松山駅から軽く15分以上は歩いたと思います。
松山城のお堀には二羽の白鳥が泳いでいました。
お城へ向かうルートはロープウェー街の東雲口ロープウェイ・リフトの他、徒歩ルートはロープウェー街東雲口登城道、県庁裏登城道、黒門口登城道、古町口登城道の4ルートあります。
まずは、ロープウェー街東雲口登城道から登城してみました。
松山城の創設者、加藤嘉明の銅像横から東雲神社へと向かいます。
東雲神社は文政6年、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請したのがはじまり。
境内では、外に椅子が並べられていました。
珍しいです。
神社の裏手にまわると、頭上のロープウェーと交差した先に道が続いています。
高所恐怖症の私には歩く以外選択肢がないわけですが「歩いている人がいるわ~、よ~歩くわ~」と上から奇声が聞こえてきた時には、ちょっと嫌な感じがしました。
ロープウエーの終着駅です。
ここまで登ってきた私は、汗だくです。
軽食屋とお土産屋さんがありました。
どんな組み合わせか、しばし足を止めました。
乾門・乾門東続櫓は、慶長年間正木城から移建されたといわれ、乾一ノ門とともに、松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっているそうです。
この場所は撮影スポットだとボランティアさんが教えてくれました。
松山市の中心部、勝山(標高132m)。
四国の空は、とても清々しく美しく、水平線まで見渡せました。
山頂付近は賑わっていました。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。
「坂の上の雲」の撮影に使われた場所がここ。
重要文化財の「野原櫓」は、日本で唯一現存する望楼型二重櫓。
野原櫓は乾櫓とともに本丸西北を防備するとともに、その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれているそうです。
ロープウェーの登山道から見かけていた、散歩のかたにおすすめされた撮影スポット。
道の続くままに歩いてみると…
山道をひたすら歩く「古町口登城道」です。
ここのルートは、観光地の面影はなく、歴史を肌で感じる魅力があります。
松山城のお堀には二羽の白鳥が泳いでいました。
お城へ向かうルートはロープウェー街の東雲口ロープウェイ・リフトの他、徒歩ルートはロープウェー街東雲口登城道、県庁裏登城道、黒門口登城道、古町口登城道の4ルートあります。
まずは、ロープウェー街東雲口登城道から登城してみました。
松山城の創設者、加藤嘉明の銅像横から東雲神社へと向かいます。
東雲神社は文政6年、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請したのがはじまり。
境内では、外に椅子が並べられていました。
珍しいです。
神社の裏手にまわると、頭上のロープウェーと交差した先に道が続いています。
高所恐怖症の私には歩く以外選択肢がないわけですが「歩いている人がいるわ~、よ~歩くわ~」と上から奇声が聞こえてきた時には、ちょっと嫌な感じがしました。
ロープウエーの終着駅です。
ここまで登ってきた私は、汗だくです。
軽食屋とお土産屋さんがありました。
どんな組み合わせか、しばし足を止めました。
乾門・乾門東続櫓は、慶長年間正木城から移建されたといわれ、乾一ノ門とともに、松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっているそうです。
この場所は撮影スポットだとボランティアさんが教えてくれました。
松山市の中心部、勝山(標高132m)。
四国の空は、とても清々しく美しく、水平線まで見渡せました。
山頂付近は賑わっていました。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。
「坂の上の雲」の撮影に使われた場所がここ。
重要文化財の「野原櫓」は、日本で唯一現存する望楼型二重櫓。
野原櫓は乾櫓とともに本丸西北を防備するとともに、その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれているそうです。
ロープウェーの登山道から見かけていた、散歩のかたにおすすめされた撮影スポット。
道の続くままに歩いてみると…
山道をひたすら歩く「古町口登城道」です。
ここのルートは、観光地の面影はなく、歴史を肌で感じる魅力があります。