則天去私

2007年04月17日 | 健康・病気

4月14日、陶芸の仲間の家で楽しく飲んだ。
家に帰ってネットを見る。
私がいつもパソコンを立ち上げて最初に見るサイトは
「へちま亭」というブログです。
アサヒネットの会長が毎日書いている。
何度かお会いしていてその人柄が大好きなのです。

その日の「へちま亭」には、
> 前回処分したはずの「夏目漱石全集」が残っています。
> 欲しい方に贈呈しますが、
> へちま亭は個人でやっているので原稿料ゼロです。
> したがいまして「運賃着払い」なら送ります。
と書いてあった。
私は、漱石全集が前から欲しかった。
すぐ、「いただきたい」とメールした。

翌日は女房の誕生日なんですが、女房と話しているときに思った。
(おれの部屋は引っ越して狭くなった。
 今でも狭くて女房からなんとか整理しろといわれている。
 なのにそこに漱石全集なんかいただいておいといたら
 何いわれるだろう)
女房のその顔を想像したら恐怖で生きてる心地がしなかった。
すぐ、「部屋が狭いため欲しいのですがいただけません」とメールを書いた。
すると、今日の「へちま亭」にその顛末が書いてあった。
 私もいただけるものならいただいて、
読んでから古本屋に売ってしまおうなんて一瞬考えました。
でもね、私より欲しい人がいたらその方に申し訳ない、と思った。
いや、それよりも女房が怖かった。

でも、部屋がもう少し広かったら欲しかったな。
私が日本女子大生協の書籍部担当のとき、
漱石全集の予約販売があった。
私は何人かの購買予約者に毎月本を渡しながら
いつの日かこんなりっぱな本を自分のものにしたいな.
漱石全集をいつか自分のものにしょう、と夢見た。

それで「へちま亭」を読んだとき、喜びいさんでメールを書いた。
貧乏性の私は、今ちょっと後悔している。
大きな本の全集だが、私の部屋に置けないことはない。
ああ…、もらっておけばよかった。
高校3年のときの国語の教師は、夏目漱石が好きだった。
よく覚えていないが、何かの短編が教科書にあった。
そのときの先生の授業が熱かった。
「則天去私」ということをくどいほどいっていた。
そのときは何も考えなかったが、
今私は「則天去私」ということを考えて生きている。
あの先生の教えを復習するためにも漱石全集が欲しかった。
いやいや、今さらくよくよするのはやめよう。

「則天去私」で生きなくては…。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする