プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

高木孝三

2019-06-26 22:59:02 | 日記
1964年

大洋に自衛隊出身の珍しい投手がいる。山口県防府市の第一航空教育隊からさる九月、大洋に入団した高木孝三投手(20)=広島県佐伯郡五日市町出身=がその人。オリンピック東京大会で金メダルをとった三宅選手やマラソンで銅メダルの円谷選手らの活躍で自衛隊株が上がっており、ノンプロ野球にも、ことし初めて自衛隊が進出した。これからも自衛隊出身の選手がプロ野球にはいってくることも考えられる。そこで自衛隊出身の第一号高木選手をクローズアップしてみたー。入団してからまだ二ヶ月たっていない十月三十一日、足利で行なわれた対東京オープン戦に高木投手はプロ入り初登板した。この試合で高木は先発して3イニング投げ、自責点2で敗戦投手になった。別所コーチは「初めてにしてはまあまあのでき」とほめていたが、本人は不本意だったらしい。「あのときはどうしたのかタマが走らずふがないない結果でした。あがったわけではないのですが…」ことし二十歳、頭にまだ幼さの残っている高木はオープン戦とはいえプロでの初陣を飾れず残念そうだった。「でも初めから勝てるほどプロは甘くないですね。いい勉強になりました。しかし速球には自信がありますからこんどは押えてみせます」五日市中学から広陵高にはいり本格派投手として鳴らした自負はじゅうぶんうかがえる。平山スカウトは「彼の直球はスライドするのが特徴。変化球はカーブしか投げないが、直球が速いのでカーブがよけい生きてくる」とほめている。土井コーチも「コントロールはいま一歩だが、直球には相当の威力がある」といっているので、来シーズンの高橋重につぐ第四の投手になる素質はじゅうぶん。

ことしの七月、都市対抗で中国地方の代表になった山門鉄鋼の補強選手として出場した高木は、都市対抗では一回戦で敗退したものの、中国予選を通じて28イニング自責点1の好成績を残した。そのピッチングを山門鉄鋼の有吉コーチ(元西鉄投手)に認められ「プロでもじゅうぶん通用する」と勧められてプロ入りする気になったという。広陵高三年の春、スライディングの練習中に右ヒジにヒビを入らせ野球を断念、自衛隊にはいったのがプロで野球するきっかけになったのだから皮肉なはなし。「両親は大学進学を希望していたようですが、勉強は好きではなかったし、若いうちにいろいろやった方がいいと思って自衛隊にはいったわけです。規制づくめの生活には初めまいりましたが、いい経験になりました」二年七ヶ月の自衛隊生活は高木にとって相当プラスになったらしい。

九月十一日に合宿入りして二ヶ月、合宿生活にも慣れた高木は今後の目標をたてる余裕もでてきた。「阪神の村山さんのように真っ向から勝負する投手になりたいですね。変化球で逃げるピッチングはしたくない。中学時代から一貫してきた速球一本やりのピッチングでぶつかっていきます。変化球をマスターしないといけないといわれますが、いま変化球を覚えるつもりはありません」若いうちから変化球を多投する老成のピッチングはしたくないとはっきりいう。なかなかド性骨も太い。別所コーチは「今後の問題は体力をつけること」といっているが、たしかに1㍍76、68㌔のからだは大男ぞろいの大洋ではよけい小さくみえる。しかし、まだ二十歳の育ち盛り、今後の練習で体重がふえることはじゅうぶん考えられるから体力の点は心配なさそうだ。首脳陣も来シーズン高木を戦力の一躍に期待しているので、高木の雄姿がみられるのもそう遠くはないだろう。
コメント
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