おやつ堂 のあ in 黒部・宇奈月

黒部・宇奈月のちいさな手作りお菓子屋「おやつ堂 のあ」の日々あれこれそれこれぶつくさ日記。今日は何を書こうかな***

今日は糸魚川

2015-09-26 05:53:49 | おやつ堂 のあ
今日明日は糸魚川クラフトです。
お初参加です。
糸魚川、お隣新潟県ですが多分1時間半くらいで着くのでは???
もっと早いかも。
高岡に行くくらいかな???

あんまり作れなくて手薄なんですが2日間楽しめたらいいなと思います。

糸魚川クラフト
約100名の手仕事の職人と飲食店が全国から「美山公園」に大集合!
作り手の職人と会話を楽しみながら作品を買うことができます。
長者ケ原遺跡縄文広場ではのんびり楽しめるライブパフォーマンスなどもあります。

◆日時 
平成27年9月26日(土)10:00~17:00
27日(日) 9:00~16:00

◆会場 
美山公園

◆問合せ 
糸魚川クラフトフェア実行委員会(ステンドグラス三宅)025-568-2951

またまたシリーズ

2015-09-25 16:48:04 | おやつ堂 のあ
動物愛護っていう言葉自体が上から目線だよねって、話がちょっとズレてますか(笑)
内海さんのFBより
*転載はじめ*

対立するクソシリーズ3(動物愛護と食)

私はある意味において菜食主義とか動物愛護の人々が嫌いだ、といつも述べていますが、別に存在するのも自分が菜食になるのもかまいません。
ただ栄養不足で病気になりやすいので、自己責任でやってください、病院は救急時以外利用しないでねと言っているだけですが、現状では動物愛護者の差別心は外から見ていてもっとも醜くなっています。
彼らはそれを聞く耳などもっていませんが、どこかで誰かが指摘した方がいいのでしょう。
菜食主義には大きく分けて二つあり、一つは動物を食べるのが体に合わないという人々、そしてもう一つは動物がかわいそうだから食べないという人々です。
私は前者は全くかまわないし、後者も自分だけでやるならかまいません。
しかし動物愛護者ほどそれを他人に押し付けようとし、あまつさえ子どもにさえそれを押し付けようとし、さらにいえば生物学的な歴史もすべて無視し科学さえもすべて無視するという、完全な悪魔的宗教にまで陥っているところが問題です。
しかし動物食というかこれまでの人類の歴史通りの雑食をする人々も、先住民や野生動物の摂理に従って食べているとは言い難いです。
本質的に動物愛護を否定するなら、せめて畜産養殖することの問題はとらえる必要があります。
動物食をするなら自分でさばけるかどうかも重要です。
よく動物愛護者は自分で殺すとほとんど食べれなくなると言いますが、私はまったく問題ありません。
医者だから人間サバイテきたので当然ではありますが、先住民がさばいてきたのと同様に思想を持つことができるからです。
私たちは動物食がどうとかいう生物学的に愚かしい嘘を並べる前に、動物を殺し動物を食べるのがかわいそうで、植物を殺し植物を食べるのはかわいそうではないという世界最凶の欺瞞、植物には心がないというという欺瞞、に向き合う必要があります。
ニンゲンだけでなく生物全体が殺して食べる以外に生き残る方法はなく、私なら自分と自分の子どもが生きていくためには、狩猟でも採集でもなんでも実践するだろうことを考慮する必要があります。
動物を助けようとする自分に酔い、植物は声を上げないのでかわいそうではないという精神は、結局のところ自分が正しいと思い込みたい人類最凶最悪の思想につながっています。
いつも言うように、生きるために何を食べるかのチョイスなどより、生物界の原則に従うなら先にやることが人類にはあります。
畜産の育て方、殺し方、不自然な味付けや抗生剤やホルモン剤のやワクチン、ペット産業、殺処分(そもそも犬猫だけかわいそうというのも問題だが)、獣医産業、そして何より食料廃棄と人類の数です。
私は人類削減論賛成論者、それを反対するのは一部の人間が戦争や医療殺人によって行うことの問題であり、教育によって先住民と同じように、自分たちの人口も考えなければいけません。
そして便利と欲望によってもたらされる食料廃棄をやめれば、あらゆる生物の9割は無駄に殺されることがなくなるでしょう。
ここで重要なのは、動物食がベジが動物愛護が不食が言っているのであれば、相手や一市民をディスっているよりやることがあるだろうとことです。
我々ニンゲンは生物の輪の中の一つに過ぎず、死ねば土か灰として微生物に食べられるのがサダメです。
それを崩しているのは自分たちであり、大企業であり、国家であり、便利さであり欲望です。
なぜどちらの人々であっても、狭い社会の中でお互いをディスりあうことしか考えないのか、それこそが奴隷の奴隷たる証であり、貴族に立ち向かう自立心を捨て去っているのか、人類が真に進歩したいなら考えたほうがいいでしょう。

*転載おわり*

神はなぜに動物や植物や人間をお造りになったのか。
神はなぜに食べるという行為をお与えになったのか。

なーんてね

自分でさばくと、命の大切がわかるという。
どっかの高校で、鶏を育ててさばき料理することを授業に取り入れてるのをみたことがあります。
命と向き合う。
きれいごとのの話ではないのです。

シリーズだって

2015-09-25 16:36:04 | おやつ堂 のあ
おかしな世の中に、答えを導き出そうとして単一的な終着駅で演説する方が多いです。
これがいい、あれがいい、それはダメ云々…
結局三次元の要素にとらわれているうちは、すべてを解決することは出来ないでしょう。
内海さんのFBより
*転載はじめ*

対立するクソシリーズ2(肉食草食

最近講演中になかなか良い質問をされました。
昨今の栄養学の風潮はすべてを糖や砂糖のせいにしてないかと。
若いけどよく見てるなと思いましたね。
もちろん砂糖は猛毒ですが最近はなんでも砂糖のせいにする人も多いようで、そんな簡単なものではないでしょうにね。
ここではクソシリーズ第二弾として和食系と糖質制限系や先住民系の食について、簡単に考えてみましょう。
ま、長いし個人観念も入ってますので、自分が正しいとか思うバカたちは読まない方がいいと思います♪。
和食系の主張の論拠は、日本人が農耕民族で数千年以上過ごしてきたこと、ガンや難病や膠原病などの病気(まさに現代病)が、それで回復した経験を多数持つこと(これは私もよく見かける)、植物の解毒力=科学的に言うと排出性栄養素やフィトケミカル、動物愛護的観念、土に慣れ親しむことや農業的観念、肉食系古代民族の平均寿命の低さ、人口増加に伴う狩猟や肉食の限界点などを考慮して、それを推奨してきます。
これはこれで結果として出ているものであり、これを否定するのは部分的には単なるアホというものです。
肉食に代表される食や古代民族をモチーフとした食べ方は、人類の歴史の中でほとんどが狩猟だったということ、古代民族の体の健康さや強靭さ(農耕民族より強そう)、長生きする人の多さ(平均寿命の短さは幼児死亡と若者の事故死亡に起因する)、古代民族に野生動物と同じく現代病がないこと、アニミズム的思想のすばらしさ、日本の歴史的肉食禁止が嘘でありごちそうであったこと、日本人の中でもアイヌ人を参考とすること、狩猟民族的食事だと糖質含有が少ないこと、などを理由にそれを推奨してきます。
これもこれで部分的には論理として通っており、単にこれを否定するのもアホというものでしょう。
現代で食問題を訴えるスタディのすべては、ある単一のたんぱく質だったりある動物を主でしか考えていません。
総合的な動物を食べるという結果をとらえておらず、現代の動物に生態濃縮されたり入れこまれている毒物も全く考慮していません。
さらにいえばその中に含まれている無数の因子を考慮することは不可能なのです。
肉や魚の旬も考慮しておらず、和食であれ糖質制限系であれ、データが所詮統計である以上アホだと自己主張しているようなものです。
まあ、確かに和食推奨者は糖質の量には無頓着で、糖質制限系は動物食の生体濃縮や腸内細菌の意味を理解してないので、どっちも似たようなものであるのは確かです。
ここまでは歴史や栄養学の初歩的な話ですが、こんなことさえ全部押さえていないのに、やれ糖質制限がいいとかやれ和食がいいとか、どんだけアホでバカなんだか知れたものではありません。
さらにここにソマチッドの理論、千島学説的理論、光子に関する理論、腸内細菌のこの一万年の変化に関する理論、日本で農耕がされてきたのは数千年前とか信じているアホな嘘、不食で生きている人々がどのような科学的理由によって生きているのか、うまいものを食べるということの精神的価値と健康への影響、なども総合的に考慮せず、それぞれの体質を考慮していないから、日本は現在の状況であり続けるのでしょう♪。
そもそも論でいえば、肉食がどうとか草食がどうとかいったり、自分の対立軸の同じレベルの市民をぐだぐだ言うニンゲンたちは、宗教以前に健康オタク=不健康であるということの問題をもっています。
さらにいえば相手を論破したいとか自分は間違ってないというのを、ひたすら主張したいという点において、彼らの執着と執念は素晴らしいものがあります♪。
不調も自分の声として自然のままに生きるなら食いたいように食って、死ぬときには死ね、を実は全く実行できていない人々なのです。
PPKしたいがために食の追及を行っているはずが、どこまでも執着し続けているという自分の新興宗教ぶりに気付かずして、平穏平和な自分の人生さえ導くのは難しいことでしょう♪。

*転載おわり*
で、結局答えは?
なんて答えだけを求める方には一生理解不能だと思います

シリーズらしい(笑)

2015-09-25 15:41:05 | おやつ堂 のあ
よく内海さんの口の悪さを非難や指摘する方がいますが、きっとそんなこと言われなくても内海さんは百も承知だと推測してます。
守るものがあるから覚悟を決めている
きれいごとの話ではないのです。

内海さんのFBより
*転載はじめ*
対立するクソシリーズ1(玄米)

この議論はよく行われているようですが結構ばかばかしい限りです。
栄養学者とか医者が玄米は体に悪いとよく言っていますが(もちろんいいといっている栄養学者や医者もいますが)、これはある意味において正しいものの、結局は何も知らないことの証でしかありません。
まず玄米批判に関してはいくつかの論点があります。
一つは農薬、一つはフィチン酸もしくはアブシジン酸、一つはミネラルや栄養、一つは菜食主義になります。
順に説明していきます。
生物毒というのはどこにでも存在していますが、これは植物が動物に食べられないようにするためのものであり、玄米にも当然当てはまります。
ほかの穀物として代表的なのが大豆になります。
簡単にいうと大豆をそのままとりすぎるのはよくない、だから発酵系の大豆食品ばかりなのだと。
つまり生物毒というか身を守るために活躍している因子がフィチン酸でありアブシジン酸などです。
これらは実際、立派な生体毒です。
この話が発芽玄米のほうが良いという話につながっていきます。
つまり水にさらされ芽を出そうとすることにより、フィチン酸は変化し毒性が薄れるという理屈です。
これは部分的には正しいのですが、一説によるとこれ自体が間違いであるという話もあります。
発芽により解毒されるのは一部分であって、根幹はそちらではなくフィチン酸とフィチンの差も理解できていないからという考え方です。
前者はミネラルを奪いますが、後者はすでに結合状態で体内からミネラルを奪ったりはしません。
フィチンによるミネラル欠乏説は古い説を基本としており、現代において問題が指摘されています。
ただ部分的には正しいところもあるので、それを加味して考えねばならないということです。
もう一つ注意しなければならないのが農薬です。
古代の玄米は農薬など加味されていませんでしたが、現代の米には農薬が含まれやすくなっています。
これは当然指摘されるべきで、この点をクリアしなければ現代的に玄米がいいと一概には言えなくなります。
玄米自体には多くの栄養素が含まれているといっても、肉や魚や卵にはかないませんし、文化なども考慮する必要があります。
放射能防御に玄米が使われたのも、玄米だけでなく味噌汁やごま塩との相乗効果であることを見抜かなければ、意味が分からなくなります。
さらにいえば玄米が良いと言ったところで、炭水化物が過剰になれば人間は不健康になるものです。
現実的に菜食主義は栄養欠乏に陥りやすくなります。
これはこれでまぎれもない事実であり、副食や魚、場合によっては肉なども含めて栄養素を考慮した方が本当は良く、かといって現代の肉食には現代的別問題(抗生剤、ホルモン剤その他)も考慮しなければなりません。
玄米は現代日本においては重要な意味があるものの、最低限農薬の問題をクリアーし、玄米の炊き方(これは豆の利用法と概念は同じ)を知っていて、かつ菜食主義の弱点を知っていて副食との絡みを理解していること、これがあって玄米は初めて現代の不健康に対して一つのアンチテーゼとなります。
玄米があわない人もこの世界にはたくさんいて、納豆だってそれだけ食ってりゃバカになるというものなのです。

*転載おわり*
物事は単純に変化のないものではなく、複雑で変化に長けてることを理解しない限り頭での理解は難しいですね。

今日のおやつ

2015-09-23 20:29:18 | 自家製酵母

かぼちゃのベーグルよもぎのベーグル

パンは天然酵母パンが好きです。
できれば自家製酵母で。
複雑な滋養がぎゅっと混じり合ったものが好きです。
それと美味しい粉。
たくさんパン屋さんあるけれど、粉の味がしないものが多い気がします。

最近はイーストも酵母と表記できるとか。
やっぱり買うより自分で作るか、作り手さんとコミュニケーションとれるお店がいいですね。