日曜のサイクリングでこの峠を通過した。9年前に床木峠を越えて南勢に入り、剣峠を登って来て以来、2度目である。車で来たことはない。343mという低い峠で、明治23年開通という時代背景で勾配もなだらか。明治の時代は乗合馬車が五ヶ所と伊勢を結んでいたそうだ。
道幅は多分当時のままで2間とないぐらいだ。車だと対向で冷や汗をかくだろう。伊勢から登ったことはないがそれはそれで、登頂後、峠から熊野灘を眺めることが出来て楽しいだろう。
峠から伊勢方面の山は神宮の山で、元々は遷宮の御杣林。昔に檜は枯渇して今は木曽等から運んでいる。植林はしているが使えるようになるのに後5.60年はかかるらしい。
途中の高麗広というところに集落がある。古代はいざしらず、人が住みだしたのは幕末に開拓が始まってかららしい。明治になってこの峠越えの道ができた一因ともいわれている。
剣峠は名前も良く、時代小説の舞台にも使われている。そのためか、おしゃれな記念碑(写真)があって登る楽しみの一つとなっている。
そうそう、南勢五ヶ所は愛洲移香斎という影流発祥の地。柳生新影流などの元となった剣術の祖と言うべき人がいたところだ。
道幅は多分当時のままで2間とないぐらいだ。車だと対向で冷や汗をかくだろう。伊勢から登ったことはないがそれはそれで、登頂後、峠から熊野灘を眺めることが出来て楽しいだろう。
峠から伊勢方面の山は神宮の山で、元々は遷宮の御杣林。昔に檜は枯渇して今は木曽等から運んでいる。植林はしているが使えるようになるのに後5.60年はかかるらしい。
途中の高麗広というところに集落がある。古代はいざしらず、人が住みだしたのは幕末に開拓が始まってかららしい。明治になってこの峠越えの道ができた一因ともいわれている。
剣峠は名前も良く、時代小説の舞台にも使われている。そのためか、おしゃれな記念碑(写真)があって登る楽しみの一つとなっている。
そうそう、南勢五ヶ所は愛洲移香斎という影流発祥の地。柳生新影流などの元となった剣術の祖と言うべき人がいたところだ。