ゆず湯

2011年12月22日 | 健康・病気

昨日、私はずーっと家にいた。
女房が来るので、それなりに小物を片づけたりした。
いつも私のそばにあるギターも押し入れにしまった。
私は、ギターが私の脇にないと寂しい。
ちょっとしたときにギターを抱き、メロディを弾く。
これでずいぶん心が癒される。
弾くのは既製のメロディもあるが、私が即興で弾くフレーズもある。

寒いので買い物に行く気もせず、昼飯はインスタントラーメンにした。
でも、キャベツ・人参にハムを入れてそれなりの野菜炒めを作り、それと生卵を麺の上に載せる。
ま、自慢するようなものではありませんが…。
還暦前の男が作るもんです。温かく見守ってやって下さい。

御代田の図書館から借りた本の返却日が昨日(21日)だった。
返しに行かなければいけないと思いつつも、曇っている空がその気を萎えさせた。
「明日、女房と佐久に買い物に行く。そのときに御代田の図書館によって返そう」
明日返すのだから、借りた本を読めるだけ読んでおこう。
それで「誰にも書ける一冊の本」荻原 浩著(光文社)を読み始めた。
つまらなかったら違う本を読もうと投げやりな気持ちで読み始めたが、心地よく文章が頭に入ってきた。
(あ…、おれも親父ともっと話して、親父の青春とか若かった頃のことを聞いておけばよかった)
私の親父は、酒が、祭りのとき太鼓を叩くことが、盆踊りのやぐらの上で唄をうたうことが好きだった。
酒呑んで、おふくろを囲炉裏の火箸で殴り、おふくろが縁側から外に逃げた、なんてこともあった。
私の家は、教養のある生活とはほど遠かった。
でも、今思い返してみると、貧しかったが暖かい家族だった。
「誰にも書ける一冊の本」を読みながら、そんなことを思った。

昨日は、ただひたすら本を読んでいた。
夕飯は食べない。
女房が来たら一緒に食べようと思った。
暖かいときは中軽井沢駅近くのバス停まで歩いて行ったが、昨日は寒くて車で行こうと決めた。
だから暗くなると呑みたくなるニセビールを我慢した。
本を読んでいるときにケータイが鳴る。
> 今、碓井軽井沢インターです。
> 72ゴルフです。
> プリンスホテルを出た。
こういうメールが来る。
> 軽井沢駅、出発で~す。
このとき私は家を出て車に乗った。
フロントガラスが外の寒さと車内のヒーターの暖かさで曇り、前が見えにくい。
八十二銀行の駐車場に車を停める。
寒いけどエンジンを止める。すぐそばのアパートの人に迷惑をかけたくない。
5分ほどラジオを聴いていたら、女房からのメール。
> 役場です。
そして3分でバス停に高速バスがやってきた。

今朝、女房が恐ろしいことをいう。
「障子を張り替えよう」
確かに障子か汚くなっている。
しかし、これを張り替えるためにどれだけの時間がかかるのだ?
結局、女房の意見に押し切られ張り替えることになった。
障子紙を買うために佐久に行くことにした。
軽井沢にもホームセンターはあるが、どうしても佐久に行くんです。
その前に、部屋の掃除をした。
昨日、私は小物を片づけたのに、女房の命令で徹底的に炬燵の上のモノを整理させられた。
畳を全面的に女房は掃除機をかけた。
じゃまな光ケーブルのルーターやケーブルを私が持ち上げる。
隅にある雑誌や歳時記を私がどける。
炬燵布団も上げた。
終わって女房がいう。
「スッキリしたでしょう」
障子のサイズを測り、障子紙をどれだけ買うかの参考にする。
冷蔵庫、台所の戸棚などを見て、油・醤油・小麦粉など買う物をメモする。
結局、家を出たのが12時前になった。

まず、じん芥処理場に行く。
家に溜まっていたゴミを全部捨てた。
それから佐久市の農協に行き、安い野菜を買った。
カインズホームで、ロト6・障子紙と糊・ボディソープ・日本酒(2L798円)・焼酎(4L1750円)を買う。
イオンに行き、100円ショップのダイソーに行く。
私は、本屋を見る。アランの「幸福論」がない。池袋でもこの本を探したがなかった。
宝くじ売り場には30mぐらいの行列があった。今日がジャンボ宝くじ販売最後です。
カインズに1人も並んでいなかったのに。

御代田の図書館に行く。
本を返した。そして本を借りてきた。
やっとトンボの湯です。
私が男湯の“下駄箱”を数えたら、靴が34足あった。
さすがゆず湯です。
平日の3時頃でこの入浴客です。いつもだったら15足ほどでしょうね。
湯船に行くと浮かんでいましたゆずが…。アタリマエデス。
身体を洗ってから湯に身体を沈める。
離れていくゆずを何個か自分の前に移動させる。
いい匂いだ。
今日は、冬至だったんですね。

身を入れる実が離れてくゆず湯かな

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恵みシャレー

2011年12月22日 | 健康・病気

トンボの湯を出て、夕食のための買い物をするためにツルヤに行った。
今夜は鍋にすることにした。
カキフライも作ることになった。
ツルヤから帰って夕方5時過ぎに恵みシャレーに行った。
女房は「去年行ったから今年は行かなくてもいい」といっていたが、私は行きたかった。
去年行ったからって今年もイルミネーションを見ればいいと思う。
明日の夜、私は仕事で、行くとしたら今日しかなかった。
恵みシャレーの駐車場は混んでいると思い、雲場池の市営駐車場に停めた。
そこから歩いて15分ほどで行けた。
ところが車が1・2台来て恵みシャレーの駐車場に停めた。
「なんだ、車で来ればよかった」と女房にいうと、
歩いて来たから喜びが大きいのよ、なんて前向きなことをいう。
恵みシャレーは、雲場池の隣です。

  

 

恵みシャレーをあとにして、私たちは矢ヶ崎公園に行った。
しかし、駐車場には2台しか停まってなかった。
悲しいことにイルミネーションはついていなかった。
平日だからだろうか?
そういえば、恵みシャレーのイルミネーションが去年より寂しかった。
明日はもっと輝いているのだろうか?

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荻原 浩

2011年12月21日 | 健康・病気
今日、午後からこの本を読み始めてさっき読み終えた。
「誰にも書ける一冊の本」荻原 浩著(光文社)
8時間ほどで読了した。
文字が大きくて読みやすかったということもあるが、面白かった。
私はこの人の小説「オロロ畑でつかまえて」を、
昔読んだことがあったが、つまらなくて最後まで読めなかった。
ただ、この人のことを昔から注目してきた。
「荻原浩」という名前は、私の叔父さんと同姓同名なのです。
その叔父さんは、戦争中、アコーディオンを弾いたり、蓄音機でレコードを聴いたりした人でした。
仕事は写真屋で、斬新な写真が私の実家にはあります。
たしか戦争中に亡くなっています。
私の本名は「おぎわらひさし」で「おぎわらひろし」とは一字違いです。
荻原浩原作の映画「明日の記憶」を観て、いいストーリーだな、と思った。
「明日の記憶」(光文社)では、第2回本屋大賞第2位、第18回山本周五郎賞を受賞しているんですね。

主人公は、小さな広告代理店を経営している。
父親が危篤になる。
急いで東京から函館に飛ぶ。
父親の看病をしながら、母親から渡された父親が書いていた小説を読むことになる。
主人公も小説家を目指している。
添削するような気持ちで父親の作品を見る。
これまで知らなかった父親の人生を知る。
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女房が軽井沢にくる

2011年12月20日 | 健康・病気

明日、東京に住む私の女房が軽井沢にやってくる。
仕事を終えてから池袋東口のバス停で高速バスに乗る、と予想する。
そして、午後10時前後に中軽井沢に到着。
あの人は軽井沢が大好きだ。
異常なくらい軽井沢が好きなんです。
なので月に2度はやってくる。
夏なら分かるが、あの人は冬でもおかまいなしに軽井沢にくる。

私が45歳のとき、そのとき勤めていた会社の命令で山梨に単身赴任をした。
息子たちが高校2年生のときだった。
1年間、甲府駅の隣の竜王という駅の近くのアパートで暮らしていた。
そのときなんか、女房は1回も山梨に来なかった。
この差はなんなんだ?
女房がいう「だって、山梨は魅力ないんだもん」
山梨のみなさま申し訳ありません。
これはあくまでも個人の感想です。
私は毎日大きな富士山が見られて幸せでした。
山梨の温泉もいい。
桃も葡萄も美味かった。
山梨が私は大好きです。

わがつれあいは、軽井沢の山が木々が空気がいいという。
私が生まれた茨城のふるさとにも山はあります。
春には緑の若葉が出て、山が緑に燃える綺麗なところです。
秋だって美しく山は紅葉し、キノコも沢山採れる。
軽井沢となんのかわりもない(でしょう?)。
そういうと女房は、鼻でフンと小バカにする。

軽井沢のカラ松が好きだ、という。
私のふるさとには松はあるが赤松ばかりです。
昔は山に、燃料にするための木々を採りに行った。
肥料にするために木の葉をさらってきた。
ところが最近はガスで料理をし、化学肥料を使うので、
山になんか行かないから、里山が荒れている。
確かにふるさとの山は軽井沢に負けます。
生家のある集落には美術館やレストランはありません。
そのかわりに春になると美しい田園風景がある。
軽井沢には畑しかないじゃないか。
そりゃ、夏の軽井沢は季候もいいし、住むのに快適です。
しかし、冬のこの寒さはなんなんだ。
なのに女房は、軽井沢が大好きだ。
もうこうなったらなんでもいいのでしょうね。

今日からトンボの湯ではゆず湯をやっている。
今週末はクリスマスなのでイルミネーションもあちこちで輝いている。
軽井沢高原教会の「星降る森のクリスマス」は最高です。
必ず女房と私は見に行くでしょう。
24日(土)の夜、北軽井沢のレストラン「パンカーラ」ではクリスマスライブがある。
それにも行かなければなりません。
明日から私は、女房の運転手となって使用人のごとくがんばることでしょう。

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軽井沢の気温

2011年12月19日 | 健康・病気
私は、日勤のときは6時半に起きる。
そして7時前のNHKの天気予報を必ず観る。
6時50分の軽井沢の気温が分かるからです。
分かったからって、何もいいことはありません。
ただ、とても低い気温だと、心の隅のほうで喜んでいる、おかしな私です。
今朝は、-6.8℃だった。
今年は去年より寒くなるのが早いと感じる。
去年の12月はこんなに低い気温ではなかったと思う。
思う、だけで確かではない。
正確なデータに基づいてこれを書いているわけではありません。
さっきネットで明日の天気予報を見たら最低気温が-7℃で最高が1℃だった。
今日の最高気温は3℃でした。
まいっちゃいますね。
こんなところに住まなければならない身の不幸を呪います。
先日、私の下で暮らす家族が引っ越していった。
下に住む人がいない分、今年は寒いと思う。

以前、長いこと住んでいた所沢は、寒い日でも氷点下にはなかなかならなかった。
なっても-1℃か-2℃です。
雪が降るのも冬のシーズンに1・2回です。
生まれ故郷の茨城は寒かったが軽井沢ほどの気温ではない。
ただ家の造りが農家だったので、外の風がなんのためらいもなく家の中に吹き込んできた。
屋根は茅葺きで、内と外の境目に障害物がないところがある。
暖房器具といえるかどうか判然としませんが、囲炉裏だけが威勢良く燃えていた。
囲炉裏が燃えていて、身体の前は暖かいが背中が寒い。
だから家族全員、家の中でも厚着をして暮らしていた。
私なんか、ジャンパーの上に綿入りはんてんを着ていた。
(お恥ずかしいのですが、現在もユニクロのフリースの上に綿入りはんてんを着用しています)
だって、外に吹く風が家の中を吹き抜けて行くのです。
夜になると囲炉裏の火を消して、熾きに灰をかぶせてその上に炬燵やぐらをかぶせ炬燵にした。
その上に、普通の掛け布団を載せるので縦横の長さが違う。
そして布団の上に卓袱台の足を折って載せた。
今の電気炬燵と比べるとひどく不格好な“炬燵”でした。
足は伸ばせない。
間違って灰のかぶさった熾きに足をつけたら火傷をしてしまう。
軽井沢より気温は寒くはないが、体感温度は寒かった、と思う。
おそらく生活の寒さを比べれば、今の軽井沢の暮らしのほうが暖かいでしょう。

といっても軽井沢は、どうしょうもなく寒い。
1月2月には、-10℃以下にもなる日があるだろう。
しかたありませんね。
子どもの頃、毎日眺めていた筑波山より高いところに住んでいるんですから…。

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先月の句会の結果

2011年12月18日 | 健康・病気

先月の、わいわい雑俳塾の結果が15日に出た。
私は、2位でした。
優勝者が、14票、私は11票でした。(参加者は8人です)
やはり優勝するには3句ともそこそこ選句されなければいけませんね。

今回の題は、「冬紅葉」「酉の市」 <“屋”しばり>でした。
私にとってはこの題が難しかったです。
私の句は次のものです。

       2位   九想  11点
  坂多し小諸虚子庵冬紅葉         4 
  良きことを少し願って酉の市        5 
  暮早し床屋出てみりゃ真っ暗け      2

今回は、俳句のことを真剣に考えて作句しました。
実は、旗坊さんに「句会にこんなのを投句しようと思っています」と1句メールで送ってみた。

  見上げれば小諸虚子庵冬紅葉

ところが「見上げれば」は説明、と指摘されてしまった。
そしてこんなことがメールに書いてあった。
> 季語が動かない。説明しない。類想がない。
> この3つが大事です。おっといけねえいけねえ。
私は顔から火が出るような気持ちを味わいました。
私の句は、季語はガタガタ動くし、説明っぽいのがあり、類想ばかり、というもんです。
これまでの、自分の俳句を作る姿勢を反省しました。
これからこの3つを守って作句します。

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ありえない場所の渋滞

2011年12月17日 | 健康・病気

今日は日勤で5時に職場を出た。
土曜日の渋滞続きの佐久市内を通り抜け、御代田町に入った。
御代田町ったって、道路沿いには店なんかがあるが…、そのうしろは畑です。
もうすぐ先日女房と行ったパン屋にさしかかるあたりで前の車が停まった。
いつも、そのあたりはスムーズに走れるところなのに、前の車が動く気配がない。
どうしたんだろう?と思った。
呆れるほどの時間、車のブレーキを踏んだままだった。
10分ほどして少し前に進んだ。
そのうち2・3台前の車が列を離れUターンしてくる。
何台も戻ってくる。
私もUターンしようかな、と思った。
しかし、この渋滞の原因も知りたかった。
この前女房とコーヒーを飲んでパンを食べた店から、200mほど行ったところに警官がいた。
交通整理をしていた。
そして、事故車が2台あった。
どっちも車のフロントが大破していた。
じっくり見てはいられなかったので詳しいことは分からない。
私のその場の判断では正面衝突かな?と思った。
そこは脇道のない一本道です。
怖いなと思った。
私もいつそうなるか分からない。
私は、そういうことが私にも、いつかあると考えて運転しています。
だから私にとって、車に乗ることは怖いです。
怖いけど、田舎で暮らすには車に乗るしかない。
安全運転を心がけようと思っています。

 

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中島みゆき

2011年12月16日 | 健康・病気

吉田拓郎&中島みゆき:永遠の嘘をついてくれ (つま恋2006)



2・3週間前、九想話を書き終えて布団に入ったときにちょうどラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」が始まった。
中島みゆき特集だった。
“もうけた”と思った。
そのとき、アンカーが中島みゆきの紹介をしたとき、生まれが1952年だという。
“えっ、おれと同じ歳なの”と思った。
今調べたら2月23日生まれだった。
それじゃ、私より学年が上だ。
でも、私と同じ年の生まれとは知らなかった。
思えば、これまで彼女の年齢など考えたこともなかった。
中島みゆきは、そんなものを超越した存在だった。

この曲は、中島みゆきが拓郎に提供したものだ。
この歌を私は大好きなんだな。

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2人だけの忘年会

2011年12月15日 | 健康・病気

11月に私が、12月14日と15日に東京に行くとメールしたら、
どっちも仕事で都合が悪いと返事がきた。
まァ、それはしかたないだろう、と思った。
2週間ほどして、「遅番を早番と替わってもらったからいいよ」とメールがきた。
旗坊さんが「2人だけの忘年会をやろう」といってくれた。
それが今夜でした。

池袋のヤマダ電機の前で7時20分に待ち合わせた。
そして出会うといつもの居酒屋に…。

いや~、楽しかった。
こういう忘年会がサイコーです。
こまかいことを書くのはよします。
来年、この男たちは“やる”でしょう。”
いや、やります。
そう、2人は誓ったのです。

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クリスマスプレゼント

2011年12月15日 | 健康・病気

  

ちょっと早いですが、孫にクリスマスプレゼントを持って行った。
昨日、女房と午後6時半に西武池袋線のひばりヶ丘駅で待ち合わせた。
私は車で行こうかなとも考えた。
車をどこかスーパーなどの駐車場に置いて駅まで行こうか、なんて、
しかし、いろいろ考えてやめた。
やはり東京は電車がいい。
といっても息子の家のあるところは埼玉です。
ひばりヶ丘駅から20分ほど歩きます。
あの辺は東京と埼玉の県境なんですね。

私は息子の家に歩いていけない。
道に迷うんです。
女房は、「私は大丈夫」と自信満々だった。
ところが…、迷いました。
「こっちに行けば老人ホームがあるよ」と私。
老人ホームにたどり着き、そこから女房は道を思い出した。
車で行くときにさんざん迷い、その老人ホームのあたりは何回も通ったのです。

7時前に息子の家に着いた。
駅を出て30分ほどかかってしまった。
孫はいました。
リビングのテーブルの下に隠れていた。
女房が「Mちゃん見ぃ~つけた」というと、Mはテーブルの下から笑いながら出てきた。
孫は、そんなことをする茶目っ気いっぱいの5歳の女の子になっていた。

女房が、孫にプレゼントを次々に渡す。
洋服・手袋・髪飾り・絵本・お菓子の入ったリュック・ジグソーパズル。
Mは、うれしさいっぱいの顔でそれらを受け取っていた。
そしてすぐパズルを始めた。
「最近、ジグソーパズルが大好きなんです」と嫁がいう。
絵本はそのうち読んでくれるだろう。
「洋服を着てみようか」と嫁がいっても恥ずかしがって着てくれなかった。
パズルを何度もバラしてすぐ完成していた。
私は、黙ってそれらを眺めていた。
息子が家に帰ってくるのは、9時過ぎのときが多いようだ。
「日曜日も仕事するときあるの?」と嫁に聞くと、
「たまにあります」という。
「はやく、おわりにしたいんだって」なんてMがいう。
親の会話を孫はしっかり聞いているようだ。

女房が嫁に「髪、思い切り切ったのね」というと、
「切ろうかなと思ってKくんに聞いたら、いいんじゃないというので切っちゃった」と嫁。
私は、嫁と息子は仲良くやっているなと感じた。
私の願いは、息子たち家族が仲良く健康で暮らすことです。

私たちは1時間ほどいて息子の家を出た。
帰り道は迷わず帰れた。
はたしてこんど行くときは、迷わず息子の家に行けるかどうか?

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