憧憬、大艦巨砲主義w

メイン盆栽HAWK11 営農機セロー250 奥様号レブル250

心痛。

2008-01-10 00:49:31 | 俺だよ、オレ。
 

今日もお葬式。
ココ1ヶ月の間に通夜やら告別式やらで6日ほど使っているので、週に1回は通夜か告別式に出てる勘定。
なんだかなぁ。。。
いづれにしても、こういうのは、もう、いいよ。
うんうん。

オレ個人の意見として、神は、信仰の中にしかいないと思っている。
同様に、霊魂や超常の存在も、信じるところにしか存在しない。
従って、「死」とは死者にとっては「無」に他ならない。

だから。
あんまり追い込んで意識しない方がいいとは思うのだけど。
いつか、この、自分が感じている意識も、無に帰する時が来る。
小説や、TVや、ゲームなどで俯瞰するように他人事に意識している「死」だけれども、それは確定的に自分にもやってくる。

今、五感を持っているこの身体も、感情も、意識もリアルに「無」となるのだ。
それは、さながら、ココしばらく眺めてきた遺体が既に「彼」ではなく、ただの「物体」でしかない事実であり、自らも同じ軌跡をたどるという真実だ。

そして、葬儀という儀式は、残された者にしか意味を生まない、ただ死者を悼むキモチだ。

そこに、そうでない者共が立ち入る領域は、本来存在しないはずだが、確実に、ありえてしまう。
ここ3回の葬儀ではそんな場面を幾度となく、目の当たりにしてしまったように思う。

彼らは、自分自身の死を悼む者の間に、そうでない者が紛れ込むコトに心痛を感じないのだろうか。
だとしたら、それは、冒涜と言う言葉の意味を理解していない人間の所作であると思えてならない。

たぶん、ここんとこ、キモチが塞ぎ気味なのは、そのせいではないかと思えてならない。
コメント (2)
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