私が44歳のときに、東京本社工場から山梨工場へ単身赴任になった。
その1年前に、本社工場で私の上司だった人が山梨工場に行っていたが、
その上司が、会社に来なくなったとかで、私が行くことになった。
その人は、東京本社工場に勤務していたときも、そういうことが何回かあった。
彼は私と同じ歳で独身だった。
そのときに私が勤務していた会社は、
半導体製造装置周辺のアッシャーやハンドラーなどの、装置を製造している会社だった。
3年前に東京都小平市にあった会社と、埼玉県所沢市にあった私のいた会社が、
親会社の方針で合併させられた。
私の会社には、熊本、山梨、長野、埼玉、福島、東京に工場があり、社員は200名ほどいた。
20何回か転職してきた私としては、その会社が一番大きな会社だった。
山梨の工場は甲府市の隣の町にあり、釜無川(富士川)のほとりにあった。
昼休みに私は毎日、釜無川の土手に行き、ケーナを吹いていた。
川の向こうに富士山が見え、反対側には八ヶ岳があった。
工場のまわりを桃畑が囲んでいた。
(夏、桃畑の人に声かけて、桃を安く譲っていただいたことがあった)
その工場での私の仕事は、資材購買だった。
工場で生産するためのすべての部品を購入することです。
安く品質のいいものを仕入れなければならない。
電気部品などはメーカーで造られたものだから安心だが、
装置のフレームやいろいろな加工部品は、図面を渡して造ってもらわなければならない。
ある1台の装置に使う部品は、全部で5千万円ほどだった。
それぞれの部品にいろんな納期がかかる。
注文してから3日で入る電気部品もあるが、発注してから半年かかるものもあった。
それらを全部、製造が始まるときまでに集めなければならない。
営業が客先から受注して設計部で図面を起こし、
資材部に購入部品表が来て発注となって、製造部に部品を渡すまでの納期が3ヶ月、
というのが普通だが、ときには1ヶ月というときもある。
そのために資材部の私は、納期の長い部品はある程度の数を先行発注しておく。
ただし、その部品に変更などがあるとつらい。
なるべくそういうことがないように、
常日頃から設計の連中とは、コミュニケーションをとってなくてはならない。
毎週月曜日に営業部、設計部、カスタマーサービス部、製造部、資材部の
人間が集まって工程会議がある。
私の場合、製造部が製造するまでに部品を出庫しなければならないが、
100%部品を集めて製造部に渡すことは不可能だ。
そのことで毎週の工程会議でよく詰められていた。
1998年、私は1年という約束で山梨工場に赴任したのに、
本社工場がなくなり山梨に移転することになった。
その2年前ほどから会社の装置が売れなくなっていた。
私は帰るところがなくなるので、しかたなく会社を退職するしかなかった。
家族は山梨に引っ越す気はなかった。
しかし、それは正解だった。
その1年後、親会社は私のいた会社を売却してしまい、
そのあと私のいた会社は消えてしまった。
今日、山梨の桃をおいしく食べて、そんなことを思い出した。