プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

横山小次郎

2011-10-29 16:49:56 | 日記

・横山は今季初白星

このところロッテのスタートは快調だ。この夜も初日に池辺がプロ入り百号2ランを打って先制、二回には相手の凡ミスとスクイズで2点を加えた。ロッテの先発横山は、切れのいい直球とカーブで力投、四回まで1安打に押え、五回ジョーンズ、六回野村に本塁打されて木樽と交代したが、味方の先制攻撃に助けられ今季初勝利。


・ロッテの7年生投手、横山が6月1日、イースタン・リーグ史上4人目のノーヒット・ノーランをやってのけた。東映・多摩川グラウンドで行われた対東映2回戦。カーブの切れ、制球力ともよく、7回1死までは完全試合。このあと猿渡に2-2から四球を与え、8回1死から代打・八重沢を遊ゴロ失で出塁させた二人だけ。131球の横山の投球内容は三振5、四球1、内野ゴロ14、内野フライ2、外野フライ5.この快記録で今季5勝目を飾った横山は「記録を意識したのは6回ごろから。カーブがよかった。しばらく登板してなかったので多少バテ気味だったけど、自分のピッチングをしょうと心がけたのがよかった」この横山、43年には一軍で4勝を挙げた実績もあり、体「1メーター72」は小さいがまとまりのある投手と定評がある。やられた東映コーチ陣は「あんなピッチャーを一軍で登板させるなんて勿体無い。ウチなら一軍でバリバリやってるよ」と羨ましがっていた。

・6月16日の南海戦で横山投手が43年9月29日の東映戦以来、実に3年ぶりの勝ち星を挙げた。プロ入り7年目のベテランも「3本柱」ががっちりそろったロッテでは、ピッチングスタッフからはみ出し、今シーズンは5月末の九州遠征で一軍ベンチ入りしたが一度も使われず帰京するなりファーム落ち。ところが、6月1日のイースタンリーグ・東映戦でノーヒット・ノーランを達成「一気に乗ってしまって・・・」一軍入り。短いイニングがほとんどだったが、この日、木樽をついで5イニングを投げて失点2の内容で一勝目。「やっぱりうれしいですね。今日はカーブがよく決まった。ボクの投球はカーブが悪いとダメなんですよ」と控えめだが「最近は阪急戦や、きょうのような同点のケースに使ってくれるのでありがたい。がんばらなくては・・・」と、やっとつかんだチャンスに意欲満々だ。

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桜井憲

2011-10-29 16:49:11 | 日記
「ニックネームがこんなところで役立つとは・・・」笑いが止まらないのが桜井バッティング投手。5月26日の「ダービー」だ。

「そう詳しいことはわからないが、出馬表をながめていたら、インターとつく馬が二頭いた」インターグットと、インタージャンボ。

「実はボクが入団した頃、インターが、あだ名だったんです。インターナショナルという時計をもっていたので・・・。グットにジャンボ。

これはいい名前だ」と買った2-5馬券が的中。野球選手が背番号で買うというのは多いが、ニックネームで的中というのは

珍しい。「でも桜井、いつもそうとはかぎらない。競馬もホドホドに」とは某コーチ。

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瓜生秀文

2011-10-29 16:48:53 | 日記
東映の今季の秘密兵器といえば瓜生秀文投手だ。紅白戦で好投し松木監督の目に止まり、3月5日、佐世保で行われた大洋とのオープン戦では救援ながら初登板。2回投げ6人の打者に対してノーヒット、三振2を奪う好投を見せ、3日後の広島球場でのダブル第二試合では先発で5回投げ19人の打者に対し許したヒットはわずか3本、与えた四球2個、三振4を奪い、6回からは金田のリリーフを仰ぎ、78球で、プロ入り初勝利。さらに、13日、和歌山での阪神戦にも先発で登板、4回バレンタインに三遊間を破られ、オープン戦11イニングス目で初失点という大変な活躍ぶりである。入団したときはドラフト7位指名選手。1月16日、多摩川での自主トレ初日にグラウンド10周で走らせてみると、4周目から他の選手に50メートルも離され、7,8周目のころはダウン寸前。「これじゃあ、とてもプロの選手としては無理」松木監督は、思ったそうだ。それが伊東キャンプで投げさせてみると、重いストレートに加えて、金田も顔負けのブレーキ鋭いカーブを決めて、一躍チーム1の鈍足男は脚光を浴びるようになった。

1971年
・東映の2年生投手・瓜生が調子を上げている。5月16日の巨人、4回戦「西武園」で湯口と投げあい、打線の援護もあって9対4の勝利投手。完投で2勝目を挙げた。この瓜生、向上高から昨年東映入りした右の本格派。昨年は1軍にもかなり起用され、ショート・リリーフ中心に12試合ほど登板。近鉄25回戦では初先発するなどルーキーとしてはかなり恵まれたシーズンで2年目の台頭を期待されている有望株だ。入団当時は「特別スピードがあるわけでないしスタミナが心配」といわれていたが、最近は完投ペースも覚え自分のピッチングが出来るようになった。「変化球の切れもよくなった。体も肩も調子がいいから今年は去年以上に頑張ります」と瓜生は大張りきりだが、期待されていた杉田、桜井、片岡ら若手の右投手が揃って伸び悩んでいる時だけに明るい材料。1メーター78と上背もあり、体も去年よりひと回り大きくなっており、これからどこまで腕を上げてくるか楽しみである
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川内八州男

2011-10-29 16:48:14 | 日記
1971年7月10日

巨人4-3中日 

試合開始の午後七時現在、後楽園球場の気温は31・2度もあった。満員に近い込み具合。当然起きる人いきれが場内をいっそう暑苦しいものにしていた。試合はいわば熱帯で行われた。こんな気象条件のもとで、人間の思考能力が低下しないわけがない。古来、世界的な高度の文明が、熱帯圏に栄えたためしはあまりない。
こんなとこには頭が「さえてる」が、気力が充実している人間のほうが、活躍できるに決まっている。そしてスコアが示す通り、ほんの幕切れ寸前までは、中日の方がなかなかさえた頭をみせていた。
人を食ったような川内の投球ぶりが、まず試合中盤までの主役だった。五回二死まで巨人はノーヒット。三ゴロ失の堀内が一塁に出ただけで、ほとんど無音。平松(大洋)にしても、江夏(阪神)にしても、最近の巨人戦でこんな完璧に巨人打線を押えた投手はいない。
川内の投げたタマはカーブ、スローカーブ、スライダー、シュート、シンカー、それに直球と、たしかに多彩ではあった。だが、狙いダマをしぼればどれも打てない球ではなかった。それがどうしても打てない。「前半は川内のタマを漠然と打っていたようだ。どっちつかずのバッティングだった」という試合後の国松コーチの話。そして長島の「すーと抜けるスローカーブにすっかりやられた」という話からすると、巨人打線はジャンケンのとき、相手の次の出方を考えすぎて、結局わわからなくなったようなものだったらしい。中日が攻撃面でもさえたところを見せたのは七回表の一死一塁。同点にしたあと、ミラーの打球が二塁後方へあがったときである。ハーフウエーまで走った一塁走者の大島が森下コーチの指示で一塁から14㍍も離れたところで打球の落下を待った。打球を追った二塁の黒江と右翼才所のどちらが捕球しても大島はアウトになり、併殺が成立しただろう。それは冒険だった。落下点から一塁までは20㍍あまりしかなかったからだ。だが、偶然か故意か、この大きな離塁が野手二人の譲り合いーテキサス安打という結果を招いた。気落ちした堀内はこれをキッカケにさらに2点を失って、巨人は敗戦のがけっぷち。しかし、すべたは伊藤久が上田に投げた8球目のカーブのために、いっぺんにひっくり返ってしまった。名誉回復の為に気力を奮い起こして2打席連続ホーマーの離れ業を演じた上田の気力勝ちということもできよう。巨人打線の中でこの上田と
吉田の二人だけが終始「カーブにねらい」をつけて打席に立ったことを中日バッテリーが頭においていれば、この失投はなかったはずである。試合は、最後の場面でさえていた上田のおかげで、巨人が笑うことになった。




熱心さ実った川内投手の一勝
・「なんとかして、早く一勝が挙げられるようにしてやりたい」と大島コーチが気を使っているのは、近鉄から移籍した川内投手。開幕以来、ほとんど毎試合のように中継ぎや締めくくりに登板。大きく割れて落ちたり、小さく曲がる3種類のカーブを使い分けて、投手陣の大きな戦力になっているからだ。「もちろん、早く勝ち星はあげたいです。だけど、それより試合にこうして投げられるのは幸福ですよ。近鉄から中日へ移った甲斐があります」という川内の目標は、先輩の田辺に追いつき、追い越すこと。このまじめさは去る4月27日の対広島戦で実が結んで水谷寿の救援はあったが、7回まで投げて初勝利を得た。

・川崎球場の大洋戦で2試合連続、火消しに出て、難しい切り札役をつとめ上げた川内投手に向かってスタンドから「いいぞ、川内。新しい8時半の男の誕生だ」の声がかかった。また、この川内をネット裏からじっと見ていた大洋・森球団代表も「中日さんは、いい投手に目をつけたものだ。とにかくセオリーを忠実に守って投げてるのがいい」とうらやましそうに話していた。近鉄から移籍した一年目の川内はプロ在籍7年生。近鉄ではファームでくすぶり続けていたのが、中日入りしてようやく芽をふいた。ちょうど昨年、近鉄から移籍した田辺がすい星のように飛び出して、エース小川なきあとのマウンドで活躍したのと、そっくり同じである。由来、中日はかっての柿本をはじめ小川や小野にしても、他球団ではダメだったのが、見事に息を吹き返しているという不思議なチームだ。入団当初の川内を見て「カーブはいいが、あのスピードでは昨年の田辺のようにはいかぬだろう」と見る向きも多かったのに、シーズンが進むにつれて切り札にのし上がった。それどころか、巨人に完投勝ち「11節」までやってのけ第12節の終了時で22試合登板、3勝1敗、防御率は2・70で投手15傑にも顔をのぞかせている。「何勝挙げようなんて気持ちはありません。とにかく信頼されて使ってもらえるだけ幸福なんです。それがチームの勝ち星につながれば、しあわせです」下積みの長い間の苦労が、こんな言葉にもにじみ出ている。「あのカーブはいやだ。つかみどころのない打ちにくい投手」と長嶋にいわれるのも「彼はデータを守って、その通り投げている。コントロールがいいから、それが出来るんだ」・・・江崎スコアラー。・・・こんなところに「新・8時半の男」の秘密があるようだ。

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飯田敏光

2011-10-29 16:45:19 | 日記
「太平洋クラブ時代」大洋から江藤監督とともに移籍してきたのが飯田敏光投手で身長がなんと192センチ。平和台の合同自主トレでも地元ファンの注目を集めているが、大男ぞろいの選手たちさえ見上げるような巨漢のくせに、いたっておとなしく、ベンチでは、いるのかいないのか分からないくらい。この飯田、ジャンプでは連日一等を取っているが他の選手からハンデがあり過ぎるとクレーム。そのたびに「オレのせいじゃないよ。でもごめんね」と苦笑いしている。

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高田博久

2011-10-29 16:45:19 | 日記
アンダースロー
球種は、シュート、スライダー、カーブでストレートの球速は135キロ程度。

1986年入団時の自主トレの段階での、高田投手の記事がありました。・・・・・高田が長田捕手を相手に40球のピッチングを

はじめると、大石コーチ目がクギ付けとなった。「欠点かない。山田「阪急」に似ているね。低いクラスではなく高いクラスと争えそうだ。

年齢的にいっても津野以上の期待ができる」と驚きの声をあげた。

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水谷茂雄

2011-10-29 16:43:38 | 日記
フォームは右オーバーハンド、シュート気味のストレートが持ち味。

・1980年・入団当初
投手難にあえぐ南海に希望の星が誕生した。今季、四日市工からドラフト4位で入団した水谷茂雄だ。この水谷、高校に3年半通っている。「オレも甲子園の土を踏みたい」志を立て名門・三重海星高に入学した。しかし半年で退学、水谷の目指す「野球」とは大きくかけ離れた部に対して失望したからだ。翌年、迷うことなく四日市工に再入学、元来、野放図な性格の水谷、すべてにおいて型破りが好きである、ところが高校3年時、19歳だった水谷は年齢制限で試合の出場資格を失った。ショックだった。こんな水谷にナインは「監督をやって僕たちと一緒に野球をやろう」と勤めてくれた。予期せぬ言葉に嬉し涙が出た、喜んでナインの気持ちを受けた・・・現在、中モズ道場では連日のハードな練習が行われているという。「オレはやる、後輩たちと交わした約束は守らないと・・・」
水谷はプロでの活躍を誓った。

・プロ入り初勝利
1980年・9月17日・西武ー南海、後期9回戦「平和台球場」観衆3万3千・試合時間・3時間19分・
勝ちー水谷、セーブ・金城・負けー松沼弟・・本塁打、門田37号、新井6号、長谷川3号、メイ22号
南海100020221・8
西武000010100・2

・若タカ・ルーキー水谷が混パの主役・西武から大金星、プロ入り初勝利をあげた。「アガることなんか全然なかったですよ。この前のときは6回で崩れているから、きょうは、なんとかそれ以上投げたいと思ってました。とにかく勝てて、こんなに嬉しいことはありません」
5回、長谷川に5号ソロを浴び1点、7回1死3塁から金城の助けを借りるまで、西武打線を4安打に抑える好投。ゲームが終わると
先輩・金城に何度も頭を下げるあたりにルーキーらしさがのぞいていた。

水谷投球内容・・・6回3分の1・被安打4・奪三振2・四死球5・自責点2

・自己最高の成績を残した1981年のチーム別成績、この年は抑えの金城が戦列を離れていたため、ストッパーに使われることも
多かった。
対・日ハム戦・10試合・0勝0敗・1セーブ・8回3分の2・・防御率9・00
対・阪急戦・・10試合・1勝0敗・2セーブ・7回3分の2・・・・・・・・9・00
対・ロッテ戦・・8試合・・0勝1敗・3セーブ・7回3分の1・・・・・・・・5・14
対・西武戦・・7試合・・0勝0敗・3セーブ・6回3分の1・・・・・・・・・1・50
対・近鉄戦・10試合・・1勝0敗・1セーブ・14回3分の2・・・・・・・1・80

・その後の水谷投手は故障やスランプに泣かされ、1985年に中日に移籍するが登板機会に恵まれず、この年限りで表舞台から、
ひっそりと姿を消した。

・1軍戦・ラスト登板・・・1984年・8月24日・日ハム22回戦「平和台球場」
3番手で登板・3分の2イニング・被安打5・三振0・四球1・自責点6
最後の登板が奇しくもプロ初勝利を飾った平和台球場だった。

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高垣義広

2011-10-29 16:41:53 | 日記
球種・・・伸びのあるストレートが最大の武器。メンタル面に課題があり実力を発揮できない。
その他、シュート、カーブ。

フォームについては資料を探しても出てこないのですが変則投法ではないはずです。


現役ラスト登板
1978年・9月3日・日ハム後期11回戦
4番手で登板・2回・被安打5・三振2・四死球2・自責点1

1978年・最終年棒320万・・・家族構成・ルミ子夫人、1女

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竹口昭範

2011-10-29 16:41:00 | 日記
スリークォーター
現役最後の1987年の資料によると球種は、カーブ、ストレート、シュート、スライダーで、ストレートは135キロ程度

です。評価は球威はもう一つで、ワンポイント・リリーフが精いっぱいか。

・竹口投手は穴吹監督時代の1985年に期待され、オープン戦にも重点起用されてた記憶があるので、この時の成績を掲載
します。

1985年・3月5日、近鉄戦「大阪球場」6イニング・被安打1・自責点0
・竹口はストライクゾーンからボールになる低めの球が効果的で近鉄打線をほんろう、制球力にも成長の跡がうかがえた。

3月10日、中日戦「浜松球場」2イニング・被安打2・自責点1

3月16日、阪神戦「甲子園球場」1イニング・被安打1・自責点0

3月18日、近鉄戦「日生球場」9イニング・被安打6・自責点1
南海の貴重な左腕・竹口が完投勝利1番乗り、緩急をつけ慎重に低目をつく見事な内容で投球数もわずか104球だった。

3月24日、阪急戦「湯浅球場」4イニング・被安打7・自責点6

3月30日、阪神戦「大阪球場」1イニング・被安打1・自責点0

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近藤重雄

2011-10-29 16:35:14 | 日記
スリークォーター気味の投球フォームからスライダー、シュートを投げ分けた。

・1971年のドラフトでオリオンズ入団決定第1号が近藤重雄投手、このときの年齢29歳は当時のドラフト指名・史上最年長で

あり、すでに結婚していて1女をもうけていたそうです。入団の動機は会社「日本コロムビア」の業績が思わしくなく、野球部も休部し

、そのうえ会社側が出した1200人にものぼる希望退職勧告の中に自分の名前を見つけ、ギクッ!として真剣に将来のことを

考え、そんな意気消沈の近藤のところへ来た通知がロッテから指名されたという夢のような知らせ、契約金もドラフト5位ということで

、500万・年俸150万だが「契約金?ボクには過分です」と謙虚な姿勢を見せていた。

初勝利は1972年5月10日、西鉄戦「東京球場」先発・成田を6回からリリーフして以後の4回を2安打0点に抑え、打線の

大量援護にも恵まれた。その喜びの言葉は「1964年に久慈賞をもらったときより嬉しい、早く女房や娘に報告したい」と感激してい

た。

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半田実

2011-10-29 16:32:37 | 日記
フォーム・・右サイドスロー
球種・・・決め球はシュート
・・・半田の投球フォームは元・阪神、中日で活躍した柿本実に非常に似ていて、顔までソックリだった。

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上田容三

2011-10-29 16:32:00 | 日記
左オーバーハンド・球種・ストレート、カーブ、シュート

・アマチュア時代・・・高校時代、智弁学園のエースとして甲子園に3回戦まで勝ち進んだが、秋田市立に2-7と大敗している。しかし上田は満足であった。悔いのない青春だと思っていた。やがて上田は松下電器に入社する。しかし、なかなか登板機会は回ってこなかった。「このまま会社に埋もれてしまうのか・・・」松下電器での野球に疑問を持ち始めた。上田がプロ入りを決意したのは、それから間もないころだった。

・ロッテ入団・・・上田はロッテのテストを受けに上京した。1971年、秋のことである。むろん会社には辞表を提出していた。ロッテの秋季練習に参加しながらのテストであったが、上田は見事にパスした。同年のドラフトでロッテの9番目の指名を受けた。球団が提示した契約金100万に素直に首を立てに振ったのであった。

・ファーム時代・・・だが、プロの世界は自分が考えていた以上に厳しいところであった。177センチ、73キロの上田がプロの選手の中に入ってしまうと、そう目立ちはしなかった。シーズンに突入しても上田はファームで泣かず飛ばずであった。完全に出遅れだった。そして、8月10日がやってきた。この日、上田はイースタンリーグのヤクルト戦「鳥取」での完封勝利が評価され、ついに1軍昇格を果たしたのである。

・プロ初勝利・・・・ロッテの1軍投手陣は「火の車」だった。木樽、成田、小山らが総崩れの状態にあった。信頼できる左投手は皆無であった。9月3日に上田は先発のマウンドに立った。「いまは5回ぐらいが限界かもしれないが、スタミナがつけば相当やれるぜ」
と大沢監督は送り出した。上田はその期待に応えた。味方が序盤に3点を取ってくれて気が楽になった。上田は丁寧な投球でタマを
低めに集めていた。スタンドのどこかで見てくれているだろう父のために懸命の力投を続けた。6回に入って上田は、つかまり降板したが最後は木樽が締めて、ついにプロ初勝利を挙げた。上田はダッグアウトを飛び出し、木樽に何度も頭を下げた。やがて、しばらくして、やっと開放された上田は球場出口に向かった、そして人混みの中に父の姿を見つけ出した。上田は何も言わず父の手を握りしめていた・・・・・


補足・・・上田の初勝利の対戦相手は南海「大阪球場」でこの3日前の8月31日の東映戦で初先発したが、乱打されKOされた。
のちになってから上田は「南海は東映より威圧感はない」と報道陣に対し口にしており、妙に度胸のすわった一面もあった。

・上田は高校2年のときに母親を失っており、父の正一氏が上田を含め3人の兄弟を育てあげた。上田は父親に感謝しており
、なんとしてもプロ初勝利の晴れ姿を見せてやりたかった。

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ゴセージ

2011-10-29 16:30:56 | 日記
フォーム・重い球質と威圧感のあるフォームは右打者には打ちにくい。しかし制球、スタミナに課題があり投げた後に極端に体が

1塁側に流れる癖があり小技を仕掛けられると苦しい。守備はスキだらけである。

球種・直球とスライダーが主体で落ちる球は持ってない。

・ゴセージは田淵ダイエーの救世主となれるだろうか。7月4日、39歳の誕生日を翌日に控えた近鉄戦でゴセージは日本初デビュー

した。2点差で8回2死2塁と大リーグ史上2位の307セーブ男には最高の舞台だ。それがわずか2球で笑いものにされた。トレーバ

ーにガツンと右中間への同点アーチを浴びた。田淵監督は「まだ来たばかりだから」とかばったが、その後、4試合の登板で自責点は

3、調整不足は明らかだ。スタミナの問題もある、30球を過ぎたあたりから球威がガクンと落ちる。克服すべき点が多い。

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杉山知隆

2011-10-29 16:29:48 | 日記
右オーバースロー「力感あふれるダイナミックなフォーム」
球種・・・ストレート、カーブ、フォーク、シュート、パームボール

1978年・日ハム時代の資料
1978年・7月4日・日ハムーロッテ後期一回戦「後楽園」観衆1万6千人・試合時間・3時間7分
ロ001000000・1
日30000201・・6
勝ち・杉山・・・・負け・金田・・・本塁打・ミッチェル23号、加藤9号
杉山投手・投球内容・9回・8安打・3三振・1四球・自責点1
・「お待たせしました」大洋から移籍1年目、前期は2勝3敗とやや期待はずれの格好だった杉山が、やっと「快速球」の本領を発揮した。後期開幕して間もない7月4日の後楽園球場、ロッテ1回戦だ。「なにしろマウンドに上がること自体が久しぶりですから・・・
新人投手のような心境ですよ」1メートル83の大男が少年のように胸をはずませていた。無理もないだろう。この日に備えて、6月11日の阪急戦を最後に3週間あまりも実戦から遠ざかっていた。来る日も、来る日も、ブルペンで投げ込み、野手陣に交じって走り込みを繰り返してきた。そのミニキャンプの成果が試される日なのだ。「きょう、ダメだったら、もう今シーズンは信用してもらえなくなってしまう」大げさでなく、杉山にとっては正念場、背水の構えだった。快調だった。ダイナミックなフォームからの速球は昨年、前半戦だけで8勝を稼いだ大洋時代よりも伸びが感じられた。そして、落差のあるカーブは狙いとほとんど狂いなく左右のコーナーに決まった。ちょっぴり力んだ3回こそ、白の内野安打をきっかけに無死満塁のピンチを迎えたが、得津の右犠飛による1点だけ。最少失点に切り抜けた。ファイターズナインも、杉山の復活初戦に一大奮起。「スギさんに勝たせて、後期は波に乗るんだ」てなわけで、1回からミッチェルの特大23号3ランが出るなど、懸命のバックアップだ。ロッテ打線を8安打、1点に抑えての完投勝ち。これが5月14日のクラウン戦以来、実に50日ぶりの白星だった。「前期は、チームに期待にそうことができなかった。その分、これからお返しですよ。ええ、なんとか自信らしきものがつかめた感じです」狂四郎といわれる、物静かな男に、遅まきながら火がついた。「円月投法」で後期はひと暴れだ。

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松村憲章

2011-10-29 16:28:17 | 日記
・ヤクルトに入団してから3年間はストレート1本で通してきたが、4年目からは3種類のカーブをマスターした。

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