山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

松山城

2010年10月11日 | ドライブ
松山駅から軽く15分以上は歩いたと思います。



松山城のお堀には二羽の白鳥が泳いでいました。



お城へ向かうルートはロープウェー街の東雲口ロープウェイ・リフトの他、徒歩ルートはロープウェー街東雲口登城道、県庁裏登城道、黒門口登城道、古町口登城道の4ルートあります。



まずは、ロープウェー街東雲口登城道から登城してみました。



松山城の創設者、加藤嘉明の銅像横から東雲神社へと向かいます。



東雲神社は文政6年、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請したのがはじまり。



境内では、外に椅子が並べられていました。
珍しいです。



神社の裏手にまわると、頭上のロープウェーと交差した先に道が続いています。

高所恐怖症の私には歩く以外選択肢がないわけですが「歩いている人がいるわ~、よ~歩くわ~」と上から奇声が聞こえてきた時には、ちょっと嫌な感じがしました。



ロープウエーの終着駅です。
ここまで登ってきた私は、汗だくです。



軽食屋とお土産屋さんがありました。



どんな組み合わせか、しばし足を止めました。



乾門・乾門東続櫓は、慶長年間正木城から移建されたといわれ、乾一ノ門とともに、松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっているそうです。



この場所は撮影スポットだとボランティアさんが教えてくれました。



松山市の中心部、勝山(標高132m)。



四国の空は、とても清々しく美しく、水平線まで見渡せました。



山頂付近は賑わっていました。



松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。



「坂の上の雲」の撮影に使われた場所がここ。



重要文化財の「野原櫓」は、日本で唯一現存する望楼型二重櫓。
野原櫓は乾櫓とともに本丸西北を防備するとともに、その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれているそうです。



ロープウェーの登山道から見かけていた、散歩のかたにおすすめされた撮影スポット。

道の続くままに歩いてみると…



山道をひたすら歩く「古町口登城道」です。
ここのルートは、観光地の面影はなく、歴史を肌で感じる魅力があります。


眠り猫

2010年10月10日 | 
久しぶりに、体を洗ってもらったら、なんだか…眠いニャー。



なぜかシャワーの後、飼い主さんの勝手な思いつきでクリスマスのコスチュームを着せられて…



何なんだニャ・・・



僕の足…





足の爪が伸びているけど、絶対構わないでニャー。



お願い!



僕は…



とにかく、眠いんですから!

道後公園

2010年10月09日 | ドライブ
道後温泉のそばにある道後公園は、中世の伊予国守護河野氏の居城「湯築城」跡。



道後温泉の手前に市電が停まると、



すぐに公園へ。



周囲に二重の濠と土塁をめづら瀬た平山城で、十四世紀の前半から250年以上も伊予の政治、軍事、文化の中心でした。
天正の時代になると、豊臣秀吉の四国攻めで落城してしまいます。
現在は、道後公園として市民の憩いの場として親しまれています。



かつての武家屋敷跡。
自由に拝観ができます。



これは、お坊さんのポーズに着目して下さい。
このポーズは…



〆の「お茶を出す」というサイン。



ゆらりと柳がなびきゆるやかに時間が流れます。
茅葺の休屋の下では、楽しげに夫婦が語らっていました。



土塁の展示。



発掘された、食器(酒器の杯のようなもの)がたくさん、埋もれていました。

この城跡には、展望台もあるようです。




この場所では、ボランティアの方から、とても参考になるお話を伺うと事ができました。

「もしも家族や自分にある日、急に異変を感じた時は、どんなに性能のいい車を持っていたとしても、自己判断せず、速やかに救急車を呼ぶことを第一とすることで、その方に起こりうる生活の支障を最小限に食い止めることができる」と。

まだ若いと思っていても、所詮いつか体はそうもいかなくなるでしょう。
ゆるやかに老いていく…そんなことを考えた時、心の備えとして素晴らしい教訓になりそうです。
「人生は旅」と思う私は、道案内の語りに諭しを感じました。



道後温泉駅ぶらり

2010年10月08日 | ドライブ


明治44年建築の旧駅舎が、明治洋風建築そのままの外観で復元されている、道後温泉駅。



伊予鉄道開業から間もなく、松山市民の足として、最大18台の蒸気機関車が活躍しました。
明治21年から67年間、黒煙をモクモクと出しながら町を走っていたとか。
現在は「坊ちゃん電車」としてリメークされ、松山と道後温泉を結び、訪れる人々に懐かしさを感じさせてくれます。



道後温泉駅前のシンボルカラクリ時計の横には、平成14年に放生園の足湯が完成しました。
足湯の横には、昔ながらの紙芝居が来ていました。



時間があれば、周辺の歴史散策も面白いかも…



さて、道後温泉本館以外にも、「椿の湯」(入浴料金360円:1時間以内)があります。
傍には、伊予の温泉を訪れた聖徳太子が霊妙な温泉に深い感動をおぼえ碑文一首をつくったといわれる碑文があります。



小さな商店街を思わせるアーケードでは、松山市の名菓やお土産を買うことができます。



時間がゆるりと流れているような、町の雰囲気に心が和みます。



国産タオルの風合いが素晴らしいと話題の「愛媛県 今治タオル」を扱っているタオル専門店もありました。



道後温泉本館傍には、軽食屋さんを梯子しながら、休憩できるスペースがあります。

さて、皆さんは夏目漱石「坊ちゃん」のこのキャラクターたちの名前、いくつわかりましたか?

道後温泉本館

2010年10月07日 | 温泉
道後温泉に行ってきました。

11年ぶりの再訪です。



ますます風格を増し、歴史の漂う道後温泉本館。



一羽の傷ついた白鳥が見つけたといわれる日本最古の湯。



「伊予国風土記」には、この二神の伝承として大国主命が、重病の少彦名命を助けようとして、大分の速見の温泉を引き湯あみさせたところ、不思議によみがえり、立ち上がった少彦名命が踏んだ石に足跡が残ったという伝承があります。



こちらは「玉の石」です。
この石にお湯をかけて願うと、叶うとも言われています。



本館の裏手には、桃山時代風の優雅な建築様式の又新殿 (ゆうしんでん)の外観を観ることができます。
又新殿は、明治32年に建てられた皇室専用の湯殿で、玄関の間、御次の間、玉座の間と続き、警護の人が控える武者隠しの間もあります。
畳は備後表の高麗縁、欄間にはしめどり、いかるがの透彫り、天井は高麗張りの桐の3枚重ね、ふすまは金箔に極彩色の枝菊が描かれている豪華絢爛なもので、建具類は、全て極上の漆が用いられた輪島塗りで、建築以来一分の狂いも生じない建てつけとなっているそうです。
昭和天皇が昭和25年に来浴された浴槽は、御影石の中でも最上のものとされている香川県の庵治石を用い、正面の湯釜に大国主命、少彦名命の両神像を刻んだ宝珠があるそうです。



興味のある方は、内覧することもできますよ。(拝観料250円)



私は「神の湯 階下」(1時間:400円)に入浴しました。
タオルや石鹸類をお持ちでない方は、必要に応じて別料金がかかります。

他には、お時間に合わせて、浴衣やお茶のおもてなしが付くプランもあります。

浴槽は少し深めで、とても体が温まるお湯です。
楕円形の真ん中に4つの湯口があり、絶え間なく透明なお湯が流れ出ています。

天井から差し込む陽の光、体にじんわりと馴染む柔らかい湯けむりに包まれながら、とてもいい時間を過ごしました。

かつては、茶葉の入った大きなやかんが1階の脱衣所に備えられ、自由に美味しい緑茶を飲めたましたが、今は冷水機に変わってしまったようです。