唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

鄭従党と河東

2006-08-28 18:37:57 | Weblog
「また河東で軍乱か」

「節度使が逐われたり、殺されるのは何人目だろう」

「誰も兵士達を抑えることはできないのか」

黄巣が勢力を拡大して北上を始めていた。

北部でも沙陀の李克用が反乱を起こしていた。

その最前線の河東では戦の不利もあり、軍乱が頻発していた。

次々と交代する節度使は殺されるか、死ぬかであり

軍隊は野放しといってよい状態であった。

「儂がいくしかないか」

宰相鄭従讜はつぶやいた。

「乱を避けるのにも都合がよいしな」

「一族や子分達も根こそぎつれていくか・・」

人望のある従讜の周辺には人材が集まっていた。

廣明元年従讜は願い出て河東節度使となった。

温和でありながら果断

信頼した相手は完全に信頼する。

不満と互いへの猜疑心が渦巻き

争いに疲れ果てていた河東軍の將達は

たちまち従讜の姿勢に引きつけられた。

軍乱は後を絶ち、黄巣が京師を陥落させた時も

河東軍は微動もしなかった。