去年の6月26日の九想話に「実家にいます」というのがあります。
このときは東京上野の職安で宇都宮のある会社の紹介を受けて
面接に行くために実家に帰っていた。
去年の今ごろ、私と女房との老後をいろいろ考えていた。
どう考えても所沢に住み続けられない、
というのがそのときの結論だった。
なにしろ家賃が高い。
私は収入のほとんどを息子たちの教育にあてたので、
家は持てなかった。
年金暮らしになったとき所沢にいられない。
それで考えたのが、茨城に住もうということです。
茨城の実家に土地はある。
現在、兄1人しか住んでなく、田畑の耕作はしていない。
草茫々になった1000坪ほどの田んぼを、
兄が「やるよ」という。
それで田舎に就職してそこに家を建てようと考えた。
職安で実家の近くから通える会社を探し就職しようと思った。
宇都宮のその会社までは、車で1時間ほどで通える。
小さな精密加工の製造会社だった。
粗末な建物の工場でした。
初夏の暑い日、私はほとんど着ないスーツを着て面接に行きました。
結果はだめでした。
資材購買経験者という求人だった。
私は資材購買、生産管理という仕事を長い間してきた。
この職種では誰にも負けないという自負がある。
40代の若い人を採用したと社長から連絡があった。
若さでは負けますね。
面接のあと同級生の建設会社を経営している
一級建築士の友人に会った。
田畑を宅地に転用するには測量したりいろいろ手続きして、
かなりの費用がかかる、
銀行から住宅ローンを借りるのには、
1年間こっちに暮らした実績がないとだめだ、といわれた。
私と女房は田舎に住むことを軽く考えていた。
社会の現実を知らないということをあらためて知った。
田舎に建てる家の間取りを考え、
犬も飼いたいなどと思っていた女房の夢はもろくも潰れた。
しかし、いずれは田舎に住もうと考えています。
なにしろここの家賃が高い。
年金暮らしになったら払えない。
私が65歳(あと10年)になるまでに、
なんとかお金をためて田舎に小さな家を建てようと思う。
バーチャルではない現実の九想庵です。
私の実家は、益子焼きの益子町の隣です。
あと10年、陶芸を勉強して、“九想庵”に窯をつくる。
焼き物をやり、ギターを弾き、ケーナを吹く生活。
とうぜん九想話は書き続けている。
どうなりますかね?
このときは東京上野の職安で宇都宮のある会社の紹介を受けて
面接に行くために実家に帰っていた。
去年の今ごろ、私と女房との老後をいろいろ考えていた。
どう考えても所沢に住み続けられない、
というのがそのときの結論だった。
なにしろ家賃が高い。
私は収入のほとんどを息子たちの教育にあてたので、
家は持てなかった。
年金暮らしになったとき所沢にいられない。
それで考えたのが、茨城に住もうということです。
茨城の実家に土地はある。
現在、兄1人しか住んでなく、田畑の耕作はしていない。
草茫々になった1000坪ほどの田んぼを、
兄が「やるよ」という。
それで田舎に就職してそこに家を建てようと考えた。
職安で実家の近くから通える会社を探し就職しようと思った。
宇都宮のその会社までは、車で1時間ほどで通える。
小さな精密加工の製造会社だった。
粗末な建物の工場でした。
初夏の暑い日、私はほとんど着ないスーツを着て面接に行きました。
結果はだめでした。
資材購買経験者という求人だった。
私は資材購買、生産管理という仕事を長い間してきた。
この職種では誰にも負けないという自負がある。
40代の若い人を採用したと社長から連絡があった。
若さでは負けますね。
面接のあと同級生の建設会社を経営している
一級建築士の友人に会った。
田畑を宅地に転用するには測量したりいろいろ手続きして、
かなりの費用がかかる、
銀行から住宅ローンを借りるのには、
1年間こっちに暮らした実績がないとだめだ、といわれた。
私と女房は田舎に住むことを軽く考えていた。
社会の現実を知らないということをあらためて知った。
田舎に建てる家の間取りを考え、
犬も飼いたいなどと思っていた女房の夢はもろくも潰れた。
しかし、いずれは田舎に住もうと考えています。
なにしろここの家賃が高い。
年金暮らしになったら払えない。
私が65歳(あと10年)になるまでに、
なんとかお金をためて田舎に小さな家を建てようと思う。
バーチャルではない現実の九想庵です。
私の実家は、益子焼きの益子町の隣です。
あと10年、陶芸を勉強して、“九想庵”に窯をつくる。
焼き物をやり、ギターを弾き、ケーナを吹く生活。
とうぜん九想話は書き続けている。
どうなりますかね?