今日は午後から亀山歴博で開催された、タイトルの古文書の講座に参加。天気が良いのでジャイアン号でレーパンジャージ姿。
今年の内容は、秀繁が「年寄」として、亀山藩江戸藩邸務めしていた天保14年の1年間の日記がテキスト。今日はガイダンスで、次回から解釈に入る。ついて行けるかいささか心もとないが、講義形式なのでやりすごせるかナと思う。
講座終了後、2週間前と同じように、我が家の古文書(写真)の読解不明の点を教えて頂く。折角教えてもらったのに、〇印の所を忘れてしまった。
この文書は菱屋さんが田嶋屋さんと話をまとめ、斡旋してもらった家で、翌9月(寛政12年 1800年)に、女3人の家族で一番若い、当時14歳の「みな」が(家督相続しているので)代表で正式に売買契約をしている。
「覚 居宅家屋敷土蔵3か所 並びに酒枡桶道具〇ず(不) 戸立具畳共 但し先立って前紙の通り 〆て金470両也 右の通り売渡し申し以って候 申8月 田嶋屋伝兵衛 菱屋 㐂兵衛殿 同人弥吉殿」(書包みには「伏見町伝兵衛屋 売買證文書付」とある)
講義終了後、亀山歴博から住山町経由、県道11号で椿神社まで行き、消防道路で帰宅、走行53㎞。