自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

臍の緒に泣く年の暮れ

2020-05-07 | Weblog

 良い天気。今日の行き先は、先月LOOK号が旅立った「福地城跡」現場。なにしろ、そこでサイクリングが中断しているので成就させねばならない。
 時節柄、県外は控えていたが、安楽越えて、青土ダム湖畔通過して、頓宮の「玄鹿」(コロナ休業中)を横目に見て、油日神社の横通過して、柘植へ出る。
 柘植で11:30過ぎとなったので、LOOK号事件の時コーヒーを飲んだ「杜のカフェいこいこ」でランチでもと思っていたが、「コロナ休業中」。非常事態宣言恐るべし。(飲食店だけでなく、コンビニもトイレが使用禁止になっているのは行き過ぎではないか?コンビニの価値が半減している、と思う。)
 仕方なく、近くの商店でパンを買って、「福地城址」へ向かってランチとする。
 先月、LOOK号のチェーンをつないだ現場をちらりと見て、城址へ登る。ここは地主の松尾さんから土地を寄贈され、明治の代に「芭蕉公園」となっている。主郭跡の広場には一段高く、「ふるさとや 臍の緒に泣く年の暮れ」の句碑がある(写真)1687年、2度目の故郷帰り、芭蕉44歳の句(2年後、奥の細道へと旅立つ)。兄から(自分の)臍の緒を渡された時の句らしいが、苦労をかけた母親に生前は十分尽くせなかったという思いをこめたのであろうか・・・。(松尾芭蕉の生地は柘植か伊賀上野か2説ある。これは、柘植にいた松尾家が上野へ引っ越しをしたのだが、引っ越しが先か、生誕が先か分からないためである)
 城址の周囲も見分して、このような小さな城では天正伊賀の乱時、最初の攻撃目標となって、数万の織田勢に抵抗するなどできないと、裏切ったこともわからないではないな、と思う。ただ、伊賀では有力な城であったわけで、寝返りの恨みは末代まで、というところか。
 見物の後は、加太、関、農免道路経由で14時帰宅。走行103㎞。

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