デジカメを使い出してすごくいいなと思うことは、私があえて語るまでもなくたくさんある。
その場で画像が見られて、出来の悪いのは消すことができて、
パソコンに取り入れてさらに画像をいじって…など、ほんとに画期的なものだなぁと思う。
ちょっと前の記事で、私が写植オペレーターをしていたときのことに触れた。
私がその仕事を始めたころの写植機というのは、画面つきでなかったので、
暗室に入って現像するまで、どのように文字が印字されているかわからなかった。
現像液の中からイメージどおりに文字が浮き上がってくると「やった!」と思うし、
そうでないとため息つきながら新しい印画紙をドラムの中にセットして暗室から出てきた。
私がいた広告会社は小さかったので、一人何役も各人が受け持っていた。
私は写植のほか、撮影のアシストでライトを照らしたり、フィルムの現像から印画紙への焼付けまでもしていた。
暗室に入るのは好きだった。
電話が鳴っても出なくていいし、現像や焼付けに集中しながらも、いろんな想いをめぐらせることもできたからだ。
その部屋にはほんのちょっとの安息と、出来上がりを楽しみに待つ時間がいつも用意されていた。
仕事ではない限り、暗室なんていう場所に入ることもないわけだけれど、
ほとんどがデジカメで撮影される今では、職業と言っても暗室にこもる人は少なくなったのではないかと思う。
このところ私はちょっと思ったことがある。
日ごろの生活でも、心の暗室にこもる時間もときには必要であること。
そして、じっとじっと何かが訪れるのを待つ時間もまた大切であること。
いつもアクティブにアグレッシブに生きていかなくてもいいんじゃないか。
暗いところへもぐってみたり、出てきたり、待ってみたり、急いだり、
そんな逃げ道を用意していてもいいんじゃないか…と。
そういえば、以前は、カメラ屋さんに写真の現像を出すと、取りに行くのが待ち遠しかった。
出来上がったばかりの写真は、その場で誰よりも早く自分が眺めちゃったっけ。
最後にそんなことをしたのは、いつごろだったのかなぁ。
その場で画像が見られて、出来の悪いのは消すことができて、
パソコンに取り入れてさらに画像をいじって…など、ほんとに画期的なものだなぁと思う。
ちょっと前の記事で、私が写植オペレーターをしていたときのことに触れた。
私がその仕事を始めたころの写植機というのは、画面つきでなかったので、
暗室に入って現像するまで、どのように文字が印字されているかわからなかった。
現像液の中からイメージどおりに文字が浮き上がってくると「やった!」と思うし、
そうでないとため息つきながら新しい印画紙をドラムの中にセットして暗室から出てきた。
私がいた広告会社は小さかったので、一人何役も各人が受け持っていた。
私は写植のほか、撮影のアシストでライトを照らしたり、フィルムの現像から印画紙への焼付けまでもしていた。
暗室に入るのは好きだった。
電話が鳴っても出なくていいし、現像や焼付けに集中しながらも、いろんな想いをめぐらせることもできたからだ。
その部屋にはほんのちょっとの安息と、出来上がりを楽しみに待つ時間がいつも用意されていた。
仕事ではない限り、暗室なんていう場所に入ることもないわけだけれど、
ほとんどがデジカメで撮影される今では、職業と言っても暗室にこもる人は少なくなったのではないかと思う。
このところ私はちょっと思ったことがある。
日ごろの生活でも、心の暗室にこもる時間もときには必要であること。
そして、じっとじっと何かが訪れるのを待つ時間もまた大切であること。
いつもアクティブにアグレッシブに生きていかなくてもいいんじゃないか。
暗いところへもぐってみたり、出てきたり、待ってみたり、急いだり、
そんな逃げ道を用意していてもいいんじゃないか…と。
そういえば、以前は、カメラ屋さんに写真の現像を出すと、取りに行くのが待ち遠しかった。
出来上がったばかりの写真は、その場で誰よりも早く自分が眺めちゃったっけ。
最後にそんなことをしたのは、いつごろだったのかなぁ。