プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

長谷川勉

2025-02-15 14:02:22 | 日記
1975年
猛打大洋を、ルーキーの長谷川がコロリとひねり倒した。カーブとスライダーを速球に織り込み、がむしゃらに振ってくる大洋のサムライたちを、ていねいなコーナーワークでかわすピッチングだ。二回、三ゴロ失で無死の走者を出し、一死一、二塁のピンチに立たされたのに、米田を遊ゴロ併殺。新人とは思えない落ち着いたデビューぶり。続いて出た阪神から移籍の野上も二イニングを一安打。貴重な左腕に、野村監督にはうれしい収穫だ。大洋は空回り。三併殺が浮き彫りにされ、エンドランは一度も成功しなかった。

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北村哲治 1976年退団選手

2025-02-15 13:59:46 | 日記
1977年
運命の日、街には「巨人優勝、長島監督の胴上げです」アナウンサーの絶叫があふれていた。昨年十月十六日、義父・服部繁さんは、このとき七十四歳の生涯を閉じた。大のお気に入りだった息子に「野球をやめて、茶道を継いでくれ」と短い遺言を残して。困った。迷った。考えた。スポーツ好きで育った若者に、茶道はまるっきり別世界だ。お茶といったら、熱い番茶をすすった思い出ばかり。なのに弟子を持つ師匠になんて…。北村哲治、二十七歳。岡山県の児島一高から関ケ原石材ー松久と転籍。軟式野球で腕前が認められ四十六年中日へ入団した。昨シーズンはバッティング投手。球界では裏街道を歩いてきた男の、たった一つの勲章は四年前の対大洋オープン戦だ。締めくくりの三イニングを投げて勝利投手となった新聞はもう古びている。「きれいさっぱりボールに未練を断ち切って、自分の人生が開けた気がしているんです」野球が「動」なら茶道は「静」そのものだ。けいこは正座からはじまった。走って息が切れる練習ならがまんはできたが、じっと座るのはつらいものだ。一回の茶席は約三十分間。しびれは足から頭の先までたちまちにのぼってくる。お点前(てまえ)を見るゆとりはあるmのか。全身マヒでひっくり返りそう。次は歩いてみろ、だ。入り口でおじぎをして、左足から入る。タタミ一畳は六歩のすり足で歩く、と決まっているらしい。野球出身の大男には少々規格がはずれているらしい。27㌢の大足は「前足でうしろの親指をふんで歩け」と教えられた。いやはや…。「なななんだって」ナインの反応は、わけがわからないといった表情やらゲラゲラ笑い出すまでさまざまだ。中川球団代表は「そんな選手は初耳ですね。風変りといっても変わりすぎている。体力と知名度を生かして、というのが再就職の基本的なケースなのだが…」と目をむいた。チームメートの星野や田尾らも「北村さんは比較的、静かなタイプの性格だったが、まさかねェ。ぼくらならとてもがまんできない」とこれまたびっくり。特訓を積んでいる松風流は、岐阜市民連盟に属し、弟子は四十数人を数えている。義兄の服部孝氏(31)と喜美子夫人のアドバイスで、ようやく初歩の立ち居振る舞いは本格的となってきた。「いくら家元といっても、おいそれと免許は渡せません。辛抱強くけいこをつんでくれないと。さあ、三年でしょうか。それとももっと」と先生役の孝氏は慎重だ。人生の再スタート。北村さんは「運転を覚え、また別の仕事にもついてみたい」と意欲的だ。茶道連盟は長良川で有名な岐阜の鵜飼祭りなど、年三回の茶会を開く。大型茶道家目指す若者デビューはいつの日か。


退団者のその後


巨人 
大竹憲治(26)内野手 スポーツ用具店に勤務中
岡昭彦(21)内野手 医療機械製造会社


ヤクルト
簾内政雄(32)投手 大洋塗装(株)
三橋豊夫(28)投手 立川市役所
水江正臣(23)投手 大分ヤクルト
竹口幸紀(22)投手 不明
長井繁夫(29)内野手 ヤクルト本社


中日
井手峻(33)外野手 協和工業
西岡三四郎(28)投手 ヤクルトテスト中


阪神
表浩太郎(24)投手 指圧師
松永知隆(23)投手 佐々木スポーツ
浅野憲一(24)内野手 会社員
玉城正富(23)内野手 輸入販売会社
崎山嗣盛(20)投手 自動車修理工
林真人(20)外野手 競輪学校
吉良修一(28)投手 魚河岸


大洋
長田幸雄(38)外野手 思案中


阪急
池田昭(22)投手 ガソリンスタンド
前川光春(20)内野手 近鉄テスト中
石田芳雄(22)投手 ライト工業


ロッテ
木樽正明(30)投手 自営
江藤慎一(40)内野手 病院経営コンサルタント
菊川昭二郎(32)内野手 自営


南海
野上俊夫(28)内野手 会社員
井口龍三(23)内野手 象印マホービン
山本利一(24)外野手 金融業


日本ハム
藤原真(32)投手 下着メーカー
小坂敏彦(30)投手 宝石商
坂井勝二(39)投手 自営
相本和則(28)内野手 会社員
後藤和昭(33)内野手 スポーツメーカー


近鉄
八重沢憲一(26)内野手 会社員
松村彰士(27)内野手 大和ハウス

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牧重見

2025-02-15 13:29:23 | 日記
1969年
サッポロビール本社庶務課員で社歴二年。白いパリッとしたワイシャツ姿で机上にひろげた書類にエンピツを走らせていた。四階の庶務課にいるときの牧投手は感じのいいビジネスマンである。昨年春、サッポロビール野球部の先輩の紹介で入社したが、毎日六時起床、八時出社、午後はグラウンドでたっぷり四時間はしばられる生活である。仕事と野球でヘトヘトでガールフレンドを捜すヒマはないそうだ。高校時代甲子園出場とこんどは後楽園の夢を実現させたラッキーボーイ。将来の夢は「プロでやりたい」というひそかな希望を抱いている。牧投手の決め球はスライダーとシュート。

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広島衛

2025-02-15 13:22:16 | 日記
1959年
広島はのびのび投げ続けた。八回まで与えた安打はわずかに5本で五回の1点も大津の遊ゴロがイレギュラーしたためだった。ところが最終回、藤本に2点本塁打を浴びて1点差に迫られた。たまりかねた杉下監督はマウンドに歩みよって伊奈の継投かと思われたがそのまま続投させることになった。まだ一度も完投したことのない広島に完投させてやろうという親心からであろう。広島はこのときのもようをどうだ、まだ投げてみるかといわれたのであと一人だから投げさせてくださいといったのですと語っていたが、横山を二飛に退け期待にこたえた。鎌田に右へ二塁打をうけて一死満塁になったとき伊奈がウォーミング・アップをはじめたが、伊奈の救援を仰ぐことなく逃げ切った。杉下監督はあまりよい調子とはいえなかったが、コントロールがよかった。大体コントロールのよい投手だし、他の投手がへばり気味なのではじめから完投させるつもりだったと広島の右腕を信頼していたようだが、広島は藤本さんに打たれたのはシュートのかけそこないです。四月二十九日の対阪神三回戦にはじめて先発した時、緊張したため三日ほど肩が痛かったが、この日は楽に投げられた。いままでシュートがこわくて投げられなかったが、シュートを覚えたのがよかったと思うとさすがにうれしさを隠しきれなかった。広島はこの完投勝利で自信をつけたことだろう。


広島は内角のシュートよりも外角低目へ決めたスライダーがよかった。ことにスピードを落としたスライダーは阪神打者を泳がせ効果的であった。前田は7打球のうち1つエラーをしたがグラウンダーに対するスタート、呼吸の合わせ方、グラブさばきなど、たしかにゲームごとにうまくなっている。ただ五回の大津のイレギュラー安打はほとんで手の出ないものではあったが、たえず自分の守備位置付近の荒れを足でならすという心がけがほしいものだ。名手といわれる三宅はこれを実行している。

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飯田敏光

2025-02-15 13:08:29 | 日記
1975年 

初先発。だが首脳陣の期待にいま一つ添えず予定の3回と持たず降板した。大洋時代からバッティングピッチャーで他球団と試合をするのはこれが初めてとあってチーム一の大男もアガりっ放し。なんとか失点は1に食い止めたが、まだ使いものになるかどうかは目途がつけられない内容。「バッティング投手の癖が出て、ついストレートでカウントをとりにいった」としきりに残念がっていたが、米川コーチは「やはりブルペンのピッチングができていない。もっと腕の振りを大きくしなければ…」とアドバイスしていた。
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若林弘泰

2025-02-15 13:01:12 | 日記
1991年
指名順位にはこだわっていません。テレビ中継も終わったのでもう(指名は)あきらめていたのです。指名されたことはすごくうれしい。喜んで中日に行きます。中日は打線がいいので投手には安心感があります。自分の球種はまっすぐ、カーブ、スライダー、シュート。どちらかといえばまっすぐで押して行くタイプです。


「大喜びで入れてもらいます。順位にこだわりはありません」と、4位指名の若林弘泰選手は声を弾ませた。テレビ中継が終わった段階では自分の名が出てこず「あきらめかけていた」ところへ入った朗報の感激は格別。「来月十五日に結婚式を挙げるんです。フィアンセも、好きなようにって言ってますし」とまで言う。東海大三年の夏、右ひじを手術しているが、それは過去の話。打者にガンガン向かっていくタイプで、今年の都市対抗では145㌔をマークしている。「変化球がちょっと甘いので、それが課題。目標は先発完投ができる投手になること」と早くも課題と目標を掲げた。


東海大相模高ー東海大時代から本格派投手としてプロからマークされていた。日立製作所に入社して3年目。肩痛に不安があったが、力の投球からかわすピッチングへ変ぼうして、安定感を増した。都市対抗には3年連続出場。


1995年


ロッカールームに郭の声がこだました。「若林、若林はどこ?」いったん囲まれた報道陣の輪から抜け出し、若林弘はプロ最初の勝利球を郭から受け取った。プロ12試合目は、おそらく最も緊張した場面でのマウンドだった。1-1の八回裏二死三塁、打席にはこの3連戦打ちまくって、まさに手がつけられないという状態の落合。「あの八回が始まるところで、ピンチで落合さんがきたらいくぞ、と言われてました」もちろん一塁が空いている。落合には「四球でもOK」という条件があった。1、2球目、外角のきわどい直球がボールになると事実上の敬遠。だが若林弘は一つ工夫をした。「中途半端な力で投げると次に悪影響を及ぼすといけないから」と全力で外角ボールを投げたのだ。二死一、三塁で迎えた広沢にはファウルで粘られ四球。満塁にとピンチは広がったが、続く後藤を平凡な中飛に仕留めた。持てる力を全部ボールにつぎ込んで、サヨナラ負けの危険を背負った九回は簡単に三者凡退。流れをグッと引き寄せ、延長十回表の大量点を呼んだ。即戦力の期待を受けてプロ入りするも、昨年まで三年間は一軍経験ゼロ。米・アリゾナキャンプに抜てきされた今季、五月十三日の阪神6回戦(ナゴヤ)、0-5と大量リードされた三回二死満塁がプロ初登板の場面だった。ところが最初に対した投手・葛西に押し出し四球の痛恨デビュー。六月二日に出場選手登録抹消、同二十九日には再登録されたが三日後の七月二日にはまた二軍行きを命じられた。「三度目(の降格)となると、もうチャンスはないでしょうからね」プロ4年目とはいえ二十九歳。社会人・日立製作所勤務時代に知り合った祐美子夫人との間に二人の子供もいる。中山の腰痛によって八月五日に巡ってきた三度目の一軍は、生活をかけたものだった。「これまではきわどいところに投げなきゃと思いすぎて自分を苦しくしていた。でもきのう(9日)の野口なんかを見てても、ストライクさえ入ればそんなに打たれるもんじゃない、と分かった」過去の失敗を生かして、若林弘は白星をつかんだ。その目には感激の涙などない。生活のためには、四年目の初勝利に浮かれているわけにはいかないのだ。

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井手元健一朗

2025-02-15 12:40:21 | 日記
1991年
井手元投手は、午後三時半から四日市工高の会議室で葛山博次校長らが同席して記者会見。「地元であり、自分の好きなチーム。監督、両親と相談して決めたい」と語った。井手元投手は左投げの本格派。140㌔前後の直球とカーブ、スライダーを武器に今夏、四日市工を悲願の甲子園初出場に導いた。現在は野球部を離れ、ランニング、ウエートトレーニングを中心に毎日二、三時間の基礎体力づくりに励んでいる。「プロではストレートで押していけるような投手になりたい」と話していた。

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谷哲男

2025-02-08 00:18:53 | 日記
1964年
市西宮高の谷哲男投手(17)は三十日、名古屋の中日ドラゴンズ球団事務所で同球団と契約した。同投手は183㌢、73㌔、右投げ、右打ちの本格的な速球投手。昨年春、夏、今春と計三度甲子園へ出場し、エースとして活躍した今春の選抜でのピッチングがとくに注目され、阪急などからも誘われていた。背番号は未定。


谷投手の話 一度プロでやってみたいと思っていた。それだけに入団が決まって本当にうれしい。自信というほどのものではないが、高校時代後半疲れてタマが浮く悪いクセがあったので、足、腰をうんと鍛えれば、なんとかいけると思う。とにかく一日も早く第一線で投げられるようがんばる。練習に参加するのは来春のキャンプからになる予定です。

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土橋修

2025-02-08 00:13:17 | 日記
1964年 

阪神タイガースはこのほど関西ノンプロ球界屈指の好投手、日本新薬の土橋修投手(20)=1㍍78、68㌔、右投げ、右打ち、和歌山県粉河高出=を獲得した。同投手はオーバーハンドの本格派速球投手で、今春の選抜都市対抗に活躍してチーム優勝に貢献来季のエースと目されていた。南海、東京、阪急など五球団が獲得に乗り出していたが、はやくから同投手に目をかけ、熱心な勧誘を続けていた阪神河西スカウトの熱意が実って阪神入りとなったもの。なお、同投手は甲子園球場で行われているファームの練習に二十日から参加する。
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大森秀男・清水光男

2025-02-04 20:44:39 | 日記
1961年


阪急ブレーブスは二十七日午後一時三十分、大阪市北区角田町、航空ビル五階の球団事務所でつぎの新入団選手を発表した。
大森秀男捕手(18)中京商業卒、右投げ右打ち、身長1・75㍍、体重73㌔。
同捕手はさきに中日入りした山中投手とバッテリーを組み、今夏の甲子園大会や国体など大きな大会で活躍した。阪急はそのすぐれたインサイドワークが魅力で伊藤コーチが獲得に乗り出したほどで、毎試合必ず安打が出るシュアーなバッティングの持ち主。


大森捕手の話 一番早くこられたのが阪急だし、小さいときからのファンでした。それに投手陣がいいので、パ・リーグで働くなら最初から阪急と決めていました。これからの課題はインサイドワークをもっと勉強し投手の人に信頼される捕手になるのが願いです。


清水光男捕手(18)名古屋商大付属高卒、右投げ右打ち、身長1・74㍍、体重74㌔。
同捕手もインサイドワークがよく、中京地区では屈指の捕手で三年生の年間打率は3割をマークしている。


清水捕手の話 阪急の試合は一度も見ていませんが、やはり差のあるスピードの点を考えて勉強していきたいと思っています。とにかく阪急はやりがいのあるチームです。自分の力がどの程度やれるのかわかりませんが、ただ一生懸命がんばるだけです。

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橋本孝志

2025-02-04 20:31:47 | 日記
1964年


橋本孝投手は下関商では制球力を欠いたが、浪商戦ではすっかり安定したところをみせ、シュート、速球を主に浪商を5安打無四球に完封した。

博多工橋本孝は竹井を上回るできで、完ぺきに近かった。シュートでカウントを取り、外角への鋭い速球を勝負ダマにした。


近鉄バファローズは二十九日午後三時から日生球場内の球団事務所で、博多工橋本孝志投手(18)=身長1㍍82、体重80㌔、右投げ右打ち=の入団を正式に発表した。前夜、近鉄瓜生スカウトにともなわれて父親勇さん(52)と空路上阪した同投手は、この朝、十八回めの誕生日を迎えたのだが、奇しくも十八歳の誕生日がプロ入り契約書調印ー入団発表と思い出の日となったわけだ。同投手の父親勇さんは瓜生スカウトの案内で午後二時半日生球場の入り口をくぐった。球団事務所隣接の応接室で永江代表とあいさつ、かけつけた別当監督とも感激の対面をした。近鉄のユニフォームをつけてカメラのフラッシュを浴び、引きつづき報道陣のインタビューをうけた。白カッターに学生ズボンという軽装でいかにも高校生らしい。巨体に似合わぬ童顔を赤らめ、小さな声でボソボソと答えていた。


ー地元の西鉄をはじめたくさんの球団から誘われたと思うが、近鉄に踏み切った動機はなにか。
橋本・近鉄には先輩(山田外野手)がいるし、別当監督の人がらにも引かれた。


ー最後的にはいつ決めたか。
橋本・二十七日の夜家族全部が話し合って決めた。


ープロにはいったらどんなタイプの投手になりたいか。
橋本・武器はストレートとカーブだが、あくまで真正面から勝負していく本格派投手になりたい。徳久さんを目標にしてがんばるが、池永(下関商)尾崎(徳島海南)らプロにはいるとしたら、かれらに負けたくない。


ーこれから来春のキャンプ参加までどうするか。
橋本・ランニングを主に足腰をみっちり鍛えるつもりだが、機会があるかぎり、プロ野球を見ておきたい。

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安達智次郎

2025-02-01 23:58:59 | 日記
1992年
今大会ナンバーワン左腕の呼び声が高い。昨夏の甲子園では無念の初戦敗退だったが、その悔しさをバネにいちだんと成長。MAX144㌔の直球、大きくタテに割れるカーブのほか、フォークが新しく加わり、奪三振ショーを見せてくれることになりそう。


1993年


今春、ドラフト一位で兵庫・村野工から入団。145㌔の速球を武器にカーブ、スライダー、フォークと変化球も豊富で、「将来のエース」を十分に感じさせる左腕だ。ブルペンでは、最後の一球まで気を抜くことがない。そのひたむきさが安達の魅力でもある。「気持ちが乗っているね」と、中村監督も成長ぶりに満足そうだった。

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谷哲男

2025-02-01 23:53:28 | 日記
1964年


立ち上がり小川に打たれた谷が、その後、得意のドロップとシュートをうまくまぜて投げ分けたのは、リードした西宮に逃げきれる自信をもたせた。
市立西宮の谷投手は得意のドロップの切れがいつになく悪く、直球もうわずっていた。


立ち上がり直球がきまらず不安だった谷は二回のリードにすっかり調子をとりもどし、カーブをうまく使って安芸打線にスキを与えなかった。


市西宮は昨年のメンバーから島田三塁手が抜けただけ。主戦投手は友光が退いてから谷にかわったが、谷はドロップ、シュートを武器に安定したピッチングでやはり最右翼。

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松本照夫

2025-01-30 22:40:06 | 日記
1964年
阪急期待の新人松本投手が初登板した。4回2/3イニングスを投げたが、一応3安打も自分のフィールディングのまずさと、永井三塁手の動きの悪さの2安打が含まれており、ヒットらしいヒットは二回土井の1本だけとみてよい。ピッチングの成績はなんら文句をつけるところがない。松本でまず目についたことは、度胸のよさである。新人投手が公式戦初登板、しかも先発投手ともなればマウンド上ではなかなか落ち着けないものだ。それが平常となんら変わらない態度で自分の力を十分発揮した。東京六大学でもまれた実績がものをいっているだろう。それにしても堂々たる試合態度である。近鉄打線に一歩もひけをとらなかった度胸は大いに買ってよい。技術的には外角球が主体のピッチャーである。やや横手から外角いっぱいに直球、スライダーを通した。シュートもときおりまじえたが、この威力はさほどではなく、外角球も球威に助けられている感じであり、これは決め球にならない。スピードそのものはさほどなく、やはりコントロール主体の投手である。三塁側に踏み出して外角をねらうスライダーはある程度の力はある。球威により相手を圧倒する投手ではないが、ローテーションにはいる力は十分あるとみてさしつかえあるまい。

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波山次郎

2025-01-28 20:56:12 | 日記
1961年


巨人は前半こそ波山の鋭いカーブ、ドロップに押えられていたが、六回1安打2四球で二死満塁となり木次の左越二塁打で走者一掃、同点とした。

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