自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

山辺の御井(みい)

2021-07-09 | Weblog

 予報によれば、12時に傘マーク。11時までに戻れば良いかと、サイクリング。飽きもせず、椿~水沢~西山~和無田のコース。
 出るときは陽も差し、蒸し暑く感じたが、椿まで来ると曇りとなった。上空では雲が集まっている感じ。水沢からの下りは、最近お気に入りの木立と渓流の流れる涼やかな道。西山~和無田~鹿間と走り、自由が丘団地の東端に沿って、木田へ降りる道を行く。しかし未走行の道を行こうと、途中から再度石薬師へ抜ける道を少し登って、舗装された田んぼ道経由で、高校の横へ登る道を辿る。道はほとんど車の通行がないような荒れた道。消防学校の横を走って、旧県道(戦中に現道が開削された)を下って、途中にある「山辺の御井」を10年ぶりぐらいに訪ねる。
 ここは、奈良時代、歌人でもあった長田王(長屋王とは別人)が、712年に伊勢斎宮に赴く際に立ち寄り、「山の辺の御井を見てがり神風の伊勢の処女ども相見つるかも」と詠んだところとされている(万葉集におさめられている)。(御井を見に行った時、伊勢の乙女達に出会って楽しかった」との意らしい。この歌の御井の場所は奈良県や一志だとする諸説あるが、ここだとして石碑を建てたのは、慶応3年神戸藩主の本多候だ。本多候は亀山藩主との話の中で、御井の場所が亀山領と神戸領のどちらかはっきりさせようと地元学者などに調査させたらしい。本居宣長は玉勝間のなかで「古の御井はこの二つのどちらかいずれならむ、定めがたく・・・」としている。もう1か所は亀山領内とのこと。
 地元の集落は「山辺」ではある。この地は、奈良から斎宮へのルートとしてはズレるのであるが、この一帯は、過去には、天皇の母になる女性を奈良に送った大鹿氏の本拠地でもあり、立ち寄ったのでは、と想像することもできる。
 が、この現地は整備されていると言い難い。旧県道から30mほど降りたところに、案内板と本多候が建てた石碑が藪に包まれてあるだけである(写真)。
 11時前には家に帰ったが、予報通り12時前から雨が降り出した。走行52㎞

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