1960年
国体高校野球に出場、二十七日の決勝戦で北海高に敗れた米子東高の清水賢捕手(18)は阪神、東映、阪急、大毎、中日から入団交渉を受けていたが、同日熊本市内の宿舎竹の丸旅館で「好きな阪神をえらびたい」と、つぎのように語った。同選手は夏の甲子園大会でインサイド・ワークにすぐれているところを認められ阪神、東映が最後までくい下がったが、同校が国体に出場するため正式な回答が出なかった。二十八日米子に帰り次第、両親、岡本監督、吉瀬部長と協議して最終的にきめることになっている。
清水捕手の話「定時制の三年生でまだ学校は一年残っているが、プロでやりたい気持ちが強い。同じ野球をやるならプロでと思っている。これはぼくだけの気持ちで、両親や一切をまかせている監督さんがどうかわかりません。それにぼくの方にはどこの球団から話があるのかくわしく知りません。いくとすれば好きな阪神にいきたい」
吉瀬部長の話「まだはっきりしたことはわからない。米子に帰り次第、両親、監督と相談することになっている。私自身プロの人とは会ってもいないし、まだ両親の気持ちもわかっていないので、なんともいえない」
清水賢捕手略歴 春の選抜で準優勝した米子東高のバックボーン。四番を打ち投手リードのうまさは抜群。夏の予選では七番にさがり13打数無安打とスランプがつづいたが、甲子園では8打数3安打(1三塁打)2打点をマーク、国体ではクリーン・アップ(五番)にカムバックして準優勝、ようやく実力を発揮してきた。秋田商・成田とともに高校球界指折りの好捕手。1㍍75、70㌔、右投右打。
国体高校野球に出場、二十七日の決勝戦で北海高に敗れた米子東高の清水賢捕手(18)は阪神、東映、阪急、大毎、中日から入団交渉を受けていたが、同日熊本市内の宿舎竹の丸旅館で「好きな阪神をえらびたい」と、つぎのように語った。同選手は夏の甲子園大会でインサイド・ワークにすぐれているところを認められ阪神、東映が最後までくい下がったが、同校が国体に出場するため正式な回答が出なかった。二十八日米子に帰り次第、両親、岡本監督、吉瀬部長と協議して最終的にきめることになっている。
清水捕手の話「定時制の三年生でまだ学校は一年残っているが、プロでやりたい気持ちが強い。同じ野球をやるならプロでと思っている。これはぼくだけの気持ちで、両親や一切をまかせている監督さんがどうかわかりません。それにぼくの方にはどこの球団から話があるのかくわしく知りません。いくとすれば好きな阪神にいきたい」
吉瀬部長の話「まだはっきりしたことはわからない。米子に帰り次第、両親、監督と相談することになっている。私自身プロの人とは会ってもいないし、まだ両親の気持ちもわかっていないので、なんともいえない」
清水賢捕手略歴 春の選抜で準優勝した米子東高のバックボーン。四番を打ち投手リードのうまさは抜群。夏の予選では七番にさがり13打数無安打とスランプがつづいたが、甲子園では8打数3安打(1三塁打)2打点をマーク、国体ではクリーン・アップ(五番)にカムバックして準優勝、ようやく実力を発揮してきた。秋田商・成田とともに高校球界指折りの好捕手。1㍍75、70㌔、右投右打。