昨夜、龍彦の写真を見つけたアルバムに、
自分の20代前半の頃の写真があった。
古い写真なのであまり写りは良くない。
床屋には行かず髪の毛は自分でカットしていた。
ジーンズ以外のズボンは持っていなかったおれ。
会社には、夏の頃は木製のサンダルで通勤していた。
龍彦は、アメ横で買った木靴を履いていた。
そんな2人を社長はどんな思いで見ていたか?
しょうがねェのがいる、と思っていたことだろう。
ただ、龍彦とおれは仕事はやりましたよ。
龍彦は、大学病院、研究所、医療器械販売会社に試薬を毎日車で配達していた。
おれは、会社で一番の売り上げがあった血液染色液を
60℃に熱したエタノールに何種類かの薬品を調合して、製造していた。
作ってから必ず自分の手の指を傷つけ、血液を採り、
血液染色液が血液を染色するかどうか顕微鏡で確認して、それを瓶に詰めて包装した。
おれが膀胱がんになったのは、こうゆう薬品を扱っていたせいかな、と思っている。
ネットに、膀胱がんの原因について次のような文章があった。
>染料や特殊な化学薬品を扱う職業に多く発症することも知られている。
あの頃、おれは何を考えて生きていたのだろう?
夜間大学に入るためにあの会社に就職した。
そこで、ボクシングジムに通ってプロになるという龍彦と出会った。
あいつはプロテストには受かったが、デビュー戦の1週間前に、
「おれは人をなぐるのもなぐられるのも厭になったから、ボクシングをやめる」
といって、ボクサーをやめた。
ボクサーをやめた龍彦と、大学に行くといって入った予備校を9月にやめたおれは、
毎日のように会社の仕事が終わると酒を飲んだ。
ボクシングをやめた龍彦におれは、ギターを教えた。
するとあいつは自分のギターを買い練習しておれよりうまくなった。
出会った頃は、前川清の歌を歌っていたが、ギターを覚えて陽水になっていった。
いろんなことがありました。
おれと龍彦ともう1人、I さんという人がいた。
おれと同じアパートで、美術大学を受験したが落ちて、
大学には行かず山谷の日雇いで生活しアパートで油絵を描いていた。
絵を描いてないときは、リコーダーをいつも吹いていた。
彼の部屋には、友人たちがひっきりなしに来ていた。
漫画家のアシスタント、美大学生、一流会社の美しいOL、わけのわからない人、
そういう人が来るとおれは必ず呼ばれていっしょに酒を飲んだ。
家に遊びに来ていた龍彦も同席する。
冬になり、山谷の日雇いの仕事がなくなると I さんは、朝までやっていたスナックに勤めた。
そこにおれは、毎日のように行って酒を飲んでいた。
I さんは、店の酒とは別のを置いておいておれに飲ませてくれた。
そのスナック「のみたや」でも楽しいことが、沢山ありました。
その頃龍彦は、会社を辞めて大阪に行ったり東京に戻ってきたり、また神戸に行ったりした。
ある年末に、龍彦の勤める新聞配達の寮に行き、それから龍彦とそこを抜け出して、
彼の生まれた山口の生家に行ったこともあった。
今考えると、いいかげんなことをしていた20代の前半でした。
でもあの頃、龍彦もおれも必死に生きていました。