「日本人とリズム感(樋口桂子著)」という本があります。
著者は音楽家ではありません。文学と美学を学んだ方のようです。
言葉にお詳しい様子。美術にもお詳しいです。
そのような方がなぜリズムのことを‥、と思いましたら、ご本人が大人になってからチェロを習い、その時の出来事がきっかけになったと。
あとがきにそのことが書かれておりました。
あとがきが一番面白っかった、と言っては失礼ですが、これは楽器を教えている先生方は必ず経験されているだろうと思い、そういう意味でたいへんリアルなお話でした。
大人になってから何となく習い始めたチェロ。
それなりに順調に進んでいたレッスンである時突然先生が、「あなたはリズム感が悪い、悪い、悪すぎる」と。
ここまでならもう少し穏やかな言い方で言うこはあるなと思いましたが、その先生はさらに「あなたの音を聞いていると腹が立つ」と。
先生の言葉はどんどんエスカレートしていったらしく、それ以来、1本の開放弦を先生の数える拍に合わせプープーと弾くだけの地獄のレッスンが始まったと。
先生の様子が他にも本には書かれています・・
著者の方は、「弾く前にすべき準備のリズムがなく、最初の拍をめがけて突進していくように弾いているらしい」けれど、本人にはその自覚がないとあります。
弾く前に瞬間的に息を止めてしまうようで、その度に先生は怒り狂うと。
身体の動作全体から見直すことを学ばなければならず、歳を重ねてからでは脳の経路全体を改造して行くのは、想像以上の気力と体力が必要と。
その内レッスンから脚が遠のいてしまったが、リズムへの興味はむしろ広がり何か書けるのでは、と思ったそうです。
この光景、ここまでではなくともあると思います。
著者の方が次のように上手くまとめられています。
「弾く前の準備の呼吸は、それから始まる音楽の全てをつくっていくものなので、それを大切にしなければ、全てが無駄である・・中略・・循環するリズムを感じさせるものでなければならない。・・中略・・プツンプツンと切れてしまうのではない、粘りを持った音の連続しかチェロから出してはならないし、そういう音しか正しいリズムと音楽をつくってくれない」
まさに‼
そしてピアノも同様です。
今日も小学生のレッスンで、以前から何度言っても弾き始めの呼吸なしでいきなり弾き始める生徒さんがいるのですが、”ピアノは手首が口”と何度言ったか・・
せっかく手首で呼吸したと思っても必ず一度止めて、結局呼吸なし状態に戻して弾き始めます。
謎の動き・・
その生徒さんにとっては、呼吸はただの作業で音楽に結び付くものではないのだと思います。
この本を読んでいたので、日本人の特性だ、と思ったら腹も立ちませんでした。
私自身も自分で気付いていないことがあると思います。今日は自分のことは思いっきり高い棚に上げさせて頂きます。
日本の武術を思い浮かべると、息を殺し、気配を殺し隙を突く。
忍者も字のごとく、忍びの者。
さぁ、行きますぞ、などどわかってしまってはいけないわけです。