そろそろケーナを

2011年12月13日 | 健康・病気



最近まったくケーナを吹いてない。
家では、音が大きくて思い切り吹けない。
暖かいときは、休日のときに湯川ふるさと公園で吹いていた。
夏など湯川のほとりに坐ってケーナを吹いていると気分がいい。
今は寒いし、日が落ちるのも早い。

私は、20歳のときからケーナを吹いている。
ケーナが好きになったのは、高校3年のときに買ったサイモンとガーファンクルのLP
(古いですね)の中の「コンドルは飛んでいく」を聴いてからです。
でもそのときあの笛の音がケーナとは知らなかった。
ラジオで「あの笛はケーナです」ということを聴いて名前を知った。
東京のお茶の水の楽器屋を覗いていたらケーナがたった1本おいてあった。
たしか7000円だった。
私は、なんの迷いもなくそのケーナを買いました。
そのときの私の月給が4万円だった。
駒込の三畳のアパートの家賃が5500円でした。
しかし、教則本もなかったし、私のまわりでケーナを吹いている人もいなかった。
まったくの独学で私はケーナを吹き始めました。
22歳の頃だったか、ケーナの神様といわれていたウニャ・ラモスが来日した。
私は、渋谷のコンサートに行きました。
サイモンとガーファンクルの伴奏に使われたバンドのケーナをウニャ・ラモスが吹いていた。

ケーナの吹き方というか指使いを私はウニャ・ラモスと同じにしている。
現在ほとんどの人が左手の薬指まで使う。
私は中指までしか使わない。
YouTubeのこの動画を見て分かるようにウニャ・ラモスは左手を中指までしか使っていない。
でも、たまに一番下の穴を押さえるときに左手の薬指まで使うときがある。
(むかしのケーナ吹きは、一番下の穴は押さえない、といわれていた)
もう1人のケーナの演奏者は常時薬指まで使っている。

そろそろケーナを練習しないといけない。
1月に北軽井沢のレストラン「パンカーラ」で、ワイワイガヤガヤコンサートがある。
そのときに私はケーナを吹く。
さあ、こんどは何の曲を吹こう。

Eve, by Una Ramos



にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海を、信じる

2011年12月12日 | 健康・病気

「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK総合22:00~22:48)
それでも、海を信じてる カキ養殖・畠山重篤」を観ました。

しっかり地に足をつけて生きている人間を見た。

<プロフェッショナルとは>
いろんな場面場面がありますけど、
なんとかそういう中をくぐり抜けていける人間がプロフェッショナルではないですかね。
なんとかそういう中を生き抜いていくっていうことですよね。

(12月16日(金)午前0時15分~ NHK総合で再放送します)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

息子からのメール

2011年12月11日 | 健康・病気

ここんところ孫へのクリスマスプレゼントを買っている。
軽井沢のアウトレットで買った服・佐久のイオンで買った髪飾り・手袋・お菓子の入ったリュック。
昨日、女房は池袋西武デパートで絵本を買っている。
それらを持って今週の水曜日に孫のいる家に行こうと計画を立てている。
私が水曜日の14日に東京に行くのです。
15日には友人と忘年会をやる約束をしているので14日に孫に会おうと予定している。

女房が先週、息子にメールしていた。
「今度の14日にMちゃんへのプレゼントを持って行くけどいい?」
おそらくこんな内容のメールだと想像する。
昨日までKから返信がなかったらしい。
今日の20:15女房からメールが来た。

> Kからのメールだよ
> わかった
> の4文字だけ

私もすぐ返事を書いた。
「わかった」と。

わが息子はそっけない人間です。
私たちに対して“熱い想い”が感じられない。
そんなものを期待しないで育てたからそれはそれでいいんです、が、
でもちょっと寂しい気持ちはある。
男だからかなと思う。
私もあんな感じだった。
でも、結婚して子どもが生まれて、私は両親に対してもう少し配慮したと思う。
それと比べると息子たちの態度はちょっと冷たい。
でもいい、あいつらが社会の中できちんと暮らしていればいい。
ゼッタイ、熱い心は持っている息子たちだと信じている。

14日、孫に会える。
これだけはうれしいです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆既月食

2011年12月10日 | 健康・病気

私は今日のこの日を指折り数えて待っていました。
月食のことを知ったのは、たしか8月だったと思う。
私の勤務が冬になり、暖房のためのボイラーを焚くので、土日月が日勤になり、それ以外は、これまで通り夜勤です。
なんでこんなことを書いているかと説明しますと、
今日は日勤だったので家でゆっくり皆既月食を眺められたということなんです。
やはり日勤(8:15~17:00)は人並みな暮らしだなとしみじみ思う。
家に帰ってからものんびりできます。



私が、仕事を終えて家に帰るとこういう月が出ていた。
月のまわりに雲がかなりあり、私は皆既月食を見られるかどうか心配した。
9時頃、窓から空を眺めると、雲はあまりなく快晴といってよかったので月がよく見えた。
11時頃、窓から月を見ると空のてっぺんにいて、窓から見ることがむずかしかった。
外に出ると寒かった、とうぜん氷点下5・6℃だと思う(今朝は-9℃だった)。
月食の月が首が痛くなるほどの真上にあった。
その下のほうから雄大なオリオン座が月を見守っていた。

ケータイが鳴った。
女房からの電話だった。
夕方からしつこいくらいに女房に皆既月食のことをメールしといた、「絶対見ろよ」と。
「見てるよ」
「あ…、おれも今外に出て見てるよ。オリオン座がキレイだね」
「私、オリオン座は見えない」
「オリオン座知ってる?」
「私、近眼だから…」
こんど、オリオン座がどれか教えようと思った。

電話を切ってから私は、酒を取りに家に戻った。
日本酒をコップに入れて再び外へ。
月食とオリオン座を肴にして酒を呑んだ。
贅沢なことをおれはしているな、と嬉しくなった。

何度か写真に撮ったがブレてしまう。
大きな三脚を押し入れから取り出し、不似合いな小さなデジカメをつけて撮る。
月食ということがよく分からない。
ま、いっか。

軽井沢のキレイな空で皆既月食を見られたことに感謝。
あらためてオリオン座の雄大さに惚れ直した夜だった。
そして一眼レフが欲しいな、と思った。
女房と場所は離れていたが、一緒に皆既月食を見られたことが嬉しかった。

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 北佐久郡軽井沢町情報へ
にほんブログ村

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪かき

2011年12月09日 | 健康・病気



今朝、そこそこ雪が降った。
東京でも降っているとラジオでいっていた。
私は今年度最初の雪かきをした。
この冬はあと何回こんなことをするのだろう。

女房が2階から写真を撮ってくれた。
今日、東京に帰るというのにゆっくりもしていられない。
雪かきを終えて、朝食を食べた。
私が雪かきをしている間、彼女は私の今夜食べるものを作ったりしていた。
そして、軽井沢駅まで女房を送る。
女房は、軽井沢発10時の高速バスで東京に帰った。

  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木蘭の涙

2011年12月09日 | 健康・病気

私は軽井沢駅から帰ってきて布団を敷いた。
ラジオビタミンの10時台に、ときめきカルチャー
「山下景子の“心美人になれる日本語”」というのをやるので
身体を横にしてラジオを聴こうと考えたのです。
59歳になる私は、なるべく横になるようにしている。
雪かきをして、身体が疲れてしまった。
こういう番組を聴くと、日本語って素敵な言葉だなと、しみじみ思う。
その中で「年越し草は何か?」というクイズが出た。
その答えは「麦」だそうだ。
秋に種を植えて春に実るのでそういうらしい。
俳句の夏の季語に「麦秋」というのがある。
私の好きな季語だ。
11時になり私はラジオを消し、吉村昭の短編集を読んだ。
20分ほど読んでふと、ラジオをつけると聴いたことある声が話していた。
その人が根本要だと分かった。
スタジオでギターを弾きビートルズの「オー・ダーリン」を歌った。
うまいギターがよかった。
私は、根本要がギターを弾くところをあまり見たことないので感動した。
こんなふうにギターを弾きたいな、と思った。
そして11時40分頃、「木蓮の涙」を歌ってくれた。
これがサイコー
ものすごく得した気持ちになった。

YouTubeで、スターダストレビューのこの曲を探した。
いくつかありましたが、一番いいのを貼り付けます。
これは名曲です。
さあ、ぜひ聴いて下さい。

スターダストレビュー 木蘭の涙



話はかわりますが、12月10日皆既月食があります。
これも忘れないで見ましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月8日に亡くなった人

2011年12月08日 | 健康・病気

一番有名なのはジョン・レノン(1980)でしょうね。
今日も私は休日でした。
晴れていたら女房と離山房に散歩にでも行こうかなと思っていた。
たいした意味はないのです。
ただ、そこをジョンが好きだったと知ったからです。
家から歩いて20分ほどで行ける距離です。
しかし今日は一日中ものすごい霧で、散歩する気分にはならなかった。
10月の晴れた日にその前を歩いた。
中に入ってコーヒーは飲まなかった。
女房にそのことをいうと、
「私は晴れても行かないよ。1人で行ってくればいいよ」とそっけない、
「だって私は、ファンじゃないもの」
女房は、好き嫌いのはっきりしている人なんです。

三波伸介も12月8日(1982)に亡くなっていた。
さっきネットで調べて知りました。
てんぷくトリオが大好きだった。

私にとっては、龍彦です。
彼が23歳のときですから何年なんだろう?
1952+23で1975年なんですね。
彼はその年9月に備前に行った。
ある窯元に弟子入りしたのです。
その年の春に龍彦は、萩の窯元を同じく弟子だった女性と逃げていた。
九州を一回りして東京の私のアパートに来た。
「彼女と結婚したいんだ」と龍彦は私にいった。
「今、結婚して焼き物はどうすんだ?一人前になってから結婚してもいいんじゃないか」
そんなことをいって私は彼の結婚に反対した。
2・3日私のアパートに泊まって2人は関西に行った。
彼女の家がたしか京都でした。
そのあと龍彦から「今、備前の窯元にいる」というハガキが来た。
心を入れ替えて、陶芸の仕事をやる気になったんだと私は嬉しくなった。
ところが、11月だったか、友人から龍彦が病気になって入院したという電話があった。
私はすぐ岡山の備前まで行った。
まず龍彦が働いていた窯元に行き、彼が仕事をしていたロクロを見せてもらった。
龍彦の作った茶碗がいくつもあった。
病院に行くと、彼は喉に穴を開けられ人工呼吸器のパイプが差し込まれていた。
病気は、脳髄炎ときかされた。
脳に菌が入りそれを手術で取り除いたということだった。
龍彦は、19歳のときボクシングをやっていてプロテストに合格した。
デビュー戦の1週間前に「人を殴るのが怖い」といってボクシングをやめた。
私はボクシングのせいで脳を悪くしたのでは…、なんて素人判断をしたりした。
夜中の3時、弟から「仮眠したいので1時間ほど看ていてもらえませんか」といわれた。
私は病室で、眠っている龍彦と2人っきりになった。
人工呼吸器が、シュパー、シュパーと規則正しく動いている。
「痰が詰まったら、このパイプを外して痰をこれで吸い取って下さい」と弟に頼まれた。
そういうことにならないでくれと祈っていたのに、30分ほどして龍彦は痰をからませた。
私は怖かったが、人工呼吸器のパイプを喉から抜いてバキューム器の細い管を喉に挿入した。
龍彦の痰が、ズズー、ズズーと吸い込まれていった。
私は、人工呼吸器を元に戻しながら、
(龍彦、もういいよ。死んでいいよ。おまえが生きてたらお母さんと弟が大変だよ)
なんて心で呟いていた。私は冷たい男です。
母親は、どんな状態になっても龍彦に生きていてもらいたいと私にいっていた。
12月になって友人から龍彦が死んだと連絡があった。
友人と2人で山口の龍彦の生家に行った。
岩国から岩日線に乗って錦川の上流まで行って、葬式に出た。
息子が高校1年のときに、龍彦の生家に遊びに行った。
龍彦に息子が大きくなったことを見せたかった。
龍彦が亡くなってからお母さんと年賀状のやりとりをしていた。
そのお母さんも昨年亡くなった。

12月8日の今日、私は龍彦のことを思って過ごした。

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 北佐久郡軽井沢町情報へ
にほんブログ村

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「梅の蕾」概略の訂正

2011年12月08日 | 健康・病気

7月16日に書いた「吉村昭の小説」という九想話に、12月4日にコメントがついた。
書いてくれたのは、吉村昭研究会の方でした。
私は嬉しかった。
しかし、次のことが気になった。

> 作品概略に3箇所の誤り(「医師は、村の人から梅の木をもらい」
> 「奥さんの静岡にある実家で」「診療所の庭の梅に蕾が沢山ついていた」)がありました。

なんとか早く訂正したいと思った。
昨日、御代田の図書館で「遠い幻影」という短編集の本を探したらありました。
昨日は疲れてしまったので、今日、本を読んだ。
なるほどご指摘のところを間違って私が書いていた。

「医師は、村の人から梅の木をもらい」
           ↓
> 年が明け、堂前と千葉市へ検診に行った夫人は、多くの梅の木を宅配便で送らせ、
> その一本を贈られた早瀬は、庭に植えた。(17P)

医師堂前が梅の木をもらったのではないのですね。
村長の早瀬が堂前の奥様から贈られた梅の木なんですね。

「奥さんの静岡にある実家で」
      ↓
> 堂前夫人の実家が湘南地方にあって、葬儀はそこで営まれることになっていた。(21P)

「診療所の庭の梅に蕾が沢山ついていた」
      ↓
> 車に入りかけた堂前に、早瀬は、
> 「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」(25P)

診療所ではなく、早瀬の家の庭で梅は咲いたのですね。

それにしても本日「梅の蕾」を読んでみて、あらためていい小説だなと感動した。
今日も泣きました。
これから「遠い幻影」(文藝春秋刊)に入っている他の短編も読んでみます。
こういう機会を作ってくれました吉村昭研究会の桑原文明 様、ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夜はおでん

2011年12月07日 | 健康・病気

今日は、私の休日でした。
女房が昨夜東京から高速バスで佐久平駅までやってきた。
私は午後10時過ぎまで仕事をして女房を迎えに行った。
帰りに、ちょっと樫山のイルミネーションを見に行った。
24時間営業の西友で食材を買って中軽井沢に帰った。
帰り道はものすごい濃霧がたちこめていた。

女房は朝から6畳2間の私の部屋を掃除した。
洗濯もしてくれる。
ありがたいです。
彼女が来て掃除をしてくれなかったら、
私の住まいは大変なことになっていることでしょう。

佐久に生活物資を買いに行くことにした。
駐車場を出たのが11時過ぎ、佐久に行く前に途中、御代田の図書館による。
吉村昭の「遠い幻影」を探したかった。
単行本でありました。
他に「誰にも書ける一冊の本」荻原浩著と小説現代6月号を借りた。

佐久のイオンに行った。
まず女房が年末ジャンボ宝くじを買った。
先日、買おうと思ったが大勢並んでいたのでやめた。
「東京で買えば」といっておいたのに彼女は買ってなかった。
店内に入って女房が「そうだMちゃん(孫)へのクリスマスプレゼント買わなくちゃ」という。
長靴に入ったものがいいか、リュックに入ったお菓子がいいか、
それとも化粧ケースに入ったものがいいか。
それらを眺めて2階へエスカレーターで上がった。
ファンシーショップの前で女房の足が止まった。
孫への髪留めや髪飾りを見る。
私は本屋へ行く。
結局、女房は孫へのアクセサリーを3つ買った。
私たちは100円ショップで何点か買い、下着売り場で私のTシャツを買い1階に降りた。
そして孫へのクリスマス用のお菓子の入った可愛いリュックを買った。
100円ショップで可愛い手袋を買った。
この中に髪飾りを入れて贈ろうという女房のアイディアだ。
孫への買い物をすることがこんなに楽しいとは、孫がいない頃はまったく思わなかった。

 

小諸のあぐりの湯に行く。(佐久から13キロ)
天気はよくて、外の風呂(くどいようですが露天風呂ではない)からの眺めは最高でした。
帰り、小諸のツルヤでおでんの具などの買い物をして、
御代田の野菜直販所で人参・白菜を買って中軽井沢に戻った。
午後5時なのにあたりは真っ暗、私は家に着いてからコタツで寝た。
7時過ぎ、目が覚め食事となった。
2週間前から憧れていて今回リクエストして女房に作ってもらったおでんです。
実は、先週職場の女性から大きな大根を3本もらっていた。
それをなんとか食べなくてはと考えていた。
豚のバラ肉と大根を煮たものとおでんを作り、かなり大根を使った。
サンマ用の大根おろしは私が必死になって沢山おろした。

食事をしながら、所ジージの「笑ってコラえて!」を観た。(下へつづく)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 一人暮らしへ
にほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吹奏楽部

2011年12月07日 | 健康・病気
「笑ってコラえて!吹奏楽部の感動旅完結編、汗と涙と友情SP」を観た。
現在の吹奏楽部のマーチングバンドというものの水準はものすごいですね。
恥ずかしながら、私も中学・高校と吹奏楽部にいたので、
行進しながらトロンボーンを吹いたことがある。
体育祭でマーチングバンドの真似事をしたことがある。
しかし、今日観たマーチングコンテストと比べたら、いや比べることが恥ずかしい。
ただ行進して曲を吹くというような素朴なものでした。
それでも、対角線上に歩いて1人1人交差するなんてことはやりました。
しかし、今夜観たのは楽器を吹きながら走ったり踊ったりしていた。
生徒もエライと思うが、それを指導する教師もたいしたもんです。
私は、涙をボロボロ流しながら観てました。

高校時代にあんな体験を出来ることは素晴らしい。
私は高校3年のとき、茨城県の吹奏楽部コンクールに出て銅賞になり、
部長をしていたので、ステージの上でトロフィーをもらったことがありました。
私の暗い高校生時代の中で、ちょっと晴れがましい出来事でした。

バカな高校生もいるが、こんなにがんばっているステキな高校生もいっぱいいることが嬉しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする