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リオの事件で考えたこと

2011年04月12日 | ブラジル雑記

日曜日の「Fantastico」という番組で、先日のリオの学校での銃の乱射事件のことを取り上げていました。
その中で、一番初めに犯人が侵入して発砲した教室にいた先生に対するインタビューがありました。
インタビューによると、教師がいることで犯人が一層興奮状態になってくるので、手近な生徒の手を引っ張って、早く逃げるよう生徒たちに叫んで逃げたということ。
本人は「助けを求めに走った」とありましたが。
校内の防犯カメラを見ると、先生が真っ先に教室から出て走って行く映像が映っています。

でも、実際は逃げだせた生徒はほんのわずか。
ほとんどの生徒が床に突っ伏して、動けなくなっていました。
その中で4人の生徒が撃たれました。
一人の男子生徒は、犯人に「撃たないでくれ」と頼んだとか。
犯人は女性生徒を選んで撃っていきました。
撃たれた生徒のほとんどが、頭や胸を撃たれて死んだそうです。

雑誌「VEJA」の今週号には、殺された14人の生徒たちの一人一人の写真、どんな生徒だったか、どんな夢を持っていたか、そんなことが紹介されていました。
どの生徒も、本当にごく普通の、どこにでもいる女の子、男の子。
ここにうちの娘の写真があっても、不思議はないねと夫と話しました。

そう考えると、あの、教師が逃げる映像のことが気になりました。
もし、私が殺された生徒の親だったら、「なぜ、先生はあの時、真っ先に逃げ出したのか?!生徒たちを助けようとはしなかったのか?!」と非難することでしょう。
憎しみさえ抱くかもしれません。
でも、一人の人として考えると、教師であってもやはり人間ですから、拳銃を突きつけられたら、恐ろしいでしょう。
真っ先に逃げ出す気持ちもわかります。
それでは、もし、私が教師という立場だったら?
床に突っ伏し、犯人に撃たれていく生徒たちを残して、自分だけ教室から出ていけるか?

今回は「学校」という閉鎖空間で起こった事件だから大きく取り上げられましたが、街を歩いていて銃撃戦に巻き込まれる、ショッピングセンターで強盗の撃ちあいに巻き込まれる、いろいろなパターンで出会う可能性のあることです。
それだけに、いろいろなことを考えさせられました。
コメント
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