風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

ツメが甘いなぁ

2004年12月20日 | 清水ともゑ帳
つめが甘いなぁ。
近ごろ痛切に感じた。
最後の最後、大事なところで気を抜いてしまったり、あきらめてしまったりする。
今までもこういうことを反省しながらきたはずなのに、つい最近もやってしまった。
ほんとにあと一歩のところだったのにもかかわらず、「これ以上は仕方ないし…」って、あきらめてしまった。
以前、元プロボクサーが言っていた。
「あと、5cm、10cm、前に踏み込めるのがプロなんだ」って。
そうなんだ、あと、ちょっと、一歩踏み込むだけだったのにな。
限界までチカラを出さないと、新たなエネルギーは生まれない…。
マラソンをしていたとき、いつもそうしてがんばってきたはずなのに、なぜ、忘れちゃうんだろう。
今度こそ、最後までがんばろ!
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おでんのドライブ

2004年12月19日 | 清水ともゑ帳
おでんがおいしく感じる季節になると思い出すことがある。
今の住まいに移るまで、我が家にはよく友人が集まっていた。

その日は、ひと足早いクリスマスパーティと忘年会を兼ねて、職場の友人がうちへ集まることになっていた。
買出しを担当してくれたのは、ナッチャンとキクちゃん。
仕事帰りにおいしいおでんを買ってきてくれるという。
あらかじめナッチャンが家から瀬戸物の大きな器を用意し、それにおでん屋さんのおでんをいっぱい詰めてもらうというのだ。
車に乗るときは、助手席に座るキクちゃんがおでんを持ったまま乗り込むのが大変なので、
ナッチャンがまず、おでんの器を持っていることになった。
そして、キクちゃんがシートにおさまったところで、ナッチャンがおでんを渡すという手はずだった。
けれど、荷物は他にもあったので、二人はとりあえず、おでんが詰まった器を車のルーフに置いた。
そして、後部座席に荷物を置いたりしながら、彼女たちはパーティのことなど、おしゃべりをし始めた。
話はだんだん盛り上がっていった。
助手席にキクちゃんが乗り、ナッチャンがハンドルを握り、私の家を目指し車は快調にスタートした。
スピードは4、50kmぐらい、あの角曲がり、この角曲がり、交差点もいくつか右左折した。
約1kmほど走っているその間、職場でのいろんな話題で盛り上がっていた。
そして、カーラジオから流れてきたクリスマスソングで、これから始まるパーティに話が戻った。
二人は顔を見合わせた。
「!」
考えたことは同じだった。
「おでん!」
「車の屋根の上」
「乗せたままじゃん!」
ナッチャンは車をすぐに止めたかったけど、ここで、急ブレーキはおでんが危ない。
そろ~りそろ~りと、道路の左端に車を寄せた。
ドアの開閉もそ~っとして、ルーフを背伸びして見た。
二人は再び顔を見合わせて、同時に「ぷーっ!!」とふき出した。
乗車前と少しも変わらないまま、おでんは屋根の上に鎮座していたそうだ。

寒風の中、揺れる車に耐えながら、それでもルーフでがんばっていたおでんはとてもおいしく、
その晩のパーティの華となった。
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夫婦50割引

2004年12月18日 | 清水ともゑ帳
この夏、映画館に行ったときから、ちょっと楽しみにしていることがある。
それは、「夫婦50割引」。
夫婦のどちらかが50歳であれば、いつでも一人1000円で観ることができるというサービス。
年が明けると1月生まれの夫は、50歳になる。
シニアサービスの60歳までには、まだちょっとあるなぁと思っていたので、
こんなサービスがあることを知って、私はうれしい。
…けど、夫はちょっと複雑。
映画を安く観られるのはいいけど、「あぁ、俺ももう50かぁ」って感じで。
先日、映画を観たときは、金曜日のカップルデーで1000円だった。
これからは、この「金曜日」を待たなくてもいい。
ただ、このサービス、期間限定で、2005年6月30日までとなっている。
半年間、夫を無理やりにでも連れ出し、映画を観まくってみたい。
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「僕の彼女…」私の3ヵ条

2004年12月17日 | 清水ともゑ帳
「僕の彼女を紹介します」を観てきました。
映画の感想ってあまり言わない方がいいのかなぁ。
以前、「タイタニック」のとき、いろんな情報を聞きすぎて、劇場に足を運ぶまでに私の想像の方がかなり先走っていました。
みんなが言う超感動のシーンはどこなんだろう…と思っているうちにエンディングになってしまい、拍子抜けしてしまったことがあるからです。
そんなことを思いつつ、それでも、ちょっとだけ綴ってしまいます。
ヒロインを演じているチョン・ジヒョンの前作「猟奇的な彼女」は、すごく気に入って4回観ました。
たぶん、これもまた何回か観てしまいそうです。
この映画を観るにあたって、「こうしておけば良かった」ってことが3つあります。

・ハンカチは最初から手に持っていればよかったです。
 途中でバッグの中からごそごそ取り出すのは無粋でした。
・コンタクトレンズじゃなくて、メガネをかけて観るべきでした。
 涙と一緒に左目のコンタクトが流れ落ちてしまいました。
 右目の矯正視力でなんとか最後まで観ました。
・マスカラは、つけずにいくか、ウォータープルーフにしていくべきでした。
 上映のあと明るくなった劇場で、ほっぺたの黒い筋に驚き、
 映画の余韻が半減してしまいそうでした。

今度観るときは、周りに気兼ねすることなく、思いっきり笑っても泣いても大丈夫な環境で、
せいせいと楽しみたいものです。
チョン・ジヒョンって、やっぱり好きだなぁ。
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TB:ブログを始めてよかったなぁと感じたこと

2004年12月17日 | 清水ともゑ帳
「今週のお題」にTBしました。
このところ、ずっと思っていたことなので…。
正直なことを言ってしまうと、「退会ボタン」をクリックしようと思ったことも何度かはありました。
でも、しなかったのは、「公開する日記」だからこそです。
一人でウツウツと自分の心の中を掘り下げるのは、どうも暗くなってしまって続けられなくなっていました。
私は人見知りするくせに、おしゃべり好きというちょっと矛盾したところがあります。
そして、誰かと会話していて、「ここまでは私が決めている一段落だから、言葉をはさまず一気に言わせてほしい」って思っているのに、途中で話をさえぎられて違う話にもっていかれると、そのときの気持ちが消化されずに残ってしまうことがよくあります。
でも、ブログなら、私が「今日はここまでは話してしまいたい」と決めた一段落を、全部言わせてもらえちゃいます。
そして、そんなとき、コメントいただいたりするとすごくうれしいし、「あぁ、こういう考え方もあったんだ」って、多くのことを気づかせてもらえます。
もちろん、リアルタイムで面と向かってする会話や電話などには、相手の目線、息遣い、うなづきなど、いろいろ感じられることもあります。
ブログにはブログなりの新しいコミュニケーションの形もあるように思います。
ネット上で繰り広げられる仮想世界のことという意見も耳にし、確かにそういった面もあるかもしれませんが、全部がウソではないと思うし、ほんとの心がのぞいているからこそ、人が共感し喜んだり、楽しんだり、一緒に涙したりできるのではないかと思います。
私はブログを始めてみてよかったなぁと思いながら、日々の楽しみをそこに見出せるので、続けられるだけ続けていきたいと思います。

あぁ、なんだか小学生の作文っぽい
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チャーシューパン

2004年12月16日 | 食べもの帳
このところ、チャーシューパンにはまっていた。
見た目はちょっとペキンダック風。
中華パンを二つ折りにしてあって、その中にチャーシューと白髪ネギがはさんである。
パン屋さんで見かけたとき、味の想像はついていたけれど、口にしてみたらすごくおいしかった。
ほんのり甘くしっとりふっくらしたパン、ちょうどよい甘辛さのタレがついたチャーシュー、繊細に切られた白髪ネギ。
全部の味が口の中にあふれてくる瞬間がたまらない。
もともとネギチャーシューの組み合わせが好きだったし、うちの冷蔵庫には太ネギを欠かしたことがないほどだ。
仕事の帰り道にある店なので、毎日、寄っては買っていた。
一昨日で、お歳暮の仕事が終わったので、しばらくは行けなくなってしまってさびしい。
先日も仕事が休みの日、どうしてもチャーシューと白髪ネギの組み合わせのものを食べたくなって、
チャーシュー丼を作ってみた。
これを作ってみようと思ったとき、「焼豚のタレ」を探してみたけれど売っていなかった。
「焼肉のタレ」「うなぎのタレ」「焼き鳥のタレ」はあるのに、「焼豚のタレ」だけは単独で売っていなかった。
パック詰めされている焼豚には、1パックに1袋しか入ってないので、それ以上に使いたいときって不便だなって思った。
…で、とにかくパックに入っていたタレにXOジャン、醤油などを混ぜて、ご飯に合いそうなタレを作った。
このタレに白髪ネギの半量をからめてほんのり味付けをしておく。
ご飯を丼によそったら、このネギをのせ、焼豚を何枚か並べ、そして、自家製タレをかける。
最後にそのままの白髪ネギ半量をこんもりとトッピングした。
これはこれで夫には大好評だった。

バイト期間が終わってまだ二日しか経ってないけど、あのパン屋さんのチャーシューパンを
また食べたくなっている。
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I will go to Tokyo.

2004年12月15日 | 清水ともゑ帳
昨日の記事の最後の部分に、現在形と過去形を登場させたので、今日は未来形です。
年明けに東京へ遊びに行くことになりました。
父、姉、妹、姪夫婦、私達夫婦で、皇居近くのTホテルで食事会をする予定です。
何しろ Imperial と聞いただけで、ちょっと気合が入っちゃいます。
それでなくても「おのぼりさん」の私です。
お小遣いの使い道をあれこれ考えていましたが、その日のための服を買おうかなと思います。
私はフォークナイフがうまく使えないので、粗相のないようにしなくては…と、
早くも緊張しています。
魚とバナナがあったら大変そうだし、エスカルゴはうまく掴めなくてコロンって飛ばしちゃいそうだし、
マナーをおさらいしておかなくちゃいけません。
でもでも、これまでになかったような食事会、今からとても楽しみです。



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静岡人のku

2004年12月14日 | 清水ともゑ帳
「やっぱり違うのよ、ともちゃん」
と、司会業をしている友人に指摘された。
それは「ku」の発音のこと。
彼女によると、静岡の人は「くつ」を「kuutsu」と発音しているそうだ。
「じゃぁ、今度はタクシーって言ってみて」と、彼女が次の課題を出した。
「タクシー」と、私はちゃんと発音してるつもりだけれど、
「やっぱり違うんだよね」と彼女。
takuushii「タクゥシー」と聞こえるのだそうだ。

以前、選挙カーのうぐいす嬢の仕事をしたときに、こういったちょっとした発音やアクセントを習った。
かなり大人になるまで、私は静岡の言葉は標準語だと信じていた。
私の周囲には同じようにそう思っていた人が少なくない。
でも、あるとき、それも無理ないということがわかった。
「標準語のルーツ」というようなエッセイに確かこんなようなことが書かれていた。

江戸言葉の原点は、家康を筆頭とする駿河武士の言葉と、
上方の下町言葉、江戸周辺の関東方言だった。
やがて、江戸言葉→東京語→標準語と変化した…そうだ。

たぶん、私が発音する「ku」は今も直っていないと思う。
それでも、駿府城にいた家康と駿河武士が江戸に駿河言葉を持っていき、
それが標準語の元の一つともなっていると知ると、
「kuの発音ぐらい、まぁ、いいか」と思えてきた。

「江戸」で思い出した長島監督の学生時代のこと。

I go to Tokyo. を過去形にしなさい…という問いに対して、
I go to Edo. と答えたというエピソード。

名詞を過去形にするところ、さすが大物。

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しっぽがね…

2004年12月13日 | 愛犬ポポ
しっぽがね、少しピンとしてきました。
ポポはやっと、散歩に慣れてきたようです。
この前までは、しっぽを後ろ足の間に丸めておびえてました。

散歩の途中、私たちの後ろでおばさまたちの声がして、ポポが振り向きました。
愛想だけはいいので、ポポはおばさまたちの方に寄っていってしまいました。
するとおばさまの一人が、「まぁ、この仔、この辺で一番人気があるのよ」と、
にこにこしながらポポに手を差し出してくれました。
親ばかな私はもちろんその言葉を鵜呑みにしたい気持ち…でも、とにかく心やさしいお言葉はストレートにうれしくなりました。
そして、もう一人のおばさまが「あぁ、そうそうこの仔ね。まだ、赤ちゃんって言ってたっけね」と、
やっぱりポポのことを知っているような相槌。
ポポはしばらくおばさまたちに遊んでもらい、また、散歩を続けました。

ほんとはポポの人気というより、あの話題のお父さんとセットでいるから、
うわさになっているだけかも…と思います。
そのお父さんがポポを散歩に連れ出してくれるおかげで、
しっぽをピンとさせて外を歩けるようになったわけですが…。

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ありがとう、リース

2004年12月12日 | 清水ともゑ帳
毎年このシーズンに、
我が家の玄関を彩ってくれるリース。
農家の方が山から採ってきたという
キーウィのつるをいただき
それに、スプレーペイントをして、
いろんなオーナメントをあしらった。
先月、出してみたら、
つるのあちこちがボロボロになっていた。
不器用でセンスのない私のデコレーションに
よく耐えてくれたものだ。
今年が最後の飾りつけ。

10年間、どうもありがとう。
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港へ続く散歩道

2004年12月12日 | 静岡
清水って落ち着く場所だなぁと思いながら、
いつも散歩する道。
この土地で流れている時間が、
私のテンポにすごく合っているのだと思う。
11月から2月ごろまでは、カモメが飛来し、
舟の上で旋回し戯れながらエサを探している。
潮の香りに少しばかり重油のにおいがまざっているのも、
「みなと清水」っぽくて、私は好き。
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いかり風、うれし風

2004年12月11日 | 清水ともゑ帳
夕方、ほんの30分ほどの間に、心の中に吹いた風。

最初の風。
散歩がてら出勤する夫を駅まで送った帰りのこと。
下車した人の波の中に、白い杖を持った男性が歩いていた。
周りにいた人たちは、その人が歩きやすくなるよう、少し空間を作りながら進んでいた。
そこへ、女子高生が携帯電話で話をしながら、向かってきた。
そして、すれちがいざまに白い杖の人と激しく肩がぶつかった。
彼女だってかなり衝撃を感じたはずなのに、そのまま電話を耳にあてながら通り過ぎていった。
目の前で起こった光景に私は急いで男性に近づいた。
杖が彼の前にころがっており、そして、他に手にしていた物も散らばっていた。
しゃがんで手探りしながら物を集める彼に、他にも数人の人たちが駆け寄ってきた。
彼は杖と荷物を手にすると、頭を下げながら、再び歩きだした。
私はさっきの女子高生の行方を探したけれど、人ごみにまぎれて見つけられなかった。
誰かと肩がぶつかって謝ることもしなかった彼女に、
ただただ腹立たしく「怒り風」が吹き荒れた。

二つ目の風。
駅を後にしてから、近くのスーパーへ寄った。
レジ待ちをしていると、私の前に子供をおぶったヤングミセスがいた。
彼女がキャッシャーからお釣りを受け取ろうとしたとき、背中の子供が動いたため、
手のひらから小銭がこぼれ落ちてしまった。
ころがっていく小銭を私が止めようとしたとき、彼女が連れていたもう一人の子供の手が
わずかに早く硬貨を受け止めた。
その男の子はうれしそうに、母親に50円玉を差し出した。
それから、私も勘定を済ませ、サッカー台(トリビアで知ったんだけど)で、
自分の買い物袋に品物を詰めた。
すると、さっきのヤングミセスが近寄ってきて、
「先ほどはありがとうございました」と、頭を下げた。
「いいえ、私はなにも…」と言いながら、私も頭を下げた。
彼女の丁寧なそのひと言に、「うれし風」が私の心にほんわか吹いた。
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しののめの月

2004年12月10日 | 清水ともゑ帳
夜明け前、東の空に三日月があった。
この月を見たら、「やっぱり月は西から昇る」って思っちゃうよなぁと小学生のころを思い出した。

小学校3年生の理科の授業のことだった。
先生が「月はどっちの空から昇るか答えられる人」と言った。
生徒が手を上げるのを待つことなく、先生は順番に指していった。
最初から数人が「東です」と言った。
そして、私の番が来て「西です」と答えた。
先生は、「他に西から月が昇ると思う人は?」とたずねた。
2、3人が手を挙げた。
「西と答えた人は廊下に出てなさい!」と、先生は怒りながら教室の戸を開けた。
私たちは理科の時間中、ずっと廊下に立たされたままだった。

その後、月についてどう学習したかを、私はまったく覚えていない。
でも、日中、まだ日が高いときに残月も空高くあったり、
夕方、日の入りのころ、月もやはり西の空に見えたことが何度もあった。
私は、太陽が沈むと入れ替わりに月が出てくるような気がしていた。
そんなとき、私はいつも心の中であの歌を歌っていた。

♪西から昇ったお日さまが、東に沈む、これでいいのだ~、これでいいのだ~、ボンボンバカボンバカボンボン♪

「バカボンのパパが言うとおりでいいのだ」…そう、言い聞かせていた。

そして、私は宮崎駿作品「おもひでぽろぽろ」の主人公と自分が時々重なる。
みんながなんの抵抗もなく素直に覚えられることを覚えられなくて、ずっと疑問が残ってしまうあたりが…。
主人公は分数の割り算をするのに、なぜ掛け算をするのかわからなかった。
私も「月は東から昇る」と口では言っても、本当にはわかっていないから、「なぜ?」と訊かれたら説明などできない。

今朝の月は、伊豆半島から顔を出す太陽に押し出されるように、明るさを失いながら、高く昇っていった。
太陽が昇る時刻に、月が西の空に見えたのなら、あれから30年近く経った今も、こうしてまた疑問がわくこともなかっただろうに…。

東雲の月もまた美しかった。
♪それでいいのだ~、それでいいのだ~♪

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早く帰っておいで

2004年12月09日 | 清水ともゑ帳
「早く帰っておいで」
仕事のあとに夫が電話で言ったこの一言がこの上もなくうれしかった。
今日、私は仕事で、超凹みモードだった。

仕事を始めてから、夫とはまったくのすれ違い。
夫は毎日が夜勤。
朝、私が家を出ると夫が帰宅し、夕方、夫が出勤したあとに、私が家に帰る。

今夜はこのブルーな気分を引きずったまま、部屋に戻るんだなぁと思っていた。
そしたら、ポポを思いっきり抱きしめちゃおうと思っていた。
私は、夫が今日、仕事が休みであることをすっかり忘れていた。
ポポだけでなく夫も家にいる。
そして、夕飯を用意し、私を待っていてくれてると思うと、うれしさが倍になった。
私の心を大きく占めていた、日中、職場で起こったことが、風船がしぼんでいくように小さくなった。
発車寸前の電車に飛び乗り、家路を急いだ。


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東洋のナポリ

2004年12月08日 | 清水ともゑ帳
月に2度、ロルフィングのセッションで熱海に通うようになって4ヵ月ほどになる。
清水からは電車で約1時間半ほど。
起伏の多い熱海の坂道を歩くのはとてもいい気分だ。
海の向こうに「ひょっこりひょうたん島」のように、ポカンと浮かぶ初島を眺めながら、熱海にも住んでみたいなぁと思う。
結婚して数年間は、夫と二人、半年に一度は熱海の温泉宿に泊まりに行っていた。
車で海岸線を走りながら、「いつか熱海にコンドミニアムを買いたい」と話していた。
はるか水平線の彼方から昇る朝日を見ながら、毎日暮らせたらどんなに幸せかなぁと、二人の夢を膨らませていた。

セッションの帰りには、私は必ず、熱海駅前の商店街を通る。
干物などの海産物と蒸し器の湯気の向こうに並ぶ温泉饅頭。
食欲をそそられながら、あっちの店、こっちの店とそぞろ歩く。
いつも水曜日に行くのに、どんなときも観光客で賑わっている。
夫は高校生のころ、熱海で暮らしていたけれど、昭和40年代の賑わいは今の比ではなかったそうだ。
当時、新婚旅行の人気の行き先は、宮崎の日南海岸か、「東洋のナポリ」と言われていた熱海だった。
そして、街には浴衣姿に下駄をカランコロンと鳴らしながら歩く人たちでいっぱいだったそうだ。
今の賑わいよりもすごいってどんなだろう…と、私はにわかに想像できない。
けれど、お祭りの人ごみとも違う、都会の人ごみとも違う、温泉街によくある賑わいともまた違う、なんだろう?
うまく表現できないけど、私にとっては心地のいい人ごみと活気がここにはある。
実際に住んでみるとどうなんだろう。
何度か熱海に通ってみて、相性のいい街であるような気がしている。


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