向学心

2010年02月18日 | 健康・病気
昨日の九想話で、書き忘れたことがあるので書きます。

父親の亡くなった**は、高校を出てから東京の大学のⅡ部に入った。
昼間は、工場に勤めていた。
私とKは、何度か彼のアパートに行って安酒を飲んだ。
Kは、建築会社に勤め、各種学校の建築科のⅡ部に通っていた。
(Kは、30代半ばで一級建築士をとった。大学も行かずに。
 そして40歳のとき会社を興し、現在に至っている。
 彼の息子も大学の建築科に入り、現在中堅の建築会社にいる)
私は、手工ギター工房に弟子入りしていた。

「**の息子はすごいんだど。市の金で東大の大学院に行ってんだど」
市の職員になって、それから大学院に行かせてもらっているそうだ。
それを聞いて、彼の息子は親父の向学心を受け継いでいるんだな、
と感心した。

私が手工ギター工房に弟子入りして3ヶ月ほどして挫折したとき、
**から、大学に行くことを勧められた。
「昼間はだらいで、夜大学にいげばいい」
私は、ギター工房を辞め田舎に帰った。
親父とおふくろの百姓を1、2ヶ月ほど手伝い、
兄の紹介で駅前の金物屋に勤めた。
そこで金を貯め、翌年上京してお茶の水の予備校のⅡ部に入った。
昼間は、本郷三丁目の試薬会社にもぐりこんだ。
そこで、プロボクサーを目指す龍彦と出会ったのです。
ここまでは、前向きな青春っぽくていいですね。

予備校に行き、大学に行こうと決めたのは彼の存在が大きい。
10月あたりから私は酒を毎日飲むようになり、
予備校には、だんだん行かなくなった。
ちょっとかっこつけてその頃の私のことを書くと、
本は読みましたね。
それまで私は、本など読んだことがなかった。
高校生まで読んだ本は、20冊はないと思う。
私の読書が始まったのは19歳からです。

このことは、女房にいつもバカにされてます。
彼女は、小さいときから本を読んでいたらしい。
高校生のときは、外国の文学ばかり読んでいたそうだ。
彼女が一番好きな小説は、パール・バックの「大地」だという。
白水社の「チボー家の人々」は、
結婚して引っ越しても必ず捨てずに持っている。
私は、本を読み始めたといっても、ほとんど日本文学です。
これをいわれると女房に頭が上がらない。
(他でも上がりませんが…)

話がそれました。
**は、子どもが3人いるという。
きっといい子どもたちだろう。
いつかふるさとに帰って、彼と酒を飲んで話したい。
18のとき、東京の三島駅近くのアパートで安酒を飲んで未来を語ったように。

コメント
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