息子は今日、
一緒に暮らしている女性の親に会いに行ったはずだ。
どこでどう会うのか知らない。
おそらく彼女の実家に行ったのではないかと思う。
日帰りなのか、泊まってくるのか。
あいつはどんな気持ちで昨日の夜、寝たのか。
彼女と出会い一緒に暮らしはじめ楽しかっただろう。
ちょっとしたケンカなども何度かしたのだろうな。
それでもなんとか別れることもなく、
こういうことになった。
息子は、彼女のご両親とどんな顔して会ったのだろう。
どういうふうに、
会ってから一緒に暮らしはじめたことを説明したのだろう。
だからこんなことになる前に会っておけば良かったんだ。
と、書きながら、息子は何も心配してなかったりして…、
などと思ったりもする。
小さいときからKは、Uよりいろんなことを積極的にやってきた。
そして失敗も多く、私に怒られてきた。
幼稚園のとき、パチンコ玉で遊んでいて飲んでしまったことがあった。
2日後それはうんちと一緒に出てきた。
そのときKは、「パチンコ玉を地面にぶつけたら跳ね返って、
口の中に入ってしまった」と嘘をついた。
小学1年生のある朝、「学校に行きたくない」とKがいった。
そのとき初めて私は息子の頬を殴った。
息子たちを殴ったのはこれだけです。
殴った感触は今でも覚えている。
私の心も会社の仕事のことで荒れていた。
会社に行きたくない自分を殴ったのかも知れない。
Kは泣きながら学校に行った。
Kは中学1年の3学期から2年生まで、
中学校に行ったり行かなかったりだった。
ほとんど行かなかったと行っていい。
防衛医大病院で診てもらったら、
成長期にホルモンのバランスが崩れて体調がおかしくなった、
といわれた。大人になると戻ることもあるが、
このままの場合もある、と医師はいった。
中学校もまともに行けないで、
こいつの人生はどうなるんだ、と私は落ち込んだ。
まわりからは「登校拒否だろう」といわれた。
私だけは、Kのことを信じようと思った。
早朝のウォーキングがいいと医師にいわれたので、
Kとよく歩いた。
中学3年生になると休まず登校し、県立高校に合格した。
高校1年のとき、私が、死んだ友人の墓参りをしに
山口に行くというと一緒に行くというので連れて行った。
死んだ龍彦にせがれを見せられたのはよかった。
広島の平和公園に行った。
名古屋であったASAHIネットのある会議室のオフ会に参加した。
あのときKはかなりビールを飲んでいた。
カラオケで息子と陽水の「少年時代」をうたった。
その頃、Kが私のガットギターで練習をしていた。
なんとかコードが弾けるようになったときに、
フォークギターを買ってやった。
Kが反抗期で女房に、
「あんたは…」なんてでかい声を出したとき、
そのことを私は怒った。
「母親のことを『あんた』なんていうな」
私が山梨に単身赴任しているとき、
11時過ぎ女房から電話があった。
「Kが文化祭の打ち上げで、クラス全員で入間川の河原
で酒を飲みそこで泊まると電話があった。
心配だから私、今からタクシーで探しに行く」と。
「探したって、入間川のどかか分からないんだろう。
入間川は広い、朝まで待つしかないよ」
遠く離れた山梨のアパートで私はそういうより他なかった。
翌日の早朝、Kは何事もない顔をして帰ってきたという。
Kとのことはいろいろありました。
Uのことというと思い出すことが少ない。
ある意味、Kの行動を見ていてUは、
そつなく生きていたのではないかと思う。
明日、Kに連絡をとってみよう。
一緒に暮らしている女性の親に会いに行ったはずだ。
どこでどう会うのか知らない。
おそらく彼女の実家に行ったのではないかと思う。
日帰りなのか、泊まってくるのか。
あいつはどんな気持ちで昨日の夜、寝たのか。
彼女と出会い一緒に暮らしはじめ楽しかっただろう。
ちょっとしたケンカなども何度かしたのだろうな。
それでもなんとか別れることもなく、
こういうことになった。
息子は、彼女のご両親とどんな顔して会ったのだろう。
どういうふうに、
会ってから一緒に暮らしはじめたことを説明したのだろう。
だからこんなことになる前に会っておけば良かったんだ。
と、書きながら、息子は何も心配してなかったりして…、
などと思ったりもする。
小さいときからKは、Uよりいろんなことを積極的にやってきた。
そして失敗も多く、私に怒られてきた。
幼稚園のとき、パチンコ玉で遊んでいて飲んでしまったことがあった。
2日後それはうんちと一緒に出てきた。
そのときKは、「パチンコ玉を地面にぶつけたら跳ね返って、
口の中に入ってしまった」と嘘をついた。
小学1年生のある朝、「学校に行きたくない」とKがいった。
そのとき初めて私は息子の頬を殴った。
息子たちを殴ったのはこれだけです。
殴った感触は今でも覚えている。
私の心も会社の仕事のことで荒れていた。
会社に行きたくない自分を殴ったのかも知れない。
Kは泣きながら学校に行った。
Kは中学1年の3学期から2年生まで、
中学校に行ったり行かなかったりだった。
ほとんど行かなかったと行っていい。
防衛医大病院で診てもらったら、
成長期にホルモンのバランスが崩れて体調がおかしくなった、
といわれた。大人になると戻ることもあるが、
このままの場合もある、と医師はいった。
中学校もまともに行けないで、
こいつの人生はどうなるんだ、と私は落ち込んだ。
まわりからは「登校拒否だろう」といわれた。
私だけは、Kのことを信じようと思った。
早朝のウォーキングがいいと医師にいわれたので、
Kとよく歩いた。
中学3年生になると休まず登校し、県立高校に合格した。
高校1年のとき、私が、死んだ友人の墓参りをしに
山口に行くというと一緒に行くというので連れて行った。
死んだ龍彦にせがれを見せられたのはよかった。
広島の平和公園に行った。
名古屋であったASAHIネットのある会議室のオフ会に参加した。
あのときKはかなりビールを飲んでいた。
カラオケで息子と陽水の「少年時代」をうたった。
その頃、Kが私のガットギターで練習をしていた。
なんとかコードが弾けるようになったときに、
フォークギターを買ってやった。
Kが反抗期で女房に、
「あんたは…」なんてでかい声を出したとき、
そのことを私は怒った。
「母親のことを『あんた』なんていうな」
私が山梨に単身赴任しているとき、
11時過ぎ女房から電話があった。
「Kが文化祭の打ち上げで、クラス全員で入間川の河原
で酒を飲みそこで泊まると電話があった。
心配だから私、今からタクシーで探しに行く」と。
「探したって、入間川のどかか分からないんだろう。
入間川は広い、朝まで待つしかないよ」
遠く離れた山梨のアパートで私はそういうより他なかった。
翌日の早朝、Kは何事もない顔をして帰ってきたという。
Kとのことはいろいろありました。
Uのことというと思い出すことが少ない。
ある意味、Kの行動を見ていてUは、
そつなく生きていたのではないかと思う。
明日、Kに連絡をとってみよう。