プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

関根知雄

2019-09-28 10:41:51 | 日記
1964年

「野球とはほんまにわからんもんですな」報道陣にかこまれた関根を見ながら、三原監督は思わず首をひねった。プロ二年生。昨年は試合に出ず、ことしこれが三試合目。七回の安打がプロ入り初安打で二本目の安打が優勝へ大きく前進する貴重な逆転打になったのだから無理もない。「シュートだったと思います。2-1と追いこまれていたし、ただ食いついていこうと夢中でバットを出したんです」ポツリ、ポツリと答える。ことしでちょうど二十歳。顔にははなやかにニキビが吹き出している。三十六年夏の甲子園大会には銚子商の中心打者として出場、三十七年ノンプロ日本ビールへはいった。1㍍73、68㌔。からだはそう大きくないが、手首が強く長打をとばす。そこを大洋・森代表にみこまれたのが、その年の夏の都市対抗予選だ。しかも大洋にとって一番ほしい遊撃手だった。三十八年、静岡・草薙球場で行われたキャンプでは三原監督もこの関根に注目した。左中間スタンドへ打ちこむキレのいいバッティングには「うん、これはなかなかいける」と打撃にはすぐ及第点をつけたが、守備はまるでお気にめさなかった。「あんな雑なフィールディングではとてもショートには使えん」三原監督の所でキャンプが終わると関根は二塁手に転向、ファームの生活がはじまった。この年6ホーマーを記録してイースタン・リーグのホームラン王、ことしも5ホーマーで二年連続ベスト二塁手になった。「きょうは日下とこの関根のうちどちらかを使おうと思っていたのだが、われながらよくあそこへ関根を入れていたものです。それにまず打たせてから守らせたのがよかったですな」という三原監督。七回一死後、中前へプロ入り初安打を打った自信が、次の打席でみごとな逆転打を生んだ、とみているわけだ。「先輩(城之内は日本ビールの先輩だが、いっしょにプレーはしていない)から打って、なんだか妙な感じですが、一塁ベースへかけこんでも、あれが逆転打になったとはしばらくわかりませんでした」と声をはずませる関根。その関根に聞こえるように三原監督はいった。「このヒット一本で、ことしはだいぶ給料を上げてやらんといかんな。関根をここまでにした宮崎君(二軍監督)の手柄も大きいよ」
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大庭清

2019-09-28 10:10:38 | 日記
1962年

巨漢新人トリオのひとり。実兄宏(元高橋ユニオンズ)の反対を振り切って
飛び込んだ根性の持ち主


1963年

タフで武末コーチの秘蔵っ子。全般に球威が足りない。

軟式出身だが、武末コーチがつきっきりで下手投げ投手に仕立てている

1964年

軟式出身のサイドハンド。いくら投げてもへばらず、タフな点では
チーム一の定評がある。

軟式出身だが、下手投げ投手に仕立てている。

1965年

軟式出身の下手投げ。タフな点ではチーム一。武末コーチがかわいがっている。

武末コーチ期待のアンダースローだが、タマにくせがないのが難点。

武末コーチの秘蔵っ子。下手からの変化球はかなり注目される。制球力がいま一息。

登板日

1964年8月2日
1964年8月9日
1964年8月15日
1964年9月29日
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