山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

ホワイトデーの不思議なお礼返し

2017年03月15日 | つぶやき

ジムでチェックアウトしたら、フロントの方から「今日はバレンタインです♪}と言われ、クッキーの箱を頂きました。

「あ、そうなんだ・・・」と家に帰宅すると。

テーブルの上に赤いリボンのついた何かが置かれていました。

バレンタインで高価なチョコレートをプレゼントしたら、「美味しい、美味しい」と喜んで頂いたので、そのお礼返しと思い、頂けるのを待っていたのですが・・・じっと見つめても渡して頂けず、しびれを切らした私は「コレ何?」と質問すると、バレンタインデーのお返しと言われるものの、手渡して頂けず、さらにしびれを切らした私は「それが私になら、開けていい?」と聞くといいよというので、リボンをほどき開けてみました。

「えっ?」

そこに入っていたのは、なんと可愛らしいマリアベールでした。

「???」

昨年、ふたりだけのセレモニーしたばかりで、2.8メートルのマリアベールが自宅にあるのに、またマリアベールなんて、カトリック信者でもないのに???

「これはいつ使うの?」と聞いたらたら、仮装で使ったり、使わなければ棺桶に入れればとの返答。

またまた「???」

まさか、仮装でマリアベールなんて、どう考えてもあり得ませんし、棺桶に入るというそんな切羽詰まった生活状況にはないのですし・・・。

夫の不思議なお礼返しは、次の日も仕事しながら「何を?何が?何で?」と考え続けることになるのですが、答えは見出せません。

もしかしたら、若い日のその時に、このようにすれば良かった、ということでしょうか?


阿部旅館 日帰り個室

2017年03月14日 | 温泉

2月の事でしたが、温泉でゆったり過ごそうと思い、お部屋を予約しました。

外は雪が、所々に薄く積もっていました。 

鳴子温泉の川をはさんだ対岸沿いに、その旅館はあります。

駐車場の横に自家源泉がダダ漏れしています。

勿体ない!

私の自宅とパイプで繋いでほしいくらいです。

冗談ですよ~、そんなの絶対あり得ないですが、ホントにこの鳴子温泉郷の温泉パワーと湧出量の凄さには驚いてしまします。

旅館前にも自家源泉がありました。

その宿は「阿部旅館」さん。

昔ながらの湯治場という雰囲気のお宿です。

この旅館のスゴイ所は、この料金表にあるように「安く」、しかも2本の源泉がかけ流しされているということだと、私は思います。

湯治もできる調理場も完備。

休憩の場合は、食材を持ち込んで調理するのも良いかもですね。

休憩のお部屋。

炬燵に入ると、ポカポカあたたかいです。

とても懐かしい気持ちが湧いて、日帰りながら転地効果もありますね。

温泉に行ってみましょう。

源泉温度が高いですね。

この2つのお風呂は貸切で入れるので、貸切の時はプレートを掲げ、男女別々で入る時は入る時にプレートを男性とか女性とかに掲げます。

まずは熱いほうの浴槽へ。

熱いのですが、溶解物質が別な浴槽と比べると高く、温泉ならではの効き目がありそうです。

汗が流れ、あまり長湯できません。

すぐに体がポカポカになり、活性化が期待できるお湯です。

最近は、循環のお湯や加温されている温泉が多い中で、このお湯は大地のエネルギーあふれる力強いパワーを感じます。

このようなお湯こそ、体の悪いところを逆に変えて、回復させる力があるのだと感じます。

もう一つの浴室にも行ってみましょう。

さっきのお湯より、若干温度が低いのですが、それでもすぐに体が温まり、お湯に浸かったり、ふちに腰掛け足湯のようにしてみたりと、長く入り続けることができなかったです。

以前は、「いたたた~~」と感じるほど、ジリジリした刺激のある熱い温泉が好きでしたが、最近は長~く浸かっていられる温泉のほうが好きになってきています。

新潟の栃尾又温泉はラジウム温泉で、源泉はアルカリ性の36度の湯温で、1時間くらいジィ~~っと入っていられるんですよね。

感覚的には、羊水の中にいるみたいな感覚です。

年を取ると子供に帰っていく傾向があると、よく耳にしますが、私もその道に進んでいるのでしょうか?

一番良いのは、熱いお湯で体を活性化し、次の週はぬるいお湯でリラックスする、そういう温泉巡りの繰り返しも良いかもしれませんね。

源泉かけ流しのお風呂は本当に力があります。

 

 

 


シーツ猫

2017年03月13日 | 

ヒトママがお休みの日は、大掃除ニャ!

バタバタとしている姿に、猫の僕は付き合ってあげているニャ♪

ヒトママは必ずシーツを交換するから・・・

その時の新しいシーツの匂い、フカフカな感じが好きニャン♪

敷布団も新しくなって敷布団の上にも載ってみるニャン♪

気持ち良すぎて睡魔が、猫の僕にやってきたWA!

頑張ってみても・・・

ダメニャン!

そのままにしておくれニャン!


仙台成田山雛めぐり

2017年03月12日 | 神社・仏閣

宮城で「ひな街道めぐり」のお祭りが開催されていました。

事後報告ブログでスミマセンが、本日が最終日だった「仙台成田山」のひなめぐりに行ってきました。

 縁起・由来について 大本山成田山仙台分院は真言宗智山派に属しています。

真言宗の大本山成田山新勝寺の仙台分院になっており、仙台分院では御本尊お不動様を拝しています。

以前、年末年始にお札書きの、書道専門の巫女としてお世話になった懐かしさがこみ上げてきました。

ロビーには、年代物のお雛様が展示されていました。

2F千体の雛人形へ。

靴を脱ぎ、広間へ。

凄すぎ!

全部お雛様と御内裏様。

なかには、夫婦はぐれはぐれのも・・・?

夫が「これ見に来るためにここに来たの?レアな人だね」と言われてしまいました。

私「まっ、そうだけど・・・これほどのものとは・・・」

そう、この雛人形たちはシミもなく大事にされてきたお人形様。

それを手放すような状況に追い詰められて、このお寺にきたのですよね。

代々受け継がれるはずのものが、ですから。

なんか切ないですよね。

 

さて、屋上にはお不動様がおられます。

とても大きくて、驚いてしまいます。

それに無料で拝観できるのも素晴らしいです。

仙台の中心部が見渡せます。

この場所にお寺を建立する時に、地中からお地蔵様が出てきたそうです。

そのお地蔵様を写真に撮ったら、白いオーラが写っていたそうです。

おみくじを引いてみました。

「中吉」でした。

好きな結果です。

「大吉」が出ると、この状況が?と落ち込んでしまうから。

弘法大師さまの托鉢にお金が入ると願いが叶うというので、小銭を投げてみましたが、なかなか入りませんでした。

夫と競り合うように夢中に数十分過ごしましたが、最後を決めたのは夫。

私は托鉢の入口の角にあたって跳ね返って、それ以後はグタグタでした。

なんかそんな無我夢中になれた時間が心に残りました。

その日は、仙台バイクツーリングの立ち寄り先というのもあったかも。


東日本大震災から6年に思うこと

2017年03月11日 | つぶやき

昨日ジムに行ってお風呂からあがり、ドライヤーで髪を乾かす場所に大きなテレビがあるのですが、その時間は東日本大震災の特集番組が放映されていました。

「その時は何していて、どう行動したか?」

「そうしてそれがどのようなものだったのか?」

「その記憶を今はどう思っているのか?」

「その記憶から学んだことは?」

「そうして今、どんな生活をしているのか?」

「経験して何を皆に伝えたいのか?」

そういう内容が繰り返されていました。

お隣の中年女性は、「そうだったのね」とひとり呟きながら、深く何度もうなずき、悲しまれているようでした。

そうしていると、ガツガツと中年女性がやってきて、いきなりチャンネルを「野球」に変えました。

ちょっと私はビックリしました、というかショックを受けました。

その後、自宅に戻ってからもその事が心から離れられず、もしかしてチャンネルを変えた女性は、震災で大きな被害にあって、そういう記憶に向き合うのが怖いので、あえて野球に変えたのだろうか?とかいろいろ考えました。

確かに震災の番組は心が痛みます。

6年経っても、あの震災時の記憶や、好きだった景色や様々なものが変化してしまい、本当に心が痛みます。

 

今日のその時間、家の掃除の最中に手を止め、ひとり、黙とうしました。

あの震災で一瞬に命を落とされた方々、流されてしまった同僚のご冥福をお祈りしました。

そして、心があの時間で止まってしまったままの方や、仮設住宅のままで死を迎えてしまった方々にも、ご冥福をお祈りしました。

 

私の出身の中学校の一部の方々が、津波の壊滅的な被害を受けました。

小学校は違うのですが、壊滅的な被害を受けたその地区の住宅は津波でなくなり、そのため小学校が取り壊されてしまうそうです。

その前にセレモニー(お別れ会)があると知りました。

 

震災後に流されて拾われた写真を丁寧に洗浄し、元の持ち主に返すボランティア団体が各地にあります。

私は引っ越しを機に、仙台新港のとある倉庫にすべての写真を保管して頂いていた為、それも津波によって流されてしまいました。

流された写真がボランティア団体の活動により、公開される機会があり、その場所がその時の職場の最寄の場所で、昼休みに探しに行くと・・・「あなたの事を知っている被災者の方が、心配されていましたよ」と受付で1冊のアルバムを受け取りました。それは私が倉庫に預けたアルバムのひとつでした。

「どなたが?」とお聞きしましたが、その時はそこまでは把握する状況ではなかったと。

きっと私の同級生が・・・と思うと、残ったアルバムを手にした嬉しさ以上の、悲しさがこみ上げてきました。

もうこんな未曾有の大震災が、日本に起こらないことを願いたいものですが、現実にはまたいつか悲しみはやってくるのでしょう。

でもそんな悲しみを乗り越えようと頑張っている人も多いのですが、それを軽視する社会動向もあります。

切ない現実です。

どうか、この3・11のブログに来て下さった皆様にお願い致します。

こんな現実が島国日本で、まかり通っていると現実いう悲しみを共有して頂けたら、本当に幸いです。

クリックして、「現実」という重さを・・・。