さっき、女房がもらってきた桃を食べた。
まあまあ、うまかったが、イマイチだった。
私が45歳のとき山梨に単身赴任していた。
そのときの会社は、釜無川のほとりにあり、桃畑に囲まれていた。
昼休みには、川の土手に行ってケーナを吹いていた。
晴れていると、目の前にデッカイ富士山が見えた。
その富士に向かって毎日ケーナを吹いていた。
山梨から見る富士は、甲府盆地の山々が腰巻きのように
富士の下半身を隠している。
その“腰巻き富士”に向かって毎日ケーナを吹いていた。
夏、桃畑で農作業をしている人に「売ってくれませんか?」
と訊くと、ただみたいな値段で桃を売ってくれた。
私は月曜日の早朝に所沢から山梨の会社に行き、
金曜日の夜、仕事を終えてから所沢に帰るという暮らしをしていた。
あの頃、高速料金代の支出が大変だった。
会社からは年2回の交通費しかもらえなかった。
金曜日、所沢に帰るときよく桃を買った。
あのときの桃はうまかったな。
桃を食べると山梨を思い出す。
まあまあ、うまかったが、イマイチだった。
私が45歳のとき山梨に単身赴任していた。
そのときの会社は、釜無川のほとりにあり、桃畑に囲まれていた。
昼休みには、川の土手に行ってケーナを吹いていた。
晴れていると、目の前にデッカイ富士山が見えた。
その富士に向かって毎日ケーナを吹いていた。
山梨から見る富士は、甲府盆地の山々が腰巻きのように
富士の下半身を隠している。
その“腰巻き富士”に向かって毎日ケーナを吹いていた。
夏、桃畑で農作業をしている人に「売ってくれませんか?」
と訊くと、ただみたいな値段で桃を売ってくれた。
私は月曜日の早朝に所沢から山梨の会社に行き、
金曜日の夜、仕事を終えてから所沢に帰るという暮らしをしていた。
あの頃、高速料金代の支出が大変だった。
会社からは年2回の交通費しかもらえなかった。
金曜日、所沢に帰るときよく桃を買った。
あのときの桃はうまかったな。
桃を食べると山梨を思い出す。