32年前に出版された本ですので少し話題は古いのですが、現在でも通用するお話をされているのでご紹介します。
バイエルの芸術性のつまらなさをご指摘。
およそ子供の内的イマジネーションを膨らませるようなもの、音楽的刺激を与えるものではないこと。ピアノの鍵盤の4分の1の音域しか使っていないこと。指の練習のための練習でしかなく指以外の練習が何もできないことなどを挙げています。
ピアノを弾くというのは単に指の運動に尽きるのではなく、手、前腕、上腕、肩、腰など全てを使う運動。
バイエルは指以外の練習が全く欠けている。結局極めて狭い範囲の鍵盤の上で指だけの練習をするテキストであると言わざるを得ない。
良いテキストとして腕の使い方を学ぶことができるクルターク「遊び」、ルンツェ「2つの手・12のキー」を挙げ、子供はピアノを習い始めて1週目で腕の使い方を学ぶことができるはずです。
と、あります。
ルンツェはロシアンメソッドのテキストを使う前に私は全員に使用していました。
初めの所だけですが・・
このテキストで手首や腕の使い方を最初に教えていました。
子供の書いた絵しか載っていないユニークなテキストです。
ユニーク過ぎてほとんど知られていないテキストです・・
メト―ドローズの問題点も指摘されています。
バイエルより遥かに優れている。メロディーの面白い曲が含まれているがフランスの歌なので日本人にはどうか。バイエル同様左手の練習がほとんどない。左手は単なる伴奏パートに終始している。すべてが指の練習で腕を使う練習がない。20個の鍵盤しか使っていない。ピアノの正しい座り方の絵にたいへん問題がある。
と、あります。
どちらも現在ではあまり使われておりませんが、それでも去年引き継いだ生徒さんでメト―ドローズを使っている生徒さんがいます。なぜそれにしたのかずっと疑問に思いながらそれを使っておりますが・・
さて最後にこれを是非お読みいただきたいと思います。
「思うに、教師は常にその考え方がモダンで、生き生きとしていなければなりません。もし教師が、自分が20年前、30年前に使ったテキストをそのまま生徒に使わせるとしたらそこには何の進歩もありません。そのような教師は絶望的です。20年前、30年前は仕方がなかったかもしれませんが、その間にモダンな考え方に裏打ちされた素晴らしいテキストが出現しています。この事実に教師は気が付かなければなりません。」
インタビュアー:『教師はモダンで革新的であれということですね。旧態依然とした考え方しかできない教師が日本の音楽教育界、ピアノ教育界に少なくないとしたらそれは問題ですね。』
「古い教本に固執しそこに何の疑問も感じない教師は本当の進歩を知らない人です。」
と、あります。
批判的なご意見が多く書かれていますが、先生が日本で感じられた疑問は30年以上経った今も存在していると思います。
何度か書かれていることに
「子供に接するピアノ教師は、ピアノを弾くということはあくまで芸術することでありそれ以外の何物でもないのだということを常に教え続けなければなりません。」
と、あります。
ロシアンメソッドで子供たちに音を求めているのはこういうことでもあります。
音が良くなってくると音楽が美しいものであることがわかってきます。そしてその先にもっと深いものがあり、それを表現する歓びを知るようになります。
しかし、芸術以外の何物でもないは賛同できないです。
ピアノを通して、あるいはレッスンの時間を通して立ち直っていく子供たちもいるのです。
30年以上前に書かれた本ですが、改めて考えさせられることが多かったです。
古い本なので手に入らないかもしれませんが図書館にあったら是非、読んでみて下さい。
「日本人の音楽教育」新潮選書
ロナルド・カヴァイエ 西山志風 著
1987年(昭和62年)発行
バイエルの芸術性のつまらなさをご指摘。
およそ子供の内的イマジネーションを膨らませるようなもの、音楽的刺激を与えるものではないこと。ピアノの鍵盤の4分の1の音域しか使っていないこと。指の練習のための練習でしかなく指以外の練習が何もできないことなどを挙げています。
ピアノを弾くというのは単に指の運動に尽きるのではなく、手、前腕、上腕、肩、腰など全てを使う運動。
バイエルは指以外の練習が全く欠けている。結局極めて狭い範囲の鍵盤の上で指だけの練習をするテキストであると言わざるを得ない。
良いテキストとして腕の使い方を学ぶことができるクルターク「遊び」、ルンツェ「2つの手・12のキー」を挙げ、子供はピアノを習い始めて1週目で腕の使い方を学ぶことができるはずです。
と、あります。
ルンツェはロシアンメソッドのテキストを使う前に私は全員に使用していました。
初めの所だけですが・・
このテキストで手首や腕の使い方を最初に教えていました。
子供の書いた絵しか載っていないユニークなテキストです。
ユニーク過ぎてほとんど知られていないテキストです・・
メト―ドローズの問題点も指摘されています。
バイエルより遥かに優れている。メロディーの面白い曲が含まれているがフランスの歌なので日本人にはどうか。バイエル同様左手の練習がほとんどない。左手は単なる伴奏パートに終始している。すべてが指の練習で腕を使う練習がない。20個の鍵盤しか使っていない。ピアノの正しい座り方の絵にたいへん問題がある。
と、あります。
どちらも現在ではあまり使われておりませんが、それでも去年引き継いだ生徒さんでメト―ドローズを使っている生徒さんがいます。なぜそれにしたのかずっと疑問に思いながらそれを使っておりますが・・
さて最後にこれを是非お読みいただきたいと思います。
「思うに、教師は常にその考え方がモダンで、生き生きとしていなければなりません。もし教師が、自分が20年前、30年前に使ったテキストをそのまま生徒に使わせるとしたらそこには何の進歩もありません。そのような教師は絶望的です。20年前、30年前は仕方がなかったかもしれませんが、その間にモダンな考え方に裏打ちされた素晴らしいテキストが出現しています。この事実に教師は気が付かなければなりません。」
インタビュアー:『教師はモダンで革新的であれということですね。旧態依然とした考え方しかできない教師が日本の音楽教育界、ピアノ教育界に少なくないとしたらそれは問題ですね。』
「古い教本に固執しそこに何の疑問も感じない教師は本当の進歩を知らない人です。」
と、あります。
批判的なご意見が多く書かれていますが、先生が日本で感じられた疑問は30年以上経った今も存在していると思います。
何度か書かれていることに
「子供に接するピアノ教師は、ピアノを弾くということはあくまで芸術することでありそれ以外の何物でもないのだということを常に教え続けなければなりません。」
と、あります。
ロシアンメソッドで子供たちに音を求めているのはこういうことでもあります。
音が良くなってくると音楽が美しいものであることがわかってきます。そしてその先にもっと深いものがあり、それを表現する歓びを知るようになります。
しかし、芸術以外の何物でもないは賛同できないです。
ピアノを通して、あるいはレッスンの時間を通して立ち直っていく子供たちもいるのです。
30年以上前に書かれた本ですが、改めて考えさせられることが多かったです。
古い本なので手に入らないかもしれませんが図書館にあったら是非、読んでみて下さい。
「日本人の音楽教育」新潮選書
ロナルド・カヴァイエ 西山志風 著
1987年(昭和62年)発行