プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永本勲二

2019-06-02 13:19:43 | 日記
1964年

9連勝ーまだ負けを知らぬマウンドの永本が、一瞬顔をゆがめた。2-2で迎えた九回裏。阪神は和田が歩き久代が左翼線へ二塁打。南海ベンチは永本に満塁策を指示したようだ。0-3。だが四球目、永本の直球は外角をかすめその一球で永本に色気が出た。打者は八番伊藤。五球目のびを欠いたスライダーを鋭くたたくと、打球はライナーで金村の頭上を抜け緑の芝生に落ちてサヨナラ・ゲームとなった。
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高島昭夫

2019-06-02 10:39:12 | 日記
1964年

長い間、夢見てきた大型内野手を高島で実現しようとしただけに、家庭の事情で中退、プロ入りしたのは残念な気がする。高校三年のとき、ノンプロの浜田精麦(神奈川)に就職する予定だったそうだが、会社が火事で野球部も解散。本人も進学に方針を変えた。もともと外野手だったが、高校時代(岐阜東高)は出たり出なかったりの準レギュラー。荒っぽかったので、まず右翼打ちで、ポイントをつかませることからはじめた。それが三年になると左翼の金網(95㍍)のうしろのコンクリートのへいを越えて、学生寮(約百三十㍍)にぶつけるまでに成長した。外野手から内野へコンバートしたのは三十八年秋のことだ。授業の関係で平日は午後三時からの練習。人並みのことではひとを抜くことはできない。私と高島の襟くらべがはじまった。守備では「打球はあくまでからだの正面で・・・」たたいて育てあげる主義の私は、ノックの雨を浴びせた。百本、二百本。批判を受けるかも知れないが、夜は雨天ピッチング練習場にあかりをつけて左に右にボールをトス、捕球の練習をした。トスをする私も、アドバイスを忠実に守って正面でとろうとする高島も、動けなくなるまで続けた。よくあの練習に耐えてくれたと思う。「やめろというまで打っていろ」といえば、いつまでも打ち続けていた高島。1㍍81、78㌔の恵まれたからだも、あけっぱなしの性格もプロ向きだ。すべてに未完成な高島は、プロのスピードについていくには骨の折れることだろう。しかし、最後には、鍛えられた精神力がものをいうはずだ。

高島選手「七月に東映入りして約五ヶ月、どうやらプロの水にもなれてきた。イースタン・リーグで二十四試合に出場して三割二分程度打てたが、半沢君(国鉄)の速球にはドギモを抜かれた。一軍入りするためにはまずこのスピードに遅れないようにすることだと思う。技術的にはバック・スイングにはいるときにりきむクセを一日も早くなおしたい。シーズン・オフには郷里(岐阜市)でランニングに精をだしたい。守備の欠点、フットワークをマスターするためだ。それに大いに食べてあと三㌔ほどウエートをつけたい。キャンプ・インからエンジンをフル回転できるように健康管理には十分気をつけたい」

東映コーチ浜田義雄「からだが大きいためか瞬間的な動きがにぶい。たとえばゆるいゴロに対して上半身は動くが、足がともなわない。ダッシュがないのだ。しかしどんな打球にもからだごとぶつかっていくので確実性はある。バッティングでは大学時代に中堅から右翼方面へ流すことをやらされていたせいか、引っぱることができない。手首のかえしがよくできないし、打つポイントもからだに近すぎる。それでポイントを前におくことも練習課題にしている。イースタン・リーグの後半に何試合か使ってみたが、試合度胸はいいし、顔もピリッとしまってスターになる素質は十分だ」
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秋丸正道

2019-06-02 09:37:28 | 日記
1963年

二十六日午後巨人の練習が行なわれている多摩川球場で一人の高校生がテストを受けにきた。これはさきに大毎のテストを受けた福岡工中退の秋丸正道君(17)=1㍍75、80㌔、右投右打=で、二十四日テストを申し込んでゆるされたもの。キャッチボールからベース・ランニング、守備練習を行なったが、バッティングでは左翼フェンスを軽くオーバーするなどいい当たりの連続でコーチ連をびっくりさせた。採用するかどうかはもうすこし練習をみてから決める。
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池田正憲

2019-06-01 23:22:30 | 日記
1964年

巨人は関東学院三春台高・池田正憲投手(18)=1㍍79、78㌔、左投左打=を獲得した。同投手は大洋入りが内定していたが、巨人・青木スカウトが熱心に足をはこび、巻きかえしに成功した。池田は今夏の神奈川県予選では二回戦で桜ヶ丘高に敗れたが、一回戦の慶応高戦でノーヒット・ノーランをマーク、プロ球団から目をつけられた。速球が武器。なお同投手は一日、この日からはじまった巨人の秋季練習(多摩川球場)に参加した。

池田投手「青木さんをはじめ中尾、内堀コーチが熱心に誘ってくれたし、藤田さんが大好きなのでプロへいくなら巨人ときめていました。進学を希望していた両親を説き伏せたんですから、一生懸命にやってりっぱなプロ選手になりたい」
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井上修・渡辺澄雄

2019-06-01 23:03:47 | 日記
1964年

広島は六日、福岡電波工・井上修内野手(18)=1㍍72、73㌔、右投右打=、広島県芸南高・渡辺澄雄投手(18)=1㍍76、66㌔、右投右打=の入団をきめ九日、広島市基町の球団事務所で入団発表する。井上は遊撃手としては九州球界一といわれる。渡辺は速球を武器とする本格派で、九月に行なわれたテストに合格したもの。また先に入団がきまっていた安芸高・門谷昭投手の発表も同時に行なわれる。

白石監督「これで今シーズンの新人獲得は終わりだ。既成の選手をトレードで補強するのは現状ではむずかしいので、有望な若い選手をのばしていくよりしようがない。井上は力のある選手ときいているので大いに期待している」
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外木場義郎

2019-06-01 23:02:03 | 日記
1965年

広島は八日、ノンプロ電電九州の外木場義郎投手(18)=1㍍74、68㌔、右投右打=の入団を決めた。同投手は昨年鹿児島・出水高卒業と同時に電電九州に入社、ことし春の選抜社会人野球で大和証券を完封、富士重工には敗れたが、延長十五回を完投しており速球、ドロップを武器とする本格派投手。広島のほかに東京がねらっていたが、広島は久野スカウトが出水高時代から熱心に勧誘していたのが実った。

西野育成局長「昨年までの外木場はちょっとひ弱い感じでプロで通用するかどうか疑問があった。それで一年間ようすをみたが、ことしはからだもひとまわり大きくなり、すぐ使えそうなのでとった。安仁屋のようなタイプで、からだがしなやかだ。切れのいい球が魅力だ」
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門谷昭

2019-06-01 15:48:50 | 日記
1964年

左腕の好投手として四国球界に知られている高知県安芸高・門谷昭投手(18)=1㍍71、70㌔、左投左打=の広島入り、内定した。発表は八日ごろ行なわれる。門谷はことしの春の選抜大会(甲子園)に安芸高をはじめて出場させる原動力となり、大会では二回戦で市西宮高に敗れたが十五回三分の一を投げて自責点4。左腕からの速球とカーブに威力があり本格派投手として期待されている。

長谷川コーチ「門谷はいったことは一日に聞いた。大羽、森川につぐ左投手だから大事に育てたい」
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扇原修

2019-06-01 15:48:02 | 日記
1964年

巨人は富山県氷見高・扇原修投手(18)=1㍍77、68㌔、右投右打=を獲得した。同投手は真っ向からの速球を武器とする本格派で春の県大会では優勝、北信越大会に進んでいる。今夏予選では一回戦の対高岡一高で負け、中央球界には知られていないが、県内では指折りの好投手と折り紙をつけられていた。足も速くバッティングもあり、投手で四番と氷見高のワンマン選手。春の大会から目をつけていた巨人・青木スカウトが進学を希望していた同選手を説得、巨人入りにふみ切らせたもの。正式発表は四日東京・銀座の球団事務所で行なわれる予定。

巨人・川上監督「まだ実際にはみたことがないが青木スカウトから聞いている。バネのきいたいいからだをした本格派の投手らしい。これから先が楽しみだ」

巨人・青木スカウト「変化球はまだ切れが悪いが、スピードは高校野球では図抜けていると思う。足も速いしバッティングも非常にいい」
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中前健児

2019-06-01 15:47:17 | 日記
1963年

大毎は六日午後一時から大阪市北区堂島の毎日文化会館五階球団事務所で、ノンプロ日本熱学の中前健児投手(18)=県尼崎高、1㍍72、64㌔、左投左打=の入団を発表した。背番号は未定。同投手は高校時代通算40勝3敗の成績で、打率も三割八分をマークしている。昨年ノンプロにはいり、コントロールのよさと切れのいいシュートで3勝1敗の成績を残している。十日から埼玉県川口市営球場で行なわれる練習に参加する。

中前投手「コントロールには自信がある。自分の実力を思うぞんぶん発揮したいと思う。バッティングの方がおもしろいが、球団側の意向でピッチングに専念することになった。近鉄にはいった磯田(飾磨高)とも投げ合った経験がある。顔合わせをたのしみにしている」
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辻善之

2019-06-01 15:46:27 | 日記
1964年

二十五日からのオープン戦に備えて、秋季練習を始めた。バッテリーは十三日から、そして全員合流は十六日から。約二十日間ぐらいボールから遠ざかっている桑田、長田、近藤和といった中心選手も、久しぶりのトレーニングにフーフー三原監督も合流の十六日から顔を見せ、コーチ陣と打ち合わせるなど相変わらず細かいところに気をつかっていた。「オープン戦の準備はもとより、ことし、なぜ九分九厘つかんでいた優勝を逃したか。そこいらを振り返り、来シーズンへの地固めをするのが練習のねらいです。ところで戦力的に強化するのは投手と内野手でしょう」という三原監督。その投手の中で、上手から下手に変えて見違えるようなピッチングをしているのが辻投手。「やはりだれでも上手投げでなければいけないとは限らないですね。辻投手は昨年もちょっと下手から練習していたことがあったけど、本式にこれをやりだしたのはこの練習から。なかなかいい球を投げてます」と高松捕手はいっていた。
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田辺修

2019-06-01 15:45:39 | 日記
1963年

大洋ではこのほど前ノンプロ立正佼成会の田辺修内野手(22)=1㍍86、94㌔、右投右打=の入団をきめた。同選手は立大で投手をやっていたが二年で中退。三十六年立正佼成会へはいり、打力を生かして内野に転向した。ことしの八月、立正佼成会をやめ、大洋の二軍の練習にテスト生として参加、そのスケールの大きい打力を買われたもの。

森代表「大型内野手なのでこれから楽しみだ」
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安仁屋宗八・中村光也・苑田敏彦

2019-06-01 15:44:20 | 日記
1963年

広島カープは新入団三選手を四日午後二時半から広島市民球場会議室で次のとおり発表した。

安仁屋宗八(あにや・そうはち)投手(19)沖縄高、琉球煙草、176㌢、61㌔、右投げ右打ち。昨年度の全国高校野球大会に出場。ことしの都市対抗野球では大分鉄道の補強選手として活躍し沖縄ではNO1。完成されたフォームでスリークォーター気味からのシュート、カーブを得意としている。沖縄でスカウトされてプロ入りしたのは同選手がはじめて。

中村光也(-みつや)投手(19)熊本商高、178㌢、70㌔、右投げ右打ち。昨年五月の九州大会で優勝した投手で、足腰のバネもよくオーソドックスなフォームからのストレートを得意とする本格派。

苑田敏彦(そのだー)内野手(18)三池工高、173㌢、74㌔、右投げ右打ち。今夏の全国高校野球福岡地区予選で五試合に6割台の高率をマークする力のバッティング左右どちらにでも打ち分け、快足で守備もよい。

三選手の背番号は未定。
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安藤敏雄

2019-06-01 15:42:46 | 日記
1964年

西鉄の先発安藤はコーナーを懸命についたが、球威不足でちょっとコースが甘くなるともう通じない。初回はかんたんに三者凡退の阪急だったが、二回、先頭の石井晶が中西のわずかに右を抜いた。中田の左前安打が続いた無死一、二塁で早瀬が送りバントに失敗したのは痛かったが、二死一、二塁から河野が外角スライダーを右前に先制打、三回には二死からバルボンの中前安打、スペンサーの四球で迎えた走者一、二塁で石井晶が外角直球を中前タイムリーした。
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