明日は、R中2年生の今後を占う大事な団体戦がある。
ここでベスト8に入るか入らないかで、
今後の主要な大会に参加できるかできないかも決まってしまう。
そこで、世界に感動を与えた、
フェドカップ1回戦 日本対ドイツ 1996年4月29日 有明コロシアム
の話をしたい。
と言っても私の記憶もあいまい。
筆力もない。だから、引用させていただく。
ひょっとするとお咎めがあるかもしれない。
でも、それでも、R中のみんなには読んで欲しい。
株式会社E-ビジネスコンサルのブログからの引用です。
無許可です。でも、この素晴らしい内容を、
どうしてもみんなに伝えたいのです。
・日本テニス界の過去と未来が見えた日
1996年4月28日。東京。有明コロシアム。
あの日・・・。
伊達公子は、痛む左足を引きずりながら、ライジングショットを打ち続けていた。
沢松奈生子は、仲間のために、日本のためにひたすら走り続けていた。
長塚京子と杉山愛は、世界レベルに追いつきたいという若い野望を燃えたぎらせていた。
坂井利郎は、監督としてこの長い戦いの勝利を願い続け、冷静に見守り続けていた。
井上悦子(日本の女子テニスプレイヤーとして初めて世界ランク26位まで進出)は、TV中継の解説者という立場にありながら、時に涙声になって心からのエールを隠さなかった。
松岡修三(ウィンブルドンベスト8に進出)は、例によって・・・、何時間も応援の旗を全力で振り続けていた。
神和住純(戦後初のトーナメントプロ)と福井烈(9年連続日本ランク1位を記録)は、観客席で声を枯らして手拍子の先頭を切っていた。
あの日の有明コロシアムには、日本テニス界の過去を背負ってきた人々、今まさに現代をリードしているスター選手、未来の活躍が有望視される若手、それら全ての面々が一同に会していた。
もちろん、ここに名前を挙げられなかった数々の選手達も、きっと一人の観衆や視聴者として、この名場面を見つめていたはずである。
九鬼潤、土橋登志久、増田健太郎、辻野隆三、柳昌子、岡川恵美子、佐藤直子、雉子牟田姉妹、平木理化、宮城ナナ、神尾米、遠藤愛、佐伯美穂、吉田由佳・・・。 沢松和子さんやアン・清村さん、錦織圭だって観ていたかも知れない(もし本当に錦織が観たとすれば、当時まだ6才だったことになるが・・・)。
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フェデレーション杯・国別対抗戦、通称:フェド・カップ。 簡単に言うと、女子テニスのワールドカップである。1996年4月27 ~28日、日本はフェド杯ワールドグループベスト8に名を連ね、強豪ドイツとベスト4 (準決勝進出) を賭けて激突することとなった。ドイツは優勝候補であり、当時世界ランク1位の絶対王者 シュテフィ・グラフと、同5位のアンケ・フーバーの2枚看板を擁していた。
フェド杯のルールは簡単である。 シングルス4試合(2試合×2日間)と、ダブルス1試合、合計5試合で先に3勝した国の勝ち。
日本のシングルス戦出場選手は、エース伊達公子と沢松奈生子。2日間の対戦スケジュールは下記の通り。
4月27日 (大会1日目) :
第1試合 伊達公子 vs アンケ・フーバー
第2試合 沢松奈生子 vs シュテフィ・グラフ
4月28日 (大会2日目) :
第1試合 沢松奈生子 vs アンケ・フーバー
第2試合 伊達公子 vs シュテフィ・グラフ
当時伊達は世界ランクトップ10に入る選手ではあったが、それでもグラフやフーバーには及ばない。普通に考えれば、ドイツの4連勝、悪くとも3勝1敗で (5試合目のダブルス戦に突入する前に) ドイツが勝ち抜けるだろうと思われていた。
実際にグラフは、2日目の第2試合の後、(ダブルスの試合開始時間を待たずに) ドイツに帰国できるよう航空券の予約をしていたようである。しかし、そのグラフのスケジュールは、伊達公子によって見事に覆される。
まずは初日の第1試合、伊達公子が、世界ランク5位アンケ・フーバーの壁を破る。セットカウント、4-6、6-4、6-1、の逆転勝ちであった。ただし、勝利の代償に左足を痛めてしまう。沢松奈生子は、2日間の健闘及ばず2試合を落とすが、日本の1勝2敗で、伝説の第4戦 伊達公子vsシュテフィ・グラフの対戦を迎えることとなった。
第1セット。 フーバー戦で痛めた左足が気になるのか、伊達の調子が上がらない。絶対王者グラフは容赦なく強烈なストロークを打ち続け、気が付けば (アッと言う間に) ゲームカウント 「5-0」 となっていた。 もはや勝敗は明らか。伊達が1ゲームでも拾えるかどうか、そんな一方的な試合になりそうな雰囲気であった。
「左足の怪我に対する気持ちの整理がつかないまま、試合が始まってしまった」 後日伊達はそう語っているが、ここで諦めず開き直れるあたりが伊達の天才たる所以である。 楽勝を想定していたグラフに、少しずつ揺さぶりをかけ、丁寧にライジングショットを重ねて挽回していく。 圧倒的不利な状況から、じわじわと反撃を開始したのである。 なんと5ゲームを連取してタイブレークに持ち込み、最終的に「7-6」 で第1セットを奪ってしまった。
第2セット。 さすがに王者グラフが本領を発揮、ゲームカウント 「6-3」 で取り返す。これで勝敗の行方はファイナルセットへ。
第3セット。 ファイナルセットは、タイブレークがないため、どちらか一方が2ゲームアップ(先行)するまで試合は続く。 単なる個人戦ではなくそれぞれの国のプライドを賭けた争いであるが故に、一歩も譲らない両者の意地がぶつかり合い、2試合分、3試合分の時間が過ぎていく。負傷している伊達のどこにそんなスタミナがあるのか全く分からなかったが、伊達は持てる全ての集中力を発揮して、頑張り続ける。ゲームカウント 「6-6」 「7-7」 「8-8」 「9-9」 「10-10」 、果てしなく続くラリー、スタミナには自信があるはずの女王グラフもフラフラになりながらボールに食らいついていく。一方左足のテーピングが痛々しい伊達も、何度も足を痙攣させながら歯を食いしばって激走する。ワンプレイごとに、伊達の声も苦しくなり、息も乱れていく。 明らかに両者とも疲労が極限に達し、シーソーゲームは体力と気力を奪っていく。
先にマッチポイントを握ったのは伊達。 しかし、グラフがブレイクする。次はグラフがマッチポイントを握るが、今度は伊達がかわす。再度伊達がマッチポイントを握るが、グラフも粘りに粘って決着をつけさせない。
4月末とは言え、肌寒い一日であったと記憶している。3時間20分を超えた試合は、ゲームカウント 「11-10」 と伊達がリードして、最後のマッチポイントを迎えた。 この日伊達公子が放った952打目。 得意のライジングショット。グラフ渾身のリターンは、ネットにかかった。 「12-10」 。 女王グラフ敗れる! 一瞬の静寂の後、天を切り裂くような大歓声がコロシアムで爆発した。 全ての聴衆が涙を滲ませながら雄叫びを上げた。両手をあげてガッツポーズする伊達! 難攻不落の絶対王者を正攻法で撃破した、まさに奇跡の試合であった(ちなみに、グラフはこの年、この時点までは無敗であった)。
だが、奇跡の物語はこれで終わりではない。 この戦いはフェド杯。国別対抗戦である。伊達の勝利は感動を呼んだが、トータルの勝敗をようやく2勝2敗に持ち込んだに過ぎない。 準決勝進出は、最後のダブルスの結果にゆだねられることになる。
ダブルスにエントリーしていた選手は、両国とも若手のコンビであった。日本は、(その後の日本テニス界をリードすることになる) 杉山愛と、長塚京子に命運を託す。その時点でのコロシアムの雰囲気は?と言うと・・・、 伊達公子が起こした奇跡の余韻もある上に、ホームゲームで地の利もある。ダブルスなら・・・、若手同士の争いなら・・・、もしかすると日本にも勝機があるかも知れない、そんな空気が漂っていたように思う。
そんな甘い思いを打ち破る出来事が発生した。 ダブルスの試合直前、ドイツが出場選手を変更してきたのである。 最終戦・ダブルスにエントリーしてきたのは・・・。なんと!!! 先ほど試合を終えたばかりのグラフとフーバー。 追い詰められたドイツは、最も信頼できる 世界ランク1位と5位の最強ペアをダブルスにぶつけてきたのである。 もちろん、ルール違反ではない。 登録しているメンバーなら誰を出しても構わない。
「ええっ? それはないでしょ!」 直前のメンバーチェンジに頭を抱える大観衆、呆れ顔の報道陣。かくして、杉山、長塚の若手コンビは、世界最強ペアと最終戦で激突することとなってしまった。
しかし。 杉山愛と長塚京子は燃えていた。 杉山にとって伊達公子は憧れの存在であり、目標でもあった。その伊達が、フラフラになりながら命懸けで女王を撃破するシーンを目の前で目撃した。応援で絶叫しながら、二人は誓っていた。 「伊達さんが作った千載一遇のチャンス、絶対にモノにする! たとえ相手が世界最強ペアでも!」
二人は、粘った。相手のペアは、シングルスではそれぞれが世界最強レベルにあることは間違いない。それでも、ダブルスのコンビネーションに関しては、自分たちのほうに経験的有利さがあると信じ切っている、そんな風にも見えた。
第1セット。 圧倒的な体格差がありパワーに劣る日本ペアは、試合序盤は完全な力負け、必死に食らいつくも第1セットを奪われてしまう。しかし、二人は決して諦めない。第2セットになると、グラフとフーバーにも多少の集中力低下が見られるようになった。 2人は、食いさがって食いさがって、拾いに拾った。 肝心な場面では杉山のポーチや意表を付いた長塚のストレートリターンでポイントを重ねた。
徐々に流れが変わっていった。 グラフとフーバーのわずかなコンビの乱れを、杉山のボレーが正確に射抜く。杉山と長塚は、ミスをしてもそれにこだわることなく、次々と更なる有効打を上乗せしていく。杉山と長塚の目が、爛爛と輝き始める。第2セット終盤になると、両者の動きは全くの五分五分に思えるようになっていた。
ファイナルセット。ここまで来ると追う者のほうが心理的有利となり、失うものがないほうが思い切ったプレイをし易い。日本の若手コンビがコートの中心で躍動する。「奇跡が起きれば・・・」という気持ちは、「可能性があるかも?」に変わり、最後は「いける! 絶対に勝てる!」 と信じられるほど、二人の背中が徐々に逞しく変化していったように見えた。 杉山の素早い動きにドイツがついていけなくなった。 この日 2回目の奇跡が起こった。長い長いフルセットの戦いが終わった刹那、杉山と長塚はその場に崩れるように倒れこんだ。伊達がグラフを撃破した瞬間を上回る大歓声が上がった! 優勝候補ドイツ敗れる! 日本、奇跡の大逆転勝利で準決勝へ進出!
絶叫する者、抱き合う者、ハイタッチやガッツポーズを繰り返す者、涙する者・・・。そこには、日本テニス界に関わった全ての人々の晴れやかな笑顔があった。スタンディングオベーションといつまでも鳴り止まない拍手が記憶に刻まれている。
観ているだけでヘトヘトに疲れ切ってしまうような1日であった。しかし、1996年4月28日こそが、日本テニス界の歴史上に発生した唯一のオールスターゲームであり、日本テニス界の現在・過去・未来が凝縮された特別な1日であったと確信している。
グラフはこう語っている。『あの試合に負けたことを少しも恥ずかしいとは思わない。私は全力でプレイした。結果として上手くいかない試合もある』
以上