女房の夏休み終了

2024年09月13日 | 家族

9月12日まで、女房の勤める大学の食堂の夏休みだった。
それで今日からあの人は、仕事に行った。
「あの人は、仕事に行った」と言っても、職場までは私が車で送って行った。
そんなわけで、今日から私は妻の〝アッシーくん〟を勤めます。
あの人が自分で車を運転していけばいいのだが、運転が怖いという。
〝運転が怖い〟という人に、車の運転はさせられない。
私は何もしてない人間です。
なので今日から私は、女房の専属運転手をします。

女房の仕事は午前10時に始まるので、9時35分に家を出た。
大学までは2キロほどで7分ぐらいで着いてしまう。
それで今日は午後1時半で終わるというので、その時間に迎えに行った。

明日の土曜日は、月曜日の仕込みがあり、祝日の月曜日も大学は授業があるので女房は出勤です。
女房は、昨日はものすごく落ち込んでいた。
「あ・・・、夏休みが終わってしまう」と。
これからは冬休みを楽しみに生きる、と言う。
しかし、冬休みは短いと嘆く。
春休みも2週間ほどだと私に文句を言う。
「私は、来年の夏休みを楽しみに生きよう」と嬉しそうに言う。
この人は、何のために仕事に行っているのか?
それは、うちの家計を少しでも豊かにするためです。
それを思うと、仕事をしていない私は何も言えません。
ただ、女房に感謝して〝アッシーくん〟をするだけです。

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今日は大学病院外来診察の日

2024年09月12日 | 健康・病気

今日は私の膀胱がんの外来診察日でした。
大学病院の泌尿器科に行った。
6月に膀胱鏡検査を受けて再発はない、と言われてあれから約3ヶ月たった。
今日は、採尿されてその尿の結果を話してくれただけだった。
「尿はキレイですね」ということだった。
次の外来診察は12月と言われた。
それだけで終わった。
私はほっとした。

朝起きたらヘブンリーブルーの花が咲いていた。
小さいです。
このヘブンリーブルーは、去年庭で咲いた花のタネから育ったものです。
2014年に佐久創造館で育てたヘブンリーブルーのタネを、私の庭にまいた。
そのときは大きな花が咲いたのだが、いつのときから花が小さくなった。
それが不思議です。




2024年のヘブンリーブルー


2015年のヘブンリーブルー

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9.11あの日が変えた私の人生

2024年09月11日 | 家族

映像の世紀バタフライエフェクト「9.11 あの日が変えた私の人生
<9/9(月) 午後10:00-午後10:44>をNHK+で観た。

>2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。3千人の犠牲者の中には、
>24人の日本人もいた。息子を失ったふたりの父親のその後の人生をたどる。
>息子が殺された理由を知りたいと、テロの首謀者・ビンラディンへの手紙を
>携えアフガンに渡った父親。テロの記憶を風化させまいと567ページもの
>アメリカ政府の報告書を10年がかりで翻訳した父親。深い悲しみを抱えつ
>つ、憎しみの連鎖を断つために踏み出した人々の23年の記録。
(番組紹介の文章)

テロの首謀者・ビンラディンへの手紙を携えアフガンに渡った父親の姿に心を打たれた。
なぜ息子は殺されたのか。
父親は、テロの首謀者ビンラディンに手紙を書き、
直接話がしたいとアフガニスタンへ向かった。
ビンラディンとの面会の手がかりを探す中で目にしたのは、
アメリカの攻撃によって傷ついた子どもたちの姿だった。
アフガン訪問の目的は子どもたちへの支援に変わった。
「小さな子どもが銃を持ってジハードといっている
 そういう子どもたちが大きくなったら
 うちの息子のような犠牲がまた出てくるんではないか」

もう1人の父親のことも紹介していた。
Sさんの息子はワールドトレードセンター80階にある日本の銀行で働いていた。
Sさんはすぐにニューヨークに駆けつけ行方不明の息子を捜した。
「泣くのは死を認めることになるから泣かない。
お祈りすることは彼が遠くに行くことを認めることになる。
テロの記憶を風化させまいと567ページにわたる、
アメリカ政府の出した報告書を10年かけて翻訳出版した。

良い番組でした。
久しぶりにアメリカ同時多発テロのことを考えた。
あれを計画して実行した人、あのときの犠牲者のこと、その家族のこと、アメリカのこと、
私の頭では、考えても考えても考えようがありません。

2001年09月11日「アメリカで同時テロ」という九想話を書いてました。
23年前は、所沢の家で暮らしていて、大学生の息子がいたことを思い出した。

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結びの一番物言いつかず

2024年09月10日 | スポーツ

琴桜辛勝の一番にNHK解説の舞の海修平氏「これは物言いをつけなければいけません」
 (日刊スポーツ)

(略)
>番付最上位として臨んでいる東大関の琴桜(26=佐渡ケ嶽)が、結びの一番で翔猿
>(32=追手風)と対戦。

>過去の対戦成績は9勝6敗ながら、最近は4連勝していた相手だが、土俵際でもつれた。
>右四つで組み合う形で琴桜が押し込んだ西土俵。翔猿が右から逆取ったりか、投げか
>微妙な動きだったが、すっぽ抜ける形となり、押し出そうとした琴桜も目標を失う形
>で、両者同時に土俵に落ちた。

>軍配は琴桜に上がったが、NHKの正面解説を務めた舞の海修平氏(元小結)がスロー
>再生の後に「これは物言いをつけなければいけません」と話したほどの微妙な勝負だ
>った。だが物言いはつかず、敗れた翔猿も土俵に未練を残すような表情で退き、花道
>を引き揚げた後の通路で大声を発するほどだった。スロー再生を見る限り、土俵に先
>着したのは琴桜だったように見えた。
(略)

私もこの相撲は観ていた。
終わったときに私は翔猿が勝ったと思ったが、物言いがつくだろうな、と考えた。
ところが物言いはつかなく琴桜が勝ちとなった。
私は、ものすごく不満です。
これってどうしようもないのだろうか?
こういうことをしていると私は大相撲が嫌いになりそうです。

【琴櫻 vs 飛猿】ファンの信頼を揺るがす結果とは?誤審問題を徹底検証!


 

 

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歯科検診

2024年09月10日 | 健康・病気

今日、歯科検診に行ってきた。
昨日電話をして予約をした。
今日の10時45分からだった。
前回は今年の2月に行っていた。
10時半に歯科クリニックに着いて、10時40分から診察を受けた。
歯垢を取ってもらって、10分ほどで診察は終わった。
「歯磨きをもう少しやさしくして下さい」と医師に言われてしまった。
気をつけているんだが、どうしても私はムキになって歯を磨いているようです。
歯を大切にして、死ぬまで自分の歯で食べたいと願っています。

じつは先週木曜日に電話したが、誰も出なかった。
何回電話しても出ない。
先週土曜日にウォーキングの途中で歯科クリニックに行ってみると、
玄関ドアに休診日が書いてあった。
それを見ると9月5日(木)は休診日になっていた。
この歯科クリニックは、休診日がないということを宣伝している。
土日も診察している。
クリニックの都合で休診するときはあるだろう。
だったらホームページに書いておいてほしい。
ここのホームページはあるが2020年以来更新していない。
ホームページぐらい簡単に更新できるだろう。
休診日のページを作って、そこに書いておいてほしい。



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ハイイロチョッキリ

2024年09月09日 | 生き物

私は昆虫のことは無知です。
ほとんど何も知りません。
子どもの頃の夏に、セミ・トンボ・カブトムシ・クワガタなどいろいろ昆虫は捕って遊んだ。
しかし、昆虫のことに詳しいかというと、ほとんど知らないと言ったほうがいいだろう。
ただ、捕っていただけなのです。

私は9月2日に「どんぐり」という九想話を書いた。
ウォーキングをしているとどんぐりが落ちていた、ということを書いた。
無知な私は、その枝についているどんぐりは、台風のせいで落ちたのかなと書いた。
ところが、aoisora725さんという九想話を読んでくれていた方が、

>どんぐりが青いまま枝で落ちるのは、恐らくハイイロチョッキリムシの仕業だと思います。

とコメント欄に書いてくれた。
私は、ネットで「ハイイロチョッキリムシ」を検索してみると、
道に落ちていたどんぐりは、ハイイロチョッキリがドングリに産卵をして、
数時間かけて枝を切り地面に落としたもの、ということが書いてあった。
私は、そんなことをする昆虫がいるんだと不思議に思った。
翌日、道を歩いていると沢山どんぐりが落ちているところがあった。


上を見るとどんぐりをつけた枝が沢山あった。

どんぐりとハイイロチョッキリ」という動画がありました。
どんぐりもハイイロチョッキリも生きるためにがんばっているんですね。

 

コメント (4)
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散歩道に咲く花たち

2024年09月08日 | 家族






この花たちは、私が朝のウォーキングのときに出会った花たちです。
名前を知っている花もあれば、知らない花もあります。
これらの写真を私は女房にLINEで送った。
私が写真を送ったときは、女房はまだ東京に着いたころだろう。
>綺麗だね。
と返事がきた。

今日私の妻は、千葉の施設にいる母親に会いにいっている。
女房は朝6時過ぎに家を出た。
千葉の施設まで電車で2時間以上かかる。
毎月1回は行っている。
義母は93歳で、女房と毎日電話で話している。
施設の近くにいる義弟は毎週日曜日に行って、世話をしてくれている。
今日は、親子3人でいろいろ楽しい話をしたのだろう。

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旅の宿 吉田拓郎

2024年09月07日 | 音楽

私は土曜日の朝6時半ごろ、「徳光和夫 とくもり!歌謡サタデー」
「あの時代(とき)へ<ズームイン!歌のTOP3」というラジオ番組を聴いている。
今日は、1972年9月に日本で流行っていた歌を発表していた。
1972年7月に三角大福の自由民主党総裁選挙があったので、その年のヒット曲にしたようだ。
1972年は私が20歳のときです。
そのときの9月に一番流行っていた曲は、吉田拓郎の「旅の宿」だった。
その歌が流れてきたときにウォーキングをしていた私は、涙を流しそうになった。
私のそのころのことが、ワーっと押し寄せてきたのです。
23歳で亡くなったボクサーを目指していた龍彦と、ギターを弾いて「旅の宿」をよく歌っていた。

旅の宿 吉田拓郎


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また、カマキリがいた

2024年09月07日 | YouTube

また、カマキリがいた

今日、YouTubeに動画を投稿しました。
「また、カマキリがいた」という動画です。
私はあの日から毎日、あのカマキリの捕食現場に行ってます。
あの場所にまた、カマキリがいたのです。




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柿がうまい

2024年09月06日 | 植物・花

庭の隅にある柿の木に、今年も柿が実っていた。
この柿の木は、柿の実を食べたときのタネをまいて育ったものです。
たしか隣の家からいただいた柿の実です。
ものすごく甘くはないが、私の好みの甘さです。
今年も食べられたことをよろこびます。

2023年08月29日九想話「今年も柿が実った

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