽しめるようになったら最高。
自分のしぐさや目線、言葉でそれに打ち勝つこと。
それが難しいんだけどね。
少なくとも気持ちをポジティブに考えること。
難しい局面になった時に、
もう駄目!もういや!と言った瞬間気持ちはネガティブになっている。
さあ来い!絶対勝つんだ!やってやる!
そういうポジティブな気持ち、言葉が奇跡を生み出す。
そして笑顔!
大丈夫!ドンマイ!がんばろう!
こういう言葉が魔法の言葉となりうる。
前にブログにも書いた。
ピンチの時に「私のところにボールよ来ないで!」と思っている奴に限って、
ボールが飛んできてミスで負けたりする。
「私のところに来い!そうすれば自分がヒーローになれる!」
そう思える奴が活躍できる。
とにかく言葉だけでも強気に!
言霊は生きている!
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サッカーにおける戦術とは?【J特】

2011-10-21 08:59:41 | サッカー(エスパルス編)
先日のブログでも触れたが、レッズが降格圏内に低迷している。
レッズと言えばJリーグ有数の金満チーム。
金さえ出せばいいというものではないが、
エスパルスの様にお金の無いチームが断念せざる負えない選手も、
お金の問題で悩むことはないはずだ。

所属選手を見れば、エスパルスから見れば羨ましいばかりであるし、
昨年までエスパルスで活躍した原もいる。
過去には、アレックスが移籍して、
エスパルスに入って欲しかった、
小野伸二 山田暢久 鈴木啓太 平川忠亮 長谷部誠 赤星貴文 横山拓也
などがみんなレッズに入った。
今のメンバーでも日本代表級の選手がたくさんいる。
今の順位にいるはずの無いチーム。
この件については色々な方がコメントしている。
それらをまとめていると、
戦術と選手の特徴にミスマッチがあるという事。

チームは基本的に監督の意向が反映される。
監督が例えば3-4-3でやるのか4-4-3にするのか、
パスサッカーにするのかキックアンドラッシュにするのか?
監督の戦術にしたがって試合をするのが基本である。
監督によって自分の好きなスタイルがあるのが当たり前だし、
自分に自信がある人ほど、自分のスタイルに固執するだろう。
問題はその戦術にフィットする選手でチームがつくられているかという事。
サイド攻撃を主体にするのに、足の早いセンタリングの上手い選手がいなければ機能しない。
同様に、みんなで走り回ろうと決めても、
活動量の多い選手が少なければガス欠になる。
簡単にいえばそういうこと。

要するに腕のいい料理人かどうか?
料理を先に決めて、それから冷蔵庫の具材を探せば、
肉の無いすき焼きや、パンとみそ汁の朝ごはん?
パンに漬物?
まあ、そういう感じになるのかな?

まず具材を見て、その中から美味しい料理を作る。
あるいは餃子を作りたいが二ラがない。
だからニラを買ってくる。
それがピンポイント補強ではないか?
いい選手だから獲る。
戦術に会っているかどうか関係なく獲る。
そういうチームも多い。
あるいは選手を獲ってから戦術を変える。
選手を戦術に合わせさせる。
それが今の浦和か?

いい監督は選手に合わせてチームを作る。
それが名監督と思っている。

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