ここんとこ、何年位かしら。
「誰とでも仲良く、なぁんてありえねぇ」
とか、実践するようになったの。
そりゃぁね。
隠遁もしくは引籠もって生きてるワケではないので、表立ってワザワザ「オマエとは仲良くなれねぇよ」なんてことは言いませんが。
いや、ここ最近は、言ってるかも知れない(笑)。
昔は、そんなヤツとだって摩擦は起きないようにしてた。
通常、相手だって初対面からこちらをテキにしているコトはないワケだし、フツーのヒトがほとんどなのだ。
そもそも、摩擦するコト自体が非生産的だし、わざわざ求めて不愉快を生み出す必要だってないもの。
さらに、ほんのちょっとだけ歩調を変えれば摩擦だっておきない。
摩擦を避ける労力なんて、微々たるものだ。
そう、思ってた。
そして、それは、決して間違ってるコトじゃ、ないと思う。
今でも、間違いじゃないと思う。
んでもね。
やっぱり。
「誰とでも仲良く、なぁんてありえねぇ」
と思っているのですよ、オレ。
その意味では、正直な方が、美しい。
いや、正しい、か。
違うな。
ラク、が正答か(笑)。
ハタから見てるだけでも許せねぇ、って思うことは許す必要はないし、別段、イイトコ探して見る必要だってオレには、ない。
逆に、そういうヤツ、ぶん殴って生きていけたら、きっと、オレの良しとする社会正義の実現に、わずかな貢献になるのではないだろうかと思うくらい。
ま、物理的に膺懲してたら、オレの人権がいくつあっても足りないので実行しないだけ。
だから、態度や発言を偽装するの、やめた。
ま、お仕事はおカネもらってんだから、その間はおカネの分だけ「演じて」るけど。
生き方としては、狭くなったと思うし、自己の囚われとなっているのも、感じる。
誤解であったとしても、きっとどこかで自分も誤解されてる。
たぶん、相手が違うだけで、お互い様だ。
んで。
ナニがいいたいのか。
自分の意思とか感じ方に真摯に向き合いたいのですよ、オレ。
そういう意味で、自分に対して怠け者になりたくない。
瞑目する時に、自分や家族にウソ吐いてた、って感じるの、ヤだもの。
自分に対してウソツキになりたくない。