Carey Bell - Live at the International Jazz Festival (Bern, Switzerland 2001)
久しぶりに、YouTubeで音楽を探して聴いた。
ブルースハーモニカが好きだなとしみじみ思う。
この人のブルースハーモニカを初めて聴いた。
いいですね。
おれはどうしてもケーナを吹いてしまうが、ブルースハーモニカも忘れず吹こうと思った。
「影」
アパレルメーカーの業界では中堅クラスの株式会社サンロード三代目の社長高原毅は、
2人の妾を囲っていた祖父、妻に存在を認めさせた愛人に銀座のクラブを持たせていた父を、
反面教師としたためか、女道楽などには目もくれない堅物で通っていた。
そんなふうだった高原に周囲が世話を焼いて、降るほどの縁談が持ち込まれた。
しかし、彼はつぎつぎにはねつけつづけた。
そんな高原も老舗旅館の娘の由起子という人の見合い写真を見て、即座にこの人だといった。
2人にはなかなか子どもが生まれなかったが、3年めにして由起子は身籠った。
生まれた子どもは美保子と名付けられた。
美保子が小学校に入った頃、由起子は陶芸教室に通い始めた。
そこで知り合ったオーストラリア人の英会話教室の教師と不倫の関係になってしまい、離婚ということになった。
それ以後、62歳で不慮の死を迎えるまで高原は再婚しなかった。
高原は一般女性への根深い不信と憎悪にとらわれつづけているようすだった。
そこから生まれてくるものと思われる頑迷と偏屈ぶりは、一粒種となった美保子の育て方の上にも、如実に現れた。
ここまではほんの導入部です。
このあと小説はとんでもない展開になります。
「封印」
棚田で草取りをしていた杉本茂夫と長男の嫁の房子の上を、3機のグラマン戦闘機が飛んできた。
茂夫の女房米子は2歳になる孫の面倒を家で見ていた。
米子は腎臓がわるく、脚にむくみが出ると野良仕事を休むようになっていた。
長男の稔は兵隊に取られていた。
3機のグラマンはそろって急角度に機首を下げてあっというまに機銃掃射がはじまった。
銃弾が空気を切り裂く音の中で、青々と伸びている稲の葉がちぎれて舞った。
茂夫と房子は畦のすぐ脇の雑木山の中に逃げ込んだ。
雑木の根方にうずくまった房子に茂夫も肩を並べてうずくまった。
機銃掃射はやまなかった。
木の幹のはじける音と、枝が撃ちとばされる気配が間近でつづいた。
茂夫が房子の肩を引き寄せて、背中におおいかぶさった。
おまえは真一の母親だから、おれが弾丸(たま)よけになる、と茂夫が房子の耳元で叫んだ。
房子はお父さんと叫び返して、茂夫の腕をつかんだ。
銃撃は終わった。グラマンは飛び去っていった。
そのあと、実直な農夫の茂夫と貞淑で純朴な女だった房子は、とりかえしのつかないことをしてしまう。
あとひと月余りで、日本がその戦争に敗れることになるというときのことだった。
房子は妊娠してしまった。
そして、長男の稔が復員してきた。
「あしあと」
何人もの男につぎからつぎへと目がくらんだせいで、
行方の知れない筏で漂流するようにして、本州の西側から東側まで流れついた女の話。
せっかくなので「あしあと」の短編全部のあらすじを書いてみました。
あらすじといっても全部ではありません。
小説を読んでいくととんでもない展開が待っています。
久しぶりに勝目梓の小説を読んだ。
「あしあと」(文藝春秋 刊)には、次の10の短編が収められている。
「万年筆」「記憶」「ひとつだけ」「人形の恋」「秘儀」「橋」「一夜」「影」「封印」「あしあと」
「万年筆」
大手の倉庫会社に勤めながら小説も書いている兼業作家の話。
男は小説のアイディアはまったく浮かばなかった。
妻の頭の中に浮かぶ恐ろしい夢の断片のようなものを、ホラー趣向の短編小説のネタにしている。
これまで妻の奇異な力に助けられながら五編の短編を書いてきた。
あとひとつ作品ができたら単行本にすると出版社からいわれる。
しかし、妻に“夢の断片”がなかなか浮かばなかった。
「記憶」
終バスの時刻は過ぎてタクシーを待っている男が、
何人かうしろに並んでいる女が新橋の同じビルで働いていることに気づく。
男はそのビルで歯科医院を開業している。
女は、5階の法律事務所で事務の仕事をしていた。
話はしたことはないが、顔だけはお互いすっかり馴染んだ間柄になったいた。
家のある方向が同じなので一緒のタクシーに乗る。
ふたりが男と女の関係になるのに時間はかからなかった。
「ひとつだけ」
梅子は92歳になっている。
養護老人ホームで暮らし昔を振り返る。
梅子は19で見合いをして邦夫の嫁になった。
2番めの子が生まれたひと月後に邦夫に赤紙が来た。
邦夫の戦死の公報が届いたのは、昭和19年9月11日だった。
小さな骨箱の中には、遺骨の代わりの南の島の砂と小石が入っていただけだった。
二十歳になったばかりの義弟の清二に赤紙が来た。
出征の前日の夜中に清二が夜這いをかけてきた。
戦争が終わって復員してきた清二が、梅子と結婚したいという。
舅と姑は賛成した。
それから2年近くが過ぎた9月11日に、邦夫がなんの前触れもなしに復員してきた。
梅子は、清二と夫婦になって子どもまで産んでしまったことを、身を揉む思いで悔やんだ。
夜はささやかなご馳走で、邦夫の無事の帰りをみんなで祝った
子どもたちが2階に寝に行くのを待って、舅が清二と梅子のことを邦夫に話した。
そのあと邦夫と清二が、海に向かって堤防に並んで坐っているのが見えた。
その夜、暗い部屋の梅子の寝床に入ってきたのは、清二ではなく邦夫だとすぐにわかった。
<私はこの小説が一番よかった>
「人形の恋」
創作人形作家の女性と、そのひとの仕事も生活もささえた女性の話。
「秘儀」
27年前の真夏の午後、長野の田舎町の伯母の家で中学生の久美子は従兄弟の靖夫に犯された。
大学を出た靖夫は家業を継いで、いまは酒造会社の社長に納まり、
妻子を得て一家の主となり、市会議員も務めていた。
久美子は3人の男に恋をしたがうまくいかずに41歳になっても独り身でいた。
15歳の夏のあの厭わしい記憶が、どうしても越えられない障壁になっている。
彼女は42歳のときに、靖夫の断罪を胸に誓った。
「橋」
会社が年末年始の休みに入って2日目に成瀬伸行は、郵便物を受け取った。
伸行と母親を棄てて行った父親の最後を見とった永井順子の実の妹からだった。
高校生のときに伸行は、順子と1週間毎日会い、別れる最後の日にセックスをした。
その順子が、伸行の父親と暮らし、死ぬまでの13年間いっしょに暮らしたという。
「一夜」
6年前に不倫関係にあった画家と死に別れた数学教師の節子と、
6年前に膵臓癌で妻を亡くした須藤が、友人のはからいで付き合うことになった。
ある日、2人は群馬のほうへドライブに行く。
節子の母の実家の永泉寺にお墓参りによる。
そのお寺は、節子の伯母が住職をしていた。
須藤は32年前に、東京から草津までサイクリングをしたことを思い出す。
その日は朝から空模様が怪しかった。
午後になってから雨になり、小雨から本降りになった。
あるお寺で雨宿りをしていたら、尼僧から泊まっていくようにいわれる。
その夜、・・・。
全部のあらすじを書こうと思いましたが「影」「封印」「あしあと」はやめます。
あらすじを書くことは難しいです。疲れました。
私は、勝目梓の小説が好きです。
土砂崩れ、死者39人に=新たに3歳児も、7人が不明―日没後も捜索・広島(時事通信) - goo ニュース
今日、私は仕事が休みでした。
朝から広島土砂災害のニュースがずーっとテレビでは流れていた。
心が重いです。
16日の夜11時ぐらいからこの番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」は始まった。
私はその日、実家から183キロほどを車で帰ってきて疲れきっていた。
テレビの前で寝てしまい、目が覚めてぼんやりテレビを眺めていたらその番組が始まった。
13歳の自閉症の少年の書いたエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」を
アイルランドの作家が読み、心を動かされてそれを翻訳した。
そしてその本は、イギリスやアメリカでベストセラーとなった。
以下は、「NHK ONLINE」 の番組紹介文です。
> この本を英訳したのは、アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェル氏。
> 彼にも自閉症の息子がいる。日本語教師の経験があるミッチェル氏は、
> 東田さんの本を読んでまるで息子が自分に語りかけているように感じたと言う。
> 息子はなぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を発するのか、
> 息子とのコミュニケーションをあきらめていたミッチェル氏に希望の灯がともった。
> そしてミッチェル氏の訳した本は、自閉症の子どもを持つ、世界の多くの家族も救うことになった。
うまく話せない彼が、文字盤やキーボードを使うと
自分の細やかな気持ちを伝えられるようになることが、私には不思議で感動しました。
私は以前、知的障害者の作業所で働いていたときに5・6人の通所者を担当していた。
担当といっても、作業のときは全員を見ています。
1日が終わってから、担当の子たちの様子を、ノートに記録していた。
それをもとに、これからどのように指導していくか職員たちで考えた。
私の担当している子たちの中に自閉症のT君がいた。
彼は22・3歳だったと思う。
T君のお父さんは、日本の大手電気メーカーに勤めていて、
彼の小学生時代は家族でイギリスに暮らしていたらしい。
なので彼は英語が話せるということだった。
知能は普通にはあったと思う。
口数は少なく、作業所でいつも1人でいたが、私にはよくいろんなことを話してくれた。
彼が、昼休みによく飛び跳ねていた記憶があります。
T君が家ではお母さんに暴力をふるっているということだった。
ときどき、彼が何日も作業所を休むことがあった。
そんなとき私は、彼に「どうしてる?」などと電話をして、作業所のことなどを話した。
T君は今、どうしているだろう?
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん「文化的に貧しい」(埼玉新聞) - goo ニュース
私もこのことを知ったときに、何をやっているんだ、と思った。
「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、
お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」
「(略)『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、
一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。
有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。
俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」
私も金子兜太と同じ考えです。
「ヒバクシャからの手紙」(17日午前0:05~午前1:20)という番組の司会を彼女がやっていた。
私は、桑子真帆が出るということを知らなかった。
「ヒバクシャからの手紙」という番組に興味があったので、チャンネルを合わせただけだ。
それが、いきなり彼女が出てきたので驚いた。
桑子真帆は、15日の5時半から6時半までのニュースで観ていた。
この1週間は、かなりの頻度で彼女を観ている。
長野放送局から移動したのに、こんなに多く観られることが不思議です。
子ども番組から硬派なこういう番組にも使われていることは、彼女のアナウンス力があるからだと思う。
まだ広島局に行って間がないのにこの番組に抜擢された。
NHKの中でかなりいい位置に桑子真帆はいる。
東京に来て全国放送に出るのも近いと思う。
15・16日と、茨城の実家に行っていた。
女房は仕事なので1人で行った。
朝7時に埼玉を出たのだが、一般道で行ったので4時間かかって11時に着いた。
帰ろうとしていた長姉に会えた。
次姉と三番目の姉も来ていた。
きょうだい5人が全員揃って嬉しかった。
夕方、幼なじみのところに行った。
庭の植木の手入れをしていた。
外でいろいろ話した。
今は、庭いじりをやっていることが「一番(いじばん)幸せだっぺな」といっていた。
16日の朝5時に、三番目の姉・兄とウォーキングに出かけた。
お墓に行き、神社に行った。
集落をかなり歩いて気持ち良かった。
実家を10時に出た。
高速道路の割引が少なくなったので(土日は3割引き)、なるべく一般道を走った。
北関東道の大田桐生ICから高速道路に乗った。
上信越道の甘楽SAあたりからものすごい豪雨が降ってきた。
前が見えなく怖かった。
いつのまにか走っていた車はみんな40キロの速度になっていた。
怖くてスピードが出せないのです。
軽井沢に着いてからも渋滞していたので、実家から軽井沢の家まで4時間半かかった。
疲れたので昨夜は九想話を休みました。
先日の台風11号の被害が私の埼玉の家でもあった。
日曜日だったか、「ヘブンリーブルーが大変!!」だと女房が電話でいう。
台風のせいでヘブンリーブルーがつたわっている紐が切れたという。
女房なりに直したとはいっていた。
私は、13日(水)に埼玉の家に来た。
ヘブンリーブルーは、大変なことになっていました。
私はさっそく脚立を出して誘引紐の手直しをした。
それで分かったことなんですが、梱包用のポリの紐は雨に弱いということです。
両端は、棕櫚の誘引紐でやったのだが何事もなかった。
梱包用の紐は、手で引っ張ると簡単に切れた。
ヘブンリーブルーの誘引紐を作ったときに棕櫚の紐が少なかったので梱包用のも使った。
知らないということは情けないですね。
こんなこと園芸をしている人なら常識なのでしょうね。
誘引紐を直したが、また梱包用の紐なのでいつか切れると思った。
今朝、これだけヘブンリーブルーが咲きました。
14日、女房は半休をとって午後帰ってきた。
私は、駅まで車で迎えに行き、そのままホームセンターによって棕櫚の誘引紐を買ってきた。
それで梱包用で誘引紐にしているとなりに棕櫚の紐を並べた。
その作業をしているときに梱包用の紐が切れたが、とりあえずこれで一安心です。
今日女房から、「ドアのことが九想話に書いてないよ」といわれた。
私は、ほかにも書くことがあったので書かないでいた。
そういうわけで今夜はそのことを書きます。
女房が、「ドアが“さびしい”」といっていた。
それで何かしたいという。
私としては、さすがにドア全体を塗装したい、などといわれたらイヤだな、と思っていた。
ドア1枚を塗装となるとかなりの作業になる。
そんなことを心配していたら、女房なりに考えていた。
ドアや床に貼ろうと思ってカッティングシートのサンプルを、女房は沢山買っていた。
それがもう必要でなくなったので、それを貼りたいという。
そして女房が自分で切ってドアに貼っていた。
なかなか面白いと思った。