プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中谷賢平

2013-11-28 22:05:23 | 日記
1978年

・阪神、中谷投手が文字通り野球生命をかけた年を迎えた。いまをときめく掛布と同期生。掛布がテスト生同然のドラフト6位なら、中谷もテスト生。昨年暮れの契約更改。ともに96万円でスタートした年俸が、掛布は約15倍にあたる1500万円。
一方の中谷は「バッティング投手専任になってくれないか」と打診された。「戦力に入ってない」という冷たい通告であった。たとえファームにいても「いつかは・・・」一軍入りの夢がある。しかしバッティング投手専任になるということは、そのたった一つのユメをも断ち切ることになるのだ。中谷は夜も眠れない日が続いた。しかし、球団の申し出をどうしても受け入れることはできなかった。三度目の交渉で、今年も選手としての契約が決まったのである。「どうしてもあきらめ切れなかったんです。こうして社長にムリを聞いてもらった以上、何が何でもやらんとあきまへん。」掛布はホッとしたようにつぶやいた。「ほうんとうによかった。彼ならきっとがんばってくれるはずです」掛布の励ましを受け、中谷は決意を固めてマウンドに立つ。

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