8/9(日)放送の「ディスカバー・ビートルズ・サマースペシャル」は、
午後9時~午前1時までの4時間の放送でした。
当然私は、「らじるらじる」の“聴き逃し”放送で聴いた。
しかし、この日の放送は4時間だったので、
仕事の帰りの電車の中で“聴き逃し”で聴くのに3日かかりました。
でもまったく退屈しないで楽しく聴けました。
DJの杉真理、和田唱が素晴らしいし、
ゲストのロックシンガー…中島卓偉、音楽評論家…星加ルミ子の話がよかった。
この日の放送は、「らじるらじる」の“聴き逃し”で聴けます。
「ディスカバー・ビートルズ・サマースペシャル」←ここをクリック(タップ)
<2020年8月17日(月) 午前1:00配信終了>
下肢静脈瘤の手術をしたあと、
3日間この弾性ストッキングを24時間はきます。
(風呂に入るときは外す)
弾性ストッキングは分厚く圧迫の強いものです。
暑い時期は蒸れるし、圧迫するという性質上、
決して履き心地がよいものではないので辛いです。
4日目から、寝るときは外していいと
病院でもらった治療説明書には書いてあったが、
私は皮膚炎がひどいので、しばらく弾性ストッキングを
24時間つけるように医師にいわれた。
次の診察日が9月5日なので、そのときまではつけています。
気象庁によると、午後2時半すぎに群馬県伊勢崎市と桐生市で40.5度を観測。
埼玉県の私の町では40.2度を観測し、いずれも今年全国で初めて40度を超えた。
今日は、どうしようもなく暑かったですね。
私は仕事を終えて夕方6時20分ぐらいに家に着くのですが、家の中が暑かった。
洗濯物を片づけていると、汗がボロボロ身体から落ちる。
それからいつも、ヘブンリーブルーやゴーヤやミニトマト、ピーマン、バラなどに水をかけるのですが、
暑いな~と思いながらやった。
この暑さはただ事ではありません。
もうこんな夏はかんべんして下さい。
今日、私の入っている保険会社の関西支店の担当部署に電話した。
それなりに逡巡して電話をかけた。
「土曜日に書類を送ったのですが、銀行口座番号などを記入しないで出してしまいました」
「それでは今、それをお聞きします。言って下さい」と担当女性がいう。
私は、メモしておいた銀行名、支店、口座番号をいった。
それで終わりです。
もっと大変なことになるのでは、と私は考えていた。
私が思い悩んだわりには、あっさり解決してしまった。
土曜日、私が仕事帰りにバス停から家に歩いていると、この虫が歩道に転がっていた。
あ、懐かしいな、と思った。
タマムシです。
ネットで「タマムシ」と入力して検索したら、同じような写真があった。
私は、私の庭にある岩の上に置いてこの写真を撮った。
でも、タマムシが岩の上にいることなんてないかな?と思った。
それにしても綺麗な色ですね。
7月に下肢静脈瘤の日帰り手術を受けたが、
私の入っている入院保険では保険金は出ないだろうな、と思った。
なんといっても入院保険なのです。
5年前に佐久市で手術したときは1泊入院したので8万円ほど下りた。
日帰り手術では保険金は出ないだろうな、と諦めそうになったが、
念のためと思って友人に電話した。
私はこの友人の会社の保険に入っているのです。
この友人とは、東京の会社で働いていたときに付き合いがあった。
私が電気装置製造会社の資材担当者で、彼が半導体部品を扱う商社の営業マンだった。
彼は30代の頃、東京の仕事を辞めて淡路島に帰った。
淡路島で瓦を製造する会社に就職し、暮らしていたが、
40歳のときにその会社のリストラで仕事を失い、保険業を始めた。
そのとき彼を応援するために私は、彼の会社の自動車任意保険、入院保険などに入った。
私が51歳のときに、淡路島に遊びに行ったことがあります。
彼は、書類が送られると思うから、担当者に聞いてみて、という。
書類が家に届いて担当者に電話してみると、保険金が出るという。
なので私は先週の金曜日に、手術をした病院に行き5千円で診断書を書いてもらった。
その夜、保険請求書、同意書の書類を記入した。
そのとき銀行口座が分からなかったから、翌日女房に聞こうと思って寝た。
土曜日の朝、女房に書類を見て確認してとお願いした。
すると彼女は見て、「大丈夫だよ」といってくれた。
それで私は書類を封筒に入れ通勤のときに、駅前のコンビニのポストに投函した。
電車に乗ってぼんやり、なにか抜けてないかなと考えた。
あ、抜けていました。
銀行口座を書いてないことに気づいた。
でも、ひょっとして女房が書類を確認したときに銀行口座の記入がないことに気づき、
書いてくれたかも、とささやかな希望を持った。
「失敗した。振り込まれる銀行の口座番号を書くのを忘れた。あなたは書いてないよね」
とLINEに書いた。
送信したあと、「私が銀行の口座番号は書いておいたよ」という返信はないかなと期待した。
職場に行ってからLINEを確認したが既読になっていない。
電話したが出ない。
お昼まで何回か電話したが出ない。
土曜日、私は午前中までの勤務です。
家に帰って女房に確認すると、銀行の口座番号など書いてないという。
おそらく朝、書類を確認してと頼んだのに、あのひとはきちんと確認していないのではないか。
でも、土曜日の朝に銀行の口座番号を教えてといわなかった私もいけないな、と反省。
私は明日、保険会社に電話して、銀行の口座番号を書き忘れたことをいいます。
そして、担当者の指示に従おうと思っています。
土曜日から、なさけなく、落ち込んでいる九想です。
【高校野球100回記念】名曲ブラバン応援歌-1
甲子園 ジョックロック、ウイニング、怪しい曲、チャンス紅陵、ダッシュKeio、Let's goならしの、浦学サンバ 他
私が高校生のときだから、今から50年前のことになります。
吹奏楽部の私は、高校1年から毎年高校野球の応援に行っていた。
高校1年のときは、私の高校の野球部は強くて準々決勝ぐらいまで行った。
応援に行くのは、1年生だったり、2年生だったり、3年生だったりとそのときどきで変わったが、
吹奏楽部は必ず毎回行けた。
しかし、あの頃の応援団というものを私は、大嫌いだった。
いや、私の高校だけだったかも知れません。
長い学ランを着て、たいしたパフォーマンスもない応援をして威張っていた。
野球部や応援の生徒は何台かのバスに分乗するが、吹奏楽部は1台のバスだった。
あのバスの中は楽しかったな。
行きも帰りもバスの中で歌いっぱなしだった。
といってもあの頃は、カラオケはない、今でいうアカペラで歌った。
私たちが野球の応援で吹く曲は、行進曲ぐらいだったですね。
応援する曲が、沢山ある今の高校生がうらやましい。
高校生に戻って、トロンボーンを吹きたいです。
昨日、「ステップ」(重松 清著 中公文庫)を読み終えた。
私の大好きな小説の1つに入れたいと思います。
先日、所沢のブックオフに入ったときにこの文庫本があり買った。
その理由は、作者が重松清で、最近映画になったとラジオで知ったからです。
この前、NHKの再放送で「とんび」を観た。
そんなことも本を買うときの背中を押した。
いい話でした。
> 一年前、とてもたいせつな家族の一員が、不意にいなくなってしまった。
> 結婚三年目、まだ「ママ」という言葉もはっきりとは言えない一歳半の美紀をのこし、
>三十歳という若さで、朋子は逝った。
こうしてこの物語は始まる。
トップクラスの営業マンだったが、人事担当の部長や役員に直訴して、
“僕”は残業のない総務部に異動させてもらった。
1歳半の美紀を毎朝保育園に連れて行き、夕方迎えに行く。
家での食事も作らなくてはならない。
そんな“僕”と美紀の10年間を描いている。
そこに大きな存在となる亡くなった朋子の両親と兄夫婦との関係。
私は、双子の息子たちを育ててきたが、妻は健康で力強い存在でありがたかった。
もし、女房がいなかったら私は息子たちを育てられたか?
おそらくできなかったでしょう。
小説のあちこちで私は胸を熱くして、涙が出そうになりました。
子どもを育てるということのたいへんさを思い返してみて、私は泣きました。
そういうことを文章で表現できる重松清という作家は、すごいと思った。
新型コロナ感染拡大の前は、1ヶ月に1・2度は居酒屋で飲み、カラオケにも行っていた友と、
「下肢静脈瘤の手術も無事終わったことだし、来週あたり飲みに行きたいね」
と先週話していた。
ところが日本のコロナ感染者の数が増えている。
私の勤めるところは埼玉だし、そのあたりで飲めばいいだろう、と思っていたが、
女房がダメだという。
そりゃそうだろう。
電車通勤していることだってあぶないのです。
私が居酒屋などに行って、万が一コロナに感染したら目も当てられない。
昨日、友人には丁寧に事情を説明してお断りした。
来週は旧盆です。
10日の祝日は、ゴミの回収があるので私は出勤する。
その振替休日として15日(土)は休みになる。
私はずいぶん前から、実家に行こうと楽しみにしていた。
ところが今の日本の状態では、県を跨いでは行けない。
茨城への帰省を諦めました。
あ・・・、いつまでこの状態は続くのだろう。
世の中のすべてのひとがたいへんな思いをしている。
わが国の政府はどうしょうとしているのかな?
さっぱり分からない。
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下肢静脈瘤の手術を終えて昨日で1週間がたった。
先週の8月1日(土)に手術後の経過を診るために、病院に行った。
医師と一緒に手術した両足のエコー(超音波検査)の画像を見て、
手術はうまくいったことを医師が説明してくれた。
次は1ヶ月後に病院に行きます。
そのあとは半年後だといわれている。
5年前に長野県佐久市の病院で、右脚の下肢静脈瘤の手術をした。
(そのときは軽井沢に住んでいた)
そのときに医師から、「左脚にも静脈瘤はある」といわれていた。
時間がたつほどに、左脚の皮膚に湿疹が出来て見るからに汚くなっていった。
この1年前ぐらいから夜中に脚がつって痛くなった。
3ヶ月前ほどから我慢出来なくなった。
それでネットでK下肢静脈瘤クリニックを知った。
毎月、高血糖、高血圧、高尿酸値の治療に行っているクリニックの医師に相談すると、
K下肢静脈瘤クリニックを紹介してくれた。
正直な気持ち、手術をすることにやはり迷いはあった。
5年前の手術はほんとうに痛かったのです。
しかし、今回は右腕に点滴の針を刺され、
静脈麻酔の薬を入れられているうちに寝てしまった。
1時間ほど意識をなくしている間に手術は終わっていた。
それにしても今のような新型コロナ過のときに、病院に行くことは辛いです。
受付でアルコールで手を消毒させられて、額に体温計をあてて体温をはかられる。
待合室にいるときも診察されているときも、マスクをしていなければならない。
そうだ、手術をすることになったときに血液検査のための血液を採ったのですが、
エイズといくつかの感染症の検査も承諾書を書かされて自費でやることになった。
考えれば、手術をする患者がエイズであったなら、それなりの対策をしなければならない。
私はどれも陰性だったが、医療従事者という仕事は大変だな、としみじみ思った。
あらためて、新型コロナの治療をしている人たちのことを考えました。