絵の方もはかいかず、連日コロナ報道で気鬱な感じ、午後は天候不順の予報もあり、近場サイクリング。ランニングの方は山中教授の言うようにマスク無しでは済まされそうもないし、自転車は車道で近くに人はいない(田舎では歩道のある所に人がいることはあるが自転車は通らない。歩道の無い所では人は車で移動するため歩いている人はめったにいない・・・今日のコースで人と2m以内にすれ違ったのは路肩で自宅の草取りしている人一人だった)のでマスクはしない(ランチ予定の時はマスクを持っていく。一月使っているのでそろそろ交換しよう)。
今日はジャイアン号に9速化したR-SYSを履かせたが、サドル下が軽い感じだ。サドル下って、ロードでサドルより高い所ってあるんかいな?と自問自答。椿神社まで行って(ここも人がいない)Uターンして「長瀬神社」への道をたどる。市内でも走行したことのない良い田舎道があるなと感じた。
長瀬神社は明治40年代まで武備神社と称しており、江戸時代18世紀中ごろ亀山藩主板倉氏がここを日本武尊の墓所としている(写真の道標は江戸時代亀山に設置されたもの)。市内には武尊の墓とされるのが、能褒野神社王塚(亀山市)、加佐登白鳥塚の計3か所あるわけだが、ここだけは訪れたことがなかった。記紀では伊吹山の帰途、このあたり(能褒野)で亡くなったとされ、墳墓を築いたとされる。社殿の裏手に直径25m程度の円墳があるが、果たしてどうか。武尊が実在ではなくとも、数世代にわたり、大王(おおきみ)の皇子の何人かが軍を率いて転戦し、そのうちの一人がこのあたりで亡くなったのではと想像するのも面白い。ただ、大和への帰路に無くなったのであれば、あと数日で着くので、遺骸をそのまま運ぶか、一旦埋めても大和の地へ改葬するのではないか?とも思うのだけれど。
ここからは306号経由、和泉の「うお徳」で久しぶりに昆布佃煮を買い求めて帰宅。走行49㎞。