クレーム。仕事柄、割と付き合いの長い単語だ。
彼我共に楽しいモノではないので、できうる限り、スムーズに、円満にケリを付けたい。
ただ、双方の利害が大きく絡むデキゴトなので、トラブルに発展しがちだ。
クレーム、と言うデキゴトは、事態の収拾に向けて、2つの側面が、大きく影響すると思う。
ひとつは、彼我共にヒトであり、感情が大きく影響する、と言うこと(8/12参照)。
もうひとつは、「受忍限度」だと思う。
例えば、「新品交換」によって対応するのが販売者の立場としては最大限の誠意とは思うが、消費者の立場では「交換作業によって使えない間の損害は誰が補填するのか」と、言いたくなると思う。
例えば、家電品メーカーで、気の利いたトコなんかは、電池の試供品かなんかを「サービス」して、少しでも消費者の溜飲を下げる努力が感じられるケースもあるように聞く。
消費者が消費する商品については、その不具合に対応する作業などによって発生した損害は補填されないのが一般的だと思う。
反面、企業などの生産活動にかかわるものなどは、契約で細かく決められていることが多い。
このような、「損害」はまだ、マシだ。客観的に判断しやすいし、数値化も比較的容易だ。
問題は、「受忍限度」。
たとえば。
購入した新車の塗装に不具合があったとする。
ディーラーでは、交換可能なパーツなら、交換するかもしれないが、交換不可能な補修パーツなら、補修するだろう。
消費者の中には、新車なのに「補修」は納得いかないというヒトもいると思う。
見た目は同じでも、だ。
たとえば。
オレの購入した、塗装不具合のBRM。ヒトによっては満足してたかも知れない。
よくよく見なければ判らない不具合というヒトもいると思う。
加えて、販売者は「検品はした」と証言しているのだから、検査者は「これでもいい」と判断したと言うことだろう。
そう、コレが受忍限度なのだ。
評価基準はあくまで相対的で、数値化も困難だ。相対的である以上、あくまで、販売者と消費者の合意によって解決するしか、方策はないのが現実だ。
だが。
販売者がいくらプロフェッショナルで、優良な企業で、「何とかいい方向で解決したい」と考えていても、できることには限界があるし、時の流れは戻せない。
消費者がこの限界を「誠意」として受け止めるか、自己の主観の受忍限度にこだわるか、で、結果は異なると思う。
受忍限度との差額をおカネで戻せなんてのは、クレームを口実としたタカリと変わらない(即ちお客様ではなく、テキ、と言うこと)、というのがオレの判断基準である以上、何とか合意点を探るのが手法の中心になる。
そして、それがうまくいかない時、公平な第三者に判断してもらうしかないのだから、裁判に至るのもやむなし、と思うケースも確かにあるのだ。
受忍限度に絡むクレームは、現実は合意に至らず、裁判までもいかず、双方納得できないまま、オワカレ、と言うパターンが最も多いかも知れない。
受忍限度(主観)が相対的である以上、仕方がない部分もある、としかいえないのが、ツライとこでも、ある。