私が愛読しているブログ「のはらだより」の2月22日は、
「自慢?」という標題で、海苔の佃煮のことを書いている。
私はこれをハラハラドキドキしながら読みました。
「のはらだより」は、
九想話のブックマークにありますので読んでみて下さい。
私も“ごはんですよ!”が大好きです。
ご飯を食べるときは必ずこれで二口三口ご飯を食べます。
どんなにおかずがあってもこれは欠かせません。
いろいろ海苔の佃煮を食べましたが、
やはり“ごはんですよ!”が一番のお気に入りです。
のはらさんは、息子さんに頼まれていた「ごはんですよ!」を、
近所の市場で買おうとしたら、市場のオッチャンに、
「今日は“磯じまん”が安売りや。
“ごはんですよ”とほぼ同じ味、っちゅうことで
いつも置いてるやつや。
そっちにしたらどうや。」
のはらさんは“磯じまん”を食べたことがない。
でも、一所懸命に勧めてくれる市場のオッチャンに逆らえない。
結局、“磯じまん”を買ってしまう。
このあたり、のはらさんのやさしさがにじみ出ていますね。
私だってゼッタイ断れるわけがない(小心者なんです)。
私なら“磯じまん”を10コでも買ってしまいそうです。ウソツケ
“磯じまん”は、私が小学生の頃よく食べていた。
私の母は、“江戸むらさき”より少し安い“磯じまん”を買ってくれた。
その頃、私は味にうるさくなくてなんでもよかった。
小学3・4年生の頃だったか、母親が農作業で忙しくて弁当のおかずを作れないとき、
私は、学校の机の中に“磯じまん”を1瓶置いておいた。
アルマイトの弁当箱にご飯だけを持っていって、
“磯じまん”でご飯を食べたなんてことがありました。
そのときは毎日、“磯じまん”でお昼を食べるのです。
そうだ、ご飯は、麦入りご飯だった。
おふくろは、炊きあがったご飯の上のほうをしゃもじでどかす。
麦飯は軽いので上になるのです。
その部分を削り取って下の白米を弁当箱に詰めてくれた。
しかし、そんなことをしても少~し麦は入ってしまう。
私の家のおかずなんてあってないようなものだった。
普通は、お新香と味噌汁ぐらいだった。
百姓だから野菜はある。
しかし、現金がないからお店でおかずの材料を買えない。
私は、野菜が嫌いだった。
ですから、私のおかずは海苔の佃煮、ふりかけ、などでした。
でも、それらのものも買ってもらえず、多くは醤油をかけて食べていた。
栄養が足りなかったせいか、私はよく病気になって寝込みました。
その頃、私の家では鶏を10羽ほど飼っていた。
朝、卵を取りに行くのは私の役目だった。
しかし、その卵を食べることはできなかった。
近所に売っていたのです。
親父は毎朝、卵かけご飯を食べていた。
一家の中心となって働かねばならないからだ。
子どもは食べさせてもらえなかった。
たまに母親が親父に内緒で私と兄に卵を1つくれると、
2人でご飯を茶碗で3杯づつ食べた。
最後は卵などなくほとんど醤油の味だった。
のはらだよりを読んでいて、ふと“磯じまん”を食べたくなった。
所沢には売っていたが、軽井沢では売ってない。
あ…、なんか無性に“磯じまん”が食べたくなった。
「自慢?」という標題で、海苔の佃煮のことを書いている。
私はこれをハラハラドキドキしながら読みました。
「のはらだより」は、
九想話のブックマークにありますので読んでみて下さい。
私も“ごはんですよ!”が大好きです。
ご飯を食べるときは必ずこれで二口三口ご飯を食べます。
どんなにおかずがあってもこれは欠かせません。
いろいろ海苔の佃煮を食べましたが、
やはり“ごはんですよ!”が一番のお気に入りです。
のはらさんは、息子さんに頼まれていた「ごはんですよ!」を、
近所の市場で買おうとしたら、市場のオッチャンに、
「今日は“磯じまん”が安売りや。
“ごはんですよ”とほぼ同じ味、っちゅうことで
いつも置いてるやつや。
そっちにしたらどうや。」
のはらさんは“磯じまん”を食べたことがない。
でも、一所懸命に勧めてくれる市場のオッチャンに逆らえない。
結局、“磯じまん”を買ってしまう。
このあたり、のはらさんのやさしさがにじみ出ていますね。
私だってゼッタイ断れるわけがない(小心者なんです)。
私なら“磯じまん”を10コでも買ってしまいそうです。ウソツケ
“磯じまん”は、私が小学生の頃よく食べていた。
私の母は、“江戸むらさき”より少し安い“磯じまん”を買ってくれた。
その頃、私は味にうるさくなくてなんでもよかった。
小学3・4年生の頃だったか、母親が農作業で忙しくて弁当のおかずを作れないとき、
私は、学校の机の中に“磯じまん”を1瓶置いておいた。
アルマイトの弁当箱にご飯だけを持っていって、
“磯じまん”でご飯を食べたなんてことがありました。
そのときは毎日、“磯じまん”でお昼を食べるのです。
そうだ、ご飯は、麦入りご飯だった。
おふくろは、炊きあがったご飯の上のほうをしゃもじでどかす。
麦飯は軽いので上になるのです。
その部分を削り取って下の白米を弁当箱に詰めてくれた。
しかし、そんなことをしても少~し麦は入ってしまう。
私の家のおかずなんてあってないようなものだった。
普通は、お新香と味噌汁ぐらいだった。
百姓だから野菜はある。
しかし、現金がないからお店でおかずの材料を買えない。
私は、野菜が嫌いだった。
ですから、私のおかずは海苔の佃煮、ふりかけ、などでした。
でも、それらのものも買ってもらえず、多くは醤油をかけて食べていた。
栄養が足りなかったせいか、私はよく病気になって寝込みました。
その頃、私の家では鶏を10羽ほど飼っていた。
朝、卵を取りに行くのは私の役目だった。
しかし、その卵を食べることはできなかった。
近所に売っていたのです。
親父は毎朝、卵かけご飯を食べていた。
一家の中心となって働かねばならないからだ。
子どもは食べさせてもらえなかった。
たまに母親が親父に内緒で私と兄に卵を1つくれると、
2人でご飯を茶碗で3杯づつ食べた。
最後は卵などなくほとんど醤油の味だった。
のはらだよりを読んでいて、ふと“磯じまん”を食べたくなった。
所沢には売っていたが、軽井沢では売ってない。
あ…、なんか無性に“磯じまん”が食べたくなった。