Uña Ramos- Camino de llamas
私のケーナの“師匠”です。
あくまでも“”付です。
私が初めてケーナという楽器を知った
サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」の
ケーナを吹いていた人…、と記憶している。
ロス・インカスのこの演奏にS&Gは歌をのせている。
このグループのケーナを吹いていたのがウニャ・ラモスと聞いている。
私がいくつだったのだろう?34・5年前のことです。
ウニャ・ラモスのコンサートに行った。
確か、渋谷のどこかだった。
そのとき、感動しましたね。
それからほとんどウニャ・ラモスのレコードをコピーして吹いていた。
この曲はこの動画で初めて聴きました。
いい旋律ですね。
ウニャ・ラモスのケーナを吹く真剣さが伝わってきます。
この動画を見て気がついたのですが、
ウニャ・ラモスは低音を出すときに指を替えていますね。
いつもは、左手の薬指はつかっていないが、
低音を出すときにはこれを使い、
ケーナの一番下の穴を右手の薬指で押さえている。
私がケーナを吹くときは、左手は中指まで穴をふさぐのに使い、
一番下の穴をふさぐときは右手の小指を使う。
でもこの穴は遠く、右手の小指でふさぐには不安定になる。
最近のケーナを吹く人は、通常左手は薬指まで使って、
一番低い音は右手の薬指で吹く人が多い。
このほうが安定した低音が出ると思う。
しかし、私はいまさらこの指使いにできない。
私がケーナを吹き始めた1972年頃は、
左手は中指までしか使わなかった。
そういうふうに月刊中南米音楽の「ケーナの吹き方」に書いてあった。
ウニャ・ラモスの前には、アントニオ・パントーハをよく聴いていた。
この人の演奏は素朴でいいです。
ウニャ・ラモスは“洗練された”という演奏でしたね。
そもそもが、私はパントーハの吹き方を真似していました。
ウニャ・ラモスは今、生きているのだろうか?
もう80歳前後のはずだ。
私のケーナの“師匠”です。
あくまでも“”付です。
私が初めてケーナという楽器を知った
サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」の
ケーナを吹いていた人…、と記憶している。
ロス・インカスのこの演奏にS&Gは歌をのせている。
このグループのケーナを吹いていたのがウニャ・ラモスと聞いている。
私がいくつだったのだろう?34・5年前のことです。
ウニャ・ラモスのコンサートに行った。
確か、渋谷のどこかだった。
そのとき、感動しましたね。
それからほとんどウニャ・ラモスのレコードをコピーして吹いていた。
この曲はこの動画で初めて聴きました。
いい旋律ですね。
ウニャ・ラモスのケーナを吹く真剣さが伝わってきます。
この動画を見て気がついたのですが、
ウニャ・ラモスは低音を出すときに指を替えていますね。
いつもは、左手の薬指はつかっていないが、
低音を出すときにはこれを使い、
ケーナの一番下の穴を右手の薬指で押さえている。
私がケーナを吹くときは、左手は中指まで穴をふさぐのに使い、
一番下の穴をふさぐときは右手の小指を使う。
でもこの穴は遠く、右手の小指でふさぐには不安定になる。
最近のケーナを吹く人は、通常左手は薬指まで使って、
一番低い音は右手の薬指で吹く人が多い。
このほうが安定した低音が出ると思う。
しかし、私はいまさらこの指使いにできない。
私がケーナを吹き始めた1972年頃は、
左手は中指までしか使わなかった。
そういうふうに月刊中南米音楽の「ケーナの吹き方」に書いてあった。
ウニャ・ラモスの前には、アントニオ・パントーハをよく聴いていた。
この人の演奏は素朴でいいです。
ウニャ・ラモスは“洗練された”という演奏でしたね。
そもそもが、私はパントーハの吹き方を真似していました。
ウニャ・ラモスは今、生きているのだろうか?
もう80歳前後のはずだ。